武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

異端反俗の画家たち(企画)展のご案内 2月2日~

2019-01-27 18:13:46 | Weblog


↑こちらが案内状です。
案内状の作品は、武内ヒロクニの絵を使って下さっています。

詳しくは↓
 所 ギャラリー島田
日時 2019年2月2日(土)~2月13日(水)
時間 11:00~18:00  最終日は16:00まで

住所 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1F・1F 電話/ファックス 078-262-8058

HP http://www.gallery-shimada.com/index.html


こちらの絵は、じ~と細かい所をみていくと面白い。
ちょっと大きな画像を↓


タイトルは、「スミレ色の脱走兵」
鉄砲のようなものがあります。よ~く見てみると、紙を止めるクリップなんです。
そこから丸い玉が飛び出しています。
ヒロクニさんによると、最上部とその下にある薄い黄土色で描かれたものは、「クプクプ」というらしい。
この絵を久しぶりに見て、「クプクプが描いてある。クプクプなんかを描いていた頃か・・・・」と。
ヒロクニさんが、40代の作品です。
ヒロクニさんも12月で81歳になりましたから35年前に描かれた絵になります。
当時は見向きもされなかったのに、この頃の色鉛筆作品に興味をもたれることが多くなりました。

企画展に参加している、旗谷吉員氏は時折、宝塚市の我家へ、「重たい油絵具」リュックに背負って
画材を分けてくださったりして、ヒロクニさんとアトリエで話したりして、何故か私にも労いの優しい言葉をかけてくれます。
優しい言葉で、頭がをほわっとなり「人が来るっていいなぁ~。」と酔いしれたりします。
ヒロクニさんと2人だけだと、お互いのなってないところを、叱咤しあうのが常の日常。

「スミレ色の脱走兵」とタイトルにありますが、戦争がどうだこうだという絵ではありません。
ヒロクニさんは、徳之島生まれで、幼少の頃、母親が教員だったこともあり、ヒロクニさんの母は、
子供達を防空壕へ引率したりする役目をしていたらしく、その関係で九州を転々とした子供時代。
引率の役目もあったけれど、教員ということで、けっこう恵まれていたとヒロクニさんは語ります。
ひもじい思いはしたことはないらしく、母親との蜜月の思い出を時折話します。
明かりの無い夜道を2人で歩いた記憶など・・・・。
また、父親からは、満州からよく手紙が来ていたとも。
事務方の仕事についていたから、手紙でハーモニカを吹いていることなどが書かれていたそうだ。
「けっこう気楽な方だったんじゃない?」と言っています。
私が、「何を使って手紙を書いていた?」と聞くと、「全部、鉛筆で書かれていたなぁ~。」と。

また、「父親が帰ってきた時、飯盒をぶらさげて帰って来た姿を見て、その飯盒ちゅうヤツに目が釘付けになって・・・」とか、
私の家と随分違うので、なんか面白く聞いています。(私の家は、貧しい食料の話ばかりなので)
疎開、疎開と転々と居を移した生活と、母親との蜜月、疎開先での自然が育んだ感性。
そんなものが、詰まった作品だと思います。

他10点ぐらい展示します。
作品選びは、これから2人でします。大体は意見は一致するのだけど、2、3点必ず揉めるのです。




我家にやってきたピピちゃんは、確実に慣れてきてくれています。
以前飼っていた、キタハマもジルもひざにのるということは、まったくしませんでした。
夜、布団を引いてストーブの前にいると、ピー、ピーと鳴きながら、ちょこっとひざに座りにきます。
ゴロゴロと喉を鳴らして、ピタッと収まってしまいます。
座るプロという感じ。
こんな感じよ。↓


猫ちゃんも、それぞれ性格があって、人格ではなく、猫格というものがあって不思議。
こわがりやさんですが、遊ぶ時はかなり激しいピピちゃん。
羽根布団の上にダイビングする姿は、かなり激しくムササビのよう。
布団が凹むのが楽しいらしく、布団からパシャ、パシャという音が・・・・。そして、時々連打です。
無邪気さが可愛い!



