武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ある女(色鉛筆作品紹介592)と ヒロクニさんとハードボイルド

2021-02-25 12:34:21 | Weblog

この絵は、ギャラリー島田での個展で、ドローイング、すなわちメモの部類で発表した絵です。

価格は、10,000円でした。

最新作のドローイングは、ヒロクニさんが「こんな時こそ(コロナ)、皆大変なんだから、心意気だ!」

という気持ちで付けた値段でした。

私は、お上さんなので、「そんな!あなた・・・。どうやって霞を食べていくつもりなの?」と、

額にバッテン印でドヤ顔をするはずだったのですが、

どういうわけか“自分の思い通りでなくても、受け入れるわよん!”のノリが私を包んでいたので、

「その、心意気いいわね。あなたらしいわ。」と、思い、意志を持って“良し”と思ったのです。

ヒロクニさんは、10万円以上する絵を買うのを考えている方が居られると、その後ろにいて、

「この人は、この絵を買ったら貧窮するのではないか?」と思っているらしく、

身体を捩じらせて、ヒロクニさんは「安くしますよ。」と口走ったりします。

その様子を離れて見ている私は、「ああ、自分のことのように心配しているのだなぁ~。」と、

哀れみすら湧くのでした。

しかし、今回はきっぱりとした口調と、ヒロクニさんの皆を心配する思いやりの気持ちを感じたので、

“前方よし、出発進行”と、運転士のような感じで、個展に望みました。

この女性の絵は、目を開けているのか?閉じているのか?そんなことが気になる

ミステリアスな女性なのです。

 

ミステリアスと締めくくりましたので、ミステリー小説好きのヒロクニさんの読書からの話を。

ローレン・バコールが逝去されていたのを知りました。

私達2人は、ハンフリー・ボガードとローレン・バコールがとても好きでしたので、驚いていました。

ミステリー小説の中に、ハードボイルドがありますが、

この2人は、レイモンド・チャンドラー原作(大いなる眠り)のハードボイルドの映画「三つ数えろ」の主人公です。

私立探偵とミステリアスな女。

もう、バッチリ決まっていました。

チャンドラーは、「プレイバック」という小説では、主人公の探偵であるフィリップ・マーロウに、

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」と言わせます。

この言葉は、私でも知っていて、ハードボイルドと言えばこの言葉を思い出すくらい。

そう、ちょっと男臭さを感じる世界なのです。

キザなんですけど、キザを極めているのがチャンドラー原作の探偵フイリップ・マーロウ。

↑左がフイリップ・マーロウを演ずるハンフリー・ボガードとミステリアスな女演ずるローレン・バコール。

この映画は、2人で何度も見ました。

このシーンの少し前に、膝を意味ありげに擦るバコールに、

「掻きなさい。」と、マーロウがセリフを突き放したように言うところも印象で、

これ見よがしに、虫刺されを掻くようにカリカリと膝を掻くバコールとのやり取りも楽しい。

ハードボイルドでは、必ずフイリップ・マーロウは事件に巻き込まれて、伸されてひどい目に会う。

これは、お約束になっているようで、必ずこういうシーンがある。

しかし、そこから立ち上がり、巻き返して行く姿に惚れ惚れするのでした。

この2人の組み合わせの映画は、他に「脱出」「キー・ラーゴ」「潜行者」があり、観ました。

この2人は、結婚するのですが、ヒロクニさんと私達と同じ年齢差があります。

25年かな。

そういう事もあって、アメリカの映画俳優と女優と比べると、見劣りしすぎの私達ですが、

親近感を持っています。(比べるな!ですよね・・。)

2人で、バコールの自伝「私1人」を読んで「良かったよね。」と、ヒロクニさんと相槌を打ちました。

イメージと違い、サバサバとした性格で、よく冗談をいうことを思いつくらしく、

機転の利く頭の回転の早さや、情に熱いところなどの素顔が伺えます。

ミステリアスとは程遠く、あけすけな性格で思惑などを考えることもまるでなく、

とにかくさっぱりした性格が伺えます。

また、正直なところも。

フランス文学の話は、モアモアして聞けない私ですが、

ハードボイルド小説の話は、聞けるのです。

ヒロクニさんは、ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルド、たまにミッキー・スピレインの話をします。

