武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

風狂なドローイング(作品紹介665)と 興味がないこと

2022-03-28 18:30:21 | Weblog

「風との別れ、海の別れ

 街角・さようなら

 夜の別れ」

と、文字が書き込まれています。

日本語を絵に入れるのは、とても難しいのだけど、

文字を絵のように加えることが出きるのは、武内の技かもしれない。

書き込まれた文字が、こころなしか“洋風”に見える。

そのことを知っている人から、「文字を書いて」と言われて、

5種類ぐらいの文字をさっと書いて、お店に使われていたり。

上の絵は、アトリエで伏せられて置いてあった一枚のドローイング。

わたしの中では、今、“風”がテーマになっているようで、

“風”を感じたと思ったら、自分の中で、その瞬間を感じて集めている。

この作品にも、そういうものを感じた。

独特の枯れた境地も感じが、新しいと思った。

こういう感性は、「風狂」とでも表現してもいいのかもしれない。

「風狂」とは、調べてみると

 気がくるうこと。狂気。
 風雅に徹し他を顧みないこと。また、その人。

となっている。

(2番の方なのでは、と思うとホッとします。)

この絵は、確かにまわりを垣間見る要素がまるっきり落ちていて、

絵画のあるべき姿すら、意識されていない。

よくある世の中に対する怒りや、情念すらもなく、

もう、たくさんの事柄を通り過ぎていった精神のように思えた。

もしかした名作かもしれない。

大きさは、A2サイズ。

ちゃんとした住居で、この絵を飾って眺めている図を想像してみた。

とても、渋かったりして・・・。

この絵を見ながら、風を感じ、新しいものを感じています。

当人の武内は、あまり代わり映えしないくて、いつもと同じ。

そんなものなのか?

この絵については、「味わう」という感じで、見ると楽しく見れると思います。

それと、考えこまないことですね。

 

この絵のことを「風狂」な感じがすると書きましたが、

我が良人は、抜け落ちているところがあるというか、

スルリと物事をかわすときがあります。

中学校もするりとかわし、高校もかわし、

イデオロギーもするりとかわし、時にわたしの言うこともかわします。

画家であるので、画壇というものがありますが、

若い時に積極的に身を置き、身を置いたと思えば、さっと離れていく。

神戸なので、中西勝氏が活躍されていた「二紀会」に入りたいと思った時の話を。

取った行動は、かなり積極的。

いつも街を歩く中西先生の見つけては、跡をつけ、

「二紀会に入れて下さい。」と言い続けたそうで、

「入れて下さい。」から、

「入れろ!」

「入れなきゃ、殺すぞ。」まで言ったらしく、

聞きながらストーカーまがいと思ったくらい。

風月堂の喫茶店で、やっと一緒に入って、嘆願したところ、

「君、何を頼む。」と聞かれて、

「僕、ぜんざいをお願いします。」と言ったそう。

その頃のことを思い出すと、恥ずかしいそうで、

「俺、ぜんざい以外のものを思いつかなかったのは、今でも残念やねぇ」と。

わたしは、「殺すぞ」のセリフに脅威を感じていたので、

「ぜんざい」が出てきて良かったとホッとしましたが。

その頃の中西勝氏の絵に「日本アクロバット」という絵があり、

ジョアン・ミロに通じるようなシュールな油絵で、その絵を描く中西先生に惚れていたと言う。

そして、その憧れの二紀会に入ったとたん、退会する。

武内の色鉛筆画の個展に、中西先生が来たことがあり、

「武内じゃないか!お前、外国人みたいな絵描いて。」と大きな声で入ってきた。

ざっくばらんな感じで、いかにも親分肌な方でした。

ヒロク二さんは、小声で「外国人みたいって・・・・。俺、日本人なんだけど。」と、面食らっていた。

また、「武内、俺どんぶり勘定が好きや。」とも話しの中で言っておられ、

今度は、わたしが目を丸くして中西先生を見た。

さっと会員をやめたのに、けっこう深い交友関係なようで、

一度、3人で一緒に飲みに言ったことがありました。

その時、中西先生は、「おい!武内、今日は絵の話しをするなよ。」と、

しょっぱなに言われた。

画家同士が絵の話をすると、ネチネチ細かい話になり易いことも確かなことです。

こういう人だから、憧れたのかもしれないと思ったり。

でも、さっと離れる。だけど、友情はそのまま。

だけど、こういう事も、絵があって友情なのだと思います。

 

