武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

晴れた日の街(色鉛筆作品紹介581)と クッキー、ギャレット・ブルトンヌを作る

2020-12-28 09:06:48 | Weblog

こういう作品は、厚紙、板に貼って、個展では発表します。

貼る前の状態なので、紙が波打っていて、鉛筆の部分が特に光ってしまって写りが悪い。

ヒロクニさんらしい、おもちゃ箱のような作品なので取り上げました。

この絵は、やはり街。

左の人物は、自画像か?

花のような太陽らしきものもどこか有機的な印象を受けます。

陽だまりを感じるかな?

あの道、この道を散歩するヒロクニさんの姿を思い浮かべます。

 

このところ、ヒロクニさんが愛する神戸の街へもあまり行っていない。

コロナのおかげで、本当に散歩も気軽にいけない雰囲気は困ったものです。

毎日、仕事台とにらめっこの日々を過ごしているヒロクニさんなのです。

整頓された仕事台に朝日が差している。

↑その様子を写真を撮っておいてと言われ、撮ったものがこちら。

いつも机に向かって、絵を描いています。

鉛筆は、手で削っていて、独自のいい感じの削り方があるようで、

「削るのを手伝うよ。」と言って、やってみたが、削り方がどうも具合が悪いようで、

「やらなくていい。」と言われてしまいました。

鉛筆の芯が、折れにくいように、かつ鋭角やらが出来、塗りこめやすい削り方があるようで、

同じようにやってみるのだが、微妙に違うらしく、私がすると使いにくいらしい。

職人気質のないヒロクニさんなのですが、鉛筆の削り方だけは職人になっています。

 

もう少しで新年を迎えます。

私は、気持ちはもう師走。

もうすでに食材を冷蔵庫に買いおきして、冷蔵庫の中が一杯になりつつある。

まだ、お正月に向けての料理も決めていないにもかかわらず・・・、ため込んでいます。

特別なおせち料理は作らず、アラカルト的に行こうかな?と思ってきている。

黒豆は買ってしまったので、多量に出来そう。

煮物は作っておくと、日持ちもするし、お正月らしくなる。

ヒロクニさんが好きな数の子は、高いので切り捨て。(ひどいでしょうか?)

もし、国産のもも肉が、半額のものを見つけたら、買ってローストビーフにしてもいい。

海老は、串にさして塩焼きがいい。

ぶりのしょうゆ漬けは、昨年作って焼いて食べたなぁ~と思い出したり、

煮豚も作っておくと便利かも?と、この煮豚はアレンジがきくので重宝します。

食べ物のことばかり考えるのが、私の師走なのです。

しかし、お正月前は、お値段がなんでも高くなるので、気持ちが萎えたりして、

止めたり、違うものを作ることにしたりと工夫する流れになることが多い。

「食べ物」に対する執着にまみれています。

しかし、料理をする意欲の根源になっていて、“意欲”はいい方の欲と捉えたい。

 

そんな意欲で、作ったフランスの厚焼きクッキー、ギャレット・ブルトンヌ。

はじめて焼いてみました。

↑ギャレット・ブルトンヌ、とてつもなく大雑把に作りました。

パイ型に生地をつめたのでクッキーじゃなくてケーキみたいな仕上がり。

↑本来はこういう感じに仕上がるもの。

型抜きしてから、その型を生地にかぶせて焼かないといけないらしく、

このクッキーは、専用の型がいるのです。

持っていないので、大判にしてしまえば、簡単でいいのでは?と思いやってみました。

焼きあがったら、包丁で三角ぽっく、パイ型にいれたまま切っておきました。

思ったより厚く仕上がって、厚さが2.5センチもありました。

味は、バターがたっぷり入れてあるので、風味が良くて、いい感じで気に入りました。

ヒロクニさんがクッキーを焼いて欲しいというので、クッキーを焼いたのですが、

「もうサブレは嫌だ。違うのがいい。」と、言うので、挑戦してみたのがこのクッキーになります。

では、レシピも紹介しておきます。

■材料(クッキー型で10個分)

薄力粉220グラム

アーモンドプードル30グラム

無塩バター250グラム

卵黄3個

粉砂糖150グラム(私は、三温糖を使用)

塩2.5グラム

バニラエッセンス少量 ラム酒35グラム ベーキングパウダー1.5グラム

卵黄(塗り用)1個ぼうる

1、ボウルに砂糖、塩、卵黄、ラム酒、バニラエッセンスを入れて混ぜ合わせます。

2、混ぜ合わせて、バターの粒が少し残っている状態のところに、小麦粉を少量づつ入れる。

 (私は、一気に入れてしまったようです。写真を見て思いました)

 これが、粒がなくなるほど混ぜる。

3、混ざったらこんな風になります。

  これを一まとめにして、冷蔵庫で固く、締まるまでねかせます。

 (生地は、けっこうゆるいので、ふにゃーとしないようにしなくてはいけません。)