ハメットは、「マルタの鷹」の話を。その“マルタの鷹”という像に秘宝が隠されているらしく、

その像を巡って、いろんな人が手に入れたり、取られたりとその像が移動する様子が面白いようで、

偽者をつかまされたりする。

その様子を語ってくれるヒロクニさんは、がっかりしたり、

マルタの鷹が来たぞ!!と興奮したりと、その様子の方が面白かった。

実際、ハメットは探偵を職業にしていたことや、ハメットが元で、ハードボイルドという分野が

確率されていったとも語る。

ハードボイルドは、イギリスにはなく、アメリカのものだとも教えてもらいました。

ロス・マクドナルドは、リュウ・アーチャ―という探偵が出てきますが、アメリカの風景の描写が

素晴らしいらしく、その街のことを語ります。やはり、街が好きなヒロクニさんなんだと納得します。

ミッキー・スピレインは、少しバイオレンスなムードがあるのが話しぶりで分かったりと。

ミッキー・スピレインの写真も見せられて、作家にしてはマッチョな男ぶりでした。

ハードボイルドには、キザなセリフというのが付きものなのですが、

ヒロクニさんが時折言う、キザなセリフ、歯の浮くようなセリフは、この下地があるのかもしれません。

会った頃よく言っていて、「さほりの中に悲しみを見た。」とか、

「送っていくから、こういうことはしておくものなんだ。後で良かったと思うことだから・・。」とか言っていました。

私にしたら、「悲しんでないって!!!」「見当違いよ。」だったし、

「送らなくていいと私が言ったら、送らなくていいのに。ひつこいなー。」だったのですが・・・・。

そう言いながらも、送ってくれるのは少し嬉しかったりと、新鮮だった。

(なんだそれは?)

私は、そういう言葉を聞くと、「言っていて恥ずかしくないのですか?」と。

そういう事を言われる度に、「恥ずかしくないの?」を連発していました。

なにはともあれ、ハードボイルドは楽しい。

ハヤカワポケットミステリの本、けっこう我家にはあります。

 

レイモンド・チャンドラーの小説で「長いお別れ」(ロング グッドバイ)という映画では、

フイリップ・マーロウが猫を飼っているシーンから始まります。

猫ちゃんに夜中起され、餌を要求されるが、その缶詰が切れている。

しょうがないから冷蔵庫から、あり合わせのご飯を用意するが食べてくれない。

そこで、猫ちゃんがいつも食べる缶詰をスーパーマーケットに買いにいくが、売り切れている。

別の缶詰を買って帰って、いつも食べる缶詰の空き缶に買って帰った別の缶詰の餌を詰め変えて、

猫にいつもの缶詰だよ・・と、思わそうとするが、猫ちゃんは許してくれないのでした。

そういう冒頭のシーンです。

 ↓ここまで演技する猫ちゃん凄いですよ。猫にどうやって演技指導をしたのでしょうか?

Marlowe tries to feed his cat

The Long Goodbye, 1973 the opening sequence from Robert Altman's ad...

youtube#video

 

この映画は、若いときに映画館で見ました。

フイリップ・マーロウとしては、むさ苦しいのですが、この猫ちゃんがたまりません。

やはり一発ぶん殴られます。

 

このシーンで、マッチを壁に擦り付けてタバコに火をつけるのを見ていると、

ヒロクニさんも会った頃、こうやってタバコに火を点けていたのが薄らぼんやりと思い出された。

「マッチは、こんな風に点けれたかな?」と思い、家にあったマッチを壁に擦りつけた。

何度やっても、点かない・・。

擦った痕だけが残り、マッチの赤い部分が無くなり無残な姿になった。

急にアトリエに行き、「会った頃、マッチを壁とかで擦って火を点けていたよね?」と聞きにいった。

すると、「ああ、あれはね、ロウマッチというやつでね。」

「いやぁ、あの頃は独り身でしょ。だから、いいなぁ~と思ってやっていたの。」と。

そう言った後、急に帽子をかぶってやってきて、

(ハードボイルド風に)