話が変わって、違う場合のことも。

わたしの話しで、ヒロク二さんに興味ないことを話している場合。

話していても全く聞いていないようすが、まるわかり。

「聞いてるの!」と言うと、“えっ“ていう顔になって、まったく知らなかったという態度。

私は、ただの空気らしい。

そういう時は、「ああ、そこにいたの?」気がつかなかったよ、という風情。

話しているのに、存在に気がつきませんでした態度が続くのです。

上の空という可愛い感じではなく、あるものが、無い状態にされてる。

それも自然な感じで。

それをされた時の感触は、なんとも不思議というか、妙な感じがつきまとう。

「あれは、何だったのだ?」って。

それに変な透明感が漂っている。

その同じような感触を、イデオロギーの書かれた紙が、ゴミ箱にすいこまれていくというか、

すべるように落ちていく様子を見た時にも感じました。

本を贈って下さるのは、有難いのですが、

必ず、イデオロギー満載の記事や、手紙を同封する方がいて、

本を取り出して、紙にちらっと目をやると、

興味がなさすぎると判断されると、本を持ちながら紙がいらない部分に勝手に分かれ、

それを持ってゴミ箱の上にかざすと、自然に落ちていく。

その落ち方を見てると、スローモーションを見ているようにゆっくり自然にゴミ箱に。

その時の表情は、不愉快だとか、嫌だ、許しがたい、とかの感情もなくて、

ただ切り離されてしまったという感じ。

ヒロク二さんが興味がないことは、近寄ろうにも近寄れないと言ったところか?

そうやって、興味のあることだけに、焦点をしぼっていくようです。

 

わたしも見習おうと思い、ヒロク二さんが興味のない話をしたら、

やってみようと思うのですが、

「それ、興味が無いのだけど。」と言ってしまい、無視が出来ません。

あの妙な感触を発揮するのは、難しいようです。

自分の中に、取り込みたくないものを排除する力は強力。

パワーで排除するというあり方ではないところに脅威を感じます。

何か一種の「悟り」みたいな感覚といえようか?

とにかく、そういう時、時間の流れ方がゆっくりとしているのも特徴なんです。

 

 

 

庭にも少し春。

↑菜の花が咲くように。(菊菜)

ビオラも色味に分けてやっと、鉢に移すことが出切るように。

↑ヒヤシンスがやっと。

真ん中には、目を出し始めたチューリップ。

↑こちらもチューリップの葉が大きくなってきています。

ムスカリも植えてありますが、まだ咲いていません。

ビオラを傍に植え付けました。

我家の庭は、他のところより、生育が遅いような気がしています。

もしかして、庭木のせいで日当りが悪くなっているのかもしれない。

↑鉢に植えてあったキャベツと花を合わせティーカップに入れました。

花が付き始めているので、収穫してみて、固い葉をちぎっていくと、

小さくなってしまいました。

食べれないので、花として飾りました。

ヒロク二さんには、「こういうことは、とてもめずらしいと思うよ。」と言うと、

「自分の世界を築いているようで、いいね。」と。

これが、自分の世界なのか・・・・、と思うと複雑。

 

今日は、かなり捉え難い絵。

老境なんでしょうか。

もう、人がどう思うかということからも、離れているように思います。

時々、ヒロク二さんの友人からお電話がありますが、

「元気にしていますか?おいくつになりました?

 とにかく、絵を描いて下さい。」が決まり文句になってきました。

今日も、長い文章を読んで下さり、ありがとうございます。

 

 

 

 

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隠れた三悪人(作品紹介664)と お料理三昧の日

2022-03-22 16:11:52 | Weblog

見た瞬間は、工場地帯の風景かと思いました。

だけど、人らしきものがいて、

しかも表情を持っているというのが・・・。

その表情は、良からぬ悪戯を楽しむ三悪人という感じである。

頭を悩ませること30分。

絵を立てかけて、立って見ていると、

「その絵古い絵だねぇ。今見るとその絵も、いいところがあるけど・・・」

「今の作風と違う、やっぱり変わるものなんだね」と、

言いながら目の前を去って行きました。

懐かしんでいるような感じで。

画面を切り裂くような線が印象的で、線に躍動感があるのに目が入って

取り上げました。

この絵は、厚紙に油性のマジック、クレヨン、鉛筆、色鉛筆で彩色。

わたしには、中央の目がケロヨン(蛙のマスコット)に見えてしまい、

絵で、ふざけてるように思えるのです。

武内の絵で、一杯食わせられているというような気持ち。

色味もいつもと違い、ダークな感じだが、

この色味もいいなと思って見ています。

結局、何を描いているのかはわからなくて、

絵を見て「この感じもいい」と思っているだけ。

こういう感じ方もあり。

さあ、次に行こうか。

サクサク行きましょう!