4.パイ皿とプリンカップにバターを塗り、茶漉しで小麦粉をふるい、余分な粉を落としておきます。

 冷蔵庫から出した生地を麺棒で平にしてから、パイ皿にのせ、余分を切り落としました。

 切り落として、残った生地はプリンカップに詰めました。

 ナイフで表面に模様を入れ、最後に卵黄をハケで塗ります。

 余熱をした180℃のオーブンで30分焼きます。

 このギャレット・ブルトンヌは、ケーキ屋さんで買うとけっこうお高い。

 値段はいろいろなのですが、1個200~400円くらいする。

 それが、たくさん出来るのが嬉しい。

 我家のギャレット・ブルトンヌは、2.5センチ強ある厚焼きタイプのものが出来上がったのです。

 バターもいいものを使った。

 文句なしなのである。

 

そんな2人の間を行ったり来たりする我家のピピちゃんに、

羽の首輪をつけました。

↑窓際で日にあたりながら寝ています。

↑角度を変えるとこんな感じ。

首を掻くので、この羽があらぬ方向へ向いていることが多く、

「変だ。」と思うことの多い首輪。

違うのにしておけば良かったかも?と思う時があります。

ピピの首輪が変わったことで、あれほどはまっていた着物を着ていないことに気がついた。

おばさんが手軽に出来るコスプレ。

いや、年相応の女性のたしなみとしていいと思って着てみた着物。

今年のお正月は、近所のバザーで手に入れた200円の着物を虫干しもかねて、

着てみようと思っています。まだ、袖を通してないものがありすぎ。

気楽に着たい私には、これでちょうどいいのね。

また、家事をしていても気にならないのがいい。

ヒロクニさんからは、「荷物になるからいいかげんにしろ。」とか言われてます。

数は、増やしたからねー。

言い訳として、「200円の物も買ったらいけないの?」と嫌味を混ぜていう私。

(こんなことを書くと、私って嫌な性格なのかも?と思えてくる。

 こういうものの言い方を思いつく私はとても嫌な存在でしょうね。)

まあ、ヒロクニさんにとっては、無駄に思えることなんでしょう。

おっくうになる原因としては、自転車に乗る時や、家でゴロゴロできないのが難点。

この2点になります。

帯のせいで、だらっと出来ない。しゃんとしていないといけない感じになる。

冬着ると暖かくてとてもいいのですが・・・・。

しかし、外に着ていくと「どうしたのですか!何かあったのですか!」と言われるのも面白い。

必ず言われます。

お正月は、頑張ってハレの日にするつもり。

 

食欲やら物欲やらが混ぜ混ぜになってしまって、

もっと清らかな心な状態を持たないとけないとも思えてきます。

欲が渦巻くお正月では、これまたいけない。

新年は、清らかな日々でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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少女(作品紹介580)と シャンソンの思い出

2020-12-22 17:41:12 | Weblog

2020年作の「少女」という作品。

メモに近いかもしれない。

鉛筆の10Bという濃い鉛筆と、2Hぐらいの薄い鉛筆を使っています。

なにやら、日記めいた文字も浮かびあがっていて、意味深な雰囲気がします。

2Hの鉛筆で埋められた鉛筆のタッチが、混沌としていて、これがいいのです。

このタッチは独特で、線がバラバラとしていて、乾いた感じがいいのです。

色鉛筆は、赤、黄緑、藤紫を使っていて、青はクレヨンを使っています。

私は、「少女」というより、男性のシャンソン歌手を思い浮かべていました。

寒い冬に、ヒロクニさんからシャンソンを紹介され、聴いた思い出があります。

今日は、そんな思い出を話します。

 

冬になると、「シャンソンを聴こう。」と言って、次々と紹介してくれた。

明石に住んでいた頃の話です。

ジュリエット・グレコ

バルバラ

イブ・モンタン

ダミア(暗い日曜日)

シャルル・アズナヴール

エディット・ピアフ

この中で、私が気に入ったのは、バルバラでした。

印象に残ったのが「暗い日曜日」という曲。

この曲が流行した頃、自殺者が増えた話をヒロクニさんから聞き、驚きました。

なんでも、セーヌ川に飛び込む人が後を立たなくなったりして、自殺を誘発する曲だったそうです。

そうなの?と思いながら聴いていましたが、私は、そんな気持ちにならなかった。

とにかく、シャンソンというものを聴いたことがなかったので、新鮮だった。

冬に聴くシャンソンは、木枯らしが舞って、寒さが強調されるような雰囲気。

誰の歌かは思いだせないが、野太い男性の声で絶唱されるところを聴いていると、

凍てつくような感じになって、「冬って、寒いよねー。震えなくっちゃ!」という感じでした。

でも、黒いタートルネックのセーターは、穴が開いていてもおしゃれな感じがしてくるという

不思議なムードがしてくるのです。

木枯らしでなく、冬の嵐が到来したような気分になった。

寒い冬に聴くと、寒さが強調されて、震える身体を部屋の隅に押し付けるとムードが出ます。

 

