武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ドノエル(色鉛筆作品紹介576)と 画家、猪熊弦一郎さんと熊谷守一さん

2020-11-28 14:35:09 | Weblog

この作品は、昨日仕上がったばかり。

2枚の絵を見せて貰いました。

鮮やかなブルーが眩しい。

作風は、新しく今まで見なかったスタイルです。

最近、朝早く、本当に早くて、私が6時前に起きても、すでに起きていて

アトリエ(隣室)から、バッシ、バッシという音がしている。

10時ぐらいになると食事を取り、一旦仮眠。

仮眠から起きると、また描き始める。

夕食が出来て呼ぶと、ヘナヘナとなっていて、食べながら寝そうである。

また、「疲れすぎて食べれない。」と言われる。

しょうがないから、マッサージをして、疲労を緩和してもらい、

少し食べるヒロクニさん。

また寝て、12時前に再び食事をして、少し絵を描いて寝る。

そして、また朝早く・・・・。このくり返しが長く続きました。

ようやく、「メドが付いた。」「追い込むの大変たっだねぇ。疲れた」と。

形の追求を追い込む時、描きつけてしまわねばならないようです。

それを、次、次、絵が要求するそうです。

 

ヒロクニさんの年齢にそわそわする私。

80代に入ってから、ちょっと身体の疲れ方が違うらしい。

晩年期に入ったと考えてもいい年齢でもある。

どういう人を頭に入れて目安にすればいいかな?と考えました。

私達2人が好きな画家で、猪熊弦一郎氏と熊谷守一氏を思い浮かべました。

2人とも、晩年非常に軽快な作品を描いた。

四国に「MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」があり、行ったことがあります。

↓猪熊氏の彫刻を前にして、ポーズを撮るヒロクニさん

(今日取り上げた、絵の中にあるポーズをしている小鳥のようなものとも形が似ているのが奇遇な感じ)

2人で、美術館へ行き、猪熊弦一郎さんの作品を見て、爽快な気分になって興奮した。

↑猪熊弦一郎氏の風貌と作品。

猪熊氏は、フランスに渡り、アンリ・マチスに付いて絵を学び、

55歳にして渡米し、この渡米した頃に作風が非常にモダンになり抽象化を推し進めました。

ヒロクニさんと私は、渡米後の作品が特に好きになった。

私は、JAZZのシリーズの後の作品群でしょうか。

84歳の頃の言葉で、「絵を描くのに勇気を持たなくちゃいけない。」とおしゃっておられたのが、

印象にに残っています。

 

もう1人は、熊谷守一氏。

↑熊谷守一氏の風貌。お隣におられるのは奥様。

こちらの写真は、「独楽」藤森武氏の写真集より

 

ヒロクニさんは、精神が素敵だったという師匠・徳山巌氏に

東京へ上京した際、「おめーにちょっと似た奴がいるよ。」「ちょっとこい。」と言われて、

ギャラリーポアンという画廊に連れていかれたそうだ。

熊谷守一氏の個展だったそう。

猪熊氏とはすれ違いになってしまったようで、会えなかったよう。

「その頃の作風は、もうシンプルなものだったの?」という私の問いに、

「そうだったねぇ。」と答え、

「でも、気持ちは前衛の方を向いていたから、当時非常に感銘を受けたりはしなかったなぁ。」と言う。

「会っても、ああそうですか。で、終わったかもしれない。」と。

やはり、物事にはタイミングというものがあるのだなぁ~と、独りうなずく私なのでした。

 