 

コロナで自宅に篭ることが多かったこの2年。

ヒロク二さんは、用心に用心を重ねているうちに、靴すらあまり履いていない。

わたしに「これ、買ってきて」

「あれ、買って来い」状態。

微妙な言い方をされると、「どれ買っていいかわからない!」となり、

「あなたが自分で買ってきてもいいのよ」と、その注文を押し返す。

その時の、武内の顔。不満らしい。

わたしが「あなた」という時は、大抵説教めく。

そんな中、急に

「コロナの中、1つだけいいことがある。制作に集中できたのは良かった」と。

やっといいことを数えるという前向きな行為に出会えて嬉しかった。

ほんとうに頑張っていて、

また夕食が疲れて食べれないという事態も度々。

食事中、「何か静かだ・・・」と思うと、首が前のめりになって寝ていたりする。

わたしは自分がご飯を食べ終えると、

残している惣菜にラップをかけ、

「食べれるようになったら食べたらいいから、ちょっと寝たほうが良くないですか?」と言う。

いそいそと、押入れのベッドへ。

台所で1人になると、嬉しい孤独な時間が訪れます。

ヒロク二さんの小言が止むつかの間。

そんな時思ったのは、こういうコロナで人と交流がままならない中、

孤独に陥らないのは、2人でいるからなんだ・・・と。

もう、お互いが「遊び道具」となっている状態なんだと。

こんな発見をしてしまいました。

喧嘩をして感情を発露したり、そうだねと共感したり、

言い合いをして意見が違うと知ったり、相手があることで自分を知るというか。

まあ、いい相手だと良人のことは思う。

相手は“遊び道具”に近いと思うと、まあいいかと目くじら立てている自分も笑えます。

時に憎憎しく思うこともあるけど、それもよしと。

(わたしの口真似をする時があって、それをされるとけっこう逆上します。)

時間の隙間にそんなことを思いました。

↓お疲れの時に作った夕食は、こんな感じ。

コロッケなのですが、牛肉ミンチ、舞茸、椎茸を刻んで

玉ねぎと共にバターで炒めたものが入っています。

じゃがいものコロッケです。

トマトケチャップとウスターソース、マヨネーズで作ったソースで食べます。

あとは、ほうれん草を茹でたものをバターで炒め、しょうゆを少し垂らしたもの。

新たまねぎのスライス。

余った卵で作った錦糸卵。

みそ汁(まだ、入れていません)

2人なのに8個も作っているという。

手作りなので、翌日もけっこういけます。

しかし、こうやって料理を並べてから呼ぶのですが、

疲れて食べられないと言われます。

 

↑こちらは、ブラッドオレンジタルト。

国産のブラッドオレンジが売っていたので、考えもなしに買いました。

ケーキに使ってみました。

意外と美味しい。

甘酸っぱい風味がいい感じのタルト。

オレンジなんだけど、本当に赤みが強い。

オレンジを砂糖で煮るというのが手間なのですが、

わたしではなくヒロク二さんが気に入ってしまいもう一度食べたいそう。

わたしの性分として、たぶん作ってあげるのだと思う。

花もやっと食卓に飾れるように。

春が来たということです。

庭で、蔓ニチニチ草、花ニラ、水仙、ビオラを手折り、飾っています。

↑砂糖と水で煮たもの。

色が凄い。

皮をむいてあります。

向いた皮は、オレンジピールにして、ケーキの材料にします。

↑これが焼く前の状態。

冷蔵庫の中でいちごが傷みかけていて、そちらはジャムに。

いかなごのくぎ煮も作ったし、料理三昧な日々でした。

 

風に春の気配が。

花も咲き出し、新たな時間の始まりを感じます。

コロナも緩和されますように。

今週は、料理をよくしました。

何の為に?やはり喜んでもらうこと。

その他の面では、融通が利く性格ではないので、

料理はとりえかもしれない。

心意気だけですけど。

今日の絵は、いいと思ったことは確かなのですが、

わたしにとっては難しい作品でした。

一緒に「よくわからん」と思って下さるのもいいと思います。

読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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春の風(色鉛筆作品663)と 風の時代って?

2022-03-16 16:18:25 | Weblog

やっと暖かくなり、外に出て青空を見上げる。

ああ、春が来たと伸びをします。

庭に出ると、雑草も旺盛で緑が目に入る。

タンポポは、切り込みの入った葉をしっかり茂らせ、

花をつける準備をしている。

この絵は、帽子が風で飛ばされたような感じもする。

また、宇宙人が来たのか?

