武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

HOUSE(メモ紹介571)と 秋の日の美しい日

2020-10-28 10:53:19 | Weblog

こちらは、アトリエにあったメモ。

カラッとした明るい日差しが我家に降り注ぐイメージがしていいなぁ~と思い、

アトリエから持ってきていました。

凡庸な見方をすると、太陽と地球の関係の方がしっくりくるかもしれない。

黒い丸というか、円の形なのですが、この円の形の有りようは、ヒロクニさんの描く円なのです。

自分で定規を使わずに円を描いてみると、すぐ分かると思うのですが、

人それぞれ、膨らみ方や曲線の曲がり方に癖があるというか、どうしても個性が出るのです。

やってみるとわかります。

その他の作品の作品なんですが、太っちょの円もあります。

↑こちらは、神戸市長田区の明泉寺にあった、武内が書いた壁画。

(阪神大震災で崩壊して、現在はありません)

禅寺で、問答のように描いた絵です。

ガルーダとナーガ、水と土というテーマで描かれたものです。

ヒロクニさんとデート時代、「俺の壁画を見てくれ!」と言われて、

見に行って、私の言った一言が、「な~んだ!」だった。

「お前、よくもな~んだって言ったな。ひどいな。」と。

反撃される私。

この絵を見た途端、頭がすっきりしたような感じがして、「な~んだ!」と言ったと

思うのですが、ヒロクニさんは、バカにされたと思ったのでしょうね。

家の中には、板に彩色された円の羅列なども飾られていて、

それを見ると、並び方や円が美しくて、

「ヒロクニ先生は、綺麗な円を描くね。やっぱり形の人なんだね。」と伝えといた。

単純に美しい絵を描くタイプの画家ではないからか?

「美しい形ね。」と思う瞬間は、ホッとしています。

ちなみに、「HOUSE」の文字も、形がいいと思いません?

漢字も形で捉えているのか、時々書き順がメチャクチャに書く字があって、ギョッとします。

フォルムの画家と捉えていいのかもしれません。

 

我家の庭でも、ちょっと美しい時間を過ごしました。

↑友人を交えて、お庭で、サンドイッチとハーブティを。

急ごしらえで、板を乗せただけのテーブルで。

 

友人が帰ってから、里芋の収穫を。

↑あまり大きく育っていない里芋を掘り起こしました。

細かい根が付いていますが、これは里芋の根ではなくて、蔓ニチニチソウの根なんです。

我家の庭は、そこらかしこに蔓ニチニチソウの根があって、この根との闘いなんです。

↑テーブルに。

このテーブルにしている板は、ヒロクニさんが使う薄いピンクで塗られています。

彫り上げたばかりの芋は、柔らかくてすぐ煮えるのです。

 

↑こちらは、ヒロクニさんが撮った写真。

アトリエから撮っています。

なんか船酔いしそうな撮り方。

私は、「周明菊の後ろへ行け。」と言われて、います。

日差しが美しい秋の日でした。

 

 

 

 

 

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浮上する地下鉄(色鉛筆作品紹介570)と 子供の頃の遊戯

2020-10-21 12:08:24 | Weblog

浮上する地下鉄と題された作品。

2014年に描かれたものに加筆して、2020年に仕上げたもの。

裏には、「加筆・完」「とびあがる地下鉄」と書かれています。

薄い紙に描かれているので、持つと紙はくにゃりと曲がって、少しシワシワ。

表面が、かすれたような感じの風合いになっています。

赤が印象的。

浮上する地下鉄とあるので、顔のようになっているのが地下鉄か?