またまた、その2人の画家の話をしていて、ヒロクニさんは急にこんなことを言った。

「猪熊氏より、やっぱり熊谷氏の方に軍配を上げるかな。」と。

「猪熊より、熊谷の方が俺はいいんだな。体温が詰まった感じが・・・。」と。

ううむ。と思う私。

2人の違いを考えてみた。

猪熊弦一郎氏は、フランス、ニューヨーク、最晩年は、日本とハワイを行き来する国際派。

ある会話の中で「フランスも日本も歴史があって、過去の時間が追いかけてくるのだけど、

アメリカは、歴史が浅い国で、過去が追いかけてこない自由があった。」とお話しされていました。

空間的な広がりは、ここからきているのかもしれません。

反対に、熊谷守一氏は、ほんとうに貧乏で、また日本を離れたことがなく、晩年は自宅の庭で、蟻やら石ころを見て、

飽きずに延々過せるという人である。

奥様からは、「あなたは、イソギンチャクなんです。」と言われている。

やはり、最大の違いは、何だろう?と、その環境や、生活様式の違いを思い浮かべていた。

「清貧な生活を送らざるを得なかった熊谷氏には、侘びた生活の中で、自然と“侘び然び”感が体得されていて、

それが絵に浸透し、その精神が、あなたにぴたっとしているのじゃない?」

という仮説を言った。

ヒロクニさんも「それは考えもしなかったなぁ・・・・。」と。

なにかを発見をしたようで、私はちょっと嬉しくなった。

明快な絵の中に控えめな精神、謙虚さがあって、それでいて芯の強い、

いかにも日本の精神なのでは?と。

「侘び然び」のある素晴らしいものとして、私は、“松尾芭蕉”の句があると思っている。

あの短い言葉の中に、1つの宇宙感、また儚い刹那のきらめき、時間の瞬間などが詰まっている。

出家した西行法師に憧れ、質素な庵に住み、西行の旅路と同じ道を旅した芭蕉のことを思う。

これが、「奥の細道」の句になるのですが・・・・。

やあり、清貧であると、それなりの美意識が生まれのだなぁ~と。

こちらは、熊谷守一氏の「蝉」という絵。

とてもシンプル。もう究極の粋に達しています。

 

『閑さや 岩にしみ入る 蝉の声』(奥の細道より)

私は、この句を読むと、人気のない山間で、蝉の鳴き声が鳴り響き、

その情景から、この世の儚さを感じ、生死感のようなものも感じます。

熊谷氏のこの絵にも、やはりそんな静けさを感じます。

 

私の熊谷弦一郎、熊谷守一評を述べたわけですが、一般的なことは置いておいての私見になります。

そして、どちらも素晴らしい画家である。

さあ?ヒロクニさんは、どこまでいけるか?と妻は、手に汗を握るのであった。

自分が素晴らしくなるのは大変です。

 

ヒロクニさんも晩年といってもおかしくない年齢に来たが、これからの時間の見当がつかないのです。

そこで、高い目標だが、熊谷守一氏を目安として、どのようにこれからの時間を過ごすかを

参考にしようと。

お二方と比べると、ヒロクニさんは、ものごとをバッチと決めれない優柔不断なところがあるのが、欠点かな?

妻の採点は、厳しいのです。

まあ、なにはともあれ、作品でハッとさせられた時は嬉しい。

今日の絵のスタイルが発展して、どんな絵になっていくのか楽しみにしています。

ドノエルという絵には、ちょっと新しい風が吹き込んでいるのです。

ちなみに「ドノエル」というのは、フランスの小説家ルイ=フェルナディナン・セリーヌを

世に送り出した人物の名前だそうです。

説明してくれました。

ヒロクニさんは、

「世の中の人は、セリーヌっていったらカバンのことだっていうのだから、ひでぇもんだね。」と、

「とんでもねぇ奴らだ。」と、言って世の中の人を軽蔑しています。

(ヒロクニさんの前で、カバンやクツの話のセリーヌはご法度ですからね。)

それを言っているのを聞くと、変なおかしさがこみ上げて来て、笑ってしまう。

だって、どっちもどっちな感じがして、すごーく面白い。

私は、どちらにも興味がないのです。

家にあるセリーヌの小説の文章を読んだら頭痛がしそうでした。

 

↑庭ではツワブキの花が咲きました。

↑違う角度からもう1枚。

ツワブキの花は、半円をえがいて花が咲きます。

そのくっきりと浮かび上がってくる半円を見る時、ひとつの宇宙があるのだなぁと思うのです。

世界は美しいと。

大げさなんですですけどね。

 

↑絹さやを植え付けました。

網を張らないといけないのですが、どうやればいいのか?

あまり、園芸道具を増やしたくないから、創意工夫を!!と。

 

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地上の骸骨(作品紹介575・ガラス絵)と ジョージ・オーウェルの小説の世界の如く。

2020-11-22 09:49:43 | Weblog

この作品は、かなり古い。

35年前、1985年作ぐらいではないか?と推測します。

この絵は、ガラス絵です。

ガラス絵を描いていた時期は、ヒロクニさんが40代~50代の始めの頃になります。

ガラス絵の描き方を教えてもらった記憶があります。

秘伝らしいから、詳しくは書きませんが、アクリル絵具を使って描きます。

仕上げに裏打ちのように白色を塗りますが、この時の絵具の配合が秘伝なのです。

今日は、ディストピア小説についての雑感を書いたので、

絵もそれに近しい感じのものを選びました。

骸骨、色調、雰囲気に重苦しいものを感じさせる作品で、

テーマのディストピアにはぴったりではないでしょうか?