時間が経って、ヒロクニさんにシャンソン歌手の恋人がいたことが判明した。

「y子は、シャンソン歌手だったから。その時に、いろいろ教えてもらってねぇ~。」と。

そうか!この方と恋している時にシャンソンに詳しくなったのか!と。

「店で歌うから、来てとか言われて。」と言っていたのも思い出した。

ヒロクニさんの話の断片を、頭でつなげて、つなげていく習慣が付いているので、分かったのでした。

この方は、大阪心斎橋のモンスーン・ティールームという喫茶店で個展をした時に、来られていました。

ヒロクニさんは「おお、y子じゃないか!」

「どうして、ここで個展しているのが分かったの?」なんて言って、自然である。

2人で楽しそうに話していたが、私は嫉妬なんかしない。

そのy子さんは、いろいろ話を終えた後、「やっぱり、男ってこうなのね。」と、憤慨していた。

「あなたは、変わらないわね。」と、あきれた感じで言った。

それを聞いている私は、言っている意味のすべてが理解できたのです。

これって、ヒロクニさんのことを私も熟知していると云う同義語のようなもので、

この言葉にすべてが集約されている。

私は、そのy子さんに「この人は、お金だけが・・なんです。」と言った。

すると、その方は、ヒロクニさんに「いい人見つけたわね!」と言い、

帰りがけに、「男は、これだからねぇ~。」と言って帰っていった。

ポカンとしつつ、見送ったのでした。

 

ヒロクニさんから、かつての恋人の話はよくされる。

ちょっと前は、サナトリウムにいた恋人を見舞いにいった話をした。

堀辰雄の小説ばりで、とって付けたような話。

サナトリウムというのが出来すぎていて、いまいちでもある。

(その話は、いまいちじゃー!やり直し!と、心の中で思う)

3日しか持たなかった、ロシア人のハーフとの生活の話も聞いた。

その方は、色鉛筆で不思議な絵を描くので、

アンドレ・ブルトンの著作に出てくる「ナジャ」のようだったと語る。

あと、向こうの両親に反対された恋人の話とか、

若い頃の話がほとんどなんですが、よく語る。

しかし、ここまで恋の量が多い人ってあまりいない。

めずらしい動物を見るような気持ちになる時もある。

私は、「出会いもあるだろうけど、それだけ恋するということは、別れもあると思うのだけど、

別れるときのつらさとかは苦にならないの?」と聞いた。

ヒロクニさんは、?????と無言である。

「私は、そこのところが知りたいのだけど・・・・」と。

思い出せないようです。

芸術家らしく、惚れやすい性格な人なんだろうね。

 

恋独特のフワフワした心を思い出している様子から思うのですが、

私は、恋人ではなく、最所から女房役として求められていたのだなぁ~と痛感します。

会った時から、喧嘩をしていました。

ヒロクニさんは、会った当初「絵は売りたくないんだ。」と言っていた。

私は、「画家が、絵を売らないのはおかしいのと違うの?」と、もう、言い合いをしていたのです。

そのことで、限りなく揉めていた。

(まだ、専属のギャラリーも決まってないのに・・・)

また、そんな年齢が離れた人と結婚するとは考え難かった。

だから、私が「電話は、もうかけてこないで!」と言い渡した時も、

しばらくかかってこなくて、やれやれと思っていたら、

「電話をかけるな!と言われていたけど、電話ってかけれるものなので。」と言って、

当たり前のように電話をかけてくる。

「電話って、かけれるものなので・・・。」の言葉を聞いた時、

確かにすぐかけれる、うん、うん、という感じで、へなへなと力が抜けたけど、

なんかとても可笑しみが湧いてきてしまって、笑顔になってしまったのです。

このへんの感覚が、私の頭がおかしいところでしょうか?

なんかちょっと可愛いと思ってしまった。

そのあたりから、ロマンティストヒロクニの本領発揮で、押しの一手。

ストーカーのようで、ストーカーではない、紙一重の違いを使いわけてくるのは、天才か?と思いました。

 

 

会った時から喧嘩している2人でなんですが、

私が“喧嘩の心得”としていることが1つだけあります。

「すぐ、実家に帰るとか、家を出ないこと」。

言いたい放題なんですが、相手が自分の思うとおりにならないからといって、

家を空けるのはご法度なんです。

そうしてると、時々、私の思い通りになることもある。

(私も我が強いなぁ~。なかなか私も強情だ。)

この粘り越し姿勢は、なかなか我ながらうまくやっていると自画自賛しています。

やはり恋人ではなく女房なのです。

とにかく、普段から、言い合いをしていたり、そうそうと話が弾んだり、いつも起伏が激しい2人。

そんな感じで始まったので、最初から、女房だったと思います。

そんなこんなで、明石の台所に居座るようになった私です。

暮らしたての頃、ヒロクニさんは、

「さほりって、若いのに(当時27歳)男に疲れたという顔をしていていいね。」と、褒めるのです。

すっごく、いい感じ!という風に。

私は真顔で、ムッとした。

「疲れさせてるのは誰?その原因はあなたじゃない・・・・・。」と、

心の中で思い、顔をしかめた記憶があります。

 

今でも、ぬけぬけと「一緒になっておいて良かったね。」って、ヒロクニさんはよく言います。

言葉はもういいから、もう少し私の言うことを素直に聞いて欲しい。

それが、私の痛切な願いなんです。

「騙されたと思って、言う事をきいてみて!」と虚しく、声かけしています。

 

