武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

昼の自立(色鉛筆作品紹介747)と「 芋車」のはなし

2023-09-25 17:13:13 | Weblog

左上に文字が書きつけられていて、「昼の自立」とあり。

2008ともあり、その頃に描かれたと思われる。

アトリエのすみの空間に隠れるように貼られていました。

その空間を見つけた時、摩訶不思議な気持ちと同時に、

「可愛らしいな。」と思ってしまいました。

それが、今回の絵を選んだ理由になります。

使われている紙は、木炭紙なので、

ぎゅうぎゅうと色鉛筆を力強く擦り付けていますが、

余分な粉をはじく紙なので、黒板にチョークで描いたような風合い。

普通は、木炭紙に色鉛筆を使うなんて大抵の人は選択しないと思うのですが、

武内は実験派なのでするのです。

強引に仕上げた感がある作品です。

 

「可愛らしいな。」と見た理由には、

この絵を見ると、子供の時の遊戯をしていた感触を思い出し、

その頃の空気や心情がよみがえりました。

年齢は、幼少でしょう。

3~5才ぐらいでしょうか。

トコトコと知らない道を歩き、見知らぬ景色を眺めている時や、

大切な宝物(今から考えるとゴミのような・・)をジッと見ている時や、

必要ない年齢になってから、乳母車に乗ってみた時のような感覚です。

これは、わたしが絵を見た時に感じた感想。

武内の話から起草するのは、「芋車」というもの。

この絵の背景に、武内の幼少の頃の思い出にある「芋車」の存在。

そういうものが下敷きにあるのではないかと。

それってどんな車?と、わたしも武内の話を聞きながら思いました。

それは、叔父が作ってくれたという、

「手押し車のような、ハンドルが付いた四輪者」のことなのです。

車輪がよく回るように、車輪の芯棒の周りに芋を潤滑油のように詰めたものらしく、

坂道を何度も下りると、「芋がはみ出してきて、芋がだんだんダメになる。」と聞きました。

たぶん車輪の芯に通すサイズの合った筒状のものがなかったと思われるが、

頭で輪の部分に芋が詰め込まれた様子が浮かび難く、

芋がはみ出てきたり、ぺしゃんこになって汁が出てくるというから、

今の時代には、考えられない代物だ。

武内が言うには、

「はじめはね、いい感じで、そんなもの作ってはもらえない子供が羨望の眼差しで見ているんだけど

 だんだん石につまずいたり、坂を下っていく途中で芋がはみ出したりしてきたら、

 真直ぐ動かなくなって、大変よ。

 坂を上って車を押して上るのも大変だし、車がボロボロになってきた頃には、

 羨望のまなざしもあったもんじゃない。」と。

叔父はそれに乗る甥っ子の姿が嬉しいらしく「また、芋を詰めなおしておいたからな。ヒロクニ。」と言って、

乗れ乗れと言われていたそうです。

どこにも売っていない力作だったのかもしれない。

その車は、そのうち羨望の眼差しで見ていた子供に貸してあげたそうで、

だんだん汚れがましていくうちに、ある日壊れたと。

武内の一家は、新し物好きだったようで、徳之島の家では蓄音機があったらしい。

子供の車も、当時としては珍しかったのかもしれません。

前衛だったりして。

その車は、木製だったと思うと、かなりの力作。

そういう幼少の思い出話を聞いているので、この四輪の乗り物みたいな形が出てくると、

「芋車」の話をわたしは思い返し、

この絵から見て取れる人の顔の表情から、幼少の体験を思い浮かべたのです。

子供の頃の独特の甘い時間って、大人になるとなくなります。

思い返すことは出来るので、今その時間を思い起こしてみると、

その時間は現実にあったけれど、現実から離れた異空間のような感じがします。。

心のある場所が違うという感覚。

 

 