コメント (4)
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ふたりでブルース(作品紹介503)

2019-01-16 14:46:53 | Weblog

とぼけた感じの絵です。
しかし、ヒロクニさんはこの絵を気に入っているようで、この絵をブログに使ってといわれました。
絵に「ふたり」と描き込まれています。

絵でふざけているのか、頭のどこかがトチ狂ったのか?
この絵を見て思う。
作品に重みがないところが凄い!!と思う。
しかし、変な軽さが、「くだらないっことにはほっとけ。気持ちを大きく持て!小さなことにはこだわるな。
たまには、こういう気分で行こうぜ♪」と、頭を空にしてくれる。
「考えたって、しかたがないのさ♪」と。
この作品は、そういう絵だと思います。


ブログを書く時、時々寄り道をします。
書く前に、人のブログを読んだり、急に調べ物をしたり、YouTube を見たりしてしまう時があります。
先回のブログを書く前は、YouTube でローリングストーンズを聴いていた。
マディ・ヴォーターズとの競演があり、すっかりマディ・ヴォーターズの声に聞惚れてしまい、
「ブルース」っていいのね。と初めて「ブルース」というものを感じた。
見ていたYouTube はこれですが、↓


その後、台所でヒロクニさんが、CDをかけていた。
「あれ?これもいいぞ!」と思い、ヒロクニさんに「これは、誰なの?」と聞いた。
「アルバート・キング」と答えが。

ヒロクニさんが良く聴くアルバムでジャケットを覚えたCDがある。
これなんですけど↓

なんかすごく音が乾いていて、乾いた音に哀愁の帯びたメロディがいい感じで、好きだからジャケットを覚えておいたのです。

Son Hooseを聞いて思うには、話は飛躍するのですが、日本にある「侘び寂び」「侘び然び」の感性を私は感じるのです。
東京の個展の時に、建築家の方と話していて、「侘び然びって、日本だけでなく、ヨーロッパにもあると思うのですが・・・」
と言う話をしたら、ヨーロッパに行ったことがあるようで、ちょっと顔を上に向け終わると、「僕もあると思うなぁ」と。
言葉で、侘び然びと言わないだけでね。

時々、日本で「侘び然び」というと、金箔を貼ってそれ風にしている絵等を見かけると、
金箔の茶室を作った動機は、秀吉が、朝顔が好きで千利休の茶室へ行く傍らに咲いていた朝顔を見るのを楽しみにしていたのを、
ある日、茶室へ行く途中、全部切り取られていて、茶室へいくと朝顔が一本飾られていたという有名な話があるのですが、
それに怒りを覚えた秀吉が、簡素な美が本質の茶室に対して、無理やり金箔の貼った茶室を作らせたというのが
本当のところなのですが、勘違いして金箔が「侘び然び」と思われている方がいて、残念な気がします。

日本人こそが、感性として「侘び然び」の本質をもっと学んでいかないと、なくなってしまいそうな気がしてしまいそうです。
だから、私も学び中です。

この日は、一日中ふたりとも「ブルースDay」で、夜の締めは、ヒロクニさんが、
日本のブルースバンド「バンドウエスト・ロード・ブルース・バンド」をかけていました。こちら↓




そんな日のピピちゃんは、朝からゴミ箱をあさっていたようで、ゴミ箱に入れてあるゴミ袋の手の持つ所に首を突っ込んだらしく、
それが体から離れなくなってしまって恐怖で走り回っていました。
ゴミ袋と共にゲージで怯えているのを発見。かなり怖かったらしく、やたら寝ていました。
しかし、ヒロクニさんも小さいゴミ袋を使うなぁ~と、ゴミ箱のサイズに全然あってないものを使うのもよく分かりません。

やたら寝るピピ↓


しかし、大きくなったなぁ~。


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2019年、今年もよろしくお願いします。(色鉛筆作品紹介502)