こちらが、ヒロクニさん紹介のバルバラのアルバム。

「小さなカンタータ Une petite cantata」がとても好きになり、

少し憂鬱な感じがある「ナントに雨が降る Nantes」という曲も印象に残っている。

Nantesというのは、フランスの地名というのを跡で知りました。

このアルバムは、全体的に気に入っています。

 

もう少し時間が経ってから、ヒロクニさんとエディット・ピアフの映画を見た。

ヒロクニさんは、映画を見ながら「ピアフに失礼だ!」と憤慨する。

「ピアフは、国葬だった意味がわからんのか!」と、怒るヒロクニさんと一緒に見ていました。

その映画では、確かにちょっとピアフの晩年を醜く演技しすぎでは?という感じもした。

映画は、女優の方が歌っていたので、実際のドキュメンタリーを見た。

声がとてもいい。

エディット・ピアフは、「水に流して Non, je ne regrette rien」という曲がとても好き。

ピアフは、いつも手放さない十字架のネックレスがあって、身に着けている。

そんなエピソードも好きです。

 

寒くなりました。

寒さを味わえる私の好きなシャンソン。

↓こちら。バルバラの小さなカンタータです。

良かったら聴いて見て下さい。

 

 

 

 

我家の庭も冬に入り、花の少ない時期を迎えます。

↑庭全体はこんな感じに。

たくさん生育させたビオラの苗を地面に定植しています。

穴を掘ってから、再生させた土を使い、ゆっくり効く肥料を入れて植え付けました。

ジャーマンアイリスの葉が春になると、もっと茂ってくるでしょう。

 

 

↑こちらは、鉢で育てているビオラ達。

ビオラやパンジーは、同じ種類、色のものを一鉢に植えた方が、見栄えがするような気がしてきました。

先祖帰りした私の気に入っているビオラは、昨年と同じように咲いてくれるだろうか?

ビオラの鉢の右側は、チューリップが植えてあります。

 

↑石で囲っている4っの場所。

網の張ってある所は、ミニチューリップを植えています。

ミニチューリップは、浅植えなので、猫にいたずらされると、球根がむき出しにされるのを防止しています。

上と左の囲いは、ビオラ。右の囲いは、苧環(オダマキ)。

鉢を反対向けにおいてある所もチューリップを3種植えています。

この鉢も、野良猫が穴を掘るのを防止している。

春の庭はどんな風になるのか?と楽しみ。

ビオラの苗は、まだまだあるので、所狭しと植え付けてみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

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唯一の希望(色鉛筆作品紹介579)と 我家の食卓・鯖の味噌煮

2020-12-16 10:43:23 | Weblog

摩訶不思議な形の絵なのですが、立っている人を思わせます。

タイトルは、「唯一の希望」と。

2015と書き込まれているので、5年前にほぼ出来上がっていたものと思われます。

仁王立ちしているポーズから、私は、武蔵防弁慶のようなカタチと思った。

それに、棒のような物を持っている風にも思えるので、それもその印象を深めている。

しかし、強そうではない。

雲を眺めていると、いろんなカタチに雲が変化していきますが、

それを見て楽しんでいるような感じに近い。

この形の原型は、一筆描きの一本の線から始まって、

それをどんどんアレンジして、このカタチに至っている過程を見ていました。

このカタチは気に入っているようで、少しづつカタチが変形させていっている作品が数点あります。

以前紹介した、作品紹介550「歩く街」も、このカタチから出来上がった作品です。

ページはこちら→https://blog.goo.ne.jp/takeutihirokuni/e/593306edf036e206c143d9ff5734136a

メモもたくさんあって、このカタチ好きなんだな~と思っています。

 

 

急に寒くなりました。

雨の降る日に、鯖の味噌煮を作りました。

↑きのうの我家の食卓。

スナップインゲンとベーコンの炒め物(塩、コショウ、黒こしょう)

かき玉汁(卵と三つ葉)

ぬか漬け(自家製のぬか床)にんじん、きゅうり、だいこんの葉

大根の胡麻和え(塩もみした大根にごま油、しょうゆ、すりゴマ、七味唐辛子少々)

しらす(こちらは、しょうゆをたらして、ご飯にのせて食べるのが好きです)

 

鯖の味噌煮を作るのは、久しぶり。

スーパーで、新鮮で美味しそうなものが、さらに値引きで、275円で買えました。

こういう時は、迷わず買います。

私は、魚は、青い背の魚が中心で、いわし、あじ、さばを中心によく買います。

青い背の魚は、脳の働き、頭の働きがよくなるということなので、積極的に食べるようにしているのです。

それに、安い。

その成分をサプリメントで補っている方も多いらしいが、高いサプリメントをどうしても買う気が起きないし、

食べた方が美味しいと思っているのです。

とにかく、頭脳を使う人は、背の青い魚が多く食べよ!と、思っている。

そして、ヒロクニさんの才能ももっと発揮できるのでは???と、期待している。

(脳の働きがよくなる・・・ですよ。

頭のよくない人が、脳の働きになんの影響も与えない成分を取りづづけているとしたら、怖くないですか?)