「こうやって、靴底でマッチを点けたりするといいでしょ。」と言いながら、そのまねをする。

すっかり、ハードボイルドの世界に酔っている。

それより、独り身とロウマッチがどういう関係なわけ?と疑問な私。

カッコを付けて、モテようと思っていたのか・・・・・。

私は、それより言い寄ってくるヒロクニさんの年齢が一番気になっていて、

マッチの付け方には関心がなかったのでした。

ヒロクニさん曰く、「無味乾燥な女」の私なのです。

 

我家のピーちゃんは、朝早く私を起す時は、顔を叩くか、

布団の上でドタバタして、私の足を手で引っ掻きます。

激しいのです。

映画と現実は違いますね。

↑おじゃこの前で、厳しい顔のピーちゃんです。

おかわりの量が少ないと言っているのでしょうか?

(この写真は、以前にも出したかな?忘れてしまった)

 

 

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coffee屋(色鉛筆作品紹介591)と 私の個展中の新境地

2021-02-20 14:08:07 | Weblog

「coffee屋さん」というタイトルがついた絵。

コーヒーカップが多く描かれています。テーブルに置かれている様子が可愛い。

コロナの影響で、街に出ることが極端に減ったので、

もう、珈琲店でくつろいだりしていたのも思い出のようになっていて、

この絵を見て、喫茶店に行った時の雰囲気を思い出すのでした。

行き交う人、雑音や、人の声、雑多な雰囲気など。

ヒロクニさんは、スターバックスも好きだったりする。

よく行くのは、jazz喫茶なのですが、スタバのスイーツも気になる人でなんです。

私は、サンドイッチが気になります。

サンマルクカフェのチョコクロも好きで、自分が好きだからおみやげに利用したりしています。

神戸の街を歩き、ちょっとくつろぐヒロクニさんの珈琲愛が出ている作品です。

 

個展の最終日にヒロクニさんは、なんとか会場に行ってくれました。

「今日は暖かいから、行くのにはいい日だよ。」と声をかけた時は行かず、

「T氏が作品を最終日に取りに来られるから・・・、顔見たかったなぁ~と言っておられたよ。

たぶん、終わりかけの時間に来られると思うよ。」と言ったら、やっと身支度したのです。

冬の寒さが嫌いなヒロクニさんなのに、とても寒い日に来廊しました。

T氏とも会い、話こむヒロクニさん。

会期の時間が過ぎても話をしていました。

まわりは、片付けに勤しんでいましたが、気にせず延々話していました。

ヒロクニさんらしい・・・。

 

今回の個展では、いつもと違う気持ちが起こり、それに従ってみた私なのでした。

オンライン・ミュージアムの話が持ち上がってから、

ギャラリーの若いスタッフとの交流が多くなり、

個展の打ち合わせなどで話していると、チームになって一体となっている。

それぞれが持ち味を活かしながら、機能しているのがよくわかり、

意見を私に伝えてくれるので、その反応として、

意志を持って、「この人達に身を委ねてみよう。」と賭けを楽しむような感じになり、

この感覚が私を愉快にさせていました。

「アトリエの雰囲気を出したいから、メモのようなものを持ってきて頂けたら・・。」という提案では、

なるほどと思い、ヒロクニさんにその旨を伝えた。

すると、ヒロクニさんは、アトリエの雰囲気を出すメモではなく、

大きいメモ、A2サイズのドローイングを用意していた。

イメージと違うなぁ~と思いましたが、今度は、「ヒロクニさんに合わせたる!」と。

“自分の思い通りでなくても、受け入れるわよん!”のノリになった。

今回は、“受け入れるわよん”の連続でした。

意志を持って、受け入れるという思考が、私的には発見でもありました。

(長いものに巻かれろとは、全く違います)

この度の個展での学びというか、新境地でありました。

これから、若い方に教えてもらうことがいろいろありそうです。

 