私は、虫が地中から出てきた様子に思える。

マンホールのような楕円は、「落とし穴」に思える。

子供の頃、嬉々として「落とし穴」を作って、人を誘導して落としたものだ。

まあ、自分が落とされることもあったわけですが・・・・。

宝物を地中に埋めるという遊びも流行って、子供ながら宝物を埋めるわけだけど、

埋めた場所がわからなくなったりして、泣いたりした記憶も蘇る。

ヒロクニさんの絵は、子供の頃の遊戯をしている感覚を思い出させることがあって、

子供の頃の果てしなく遊んだ感覚を呼び覚ますことがあります。

ヒロクニさんは、子供の頃どんな遊びをしたのか?と聞いたことがありますが、

地面に円を描いて、通っても良い道があって、そこは片足で通らなくていけないらしく、

そこを通ると突き落とされるそうです。

そんな遊びをしたことがあると。

ヒロクニさんは、「片足で通るって、なんちゅう遊びだ。チッ。」と、舌打ちを打ちながら話す。

私は、ヒロクニさんが集団でする遊びをしていたことに驚く。

ヒロクニさんの中学時代の友人が個展に来られて、

「名前はあるけど、見たこと無い生徒だった。」と何回も言うので、

集団でする遊びを微かにでもしていたというのが、ほんと驚きでした。

ヒロクニさんは、進駐軍向けのラジオでジャズを聴くのに忙しく、

自身がしたい勉強がたくさんあったそうで、放課後、野球をしに学校へ行く毎日だったそう。

親が、教師だった。

と、いうのも皮肉というか、そういうものなのか?

教師の子供は、むちゃくちゃするというのは、よく聞きます。

世の中にまれに、学校へいかなくても良い人というのは、いると思います。

それでも友人の出会いには、学校はいい場所のようですね。

その頃の友人の方も、個展に来てくれたり、担任の教師だった方も来てくれたりするのです。

担任の教師の方は、「武内!何してもいいから生きるのじゃ!」と、言われたりして、

教師だった方が、むちゃくちゃ言います。

 

庭は、秋晴れ。

↑金木犀の花が咲き誇っています。

青空と木々の緑が美しく、空を見上げます。

↑毎年咲く周明菊も咲き始め、秋だなぁ~と季節のリズムを感じます。

 

↑秋は、花が少ない庭なのですが、春の準備がはじまっています。

先祖帰りした種類の種、我家だけのビオラを絶やさないよう多めに苗を育てました。

今年は、ちゃんと色がわかるようにリボンで印を付けておいた。

100苗以上あります。

赤い容器に入っているのは、「空豆」「絹さや」の種を育成しています。

植える場所があるかな?

いつも見境なく種を蒔きます。

 

そんな日の夕食。

大根と豚のバラ肉の煮物。

煮込みさえすればよく、意外と簡単。

レシピ

材料(2人分)豚バラ塊 400グラムぐらい、大根、700グラムぐらい

1.大根は3cm幅に切る。豚肉は5cmのぶつ切り。

2.鍋にカップ7杯(1400cc)の水を入れ、そこに切った豚肉と大根を入れる。

3.落し蓋をして、それをコトコト1時間ぐらい煮る。水が減ってくるようであれば足します。

4.豚肉に箸を刺してみて、通るようであれば、そこに、砂糖大匙1、塩、茶さじ1/2、しょうゆ大匙2を入れ、

  さらに1時間煮ます。

5.食べる時に、しょうが汁をかけて食べます。

豚肉より、大根が美味しいですよ。

最近、ヒロクニさんから、「たくさん料理をしなくていい。そんなにたくさん食べられない。」と、

言われて、品数を少なくしています。

私は、たいしたものでなくても、こちょこちょと品数が多いのが好きなんですが、

合わせています。

余分なことも書きますが、今使っている秋田の味噌がとても美味しくて、味噌汁が美味しく感じる日々なんです。

また、ご紹介します。

 

 

 

 

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武内ヒロクニ・【動画】1995年 色鉛筆画の制作風景

2020-10-14 13:57:18 | Weblog

こちらの映像は、今から25年前の細密画のような色鉛筆画を描いていた頃の制作現場。

アトリエも今の宝塚ではなく、明石、正確には神戸市西区にあったアトリエ。

懐かしい映像を楽しみました。

ヒロクニさんは、当時58歳なのですが、58には見えなくて、

ヒロクニさんって老け顔????