幸い、ヒロクニさんは、青い背の魚は、好きなようなのでいつも目配りしている食材の1つです。

我家の定番を上げると、

あじの魚とじゃがいもを短冊に切り、三つ葉を和えた掻き揚げも我家でよく作る料理で、これも好き。

いわしは、普通にフライにすることが多いですが、カレー粉で下味をつけたフライもなかなかいける。

〆さばも作ってみたが、こういうのは、いまひとつうまくいかなかったと記憶している。

どうも、酢の加減が難しい。

新鮮な鯖が手に入れば、お正月に再度、挑戦してみてもいいかもしれない。

今年は、箱寿司を作る型を購入してしまったので、鯖寿司を作ることにも挑戦できます。

このように、急に道具を買ってから、行き当たりばったりで、そこに近づいていきます。

 

今回作った鯖の味噌煮は、お気に入りの味噌で作ったので、なかなか美味しく出来上がった。

そのお味噌を紹介します。

↑今、秋田の味噌が気に入っています。

この元祖 秋田味噌がとても美味しかったので、同じところから他に2種類そろえました。

赤味噌と普通の味噌をブレンドしたり、その時、その時で味を変えたりして楽しんでいます。

ヤマキウの味噌で検索したら、ページが出てくると思います。

ショップのページはこちら→https://shop.kodamajozo.jp/products/list.php?category_id=1

カクキューの味噌は、比較的店頭で売っています。

この元祖 秋田味噌が値段も高くないし、赤だしに最適でした。

今回の鯖の味噌煮は、秋田の味噌8割、カクキューの味噌2割の割合で作りました。

以前作った味噌煮より、味が数段アップ。

ご飯が進むおかずです。お勧め。

では、レシピを。

 

■鯖の味噌煮の作り方。(圧力鍋)

材料は、

鯖1匹(3枚におろしたもの)

出汁(カップ1と2/3)、

しょうが20グラム(細切りにして、1/3はを水にさらしておいて、後からのせる分にする)

味噌は100グラム(カクキュウのものと、秋田の赤味噌をブレンドしました)