実際に、ヒロクニさんにとって重苦しい時期、苦節の時に描かれたものになります。

暗い色調ですが、野太い印象があり、力を感じさせる絵だと思っています。

どんな状況下でも、なげやりにならずコツコツ絵を描く姿も思い浮かべてみる。

ヒロクニさんらしい。

 

 

世界中がコロナに翻弄されながら、時間が進んでいってます。

その発生元の中国(中共・チャイナ)のありさまは、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を彷彿させる。

近年、オーウェルの「動物農場」も読みかえした。

ジョージ・オーウェルは、イギリスの作家で、社会派の小説家です。

初期は、ルポルタージュが多く、客観的な目線によって書かれているので、

その客観的な文章が読み続けられている要素だと思います。

私は、「パリ・ロンドンどん底生活」を始めに読んで、次に「カタロニア讃歌」を読んだ。

「カタロニア讃歌」の中で、オーウェルは、毎日、銃殺で人を処刑する場面を見ていて、

「なんて酷いことだ。」と思い見ていたのが、来る日も来る日も見ている内に、

パタパタと倒れていく人の様子が、ゲームのように面白く感じるようになって、

楽しむようになってきた自分の心の変化に、当惑し、人間の心の怖さを感じたと記されている部分があり、

この一文が、忘れられない。

読んだのは、20代だったと思いますが、今でも覚えています。

オーウェルは、始め社会主義者(共産主義)だったのですが、その危険性を感じ、警告を鳴らした作家です。

今、まさに小説「1984年」の如くの世界が、中国(中共、チャイナ)によって実現されようとしている中で、

私達は、同時空間で過ごしています。

小説「1984年」は、ディストピア小説。

ディストピアの反対は、ユートピアなので「暗黒世界」というイメージでしょうか?

香港を見ても、チベットを見ても、ウィグル人の弾圧を見ても、

ディストピアそのものじゃないですか。

中国(中共・チャイナ)では、コロナの危険性を訴えた中国人医師を逮捕して牢屋にぶちこんで、

ウイルスの発生を隠喩しようとして、どうしても隠し切れなくなってから、

その医師を最前線で働かせて、殉死した英雄として、報道していた。

その医師は、本当に危険をしらせようと、動画を投稿していたので、よく覚えています。

顔立ちのきれいな男性でした。(ツイッターで、何度もまわってきたので。)

今、たくさんの死者や困窮状態を世界にまき、世界をズタズタにしているコロナ感染症は、

WHOが、中国(中共・チャイナ)の思惑通りに動いて、非常事態宣言をなかなか出さず、

世界に広めたのと違うの?

WHOに入れてもらえなかった台湾だけが、WHOを無視できたから、

コロナ封じ込めに成功したことが、それを物語っている。

それに、テレビの報道って、コロナの不安を必要以上に煽っているような気がするのです。

PCR検査をする回数が多くなればなるほど、コロナ感染人数は比例して上るのは当然なので、

その辺のことも報道してくれないとわからない。

うちのセンセイ、ヒロクニさんが、またもやコロナのことで不安になったらしく、

理論崩壊した不安を語られて、だんだん口論になって言葉を荒げたら、

「君って、周りにいい奥さんて僕は言っているけど、

本当は、言葉が乱暴でひどい人だとは、周りの人は知らないよ。言ってやる。」とか言うから、

よけいイライラした。その言っている姿が、なかなか憎憎しい。

私には、テレビの印象操作に操られているのが、手に取るようにわかるのですが、

説明しても、芸術家というか、文系脳というのは、分析とか、化学的な根拠とか、冷静なロジックとかを

きっちりとらえて判断することに重きをおいた発想が苦手なようで、イメージとか、

すでに感情に支配されてしまっていたり、思い込んだ方を向き、そこから離れようとしないので、

説明が飲み込めないらしくて、往生します。

情報格差で、家庭不和というか口論なんです。

私はテレビの報道は、いつも不完全すぎると思っています。

(肝心なことは、隠していたりする)