それを言うと、「俺は、老成しているんだ!!」と。

若い頃の写真も、20代の頃は、30代後半に。

40代の頃は、50代にと常に老成した状態が続く人なんだと思いました。

終わりの方には、アトリエに描かれた線描や、ちょっとした落書き、わけのわからないもの、

写真、メモが映し出されていて、

こういうヒロクニさんのエッセンスのような所を捕らえてくれているのも嬉しい。

撮られた方のセンスとヒロクニさんのセンスが、微妙にマッチしていて

私としては、心が愉快になる。

ある種の軽さがあるのが好き。

 

この音楽と映像を撮ってくださっている、ERIC FRANCISさんは、阪神大震災の前後、行き来があって

その頃に撮っていたものなんです。

ユーチューブにアップされているのは、ブログのコメントによって知りました。

そして、25年ぶりなんです。

音楽活動を始められていて、今で5年のようです。

とても嬉しい出来事で、自転車の鍵が動かなくなって困っている時に、

通りすがりの方が直してくれて、「ありがとう。」と言う時に、

「こんなに嬉しいことはない!」と、何回も言ってしまった。

その方は、鍵ごときでそこまで言うのか????かもしれないが、

私の心には、すでに付加価値が付け加えられていたのである。

ここで、使われている音楽の、作曲、演奏をしているERIC FRANCISさんは、

【プリミアムノイズ】というバンドで活躍されています。

HPはこちら→https://premiumnoise.jimdofree.com/

 

ヒロクニさんは、曲を聴きながら「こいつも芸術家なんだよ」。と。

それが、警察に自主するように小声で言った。

「自覚してからが、始まりだから。」

そして、「勇気を貰った!」と。

そして、アトリエに足早に行く。

(アトリエに行くと書いたところを読まれて、アトリエって隣の部屋だろが!!!と問い詰められたことあり)

ある曲では、聴きながら「深い悲しみが・・・・。」と言って涙を。

私もヒロクニさんが、言っていることが少し分かる。

心がちょっとしんみりした。

 

ヒロクニさんの感性は、センチメンタリズムというか、悲しいとか淋しいに敏感なんです。

秋が来ると、「寂しい」「淋しい」「さびしい」といつも言う。

秋が来て、何回も聞かされると、最初は、「そうねぇ」。が、「ハイ、ハイ分かりました。」に変わり、

最後に「淋しいから、どうだって言うの!」「それって、私の所為じゃないよね。」という念押しに。

こういう私の反応もどこか変なのですが、いつもこの流れになります。

 

私達の心がしんみりした曲を良かったら視聴下さい。

置いときます。

 

 

 

 

 

 

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三ノ宮・風(色鉛筆作品紹介569)と 哲学の秋(唯識)

2020-10-07 15:06:30 | Weblog

この絵は、12センチ×10センチの小さな作品です。

2016年に描かれたものを修正を加えたと言っていました。

風を感じます。

SANNOMiYAと書かれているので、神戸の三ノ宮のことでしょう。

階段が描かれているので、阪急三ノ宮の西口にある階段のことでしょうか?

コロナ以降、一度しか三ノ宮には行っていません。

ヒロクニさんは、「ここまで街に行っていないと、街の絵が描きにくいねぇ~」。と言い、

「やっぱり、身体を街に擦り付けないとねぇ~」。と。

するといつもの「宝塚!この眠った町!お昼ねの町!覇気のない町!」のセリフにつながっていくのです。

 

私は、近頃、猫のピーちゃんが、毎朝早く起こしてくれるので、

寝不足になってしまい、眠たい毎日なんです。

寝るのは遅くて、AM1:00に寝るのですが、

朝6時前にピピちゃんが私の顔をビンタするのです。

布団を頭に覆うと、その上に鎮座して重しが圧し掛かる。

本当にかまってタイプの猫ちゃんで、以前の猫達と大違い。

抱いて、膝の上にのせると、くったり寝るし、猫らしい猫なのかも?