未確認飛行物体という感も。

しかし、武内の中ではシュールで抽象的な作品群に入ると思います。

あるのは、浮遊感。

これだけが、作品の鍵ではないでしょうか。

武内は、「こんなのが出来た」と言って、

テーブルの上にあるコップに立てかけて置いていった作品。

わたしは、この青がとても心地よく、軽快な気分になった。

そして、風の流れ。

西洋占星術では、今は『風の時代』といわれる、

200年に一度訪れる時代の転換期に入っているそうです。

この絵を見ながら、そんなことも考えていました。

今までの価値観が転換することがあるそうです。

 

 

ロシアのウクライナ侵攻の出来事でも、

もしかしたら「風の時代」の始まり?と感じることがありました。

ロシアが侵攻したことが、時代の始まりではなく、

ロシアが軍事力では、優位なはずなのに苦戦したことに。

そして、プーチンにとって計算外のことばかりが起こったのだと。

風の時代は、2020年12月22日から本格的に始まったといわれています。

内容なのですが、「風の時代」について、2点を抜粋したいと思います。

まず1、「心からつながる仲間と」共感していく時代。

企業で生涯頑張るという考え方から、最近では複業やフリーランスという働き方が増えたように、

縦社会から対等な社会へ。肩書の優劣がなくなりフラットになってくるでしょうというもの。

つぎ2、「情報や知識など形のないもの」が大切になる。お金よりも、という時代。

また、物質だけではなく、精神性などにも目がいくそうです。

「風の時代」は、「風」が目に見えないように、情報や知識など形のないもの、

伝達や教育などが重視され、人々は何より「知る」ことを求めていくことに。

今後は、知性・コミュニケーションなど、形のないものが意味を持つようになり、

想像力、思考力が重要視されたり、柔軟性が必要になる。

そして自分の好きなことや、やりたいことに素直に行動することが大切な時代になるということです。

こちらを参考にしています→https://www.villalodola.jp/magazine/column-085/

 

ヒロク二さんは、ニュースでウクライナのことを注視していました。

わたしは、ネットで注視。

わたしは情報用として、ツイッターを利用しています。

我家では、ヒロク二さんは自身の幼少の記憶、

飛行機から狙い撃ちされたことを思いだしたらしく、私に話していました。

だから、他人事とは思えない様子でいた。

そして、「プーチン、君は殺人鬼だったのか」と憤慨していました。

わたしは、「プーチンは、晩節を汚してしまって・・・」という風に思っていた。

ロシアの国益を守ることに忠実だった功績はあると。

他の国にとっては、よくないですけど。

他の国を思いやるようなことはまずない。

日本なんか、世界のATMか?と思うようなことばかりするお人よし国なので、

その反動で、プーチンは嫌いじゃなかった。

しかし、一線を踏み外してしまった。

そういう人物が道からそれていく空恐ろしさを感じるわけです。

そして、2人してハラハラしながら過ごしていました。

その間、いろんなことを考えていました。

風の時代に話を戻すと、ロシアはプーチン大統領をトップに完全に縦社会になっているようで、

以前より独裁色が強くなって、今回の戦争でそれが露見した。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、元コメディアンらしいが、

逃げずに踏みとどまり、ネットも利用してかなり世論を見方につけ、

情報を世界中の一般の人も知ることが出来るように、コミニューケーションを発信している。

言葉が分らなくても、文章は翻訳機能でなんとかなる時代。

話の場合は、翻訳して字幕をつけてくれる有志もいたりする。

コロナの影響で、ネット議会が進んだおかげか、

ネット環境で北欧の首相にも「ビデオ演説」というものをした。

まだ、ウクライナはロシアの軍事規模に対して優位ではないが、

世論は大いにウクライナに傾いている。

(私達は西側諸国だ)

そして、世論により経済制裁も次々と実行。

ドイツも世論の影響で、しぶしぶ踏み切ったという印象だ。

ロシア、プーチンは手段を選ばないタイプ。

短期決戦であれば、手段のことはそう問題にならないだろうと思っていたのかもしれない。

しかし、従来のお金持ちの首相ではなく、

かつて一般人でもあったゼレンスキー大統領が、

死を覚悟し、その地に踏みとどまったことに分があったのは、

「風の時代」が見方したかもしれないと思ったのです。

ロシアというのは、近代史でいうと、

ロシア帝国→ソビエト連邦社会主義共和国→ロシア連邦という変化があった国だ。

ロシア帝国は、東欧の社会主義者によって滅んだ国だ。

ソ連が崩壊した時にロシアは社会主義国家ではなくなったと思っていましたが、

急に先祖帰りした様子が奇異に映りました。

結局、ソ連に戻ってしまった。

また、ベラルーシという国の名前を聞くと、美しい国のように思っていましたが、

北朝鮮みたいな国だと認識をした。

そして、わたしの中で評価が低くなっていくドイツ。

ドイツ人が・・・ではなく、わたしの中で国としての評価が落ちっぱなし。

まあ、これはエネルギー問題についてですけど・・・。

日本は、ロシア、北朝鮮、韓国、中国とかに囲まれている環境を思うと、

安心している場合じゃないと思うのでした。

たくさん思ったことの1つで、身近に思ったこともある。

武器を持って戦いに挑んでいる女性達の姿を見て思った。

わたしは武器を持って戦地に行く勇気があるだろうか?ということ。

運動神経が劣っているので、完全に足手まといな自分を想像し、

それじゃあ、看護に・・・と思っても、役に立たなかったどうしようもないというもの。

自分が迂闊な性格で、うっかり間違うということを知っている。

傷口を広げるようなことして、非難されることも思い浮かぶ。

自分って、有事には、役に立たないような気がする。

それと、普段、男女平等って言っている人達は、戦いに行くのだろうか?