そして、いつも、思惑を含んでいる。

時々、犯罪レベルな報道があって、よくやるなぁ~と思っています。

そのことをヒロクニさんに、言うと嫌な顔される。これにまたガックリ。

たぶん、自分が見ている認識を否定されることが不愉快なんだと推察。

だれでも、考えを否定されるのは面白くないだろうと思い、あまり言わないようにしているが、

私もこれは酷すぎるのではと思ったら、つい言いたくなってしまっているのです。

「言いたい」という感情に支配されているのだと、自身を反省します。

感情的になっている部分を反省します。

テレビの報道は、オーウェルの「1984年」に出てくる、“テレスクリーン”、洗脳番組とどう違うの?と思うのです。

この小説なかなかよく出来ているのです。

それとまた、人の想像力というのは、割と限界があって、自分の知識の範囲でしか想像は広がらないのが悲しい。

私もいつも正しく判断しているという自信はない。

明らかにこれは間違っていると思う時は、ちょっと自信がある。

明確である時と、たぶんそうなんだろうな?という憶測の違いが歯がゆい。

 

書物や映画にディストピアというのは、多くあります。

有名なものを上げると、

■「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー著

  こちらは、はじめて読んだディストピア小説。中学時代に読んだ。

  未来は明るいと思っていた思惑を外された初めての小説だったので、不意一をくらいとても心に残りました。

■「時計じかけのオレンジ」アントニイ・バージェス著

  映画を見ただけ。

■「審判」フランツ・カフカ著

  不条理をえがいた最たる小説。「変身」という小説も不条理な世界でした。

  カフカは、小説家として凄いと思っています。

■「蠅の王」ウィリアム・ゴールディング著

  これは、無人島に漂流した少年達が、ルールを作り平等な集団生活を送ろうとするが、

  それぞれの我欲に振り回され、争いにより、悲惨な結末に・・・・。

■「華氏451度」レイ・ブラッドベリ

  レイ・ブラッドベリは、この小説以外のSFにのめっていました。

  この小説は、オーウェルの「1989年」に一番近しい小説です。

ユートピアを夢みるには、現実問題をじっくり鑑みないと、失敗するし、

ディストピアでは、やはり人間の行き過ぎた“欲”をコントロールしないといけないと感じる。

現在は、ディストピア小説を読みながら、

未来を俯瞰していくという思考の方が、今を捉え易いのでしょうか?

オーウェルの「動物農場」も寓話として、とてもよく出来ていると思います。

近年、ジョージ・オーウェルが再び浮上してきて、読まれているそうです。

 

 

ところが、ヒロクニさんは、フランス文学のモアモアした文章が好きで、ロマン派なので、

こういう本には興味が全くありません。

“愛の物語り”が好きな人です。

映画で、恋人が死んでしまう場面があると、涙を流して、嗚咽して泣くのです。

私は、えっ?と驚くばかり。

さすが、たくさん恋人がいた人は違うなぁ~と、横目で見ています。

ヒロクニさんはそんな私を、「殺伐とした女」と言いう。

「なんとでも言え!」と開き直る私。

ますます、「殺伐とした女」へとループである。

 

締めくくりとして、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の言葉を置いときます。

■人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。

有名な言葉だそうです。(ガリア戦記より)

わかりやすく言うと、認知している事柄によって、仮説や信念を検証する時に、それを支持する情報ばかりを集め、

反証する情報を無視、または集めようとしない傾向があって、認知的不愉快感から、

反証する情報も自分のいいようにねじ曲げて、解釈する傾向が人にはあるという事です。

その辺を考慮せよ、ということではないでしょうか?

 

あれやこれやと憂いのある世の中ですが、可愛いピピちゃんに癒されています。

↑ぴーちゃんに雰囲気が似ている猫柄を見つけて、刺繍をしています。

相変わらず、強引に膝の上に乗って来て、寝るピーちゃん。

膝の上で何度も座りなおして、居心地がいい感じを見つけて寝ます。

いつもゴロゴロと喉を鳴らして機嫌がいいピーちゃん。

私がしている猫の刺繍は、「猫のチャーリーなんだけどね。」とピピちゃんに言うのであった。

本当にくっつき虫さんで、膝の上、抱っこが大好きな猫ちゃんに成長しました。

 