味噌に砂糖大匙2、酒カップ2/3を加えて混ぜておきます。

1、鍋に出汁を入れ、煮立たせ、そこに切った鯖を入れます。

2、そこに千切りにしたショウガ(水にさらしていないもの)を入れ、混ぜておいた味噌を入れ、

 鍋を揺らして出汁と味噌をなじませます。

3、圧力鍋をセットして、圧が上ったら、中火にして5分煮て、放置します。

4、圧力の蓋を外してから、少し煮て出来上がり。

 2人なのに6切れ、出来上がっていますから、翌日の昼も食べて、その日の夕食にもするつもり。

 たくさん作って、ちょっとラクします。

ヒロクニさんは、同じものを続けて食べるのは、嫌なようだけれど、私はかまわない。

そんなのへーき。

文句を言ったら、「飢えてないだけ、しあわせではないですか?」と言うつもり。

この切り替えしを思いついたのは、今朝のヒロクニさんのお話しからなのです。

急に話し出すヒロクニさん。

「お袋から、私が、あんた達を飢えさせたことがあるか!と啖呵を切られたことがあって・・・、

その時の剣幕といったら凄かったのを思い出した。」と。

「俺達、子供が文句を言ってどうしようもないから、言ったのだろうけどねぇ。」

「いや、あの迫力は凄かった。」と。

う~ん。いい話だなと思いました。

お母さんやるわねぇ~と思ってしまいました。

よっし!わたしも、おかあさんに参戦してやるって感じで燃えました。

ヒロクニさんの世代は、戦中戦後が子供時代なので、ヒロクニさんのお母さんは、なかなか立派。

戦後は、この世代の人の頑張りのおかげで今の日本があると思っています。

ヒロクニさんの親の世代の方達の頑張りと私は思っている。

明治の終わりから、大正、昭和の始めに生まれた世代だと。

私の父や母は、非常にお腹を空かせていたらしく、

私の父なんか「人間、腹が減るのがいかん。」が、哲学になっていて、すぐその話だから。

配給のコッペパンを弟に持たせていたら、弟が兄を待っているうちに食べてしまったらしく、

その時のガックリした話し等、こういうのが延々と続くわけです。

ヒロクニさんは、その手の話を父から聞くと、

「私も、そういう思いをしてみたかったねぇ~。」と真顔で言ってます。

本当に、そういう思いしてみたかったなぁ~なんです。

ヒロクニさんのお母さんは教師ということもあり、子供達を防空壕に誘導したり、

引率したりと、戦火の中で役割を果たしてきたことをヒロクニさんから聞く。

その子供達の中にヒロクニさんはいたから、よく覚えているみたい。

その役割を果たしていたから、食料等は差し入れがあって、大切にされていたみたいなのです。

また、着物もどんどん食料に換えた話も聞いていて、思いっきりも良かったみたい。

ただ、家庭的なこじんまりとしたお母様ではなかったよう。

気が強いタイプだっただろうな?と私は想像するのです。

だから、飢えさすことはなかったと。

ヒロクニさんは、普通の一般的な家庭と比べて食事の時間が遅かったせいで、中学生の頃、

夕食を終えてからの友人と行動する時、いつもお腹が空いたらしく、それが不満だったようです。

「仕事をしていたのだから、それじょうがないじゃん。」と私はいつも言う。

人は、長所は短所だし、短所は長所だったりするし、

常々ないものねだりはいけませんと思っているのです。

また、ヒロクニさんと父が同い年なので、2人が会うと会話が戦中、戦後の思い出話しになってしまうことが多くて、

不思議な感じなのですが、この部分が、きっと年の差婚の面白さなんでしょうね。

そう思うことにしています。

だから、その時代の話は人より多く聞いているかもしれない。

祖母からも、闇市で物を売っていた話しも聞かされていて、

やはりお金を稼いで食べ物を得るのに苦労していたようだ。

それでも、その頃食べていたものを懐かしいと思うのか、

私が、子供の頃、祖母は急に「すいとん」を作ることがあって、

「なんだ!これは?」と思って食べた。

今となっては、懐かしい思い出です。

 

ヒロクニさんが、文句ばかり言っていたら、私もヒロクニさんのお母さんのように、

「私が、あんたを飢えさせたことがあるか!」と啖呵を切ってやろうと思いました。

私は、言ってもいい存在だと思っている。

いいお話を聞いたな~と、ほくそ笑んでいます。オホホ。

 

 

庭では、種から苗に。

そして植えつけた絹さやが賑やかに。

↑なんとか、ある網と購入した網で、絹さやが巻きつけるようにしました。

いつも畑を観察して、こうしてる、ああしてると見よう見真似でやっています。

ピーンと張れてなくて、ヨレヨレ感があって、これでいいのか?なのですが、

これ以上できないのでした。

↑畑のように一直線に出来ないので、網が3重構造みたいになっています。

たぶん、土の量が少ないし、日当たりも良好とは言い難い状態なので、

もういまから、収穫量は期待していません。

今から、あきらめの胸中でいます。

 

↑こちらは、そら豆。

そら豆の素焼きを食べれることを期待して育てています。

 

↑今、咲いている花を摘みました。

菊、カーネーション、パンジー、ウィンターコスモス。

 

↑このように食卓に飾っています。

菊とパンジーを合わせると、和洋折衷というかちょっとモダンな感じになるのがいい。

その隣の、南天の葉と菊は、ヒロクニさんのアレンジ。ヒロクニ作。

こんな風に色づいている南天の葉をよく見つけたなぁ~と思い見ています。

やっぱり、自分の描く絵に似ている。ヒロクニさんらしいフラワーアレンジ。

 

 

 

 

 

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「やい」作品紹介578 と 来年は、新しい風が吹く

2020-12-10 11:00:06 | Weblog

こちらの絵は、顔彩を使って描かれたものになります。

顔彩というのは、日本画の絵具なので、いつもの色鉛筆作品とはかなり印象が違う。

描かれた時期も、40代だと思います。

アトリエで、ヒロクニさんは、以前の作品が出てきたのを見て、驚いていたそう。

「随分前の作品なんだけど、今見ると、そう悪くもないんだな。」と、ポツリ。

この作品が出来た頃のことは、私は知る善しもなく、播州をよく散歩した頃と聞いています。

「やい。」と文字が書き込まれている。

この絵と「やい。」という言葉がぴったりしていて、変なセンスを感じます。

 

12月になり、今年もあとわずか・・・。

そんなことを思いながら、スーパーで買い物をしていました。

もうすでに正月用の商品が並んでいます。

年末になると、海老などはすごくお値段が高くなるので、今のうちに買っておこうか?と、

思いつつ、商品を見ていました。

今年の正月は、“おせち”はどうしよう?

スーパーに行くと、料理のことばかりが頭に浮かび、食材を見ては組み合わせを考える。

頭の上に、もくもくと雲のようなものが渦巻いているのでは?と思えるぐらい。

そうやっている内に、ヒロクニさんから渡されたメモに書いているものを買い忘れる。

スーパーに行くと、頭の中は思考で忙しすぎるのです。

 

スーパーで、新年が来るのを感じる私なのですが、

来年は新しい風が吹くと思っています。

コロナで大騒ぎしているが、コロナは、「禍福は糾える縄の如し」の“禍”の部分で、

“福”の部分というのが、この後にくる。

14世紀、中世で猛威をふるった「黒死病」と言われたペストが治まった後、

「イタリアルネッサンス」が花開いたという事実があるのです。

その背景には、キリスト教を信じていてもこんな目に会うのか?という疑問から、キリスト教の影響が薄れ、

ローマ時代への復帰というか、ヒューマニズムなものに目がいくようになるのです。

また、人口減少によって、社会編成まで変わったことによって、商人が力を持つようになり、

有名な所では、メディチ家(薬を扱っていた商人。だから医療用品などにメディカルとかの名称がついている)が、

多くの芸術家のパトロンになって、文化を育てるという大きな役割を果したりしている。

レヲナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ミケランジェロが有名です。

レヲナルド・ダ・ヴィンチは、絵画では「モナリザ」や「最後の晩餐」が有名ですが、

マルチな才能を持っていて、飛行機や武器、計量器などの発明もあり、数学の才能もあって凄いのです。

ボッティチェリは、個人的に好きな画家で、“美”というものを感じさせてくれます。

ミケランジェロは、あの人体において、肉感的な表現に感嘆します。

このあたりは、絵画史の中でも芸術の頂点になっています。

時間がかかるけれど、この“福”の部分に期待しているのです。

 

話のついでなのですが、日本のルネッサンス期というのは、

江戸時代が匹敵すると思っていますが、どうでしょうか?