日本のフェミニズムの人達って、自分が優遇されたい人が多いから、

こういう時は黙っているような気がする。

まず、わたしのような人は、人からしたらばかばかしいようなことから

小さい勇気を持つようにしないといけないのかも・・・、と思いました。

必要な時に、出せる勇気を持たなくてはいけないと。

ヒロク二さんは、「気がついたけど、ウクライナの女性って、きれいな人が多いね」と言ってました。

わたしも同感です。

そんなことも分ったりして、今は個人も情報発信したものを、

一般の人が受け取れるのも時代が変わったと思います。

ロシア人も丸腰で戦車を止めるウクライナの人をひき殺せなかったようすも動画でみた。

もうプーチンは、見栄を張っている場合ではないと思う。

しかし、こういう事が長引いたりして、

世界の国々の関わり方によって世界大戦に繋がったりする。

第一次世界対戦も第二次世界大戦もそう。

(学ぶとわかることですが・・・)

なんとか、うまく停戦が続き、物事が収まりますようにと思います。

「風の時代」が、個人が自由をそれぞれに楽しみ、個性をうまく認め合う時代だとすれば、

1つの価値観にしがみつくのは、いまひとつだと思いました。

プーチンは、風に逆らい、時代遅れになってしまったのかも。

そんなことを思いました。

 

 

庭では、やっと小さなビオラ達が。

↑昨年収穫した種を蒔いて育てています。

先祖帰りがさらに進んだようで、

色味が黄色か紫、または白色か紫とくっきり分かれてしまい

あの茶色味を帯びた好きな色のものがあまり咲いていません。

色味が減ってしまいました。

少し、悲しいような気持ちになる。

クラッシクな深い黄色とか、あの茶色系のビオラが好きだったのに・・・。

残念です。

↑こちらもビオラ。

もし、種が収穫できたら来年はこの花から、育ててみよう。

どんなビオラになるか?

こういう種類は、種が付かない種類だったりすることが多いので、

まず、様子見です。

 

↑こちらは、庭に自生しているすみれ。

取らずに置いておいたせいか、株が大きくなっています。

この部分は、こんもりと盛り上がって咲いています。

後ろには、ジャーマンアイリスの葉が大きくなってきています。

今日は、豆ご飯を作る予定。

春なので。

 

 

ロシアとウクライナのことで、思うことはたくさんありました。

戦争というのは、愚かなことだと思います。

その様子を追っていくうちに、

とにかく「風の時代」なんだと、ハッとした瞬間があったのです。

占星術とかで物事を決める性質ではありませんが、

大きな流れというのは、あるのかもしれないと思いました。

占星術では、ヒロク二さんは射手座、わたしは乙女座、

もっとも相性が悪いらしい。

だけど、気にしてない。

だから、参考にする程度でいいと思うのです。

また、ウクライナのゼレンスキー大統領が、占星術をもとに行動しているわけじゃないし。

要素として、時代の流れを取り入れてみては?と思った次第です。

今日は、意外なことをを書いてしまいました。

それより、役に立つ人になる方が先だなぁ、と思いつつ、

妄言、かつ長文、読んで下さりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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夕暮れの街並み(色鉛筆作品662)と 板のパネル作り

2022-03-10 17:06:59 | Weblog

クレヨンと色鉛筆、鉛筆使用。

この作品は、小品で、14cm×18cmという大きさ。

小さいサイズの作品は、牧歌的なものが出来ることが多い。

実物の色はもう少し明るいのですが、

写真の撮り方のせいでうまくいっていません。

街並みとすれば、人は巨人の大きさ。

時は夕暮れ。

武内は、他の絵でも「夕暮れ」というタイトルを付けることが多い。

思い入れがあるのだと思います。

郷愁に近いものかもしれない。

わたしも子供の頃は、夕暮れ時になると、

家々から夕食の匂いがして、外で遊ぶのをやめ、帰途についた。

「ああ、今日一日が終わる」と思い、

安心感や、一抹の寂しさや、充実感が混ざり合う一時。

そんな子供の頃の夕暮れを思します。

「カラスが鳴くから、帰ろう」と皆で歌いだしたりして、

家に帰るのです。

カラスが鳴かなくても歌い、

その歌を歌うことが、帰る合図だった。

教えられてもいないのに、そうであったのが不思議。

この積み木みたいな街並みの絵のせいか、

この絵を見ていると子供の頃の夕暮れを思い出しました。

 

 