庭は、菊が咲き始め、やっと華やぎが出てきました。

↑今年購入した菊。

小花がいい感じだったので、購入しました。

 

↑中心の部分に茶色が入る小菊です。

時々手折って、台所で飾っています。

自生の菊もだんだん花が咲き始めていて、秋は、菊の花を楽しんでいます。

 

 

 

 

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レーヨン(色鉛筆作品紹介574)と ジム・ジャームッシュの映画

2020-11-16 09:31:16 | Weblog

この絵は、28年前ぐらいに描かれた絵。

今日取り上げるジム・ジャームッシュの映画の感覚に通じる絵は、どれかな?と思い、

アップしました。

荒涼とした海をバックに、紙切れのような女性が描かれています。

その感覚が、シュールで印象に残っています。

 

我家では、2人で映画にはまった時期があり、

フランス映画を筆頭に、名画をたくさん楽しんだ時期がある。

ヌーベルバーグ時代のフランス映画、イタリアン・ネオリアリズム、ハリウッドの全盛のアメリカ映画、

西部劇、ハードボイルド、サスペンス、

日本映画は、高倉健主演の任侠もの、黒澤明監督の初期を特に、小津 安二郎監督の映画、

古い時代の映画がほとんど。

私の好きな俳優は、

ハンフリー・ボガード、ジャン・ポール・ベルモンド、アラン・ドロン、

リノ・バンチュラ、ジャン・ギャバン。完璧なおじさん趣味であります。

もう、私の年代がばれますね。若い方に、「それ、誰ですか?」と言われたことあり。

その中で、変り種として、ジム・ジャームッシュ監督がいる。

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」という映画は、モノクロで、

ちょっとけだるい雰囲気とイカレタ感じがなんとも良くて好きだった。

ヒロクニさんに紹介したら、物凄く好きになってしまったようで、この監督の映画も一緒にたくさん観た。

ヒロクニさんは、「パーマネント・バケーション」が好きで、たまらないらしい。

「パーマネント・バケーション」は、私にとっては意味が分からない作品なのですが、

ヒロクニさんは、「潮の香りがしていい。」と言います。

「ストレンジャー・パラダイス」では、主題歌に使われていた「スクリーンミン・ホーキンス」の曲を掛けながら、

掃除機をかけるシーンがあり、それが良くて、レコードを買った。

主演のミュージシャンのジョン・ルーリー以外に、

アメリカのロックバンドの「ソニック・ユース」のドラマーのリチャード・エジソンも助演しています。

↑こりらが、ポスターで使われていた映画の1シーン。

 

「ダウン・バイ・ロー」では、トム・ウェイツ、ジョン・ルーリーが出演していて、

ラウンジ・リザーズと、トム・ウェイツのレコードを買った。

↑こちらが、その映画の1シーン。

どちらの映画もモノクロで、カラーが全盛の頃、あえてモノクロだった。

私が観た頃は、まだまだインディーズ扱いで、あまり知られてなかったと記憶している。

ヒロクニさんに教えると、私よりはるかに好きになってしまったようで、

「全部観たい。」と言う。

それから、ジム・ジャームッシュ監督の映画巡りがはじまった。

 ■「ナイト・オン・ザ・プラネット」

 ■「ミステリー・トレイン」この作品では、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、

  ジョー・ストラマー(ザ・クラッシュ)の2人が出演。

 ■「豚が飛ぶとき」この映画は、タイトルが変なのですが、けっこう心温まる物語で私は好きでした。

  かつてのミック・ジャガーの恋人、マリアンヌ・フェイスフルが幽霊の役で出ていて、ぴったりしていました。

 ■「デッドマン」は、不思議な映画でした。若いジョニー・デップが主演していましたが、ちょっと難解な映画。

  音楽が、ニール・ヤングでした。

 ■「イヤー・オブ・ザ・ホース」これは、ニール・ヤングのライブ。

 ■「ゴースト・ドッグ」これは、日本の武士道をニューヨークを舞台に移したという感じの映画。

  ジム・ジャームッシュ氏は、日本についても造詣が深くて、「葉隠」を愛読していて、

  日本の映画監督、小津 安二郎が好きだそう。

  で、日本の古い宍戸 錠が出てくる頃の和製「西部劇」なんかも観ていて、「バーン、バーンと拳銃を使った後、 

  どうして拳銃を捨てるのだ?」と、疑問を語っていて、そんな事思わなかったわ・・と笑ってしまった。

 ■「コーヒー&シガレット」では、イギー・ポップが出演していて、「イギー・ポップ怖い・・・。」と、

   ヒロクニさんに観ながら、何度も言った。

 とにかく、やたらミュージシャンが出てくるのが、ジム・ジャームッシュの映画の特徴かな?