個展会場で、ヒロクニさんもすっかり忘れていた作品がありました。

買われた方が、ギャラリーに持ち込まれた作品なのですが、

「こんな絵、俺描いてたの?覚えてない。」という作品なのです。

私も「この絵あまり覚えていない。」と思い、

「この絵を覚えていないとは、どういうことなんだ?」と。

たぶん、描いた直後ぐらいに個展で売れてしまっていた作品で、記録にも残していなかったようなのです。

久しぶりにじ~と見ました。

1990年作の色鉛筆の絵です。

こちらの絵。

↑アクリル板がライトで光っていて、全体が撮れなかったので部分を紹介します。

この頃から、目のようなものは登場していたのですね。

自動車の雰囲気が気に入って撮りました。

街の絵です。

↑これは、上記の写真の上の部分。

中央にいる人???のような人の憂いのある表情に都会を感じました。

この感じがたまらないと、思い写真を。

↑この枯木に哀愁を感じました。

寂しい風景です。

↑浮かんでいる街と人。

一筆書きのような雰囲気。

下地の白のタッチがヒロクニさんの塗り方です。

以上の4つの部分を取り上げましたが、一枚の絵に納まっています。

この頃の絵は、細かく部分が凝縮された絵で大きな絵になります。

ヒロクニさん、描く本人は、過去の作品を見て、

「ふ~ん。」とか、

「俺、こんな絵描いてたの?」と言うぐらいで、以外とあっさりしています。

過去の作品へのこだわりが少ない。

これからも絵を描くためにのことの方が重要なのか、

身体の肩こりの具合とか、疲労感を抜くことに一番感心があります。

家では、肩の凝りと、疲労の話ばかりなのです。

そして、「すまない、さほりチョット。」と言う。

マッサージしてということだとすぐ分かります。

まあ、80代は世間では「余生」らしいのですが、

あまりゆったりしないのがヒロクニさんらしくもある。

個展会場では、ヒロクニさんは、「老人が老人を励ますのは、大変やねぇ~。」と、ポツリ。

また、コロナで人と会う機会が減っていたせいか、1人のスタッフの女性にズーと話し掛けていました。

私以外の人と話すことは大切です。

それをその方に伝えると、

その方は、「役割が違うから、確かに大切ですよね。」と言って下さって、大人な方でした。

やはり、人柄が優しいのだなぁ~と思い、優しさって大切としみじみ思いました。

 

 

ビオラが続々咲いてきています。

↑やっと、ものねだりしていた黄色と薄い茶色のビオラが咲きました。

この黄色のビオラがすきなのです。

クラッシックな感じがするので。

この鉢には、この黄色のビオラの種を採取したものを育てていますが、

どういうわけか、黄色の種から、赤茶色のビオラに先祖帰りしているみたいなのです。

この赤茶色のビオラもあまり見ない色なので、好きではあります。

今年は、様々な模様の入り方のビオラが楽しめそうです。

 

↑寒い日がありました。

朝起きたら雪が積もった日がありました。

庭に薄っすらと雪が積もっています。

↑けなげにビオラが咲いていました。

寒さに負けず咲いています。

今は、三寒四温で暖かくなったり寒くなったりを繰り返しますが、

こうやって春に近づいているのでしょう。

 

 

 

 

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武内ヒロクニ展 オンライン・ミュージアムのご案内(色鉛筆作品589・590)

2021-02-13 17:34:41 | Weblog

ただいま個展中になります。

ギャラリー島田にて、オンライン・ミュージアムでも開催中。

ギャラリー島田のHP→http://gallery-shimada.com/ にて

こちらのHPの上に、オンライン・ミュージアムのクリックするところがありますので、

こちらから入場下さい。

こちらのブログの左に、ギャラリー島田のHPをブックマークしていますので、

ここから、入って下さってもいいと思います。

こういう新しい試みも、コロナの影響が大きいと痛感しています。

変化を前向きに受け入れて行くことも大切だと思いました。

興味があれば、よろしくお願い致します。

そして、少し元気を取り戻せてもらえれば幸いです。

 