昨日、ヒロク二さんから相談を持ちかけられました。

木のパネルに絵を貼ってみたいのだけど、

その木をどこで買ったらいいかと。

わたしは木に絵を貼り付けてしまうというのは、あまり賛成じゃない。

重くなるし、整理しにくくなるから。

額装する時にも問題が起こりやすい。

それでも、話しを聞いていました。

最初から、「ろくな考えじゃない!」と言うのは可哀想なので。

買うのは、「1枚パネル板を買って自分で切って持って帰るところ」か、

「ホームセンターで頃合いの木を買って、工房で自分で切る」か、

「1枚買って、それを切ってくれる所で買う」か、と返事をしました。

何故、急にそんなことを言い出したかというと、問い詰めると、

知っている小さな美術館、ビルの一角にあるところで、

作品を展示したいから、だそうで、

額装をする替わりの工夫として考えついたらしい。

もう、ヒロク二さんの頭の中では決まっているみたいなのですが、

そこの担当の方がいいともなんとも言っていないのに、

考えを固めていっているようなのです。

「そこで、サンプルを1つ作ってみたら?」と提案した。

「そのサンプルを見てもらってから、話を進めたら」と、また提案。

「なるほど」と言っているのですが、

もう、その板を用意するのは、話をしたわたしの役目に決まっているようで、

“ホームセンターで頃合いの木を買って、思うサイズに工房で自分で切るのはわたしの仕事”らしい。

ちょっとムッときたわたしは、

「何で、電動ノコギリを使うのはわたしなの?」

「それって、男の仕事じゃないの?」と。

以前、色鉛筆画用のパネルを作った時も、パネルを支える木の棒の角を45°に切るのは、

わたしの役目になり、正確に切れないので組み合わせるのが切ったものにしか分らないようになり、

その木切れとパネル面に貼る作業は全部わたしがすることになった。

ヒロク二さんは見ているだけで、絵をパネルを合わせて「サイズよし!」と言うだけ。

わたしは、釘を口でくわえて黙々と作業していました。

少なく見積もって、20枚以上はあったと思う。

20×4本の棒切れの左右に角度45°ということは、80箇所も角があるということ。

その後、夕食のご飯の支度もした。

よく、ヒロク二さんは、女は男はという言葉を使うので、わざと男の仕事といったのです。

ついでに「言葉はいいから、行動したら」も付け足しておいた。

(これは、わたしの中では、よく思い付く言葉)

誘導尋問でなく、行動を誘導しようとしているのに抗ってみたわけです。

単純にまとめて、こうやって書いていると分り易いと思うのですが、

話の仕方も話題から遠いところから始まり、

横道にそれたりしながら話すから、話を聞くのに忍耐がいる。

耐え難いせいか、ヒロク二さんの顔と反対の方向に貼ってある、

カレンダーをじっとみつめて固まっている時があります。

注意されるまで、カレンダーに目はくぎつけ。

「何でそっちを向いているんだ」と急に言われる時がある。

話を進めるには、順序があると思うのですが、

芸術家だからなのか、すっとばしてその会場のことを考え、

人との相談は勝手に決まったことになって、

そして、額装するのは高くつくから、

なんとか安く展示できる方法はないかという方向に行くみたい。

で、最後に「額装する金銭」に集中してしまうらしい。

そこに集中させないように、相談してみないとと持ちかけているわけです。

「とりあえず、サンプルを1つ作ろうね」と、考えを先に行かせないようにしているのですが、

じわり、じわりとそっち、即ち自分の考えの方に暴走していきます。

なんとか、その担当の方に一度会って、

話をしてみるのというクッションを認識してもらおうと。

道のりが抜けている箇所をね。

ヒロク二さんの言うようにしていたら、ボロボロな会場になりそうで、怖い。

それで、また「針金で展示を・・」と聞くと、よからぬことを考えているような予感が・・・。

アトリエで、ネジ釘の頭に針金が何十にも巻きつけられて、

外からその針金がビョ~ンとはみ出している様子を思い浮かべてしまい

気持ちがずしんと重くなるのでした。

たぶん抽象的な思考が得意なのだと思う。

しかし、もう少し分り易く話して欲しいと切に願っています。

話は変わりますが、白状すると、わたしは電動ノコギリ使えます。

使えるのがくやしい!