人は、寝始めてからの3時間を確保していたら、なんとか大丈夫と言う話を聞いたことがあり、

まあ、大丈夫と思っていますが、

冷蔵庫の前に行って、「何しようと思ったんだったけ?」とか、

買い物のメモを見ているのに、買い忘れが多く、

ヒロクニさんから、「ちゃんと見てるのか?」「まさか、呆けていないよなぁ~」。と言われ、

無言で静かにしている私・・・・・・。

静かにというより、ボーとして唖然としている。

↑これが、私の寝不足の元凶。

膝の上に乗って、撫でられ満足のピピ。

頭を撫でられてご満悦状態なんです。

この状態が好きらしくなかなか膝から降りてくれません。

ピピのおかげでお昼ねの私になりそう・・・・・ですが、することはたくさんあるので、堪えています。

 

 

話は変わりすぎるぐらい、変わるのですが、哲学の秋ということでこんなことを書きます。

人の心を分析するのに仏教では、「唯識(ゆいしき)」と分野があるのを知った。

知ってから、ヒロクニさんに「仏教について知っているよね。唯識って分かる?」と聞いた。

めんどくさそうに、「簡単に言うと、心ってことだ」。と。

そして、「その心を仏教哲学で論じているわけだけど、哲学だからね。」と。

「私は、きっちり哲学書というのは、ハイデッガーしか読んでないからなんともだけど、

唯識というのは、それに近しいちゃんとした哲学だから。」と。

「私は、大乗起信論が好きだねぇ」。と。

「大乗起信論を和尚から、借りてあげるから、是非読んだらいいよ。」と薦められています。

原文を簡単に読み下しているものであればいいのだけれど、

見ただけで理解できなさそうなものを薦められ予感がして、ギョッとしています。

「唯識(ゆいしき)」に興味をもったのは、明確に人の感覚を八つ、(もしくは九つ)に分けている所。

特に「未那識(まなしき)」「阿頼耶識(あらやしき)」について知りたいと思った。

「阿頼耶識(あらやしき)」のことを、脳内で、「荒れたお屋敷」と思いこんでいたという頓珍漢ぶり。

■「まなしき」というのは、八識のうちの第七識。我に執着して存在の根拠となる心の働き。意識がなくなった状態にも存在し、迷いの根源とされる。

■「あらやしき」八識の第八。宇宙万有の展開の根源とされる心の主体。万有を保って失わないところから無没識、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子 (しゅじ) を蔵するところから種子識ともいわれる。

こういう意味らしい。

七識の「まなしき」というのは、感情にとても近い感じがして、人間的な要素を感じるし、

「あらやしき」というのは、大いなる宇宙を創っているものにも通じるところがあるし、

そういうものが「人の心にある」ということに興味を持っています。

唯識(ゆいしき)というのは、お説教と違い、ヒロクニさんが西洋の哲学者を引き合いに出したとおり、

分析色が強いものというのは、確かみたいなんです。

ヒロクニさんって、いろんな知識があって、驚くわ。

でも、「悟り」から程遠い所にいる人物と、妻は断言します!!

「悟りなんて、開けるわけがない」。と本人も豪語しています。

 

秋の庭は里芋の収穫を待つ時期となりました。

↑茎の根元には、丸い芋が付いているのも分かるようになりました。

里芋は、収穫を急がなくてもいい芋で、上部が枯れてもそのまま土の中に埋まっている状態で

置いておいてもいいらしく、土に埋まったまま保存しておくと良いそうです。

ただ、毎年チューリップの球根を植える場所で育ててしまったので、

収穫して、あちこちに配るつもり。

柔らかくほっこりとしていて、とても美味しいのです。

コロッケにしても美味しいのですよ。(作るつもり)

 

秋なのに、朝顔がよく咲いています。

秋の日差しの為か、色が薄くなって儚い雰囲気を漂わせています。

 

 

 

 

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