上記の写真は、入り口に飾られている絵。

ピンクの色の小さな作品は、少しエロティック。

描かれた年代が、さかのぼる作品になります。

額装のガラスにて、写真を撮っても反射してしまい紹介出来なくて残念。

エロティックなものを描いていた時期があったなぁ~と、突然思い出しました。

そう言えば、モデルもした。

わりと若い時だったので、なんだか面白いわ・・・。と、思っていました。

しかし、今はおばさんになったからか、今は嫌ドス、モード。

痩せたりしたら、皮膚にシワが寄っていたして、風呂場でびっくりして「えっ!」と言う、始末。

「何これ?」ですもの。

そんな私ですが、痩せ型のヒロクニさんが、更に痩せた時、

お腹に凄いシワを見つけて、

「ねぇ、段々が凄いのだけど、数えていい?」と言い、数えたりしていました。

お腹のところが3mmぐらいの幅で、皮膚が段々になっているのです。

しかし、痩せていることの象徴でもあり痩せ型の男性は好きなので、

「さすがですねぇ~。」と。

「さすが、ヒロクニさんですよね。侘び寂びを感じますよねぇ~。」と、

意味不明な褒め文句を言ったりしていました。

「太った人は、侘び寂びを語る資格がない。」と言われるのを聞いたことがあり、

確かにたらふく食って、楽々にふけり、怠惰で太っているとしたら、その資格はないと、思ったことがあります。

やはり、“侘び寂び”も精神性のことであるし、“禅”の精神から派生したものです。

禅の精神に沿うと、太ることはないと思います。

今でも「布団で寝るのは、嫌なんだ。」と、何故か毛布しか使わなくて、

家にいるホームレスのヒロクニさんは、重しとしてコートを毛布の上にのせています。

未だに、ここちよく寝るのを拒んでいます。

その臨場感を持っていたいらしいのです。

(よくわからない行為なんですけど・・・・)

絵には、そんなわけの分からない臨場感がどこかにあるかもしれません。

それとも、これがヒロクニさんの“侘び寂び”か?

どちらかというと、単なる侘しい生活の一環のニュアンスに思える。

このわけがわからない生活感がヒロクニさんの持ち味か?

あと、私はついやってしまうのですが、料理をてんこ盛りにして出してしまうときがあります。

そうすると、いつも「こんなに多くを、私は食べないのだ!」と怒られます。

下品で、嫌な感じがするそうです。

「俺は、たらふく食べるなんて、嫌なの。」とダメだしが・・・・。

そういう事もあって、太ったことがないのです。

私は、家族の人数が多い家庭環境だったので、山盛り感覚が身についていて、

寂しく感じる食卓だと落ち着かない癖があるようで、たくさん並べてしまいます。

まだまだ、お互い癖がすり合せられてないところってあるのですね。

つい、山盛り作り、山盛りにして出す。

まあ、ヒロクニさんは、ともかく日常の変な行為はあげていけばキリがない。

やっぱり、普通の絵じゃないですし・・・・。

そんな風な人が、描いた絵だと納得していただければ、幸いです。

 

 

久しぶりに見た絵から思ったのは、

最近は、エロティックなものからかなり外れていること。

私達、2人が歳を取ったのかもしれません。

 

↑こちらの絵も久しぶりに鑑賞することに。

この四角く仕切られたような絵は、けっこう数多くあり、

小さなものから、大きなサイズのものまであります。

ノートの切れ端に描いたものが、1番最所に出来上がった。

そこから発展していきました。。

タイトルは「ビート」と付けられていたと思います。

ちょっと、元気が出る感じの絵です。

 

↑こちらは、「モーテル」と題された作品。

寂びれた感じのモーテル。

人がいなくて、がらんとした感じ。

日常で見る景色ではなく、映画のあるシーンとか、外国のオアシスのような風景。

荒涼とした風景というのは、人にある種のエモーションを与えます。

砂漠の中の1シーンのようでもあり、孤独というか、寂しげな印象を受けます。

異常な淋しがりやである、ヒロクニさんのセンチメンタルな部分が出ているのかもしれません。

「淋しい」の専売特許のような人なんです。

秋になったら、「淋しい」の連発。

しかし、芸術家にとって、センチメンタルは重要な要素であると云うのが解ってきたのは、

ヒロクニさんを通してでした。

わかりやすい例をあげるとしたら、「竹下夢二」になります。

そこはかとない寂しさ、物憂げさ、そんなものを感じるさせる絵だと思いました。

 

 

↑庭では、絹さやにつぼみが付いているのを発見しました。

絹さやは、はじめて植えてみました。

収穫出来ることを楽しみにしています。

植えつけたときは、生育が悪そうで「期待をしてはいけない!」と自身に言い聞かせましたが、

こういうのを目にすると、ワクワクします。

2月というのに、暖かい日があって、春の到来を感じました。

チューリップも土から芽を出してきていて、季節の巡っていく過程を感じています。

移り変わり、すなわち時間というものを意識します。

 