 それも、ちょっと端っこの人。

 この端っこ、片隅のような感性と詩情がヒロクニさんも私も好きみたい。

 

ストレンジャー・パラダイスや、ダウン・バイ・ローが封切られた頃は、

大学を卒業して成人したにもかかわらず、アルバイトをして絵を描いていたりとして、

まだまだ青春の私がいました。

今思いだすと、青春とは、「ほろ苦い。」

それと、若い時って、異常に悲しくなったりして泣くということもあって、あの気分の素は何だったのか?

歳とって良かった、と思います。ホッとする。

 

その感傷的な気持ちを誘発させるものとして、トム・ウェイツの曲がある。

青春と思われる当時聴いていたもので、これを聴くと一気に「ほろ苦く、せつない悲しみ」が、蘇ってくる。

心の中は、4次元の世界でもあるので、時間を行ったり来たり。

今、その青春と思われる時期に、ワープしてしまったという感じ。

だけど、トム・ウェイツをかけていると、

薄暗いバーでアルコールをずっとたしなんでいる感じになってしまうので、

あまり長時間聴くのは無理。気持ちが、ズーと夜になってしまって。

ヒロクニさんは、「あのへん(ジム・ジャームッシュ達)は、仲間だから・・」と言って、

トム・ウェイツ自身には全く興味がない。

そういえば、持っていたレコードも即売られてしまったし・・・・。

(思い出したら、ちょっとムッときた)

もう、いいけどさ。

 

あー、今日は、映画の話ばかりになってしまいました。

青春映画として、最大に素晴らしいなと思っている映画に、

「冒険者たち」という映画があります。

こちらの映画は、アラン・ドロンとリノ・バンチュラが競演していて、私にとっては最高なんです。

こちらは、3人の男女が愛とロマンと冒険に夢を賭けた冒険物語。

この映画は、端っこではなく、王道を行っています。

パリの凱旋門を通り抜ける飛行機を操縦するアラン・ドロンも最高です。

パイロット役なんです。

 

 

庭では、絹さや、そら豆が、発芽して大きくなってきました。

そら豆の生育には、バラつきがあり大きさがまちまち。

春の収穫を楽しみにしています。

そら豆をさやのまま、素焼きすると、とても美味しい。

燻製みたいになっていいのです。

 

 

 

 

 

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キッチン(色鉛筆作品紹介573)と タルト・オ・スリーズ(焼き菓子)

2020-11-10 13:33:23 | Weblog

この絵は、黒の色鉛筆のみで描かれています。

本「しあわせ食堂」のカットのために描いた絵ですが、お蔵入りした作品。

ガスコンロをよく見ると、我家で使っているコンロそのものなので、ちょっと笑ってしまいました。

鍋も当時使っていたものを描いているようです。

コンロの左に描かれている小鍋は、現在、木の持ち手は、木が朽ちてなくなっているし、

右に描かれたホーローの鍋は、ホーローの部分が割れてきたので、捨ててしまった。

そんなことを絵を見ながら思いました。

 