私は、江戸時代の文化にも興味があるし、江戸の庶民の様子も知っていくと面白いなと思っています。

浮世絵では、その生活の様子などの絵もあって、フムフムなのです。

 

イルネッサンス期までの盛り上がりは期待できないが、

今後のコロナ後の時間の流れを、多少は予測しています。

いろいろな悪い方の問題がまだまだ浮上してくる段階だと思っています。

悪い問題が実際に起こって、骨身にしみてこれではいけない!!と気がつく人が多くなり、

転換していく過程の段階を経ての展開に期待したい。

私も含めて、品性の向上ということかも。思い切って霊性の向上といってもいい。

メーテルリンクの小説「青い鳥」を思い出して欲しい。

霊性のことを書いていた小説だと記憶している。

いつも思うのですが、物事が悪くなるのはアッという間というか、

時には悪くなるのは簡単であったり、ひどい時は坂道を転げ落ちるようにであったりするが、

良くなるというのは、段々で時間がかかるものなんですね。

まだ、「禍福は糾える縄の如し」の“禍”の部分ばかりが表面的に目に付くけれど、

「来年はその中にある微かな新しい気風」を感じて過ごしたいと思いました。

 

そんな時代の中、一緒に正月を迎えるピピちゃんです。

呼ぶ名前が増え続けるピピちゃん。

「ピーちゃん」は普通ですが、「ピーニャン」「僕です。私です。ピーです」

「ピピリン」「ピーチ」時々「ピーマン(何故か返事する)」「ピーピ」と呼び方が増えました。

その可愛いピーちゃんの写真です。

↑チュールを食べるピーちゃんです。

私の膝の上で、チュールを抱えて食べています。

やっぱり顔がわからないわ・・・・。

チュールって猫ちゃんにとっては、かなり美味しいみたい。

チュールが離れないよういつも抱えます。(笑)

この写真は、私のお気に入り。

なんかピーらしくって。

 

↑もう一枚。

私の顔を見ています。

写真を撮る時に動いたので、チュールが離れないように手で押さえていますが、

力が入っていて、私の手に爪を立てています。

甘えん坊なピーは、本当に可愛い。

いい年を迎えたいですね。そんなことを思っています。

 

 

 

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雲のような(色鉛筆作品紹介577)と ヒロクニさんと猫

2020-12-04 14:05:39 | Weblog

写真からなので、少しぼやけています。

ふんわりホワホワした雰囲気の作品になります。

浮かんでいる乗り物のようなものは、船?空母?

キャップ帽を被った人が操縦しています。

淡いピンクと淡い水色が、空気のようで、空に浮かぶ雲を連想させます。

並んだ人は、この乗り物の乗客なのでしょうか?

この作品は、ちょっと儚い雰囲気が漂っていますが、

見ていると、優しい気持ちになります。

攻撃的な作品やパワーという感じの作品が多い中、少し変り種の作品になります。

極端から極端を行ったり来たりするヒロクニさんなので、

私は「この統一感のなさ」が、この人なのよ!と思うのでした。

 

最近、写真の整理をしています。

私達も結婚して31年と歳月を重ねたので、写真が20年前かな?10年前かな?と振り返って

眺めることがしばしば。

そう思って写真を見ていると、我家の猫ちゃんも3代目になっていて、

はじめて飼った「キタハマ」ちゃんのことを思い出しました。

太陽という雑誌で、大佛次郎氏(小説家、鞍馬天狗シリーズで有名)の猫の飼っている様子の写真があり、

↓それはこちら

この写真を見て、「猫を飼いたい!」と強く思い、即、猫貰って下さいに申し込み、

即、やってきたのがキタハマちゃん。

↑やって来た当初のキタハマちゃん

ソファでびよーんと長くなっています。

その頃は、派遣社員(CADオペレーター)でしたので、朝早くから、残業で夜遅くまで仕事をしていた頃で、

ヒロクニさんに「夕食出来ないから、作って下さい。あなたは、家での仕事だからやってみて!」と、

言い渡し、お願いしていた。

残業によっては、PM11:00頃に帰宅ということもあり、お願いしていました。

それに恐怖が加わることに・・・・。

嫌々感満載の料理を作ってくれるのですが、インドネシアの変わった香辛料が気に入ったらしく、

何にでもその香辛料がかかっているのです。

簡単に言えば、出されている料理すべてにそのスパイスが・・・・。

帰宅で家に近づくと、そのスパイスが外にも洩れ出ていて、恐怖を感じるようになった。

「ああ、このニ・オ・イね・・・トホホ。」と。

しかし、お願いして作ってくれているのだからと思い、

消え入りそうな声で「おいしいわよ。」と。なんだか泣きそうな感じ・・・・・。

豚肉のソテーにイチゴジャムが塗られていたりしたことがあり、

食べてみると非常に不味い。

食卓に妙な静けさが漂った。

そして、ヒロクニさん自身、その豚肉からナイフでイチゴジャムをこそげ落としている瞬間を見た!