ヒロク二さんにしてやられたりという感じもあるのであった。

 

こんな話の中でも1つ感心したことがあります。

今年で85歳になるのですが、あと個展を2箇所したい場所があることや、

その小さな美術館に話を持っていきたいと思っているのがよく分りました。

普通、85歳にもなれば何もしない人もいますが、

やってみよう!という気持ちが早っているのだと思うと嬉しい。

人によるかもしれませんが、

画家の妻って、あまり優雅じゃないでしょ。

もう、梱包とか荷物運びとかそんなのばかりです。

釘打ちとか。

 

やっと春めいてきました。

梅の花がやっと。

↑毎年、3月3日には満開なのですが、まだつぼみがあります。

今年は、寒かったのだなと。

↑庭では、灯かりがついたみたいな感じ。

↑水仙のつぼみ。

黄色い水仙です。

↑昨年植えたチューリップの掘り起こしたものを鉢に。

その他にムスカリ、ヒヤシンスの小さいの、ミニチューリップです。

今年は、芽が出るのが、なにもかも遅い。

それでも季節は巡る。

植物に人が癒されたら、その植物も癒されるそうです。

そうだとしたら、とても嬉しいなぁ。

 

↑最後に、我家のピーちゃん。

こうやって、顎の下をなでられるのが本当に好きらしい。

ヒロク二さんにも「女の子なのに、目が怖いときないかぇ」とか言われています。

よその人が来たら、恥ずかしいくらい慌ててすっこみますが、

私達だけの時は、暴れまわったり、

目が丸くなっていると思ったら隠れているフリしたりして、出てきて脅かします。

抱っこも大きい声で「ナォ~~ン」とねばい鳴き声で要求するし、

「ピーちゃん、存在の大きい猫になっちゃって」といいながら、抱っこします。

すごいゴロゴロの音で、嬉しいのがよく分ります。

イメージが変わってきた今日この頃。

 

 

 

 

 

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ヤッホイ!(色鉛筆作品661)と お好み焼きの思い出

2022-03-04 12:52:08 | Weblog

最近作。

顔のようになった涙の形は、よく目にしていました。

メモが多くあり、1年以上この形を描いていたと記憶しています。

この形は、あまり見かけないガムの容器から発展していました。

細長い胴体に頭の部分にキャラクターの顔があって、口から四角いガムが出てくるというもの。

インド紅茶の店で見つけたらしい。

ドイツか、アメリカの製品だったような?

(忘れてしまっている)

この容器のスケッチをよくしていました。

わたしは気に入っているのねと思いながら、

そのスケッチをよく見ていたのです。

何を気に入るのか?

予測がつかないし、意外なので不思議なので印象に残るのです。

その容器の顔、頭から発展した形だと知っていると、なお不思議。

線から弾力性が感じられて、

伸び縮みして動いているような感じがあって動きを感じる作品です。

もう、完全に絵で遊んでいるという・・・。

だけど、絵を描いている時は黙々と作業しています。

この作品は、36cm×46cm。

わりと大きめな絵。

この絵を見ていた姿を見られたので、

「これって、ヒロク二センセイの真髄があるのじゃない?」と言うと、

「絵をよく見てくれるね」と一言。

そして、目の前から去っていった。

毎日、こういう風にいけばとてもいいのにと、思いました。

侃侃諤諤(けんけんがくがく)になりがちな我が家です。

2人しかいないのに・・・・。

ようするに普段は、言い合いばかりしているということだ。

 

 

ネットで、時に意外なことを知ることになる。

本当に驚くことがある。

ヒロク二さんの友人を見つけました。

その上、私が見たことがないヒロク二さんが描いたシャッターの絵を見ることが出来ました。

思い出もあります。

それは、東京、吉祥寺にあった「吉祥夢」というお好み焼きの店。

初めて、東京での個展をした時に(この時のギャラリーは、牧神画廊)、

ヒロク二さんと店に立ち寄りました。

この頃は初々しくて、ヒロク二さんの後をくっついていただけのわたしで、

オロオロしたり、ボーとしながら人に会っていたような感じでした。

ヒロク二さんは、吉祥寺に着いて、

「あ、ここだ」と言ったかと思うと、

「おー、きよし」と、手短にやり取りをしていた。

わたしは、ちらっと見えた鉄板に湯気が上っていて、

その中から気迫を感じ、「なんか・・・、凄い雰囲気」と思った。

その中からヒロク二さんが出できて、さあ行こうかという時に、

「武内さん、これおみやげ、もって帰ってよね」と、熱々のお好み焼きを頂いた。

食べる時に、「きよしのとこのは美味しいから、食べてやって」と。

それが、ほんとに美味しくって!

ヒロク二さんと会わなければ、出会わなかったものだと思っています。

そのお店の動画を偶然見つけました。

こんな風に焼いていたのだという驚きと共に、

こんな方だったのね!ということに改めて驚きました。

↓こちら

ヒロク二さんの友人という感じ。

この中で「10人来て、僕が10人に好かれると思わない」と言ってらして、

10人来て1人残ればいいと。

これって、真理をついていると思う。

お客さんに、あれこれ言っているけど、基本は気配りからきていると思う。

領収書のことも、お好み焼きって食べてもしれているじゃないですか、

そのしれている額を会社の経費で食べようというのは“なめてるん”じゃないの?と。

こういうことだと思う。わたしの解釈ですが。

ヒロク二さんも、ロック喫茶をしていた頃、あまり好かない客に

「コーヒー飲んだら、さっさと帰ってくれる」とやってたらしい。

「入り口で、君、来ないでくれる」と言って、追い返したりしてたら

「マスター、お願いですから入れて下さいよ」と嘆願されて、

しゃーないなと思ったとか、いろいろ言ってますもん。

こんな感じの口が悪い人って、優しかったりするので、

わたしはかえって安心感を持ちます。

 