 

 

 

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ドローイング(作品紹介588)と 武内ヒロクニ展の搬入の様子

2021-02-08 16:02:53 | Weblog

こちらは、武内ヒロクニの個展にて、展示中。

一番、新しいもの。

クレヨンと鉛筆で描かれています。

 

4日の日に、ドローイングの作品を搬入にいきました。

展示の作業は、ギャラリーのスタッフを中心に補佐の役をしてきました。

↑すっかりお任せしています。

↑絵の感じをみながら、バランスを見て展示をして下さっています。

以前は、大体作品を一列に並べることが多かったと記憶していますが、

最近は、2段、3段とランダムに並べることが多くなり、

展示の仕方も随分変わったと感じます。

 

↑こちらのドローイングの作品もランダムに。仮止めの段階です。

ドローイングといっていますが、私は家ではメモと言っていました。

台所に貼られているもの、それも1箇所か、2箇所を画鋲で軽く止められていて、

ペラ―ンと貼られていて、紙が浮き上がったりしているものを毎日見ています。

それが、画廊の壁に貼られていくと、ただの紙切れが、作品として鑑賞しやすくなるので、

改めて絵を見ることになり、ギャラリーという場所の空間の必要性を感じた次第です。

↑ドローイングの作品群の左側の部分になります。

やや左中央の「人の顔と黒のふちにピンク色」で描かれた作品は、

以前のブログにて、顔のようなものとピンクの池の間にある鉛筆で描かれた部分の所を、

「この感じが何ともいい感じでたまりません。」と書いたと思うのですが、

長年、武内の絵をコレクションして下さっているが、この絵を選ばれて、

「あの部分がええのや。」と、おっしゃり、私と同じ感覚を話されたので、

「同じなんです。やっぱりそうですか?」

「私も絵を見る力が少し肥えたかしら?」と、言い、

何度も「私も、同じこと思っているのです。」と、相槌を求めました。

そこから、そのコレクターの方は、問答に入って、

「この絵には、悟りに近いものがある。近いということだけど。」と言われる。

えっ?と思い、近頃の武内の言動で、?????と思った言葉を思いだした。

「何かに導かれて、やっているだけ。身をゆだねている。」と言いながら、アトリエへ行ったことがある。

?????と、不思議な感じで聞いていました。

このドローイングの類には、そんな武内の胸中もありそうです。

描いた当人は、肩凝って、疲れ果てている毎日で、時々、すごく寝ます。

 

このコレクターの方とは、いつも問答のようになり、今回は、

「人は死を恐れたらあかん。」と言われ、

「死を恐れるのは、悟りというか、人としての精神性から遠ざかっていく。」とも言われた。

すると、浮かんできた情景が・・・・。

武内が手術室に行く時、廊下で、大声で「殺さないでくれ~~!!」と叫び、

看護婦さんに「俺の手を握っていてくれないか!」と懇願していた姿がありありと浮かんだ。

もう、廊下に響き渡った声と、ガタガタと音を立てながら動いているベッドと廊下の幅まで浮かぶ。

私は、夢を見ているのか?と思うほどの、声の大きさに驚いていた。

この情景が、脳裏を駆け巡り、

「先生、武内は死を恐れていると思うけど・・・・。」と言う。

「そう?それならまだまだ生きると思うよ。」と締めくくられた。

 

まだ、病院での話は、続きがあって、

その手を握って下さっていた看護婦さんは、手術後、私のところへ来て、

「こんな患者さんは、初めて・・・・。私、手をずっと握り締めていました。

こんな経験初めてでした。こんなに頼りにされるって、看護婦としてやりがいを感じました。」と。

少し興奮ぎみに話されていて、なんとなく顔も紅潮していた。

「ありがとうございます。そう言って頂けたら私も肩の荷がおります。

ありがとうございます。助かりました。」と、何度もお礼を言った。

私は迷惑していないか、どうかが気になっていたので、心からホッとしました。

本当は、私が主人に優しくならないといけないのでしょうね。

しかし、病院に入院すると、我儘の限りを尽くすので、優しくするゆとりないのです。

見張るだけで、精一杯でした。

主治医から、頼まれていたりするからねぇ~。

「奥さん。見張ってて下さい。。

奥さん。食べ物を取り上げておいて下さい。

奥さん。(思い出したように)お金も取り上げておいて・・・、勝手に買い食いされたら困るから。」と、

言われていたりして・・ます。

いつも、ナースステーションの横の部屋にしか、案内されない武内なんです。

いつも、同じ部屋になるのです。(問題児の指定席なんですって・・・)