そして、毎日、「料理は男がするもんじゃない。」とか、

「料理していたら、バカになる。」とか、

「芸術と料理は両立せん!」とか言う文句を聞くのです。

この頃、私は隠れ“おっさん”になっていて、

「仕事で疲れたなぁ~。家帰ったら、恐怖の料理が待っているし、

文句もきかされるしなー、なんか家以外の居場は?。そうだ!一杯飲んで帰ろう!」と、

雑多で人間関係を持たなくていいタイプのショットバーで、一杯だけお酒を飲んで帰ることを覚えた。

大阪です。都会ってこういう場所がちゃんとあるのですね。

疲れてる30代女。黙って酒を飲む。

なんだか怖い女になってるわ・・・と内心思いつつ、たまに一杯引っ掛けた。

今だけが、私のひと時か?これって、おやじ?世の男性はこんな気持ちなの?

(この頃は、お酒はまだ強かったので、秘密に出来た)

そんなことを思ったりしました。

休みの日は、とにかく寝かしてくれ!である。

休みの日は、溜まった家事が待っているし、3度も食事の用意がある。

一緒にお出かけしたいと言われるが、寝ていたいのが本音。

「出かけようと!」と言われ、嫌だとごねると、布団から引き離されたりして、

「さあ!着替えて。」と促される。

「私を殺す気なわけ!!」と、口論になり、口答えだけは、しっかりする私なのでした。

疲れているせいか、この頃一番夫婦喧嘩が多かったと思う。

時々、急に電話がかかってきた人にとばっちりが行くことがあり、

喧嘩をする時は、電話線を抜いておくことにしたのもこの頃なのだ。

もうボクシングのリングに上るような気持ちで、喧嘩をしていた。

1ラウンドは、私が勝った。2ラウンドは、ヒロクニさんの変な理屈に負けた。

こんな感じ。

 

それが、猫ちゃんが来たことで、一変した。

可愛くって、早く家に帰りたいし、家全体が明るくなった。

私は家にいる時間が少なかったので、

日に日に、キタハマちゃんはヒロクニさんに懐き、

寂しがり屋のヒロクニさんがホワッとしてきた。

キタハマちゃんは、ヒロクニ様って感じで、仲いい2人。

その姿が微笑ましくって、私の心も明るくなった。

猫って凄い!と思いました。

初めて飼った猫ちゃんのキタハマを偲んで紹介します。

↑今の家ではなく、以前の住居にて。

制作している時必ず横にいるキタハマちゃん。

 

↑夜の制作現場にて。

手元が動くのが面白いらしく、いつも横でみているのです。

 

↑アトリエで、アクリル絵具の容器に首をのせるキタハマちゃん。

 

↑家の横で、ヒロクニさんと。

ヒロクニさんの足元で、けっこうポーズをきめているキタハマちゃん。

ほんと、仲良し。

 

↑この写真から今の家になります。

窓辺でタバコを吸うヒロクニさんとおそろいで。

 

↑キタハマちゃんは、美猫でとても賢かった。

「レッツ、ゴー、キタハマ」という遊びもした。

駆けっこをするポーズをしたら、一緒に走る遊びなんですけど。

ヒロクニさんと柿を収穫していると、柿の木にスルスルと登って、

一緒に柿を取っているつもりになるところも可愛かった。

何でも一緒にして、一体感を味わいたいというのが、ひしひしと伝わってくるのです。

 

そして、今、おっとりくっつき虫のピピちゃんがいます。

くったり、まったり型のようで、仕草が可愛い。

ヒロクニさんは、「プー。」て呼ぶ。

↑歴代の猫ちゃんと同じように冷蔵庫の前で、小魚をおねだりするようになりました。

ヒロクニさんと「我家の猫は、皆ここでおねだりするね。」と話しています。

ただ、ピピは、寝入っているとおねだりを忘れるらしく、

「あれ?今日は忘れてるのかな?」と言うと、

「それが、おかしいんだよ。」とヒロクニさんは言います。

また、「こいつ、顔が分からないじゃないか。」と言ってよく笑う。

↑その分かりにくいご本尊です。

薄目をあけているのですが、分かり難い。

顔の模様が複雑なので、目の位置がわからなくなるのが特徴なのです。

私も猫ちゃんによって“おっさん”の道を究められなくて良かったと思っています。

猫って、いいものですよね!

 

ヒロクニさんは、なかなか憎憎しい時があるのですが、

喧嘩していたことをケロッと忘れるので、助かっています。

言いたいことは、その時、その時、全力で言っているので、私もスッキリなのですが、

私は過去の記憶をよく覚えている方なので、それもいいような悪いような・・・でしょうか?

とちらかと言えば悪いか・・・・。

 

 

 

 

 

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