朝夕が涼しくなり、秋を感じる日々。

先ほどの文章と打って変わり、現実感ありの日常。

ものを壊すのは天才!と思われるヒロクニさん。

やはり、いろいろやってくれます。

壊した場所は、トイレのノブ。

ヒロクニ&サホリ劇場へようこそな内容よ。

食事が終わって、トイレに行くとトイレのノブが動かない。

「えっ!」と思って、動かしてみるがどこかで止まっているような音をたて、

トイレの扉が開かないのです。

そうしていると、「トイレの扉開かなくなっているんだよ。」とヒロクニさん。

「な、なんで?急に開かなくなったの?何にもしないのに?」と言うと、

「2階のトイレを使うしかないね。」という返事。

壊れているのをわたしにすぐ報告しなくて、

すぐ2階のトイレを使う提案をするのは何かおかしい・・・。」と思ったわたしは、

「トイレの鍵を触っていたりしたの?」と聞く。

静かな声で、「触っていた。」とポツリ。

言葉数の多い夫が、口数が少ない。

してはいけないことをしていたような気配。

「まさかと思うけど、中から鍵をさわっていたんじゃないでしょうねぇ~。」という声のトーンが低くなっていく。

また「触った。」とポツリ。

「じゃあ、中の鍵がかかってしまったというわけ。

 中の鍵は、中からしか鍵がかからないようになっているのに、

 外から中の鍵を締めてしまったのォ~!」と、語尾のトーンだけが上った。

「君、ヒステリーな声を上げるんじゃない。

 すっとんきょうな声を出して、君って怖い人だねぇ。」と。

声を上げてしまったのを注意されて、「何でこれが怖いの?驚いているだけなのに。」と思ったので、

「怖くはありませんよ。あなたの錯覚よ。吃驚しただけです。」と言う。

しかし、引越し中、何度も言いそうになった言葉があり、

その度に飲み込み我慢してきた言葉が口をついて出てきた。

「あなたって、碌な事しないわね。」という奴。

この一言を言うと、息せき切ったように言葉が流れるように口から出て、

「しかし、普通は中からしかかけれない鍵を、外からかけてしまうなんて・・・、

 しようと思っても出来ないことを楽々するなんて・・・、

 バターを使いやすいように出しておくと、冷蔵庫に入れてくれるし、

 料理していると、洗い物を横でして、泡を飛ばしてくれるし、

 ほんと、碌でもないことするの天才ね。」と言う。

すると、「他に私がどんなことをしたというのだ。もっと言ってみろ。」と言われる。

言い始めると、「君って、怖い性格だねぇ。じゃあ、どうするっていうの。」と。

わたしは返答として、「どうするって?わたし離婚しませ~ん。それも意味ないもん。」と言い、

2階に上った。

そして、鍵の構造を思い浮かべ、ネジ穴を確認してから寝た。

 

朝が来て、2階のトイレに行ってから、プラスのドライバーを取り出し、

ネジを緩めると、ノブがはずれ、抜くことが出来た。

抜くとカチャという音がした。

すると、かかっていた鍵がはずれ、直った。

直った瞬間、ヒロクニさんの顔を見ながら、「直ったわ。」と言うと、

「やっぱり、さほりは凄いな。」と。

別に凄くない!と思いながら、

「あなたは物の構造とか考えたことがあるの?

 いつも口ばかり動かして。

 絵ばかり描いていないで、身体も動かしなさい。

 歩きなさい!わかった?

 身体は動かさないと動かなくなるのよ。

 そうしたら、絵もかけなくなるよ。」と、偉そうにいうわたし。

手柄をたてたので、ひれ伏し加減のヒロクニさんになっている時に、すかさず注意をします。

私って、嫌味な性格かも。

 

買い物に行き、ちょっと下っておりてみると、

都会な風景が現れてきました。

↑買い物に行く場所は、庶民的な場所なのですが、

まっすぐ下りて海側へ行くと大道りに出た。

信号を待っている時に、写真を撮りました。

キャリーバックを引きながら、この景色を眺めていました。

暗くなっていく中、夕日がビルの窓に当たっています。

もう一枚も同じ場所から。↓

わたしの中では、新しい景色。

いつも都市の近効に住むことが多かったので、

お出かけでないのにこういう風景を目にするのは初めて。

都会も好きかもしれないと思いました。

 

今日は、ヒロクニさんの思い出の「芋車」のことを詳しく書いてみました。

昭和1930年代(昭和10年代)の頃のはなしになると思います。

日常では、ヒロクニさんは口はよく動く人で、話している間に出来ることが一杯あるだろ?

とよく思うのです。

相変わらずの言い争いを今日も書いてしまいました。

こんな文章を、最後までお読み頂いた方ほんとうにありがとうございます。

芋の説明が抜けていました。

芋は、さつまいもを使ってとのことk。

 

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骸骨現る(色鉛筆作品・紹介746)と バテている時の料理やり方

2023-09-17 16:39:54 | Weblog

この絵は、昨日出来上がったばかりの絵で、階段を上った所の壁に貼られていました。

45cm×42cmの作品なので、

スキャナーで画像を取り込むのは無理なので、

写真を撮ったのですが、ややぼやけてしまい見苦しいのですが、

何度取り直しても、このように写ってしまい、その点ご容赦下さい。

“はじける骸骨“というか、“はしゃぐ骸骨”というか、

にぎやかな音楽で踊っているような感じすらします。

絵とは裏腹に、この絵を描いている時は、ムゥ~とした表情で椅子に座りながら、

絵に顔を近づけ、腹ばいに近い姿勢で絵を描いていました。

新居では、わたしは2階にいることが多く、

1階は、アトリエ(仕事場)兼台所なので、台所に用があるときに下りるわけです。

引き戸を開けて入る時、いつもチラッと顔を上げてわたしを見るのですが、

その表情が、この絵を描いている時は、非常に険しかった。

出来上がった絵を見て、「骸骨のダンス」でウキウキという妄想をしていましたが、

描いている時の苦悩の表情を思い出すと、

やっぱり見るより、描く方の大変さというのはあるなと思った次第です。

武内の眉間の皺の深さは、制作にありそうです。

この絵を描いている時に、聴いていたCDもさもありなんなので、

紹介します。

Banco De Gaia といいます。

このアルバムは、大阪心斎橋にある雑貨屋で買ったそうで、

購入してから26年の月日が流れています。

武内が言うには、いわゆるバンドではなくて、1人ですべての演奏をしていると。

「1人だから、この方すごく忙しいと思うよ。」と笑いながら説明してくれました。

この絵を見ると、「険しい表情」「Banco De Gaiaのメロディー」「腹ばい」がセットで思いだされます。

 