話が脱線しました。

死の話から、入院中の武内の話になってしまいました。

私にとっては、強烈な思い出なのです。

 

あと見て懐かしい作品もありました。

↑ギャラリー島田で所蔵されてる作品です。

細かい色鉛筆画を描かれた頃と同時代。1995年作ぐらいの作品。

 

↑こちらもギャラリー島田所蔵の作品。

道路沿いの海、そして街の絵です。

鉛筆のみで描かれた絵ですが、この作品は1999年ぐらいのものでは?

芯が硬くて薄いトーンの鉛筆を駆使して描かれています。

6Bは部分で使用している作品です。

久しぶりに鑑賞出来て、こちらも懐かしい。

 

緊急事態宣言の中の個展なので、やはり来客は少ない。

ギャラリー島田での、ネット・ミュージアムは、9日(火)になると聞きました。

どんな風なのか分からないので、私も楽しみにしています。

会場:B1F un
会期:2021年2月6日(土)-2月17日(水)
11:00-18:00  ※最終日は16:00まで

ギャラリー島田のHP→http://gallery-shimada.com/

住所:神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB1F・1F

TEL&FAX 078-262-8058 

メールアドレス:info@gallery-shimada.com

 

以上ですが、よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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武内ヒロクニ展のご案内(色鉛筆作品紹介587)と 植松奎二氏

2021-02-01 10:28:45 | Weblog

異端にして反俗、ときに狂気の画家。荒れる大海に浮かぶ大船をもろともせず、

小船に寄り添うこともせず、裸で抜き手を切る素もぐりの達人としてある。

アートという海のことである。

その手に握られているのは銛ならぬ絵筆ならぬ色鉛筆。

現出した武内ワールドの美しさは、まさに彼だけのもの、彼の生きてきた軌跡に溢れている。


島田誠

会場:B1F un
会期:2021年2月6日(土)-2月17日(水)
11:00-18:00  ※最終日は16:00まで

ギャラリー島田のHP→http://gallery-shimada.com/

住所:神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB1F・1F

TEL&FAX 078-262-8058 

メールアドレス:info@gallery-shimada.com

◆「しあわせ食堂」挿絵をはじめ、オンラインでの同時公開も予定しております。

コロナで緊急事態宣言の中の個展となるような感じですが、オンライン販売もありますので、

無理せず、気軽にギャラリー島田にアクセスして頂けたらと思います。

はじめての試みですので、よろしくお願い致します。

(買わなくても、見る楽しみに参加下さいませ。)

 