鍋は、時間と共に入れ替わっているのですが、

フライパンは、結婚当初から使っているものを現在でも使っている。

小さい方のフライパンは、私が学生時代に下宿先でも使っていたもの。

今も、このフライパンで、天ぷらとかを揚げています。

もう1つは、蓋が重くしっかり蒸し焼きも出来るフライパンだ。

ヒロクニさんは、「この重いフライパンは、なんとかならんのか!」と、

フライパンを洗って、所定の場所にしまう時にいつも文句を付けられるフライパン。

私だって、このフライパンで料理しながら、持ち上げたりすると、

腕がブルブル震えたりするが、

最近、新しい考えとして、

「年齢と共に、身体には負荷が必要なんだ!甘やかすな!甘やかすと老化するぞ。」

なんです。

だから、重いフライパンは、身体に負荷をかけるのにちょうど良いと。

ちょっと重い荷物も、たまに持った方がいい。

以前、子供の美術教室をしていた頃、紙粘土を安くで購入して、池田市の教室に運んでいて、

「重い!いったい何キロあるのか?」と体重計に乗せたら、40キログラムもあったりした。

これは、やりすぎ感があった。

しかし、この荷物を運んでいたせいか、今でも握力が強く、

ヒロクニさんが瓶の蓋が開かないと言って、瓶を渡されると、

「すぐ、開いたよ。」と、瓶を手渡すのが常で、

パカッという音とともに開き、見下したように手渡すと、「こぇ~。」って眼差しをして、

「怪力!」と言われています。

運動とかは、嫌いな方なので、日常生活でなんとか工夫をと思っています。

こんなことを書いたのは、日本人も椅子で生活するようになって、以前より

膝が弱くなったという話を聞いたから。

我家は、ちゃぶ台なので、立ったり座ったりしますが、

この動作をあまりしなくなることで、膝が弱くなるのだそう。

負荷をかけないと骨まで弱るらしく、これではいけないと思い、

フライパン意外にも何か負荷をかけることを思案中なのです。

地味でやり易いことがいい。

 

ケーキ作りが負荷をかける事になるかどうか?は、分からないが、

「タルト・オ・スリーズ」というフランスの焼き菓子を焼きました。

↑焼き上がり 18センチのパイ型で。

■材料は

タルト地→バター100グラム 粉糖75グラム 黄卵1個分 全卵1個 小麦粉200g

アーモンドクリーム→バター100グラム グラニュー糖100グラム アーモンドプール100グラム

          小麦粉15グラム 卵2個 ラム酒適量

その他→サワーチェリー(瓶で購入400グラムでした)

■作り方は、

タルトの方は、バターをポマード状に練り混ぜ、次に粉糖を入れて練り混ぜる。

       卵(すべての分量)を溶きほぐして、バターと粉糖に少しづつ加えて混ぜる。

       次にふるった小麦粉を加え混ぜる。これを一まとめにして冷蔵庫で休ませる。

アーモンドクリームは、バターを練ってから砂糖を加えて白くなるまで混ぜる。

           そこにアーモンドプールを加えて混ぜる。

           さらに卵を1個づつ加えて混ぜる。

           ラム酒を入れてまぜ、最後に小麦粉を入れて混ぜる。

↑こちらは、平に伸ばしたタルト地をパイ皿にのせ、フォークで生地が焼いているうちに

盛り上がらないようにしたものに、アーモンドクリームを入れている途中。

↑アーモンドクリームの上にサワーチェリーを並べたところ。

これを180度のオーブンで40分焼きます。

我家のオーブンは火力がちょっと弱いようで10分時間を増やしました。

甘酸っぱいチェリーとアーモンドクリームが相性が良いようで、好評でした。

 

 

庭では、自生した「山芋」の葉が茂っています。

(里芋じゃない)

小鳥が「むかご(山芋の種のようなもの)」を運んでくるようで、

けっこう山芋の蔓が自生しています。

畑で山芋が植えているあるところから、「むかご」を銜えている内に落とすのでしょうか?

その場所で山芋が成長すると、季節になると必ず「むかご」をつけます。

その「むかご」が、地面に落ちて、また山芋が成長するので、今ではあちこちに山芋の葉が茂っている。

その葉がすっかり黄色になり、庭に華やぎを与えてくれています。

今年は、蔓を支柱に這わせてみたのが良かったようで、なんでもやってみるものだと思いました。

 

↑こちらは、小さな鉢にムスカリの球根をぎゅうぎゅうに植えつけたました。

これは、花が咲いたら部屋(台所)に入れて、楽しむためのもの。

ムスカリは、ちょっとデザインのいい缶詰に植えてみたいとも思っています。

 

 

 

 

 

 

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おかしな絵(作品紹介572)と チューリップの植え付け

2020-11-04 16:31:18 | Weblog

この絵で、我家のお茶の間は、笑いの渦に。

アクリル絵具、油絵具、クレヨン、色鉛筆使用。

破り捨てるか、残すか?迷った絵だそう。

 

 

↑いつも、このように台所には、絵が貼られています。

左から、ヒロクニさんの絵、中央は中川一政氏の絵、右のハガキは、ギュスターヴ・モローの絵。

(ギュスターヴ・モローは、アンリ・マチスの先生であります。)

 

夕食の後、フッとお茶を飲みながら、台所に貼られている絵を見た。

その日の夕食では、おつまみ的なおかずが美味しく、もう一杯と焼酎をお代わりした。

(自分で入れてます。)