あと目を引くのは、店の扉にあしらっている、白と青と茶のバティックの布。

同じものをプレゼントで頂いて、とても気に入っていた。

アトリエの日よけにも使ったし、夏にはテーブルのクロスとして。

そして、何度も何度も洗濯して使った。

布が弱ってきてからも使った。

何年も使い続けていたので、破れたりすると繕っていたり。

とてもいいものでした。

どこを探しても、これ以上いいバテックに出会えません。

バリ島で購入したものだったと聞いていました。

 

↓こちらは、武内のシャッターの絵が見れます。

ヒロク二さんからの話で、シャッターに絵を描いたのは知っていましたが、

見たのは初めて。

最所の冒頭のシーンで、シャッターが閉まっていたとかで、

偶然、絵を見つけました。

今とあまり変わらない絵柄なのに、驚きました。

もう、一瞬に近いのですが、興味があれば見て下さい。

ヒロク二さんは「あの蛇腹に絵を描くのが、難儀でねぇ」と。

そんなことばかり言っています。

シャッターというのは、店を閉めてから、夜に描かないといけないらしく、

ライトを当ててもらったりと大変だったよう。

この動画では、カメラマンだったことが紹介されていますが、

ヒロク二さんはモデルをよく頼まれたそうで、

数多くの写真が家に残っています。

印画紙自体もその頃のものは、厚くて質が違うのですぐ分るという・・・。

良人は、その写真が出てくると、

「俺、朝からキヨシにスタジオ来いって言われてねぇ、冬の寒い時に」とか、

「豚小屋で撮影するから来て、と言われてねぇ」とかの話しを聞いている。

「俺、忙しくて大変よ」とも。

ブツブツ言ってながらも、

「男が何かしようとしているのなら、協力するのが男だろ」なんでしょうね。

気障な気分の時に、ハードボイルド顔負けでわたしに豪語してました。

上記の言葉を。

セリフに驚いたから、よく覚えている。

(自分の口から、よくそんな気障な言葉を言えるなーと、びっくりよ。)

しかし、よくブツブツ文句をいう。

その文句のせいで、挙句の果てに、わたしに

「言葉はもういいから、行動せんかい!」と言われるのでした。

急に言葉少なくなる反応が面白いのでした。

(変に素直)

話は戻ります。

この店の壁にかけて下さっている絵も武内の絵のようなのです。

この時期は、こういう作風のものを描いていました。

何か、友情というか精神のつながりを感じます。

明石にいる頃、一度遊びに来て下さって、ジープに乗せてもらった思い出も。

「メカみたいな車だ・・・」と思いながら

非常に変わった乗り心地がしたのを覚えています。

今は、お元気にされているのかな?そんなことを思いながら。

 

動画を見ていたら、「お好み焼き」が食べたくなって、

いきなり焼きました。

少し、まねをして。

↑この上に天かすと菊菜をのせるのをすっかり忘れてました。

↑しょうがないから豚肉をのせ、上から生地をのせました。

この柔らかい生地は、関西風だと思います。

わたしは生地を出汁で溶いて、しょうゆを小さじ1入れます。

あれば、干し海老を砕いたものも。

山芋も適当に入れます。

「今日は、なんだかお好み焼きが焼きたくなって」と言いつつ、

ヒロク二さんを夕食に呼ぶと、不機嫌でした。

夕食は、おかずが並ぶ方が好きなんだと思います。

そんなこと言われても、

モーレツに焼きたくなったのだからしょうがない。

 

 

 

ネットというのも時折、不思議なことをもたらします。

以外なところから、

武内ヒロク二の絵を発見しました。

ヒロク二さんは店で食べたこともあるらしいですが、

わたしはありません。

あのお好み焼きは、こんな風に作られていたのかと感激しました。

とても美味しかった。

動画では、美味しかった以上のことが読み取れて、

味わいがありました。

屋久島へ行くという話しを聞いていましたので、

今は店は閉店したようですね。

とても単刀直入な方だったので、

「それ、武内さんの方がおかしいのと違うの?」とか、

「武内さん、ちょっとは働いてくれる?何寝てるの?」と言われたのを

「キヨシに言われてさぁ~」と時々思いだしたように話します。

「どうしているのか?」と動画を見て話していました。

今日は、夕食お好み焼きにしませんか?

わたしは、今は食べたいより「焼きたい」に熱が入っています。

今日は、個人的な話でした。

ブログを読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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