2019-01-05 08:53:37 | Weblog


一輪の花が描かれています。
色鉛筆でぎっしりと埋め尽くされた作品です。
お正月らしい絵はないのかと、アトリエで作品を点検しつつ、この絵を選びました。

今年の我家のお正月は、ゆっくりと私だけが過ごし、ヒロクニさんは正月から制作です。
ヒロクニさんの正月は、物資が切れないことだけに焦点が当てられ、買い物を重点的におくのが正月。
なんかいまいち、盛り上がらない正月なので、せめてお料理は!!!と張り切っていた私ですが、
何かゆっくりムードに入ってしまった私は、つどつどお料理を作るお正月となりました。
冷蔵庫の中は、一杯だ。
おつまみのような、お酒の肴のようなものばかり作ってちまちまと並べ、ヒロクニさんと晩酌。
昼間、ヒロクニさんから、「ビールを一口飲みよ。」と言われて飲むと、眠気に襲われてしまい寝てしまった。

一日は、着物を着て、お太鼓の帯も結び、何故かローソンでおやつを買ってきてと言われていそいそといくのであった。
家に帰ってきてからは、割烹着を着て、お料理を作る。
黒豆や、煮物、牛肉に醤油をたらし、さっと網で炙ったものは、大根おろしとともに頂くのであった。
複雑なものはなしで、ふろふき大根とかそんなものを。

晦日の日は、まず庭に植わっている「松」と「南天の実」を切り、壷にズボッと入れ、
花の大きいパンジーを添えて正月飾りにした。
効果は満点で、ヒロクニさんから「君も大胆だねぇ~」なんて言われていました。

しかし、正月の2日に、「君は、僕が死んだら、僕のことを書いて本を出版して、食いつないで。」とか言い出す。
正直言って、あまり先の事を先々考えてもしかたがないと思っている私は、聞いているだけで胸がつまりそうである。

ヒロクニさんにこう言った。
「それより、ヒロクニさんが文章書いて残して欲しいのだけど。
 そうしたら、それを私が出版社に持って行って出してもらえるかもしれないでしょ?」
「交友関係とか、知らない部分もあるのだから、私の事を思うんだったら、文章書いて下さい。」と懇願した。

「読書家で、難しいものを読んでいるから、文章に対するハードルが高すぎて、書きにくいのかもしれないが、
変なプライドは捨てて、等身大の文章でいいからさ~。」「文章って身さえ入っていたらいいのだから。」と、私も強引だ。

「形相」という同人誌にヒロクニさんの文章を読んだことがある。

■一部引用(後半部分)当時1人暮らしのころと思われる

タイトルは「サギの山」

 ③カネヤ!スキヤやぬかしても
  このごろは、毎日が見おさめの気分や。
  加古川のジャリたれがいうとった。
  オッサンハよ死ね!やて。ナニ抜かしとんね!
  あホたれオ前らみたいナクソアホガキども
  見とったら胸くそワルイ。
  親のカオがみたいわィ。
  マンションボケのアホズラシヤガッテ。山に来てみイ。
  オ前みたいな奴は、さぎのくそにもならん!いうて
  年がいのない。

  おばん 恋しい
  月あかり
  いちどきてくれ さぎの山
  山は すーすー 風ばかし。


こんな文章を書いていた頃、私はヒロクニさんと出合った。
「この頃、侘しかったのね。」と言ったら、「侘しいなんていうな。孤独だったんだ。」と言い返されてしまいましたわ・・・・。

ヒロクニさんは、正直に思ったことをメチャクチャに書いたらいいと思うのですが?
なんか、赤裸々すぎるところがすごく新鮮で、ユーモアを感じた次第です。



私には、最強の家族が出来た。
「ピピちゃんだ。」
ヒロクニさんのわけわからん話とやっていく生活に潤いを与えてくれる奴だ。


こんな表情を見せてくれるだけで、癒されます。



ゲージから自分で出て、夜お布団の上で横になっています。
それも、パソコンを打っている椅子の横で。
今、私は56歳だから、76歳までは元気でいなくっちゃと思っています。


 
コメント (2)
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