もう、お酒もすっかり弱くなっているようで、2杯目で頭のタガが緩んでいた。

こういう時って、抑圧された意識が出るように思う。

絵を見ながら、「ヒロクニさん、この絵はいったい何なのよ!」と言った。

「特に、この中央の顔の人物の表情。」

「何で、鼻くそをほじった後のような顔になっているのさ。」と。

ヒロクニさんは、“えっ!!”という表情をして、

「この部分は、油絵具なんだよ。」と、笑いながら言う。

サホリ「この絵を見ていると、スクラップブックを見ているのと同じ気持ちになるのよね。」

ヒロクニ「それは、気が付かなかった。スクラップブックと同次元という見方が、面白いねぇ~。」

サホリ「この絵は、スクラップしていないのに、そう思えるところが変わってる。」

ヒロクニ「そういう見方は、新鮮だねぇ~。」

サホリ「だけど、何考えて描いているんじゃ?」

ヒロクニ「考えがあって描いているわけでは・・・。」

サホリ「やっぱり、そうだと思った。」

   「だいたいね。あなたにちゃんとした考えがある時って少ないもんね。」

   「この絵って、ヒロクニ版ムンクって感じがする。」

(ムンクの叫びという有名な絵のこと)

このヒロクニ版ムンクと言った途端、ヒロクニさんは笑い出し、ウッシシシッと変な笑い方をする。

サホリ「自分の絵を見て、そんなに笑うなよ。」

   「そんな絵なんか!」と、言葉も乱暴気味な私である。

ヒロクニ「いや、俺のお袋がさ、私ムンクが好きって言い始めて、ムンクのグッズを一杯買ってきててよ。

     こいつ、大丈夫か?と思ったことがあってさ。」

何故か、この辺で、私達2人は、笑いが止まらなくなってしまって、

涙が出そうなくらい笑っていた。

また、鼻ほじりの絵を見て、

サホリ「この絵って、私達が聞かないハウス系のCDとか、ヒップ・ホップ系のCDのジャケットにいいんじゃない?」

   「そういう音楽のジャケットに、インパクトだけが強い絵を良く使っているよ。」

ヒロクニ「CDのジャケット?」

一瞬、静けさが・・・。

ヒロクニ「隣に貼ってある中川一政の絵では、CDは売れへんよな。」と、ヒロクニさん。

また、2人で、うなずいて、「そうだ!そうだ!」と、大合唱。

もう、2人とも、知性とか分別とかが、何処かへ行ってしまっていて、

ひたすら笑っていました。

 

中川一政氏は、昭和に活躍した洋画家です。

「腹の虫」というエッセイを読んだことがあります。

自分の中に納まりきれないもの、著書の中で、これを「腹の虫」と呼んでいましたが、

この“腹の虫”と対峙する為に絵を描いているとおしゃっていました。

私は、中川一政氏の俳画で、鉛筆と水彩で描いたものが好きなんですけど。

人気のある画家だったと記憶しています。

 

翌朝、また絵を見た。

心は、しーんとしていた。昨日のあの2人で笑った時間は、夢の中での出来事みたい。

インド哲学では、「この世は夢である」と説かれることがありますが、どういう事なんだろう?と思いました。

こういうことなのか?好例とは言いがたく、あまり褒められた例じゃない。

昨日の時間は幻想か?と思い、まじまじと絵を見た。

笑う気持ちすらない。

ヒロクニさんに「どうして昨日は、あんなに笑ったのだろう?」と問うと、

「よくわからない。」と。

私達、時々おかしな夫婦になるんです。

 

 

つい、焼酎をお代わりしてしまったおかずを紹介。

↑小芋を薄味で煮含めたものに、から揚げ粉をつけて揚げたもの。

外はカラッと、中はむっちりしています。

収穫した小芋で作りました。

これが、美味しかったのです。

 

↑周明菊も散り行く前の美しさ。

 

↑チューリップの植え付け。

八重咲きのチューリップを植えました。バラのような種類です。

 

↑こちらは、ムスカリ。

チューリップを植えた所に植えます。

これは、「ダブルデッカー植え」と言って、同じ所から二種の球根を育てます。

まだまだ、植え付けないといけないチューリップの球根が20個、残っていて、

これから一分張り。

 

 

 

 

 

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