ギャラリー島田へ、打ち合わせと詳細の確認のために行ってきました。

そこで、出会ったのが植松奎二氏。

ギャラリー島田でのミニュアチュール展のオープニングパーティか、

それとも他の人の個展か、大勢が集まる時にお顔を拝見することはあったし、

ヒロクニさんが2人で立ち話をする姿を覚えているので、会うのは初めてではありません。

今回は、「武内さんの奥さんですよ。」とスタッフの掛け声があったので、

一対一で、面と向かってお話するのは、初めてでした。

改めて「初めまして、武内ヒロクニの家内のサホリといいます。」と、

かしこまって挨拶をしました。

「あのう、私は武内が52歳の時からの妻なので、

私の知らない武内のことを教えて頂けたら嬉しいのですが・・・。」と。

ここまでは、いいのですが、

「3番目の妻なんですよ。」

「だから、知らないことが多すぎるのですよ。」と。

余計なことも言った。

植松氏は、「いやぁ、武内さんはね、僕が子供の頃、絵を描く姿をよく見てましてね。」

「電信柱に登って、その姿を見ていて、いいなぁ~て思っててね。」

「確か、風景のスケッチをしていた姿をよく見てましたよ。」と。

「その姿に、憧れて芸術家になりたいって思いましたね。」と。

電信柱に登っている姿が思い浮かび、そこがなんともいえないイイ感じ。

少し、気持ちがほぐれたりした。

私の知っている家でのヒロクニさんとは違う姿が浮かんでくる。

その頃は、神戸の下山手8丁目に住んでいた頃の話だと、ヒロクニさんから教えてもらいました。

また、「その頃は、しもたやを描くのもいいのだけど、倉庫街をよく描いた時期で、

30号ぐらいの作品を主に描いていたかな。」と。

また、「なんしか、ロクちゃん(山本六三氏)と、賞金稼ぎに競って出していたような頃だから・・。」

とも言い、「油絵具の使い方もよく知らんのに、よーやっていたよ。」と、懐かしそうに話します。

 

私は、唐突に「武内の絵は、最近アールブリュットとか言われてしまっている時があるのです。」と言ったら、

植松氏は、「武内さんの絵は、アールブリュットじゃないでしょう。」

「だって、知性があるでしょ。」とご返事が。

この言葉は、非常に私をホッとさせました。

私も時々、武内の絵にアールブリュットという言葉が評価の中にくっついてくると、

「アールブリュットの作家は、やはり精神に問題があって、入院するような人でないと、ダメだ。」と、

思っていたので、違いの識別として大いに役立った言葉でした。

(海外では、入院したりしていない、そうじゃない人も含まれていますが・・・。)

昭和の洋画が熱い頃の絵の良さを語るヒロクニさんがいるので、やはり健全だ。

ヒロクニさんて、意外と健全な部分というのがあるのです。

狂気とか、書かれるけど。

植松氏の作品は、とてもシンプルなものに温かみを感じる彫刻です。

シンプルゆえかもしれないが、ハッキリとした印象で、あまりモヤモヤを感じさせないところが良い。

シャープなんです。

ヒロクニさんが言うには、「植松は、よくやっているよ。」と。

「あれも、ちょっと年取ったんじゃない?」などと言う。

個展会場で、植松氏の写真を撮っていた私。

そう、ヒロクニさんに写真を見せて、会ったような気持ちになって欲しかったのです。

↑わざわざ、笑って欲しいと注文をつけました。

ちょっと、いたずらっ子みたいな笑い顔がステキ。

この写真を見せると、「イイ顔してるじゃない。」と、ヒロクニさん。

「これも、結構苦労してるんだよ。」と。

会場は、渡辺信子さんの個展会場。

植松氏の奥様の個展会場でした。

知的な感じのお2人で、とてもうらやましく思いました。

「人生は、ないものねだり。」と、常々思う私なのですが、まさしくそれ。

「お2人とも知的な感じで、ステキですね。」と会場で言い、

「うらやましいわ。」とか、「憧れます。」とかも言った。

家に帰ってからも、その話をして、「どうして、私達はそんな風になれないの?」と、

ヒロクニさんに質問しました。

その質問は無視されて、

「大谷記念美術館で、奥田の(奥田義巳氏・故)展覧会があるけど、

植松がトークをするらしいから、出かけてみるかな。」と言ってました。

会いたく思ったのかもしれません。

 

そんな会話の中、大根を5本頂きました。

食べきれないと思い、はじめての切り干し大根に挑戦しています。

↑本当は、カゴに入れるらしいが、この為だけに買うのはちょっと思い、

祖母が生前していた干し方を思い出して、このようにしてみました。

日中は外で干し、日が暮れると取り込みます。

祖母は、芋茎(ずいき)をよく作っていました。里芋の茎を干した食材です。

これは、一日目の写真です。

 

庭では、ブルーのビオラが花を付けてきています。

↑縁がブルーだったビオラの種から、色々なタイプの色の具合のものが。

↑これは、ブルー(紫?)が多く出ています。

↑これは、白とブルーが半々。

↑やっと、赤茶色の好きなタイプのビオラが咲きました。

↑こちらは、花の姿が違います。

どうして、こんなことが起こるのか?不思議に思います。

↑こちらは黄色タイプの種から。

しかし、黄色と薄い黄色に近い茶色の種から、紫色が出てくるとは思いがけないことでした。

種を採取して植えるのは、不思議なことがあるので、面白いなぁ~と思っています。

 

 

 

コメント (2)
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