このところ、「しかし、まだ暑いなぁ~。」が口癖。

1階に行っては、ヒロクニさんに言い、

2階の部屋では、ピーちゃんを捕まえ、膝に仰向けにドスンと乗せて、

「ピーちゃん、毛だらけだけど厚くないの?」話かける。

何かを考えることもなく、脳みそは真っ白な状態で、

「今日は、夕食何にしよう?」と日々過ごしていました。

買い物に行っても、特に何にしようということも思いつかないので、

メインの魚か、お肉をカゴに入れ、とりあえず葉物とトマトを買う。

出来合いの惣菜も見るが、いま1つピンとこなくて、帰途に着く。

ようするに、だらだらムードなんです。

そこで、夕食の料理は、いつもより早い時間から作ることにして急ぐことがないようにしました。

作りやすいものから作ることに。

まず、お味噌汁。

まず、昆布と鰹節で出汁をとり、ある野菜を具にします。

そして、丹波の味噌、秋田の赤だしの味噌、九州の麦味噌にするかを選びます。

時々、合わせにも。

次に、メイン意外の添えるものを。

これは、きゅうりの酢の物、きゅうりのもろみ添え、トマトだったりする。

切っただけで一品というもの。

まだ、寂しいかな?と思うと、糸こんにゃくを油で炒め、そこに鰹節を入れ醤油で炒りつける醤油味のもを足します。

最後に、やっとメインに。

ひき肉があるから、ハンバーグがいいか?と思ったが、

冷蔵庫の中のたまねぎを思い出し、メンチカツがいいと思いつき、

玉ねぎをみじん切りにしたものを炒め、ひき肉に卵1/2、ハンバーグ用の調味料(市販のもの)、

牛乳大さじ1、パン粉大さじ2を入れ、こねる。

少々柔らか目のミンチは、とき卵をつけてパン粉をつけるのが難儀だったのですが、

なんとかフライにしました。

簡単なものから作っていくと、気が楽な感じでした。

玉ねぎをたっぷりなメンチカツは、甘めで意外に美味しくできました。

6つ出来たのですが、ヒロクニさんは4つ食べたのです。

ハンバーグ用の調味料、ハウスかS&Bのものだと思いますが、

味付けがめんどうな時には、便利なんだと思いました。

また、ダラダラしている時も流れを作って、適当精神を全開すれば、なるようになるのだと思った次第。

本当に、バテていて頭が真空状態なんです。

しかし、人は腹が減る。

とにかく食べておけば、なんとかなるわよ!ということで、

お料理しています。

今日も暑い!

 

 

ピートバンというものにビオラの種を蒔きました。

寒くなる前にと思い、やっと蒔きました。

新居では、外にいい感じの日の当らない場所というのがないので、

このピートバンという湿り易い土の板に種を蒔き、パソコンのプリンターの上に置いています。

やっと5日ぐらい経ち、数個が根を出しています。

この板を乾燥させると、たぶん根が干からびると思うので、

朝と夜に水分を足しています。

この家で、うまくビオラは咲いてくれるのか?

今から、ハラハラしています。

 

今日は、だらだらモードな日々の告白。

気合が入っていない時って、なんかかっこ悪い感じ。

そういう時、主婦は料理が嫌になります。

そんな時、切っただけのトマトでも、ドレッシング(市販の)を加えていつもと違う工夫で乗り切りました。

次の活力の備えとして、時にだらだらも必要な時があります。

そう思って、今を過ごしています。

暑いといっても、秋も感じる今日この頃。

虫の鳴き声が聞こえるように。

今日は、現状の羅列になったような。

最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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風(色鉛筆作品紹介745)と 庭の花を思い出して

2023-09-09 15:52:36 | Weblog

右下の端に「風」という文字が目に入ってきた。

この「風」という文字の雰囲気から、“風雲”というイメージが湧き、

それから描かれている花を見た。

中央に大きく描かれた絵は、ブルン、ブルンと激しくゆれているように思いました。

左上の謎めいた渦巻きも、その雰囲気を高めています。

飴みたいでは、ありますが・・・。

意外なことに、自然の驚異も感じ、

苦難にあっている花の気持ちを考えてしまいました。

それがエスカレートすると、

武内と結婚したことによって起こる苦難のことを思い、

この花が自分のように思えてきたり。

この絵を前にして、感情移入をして長い夫婦生活を振り返ってみた。

 

武内がもたらす苦悩、困難というのもあるが、

そこから意外な能力が開発されて、自分でも驚いたことがある。

わたしは大体は、人の言う事を聞いて仕事をするタイプだと思っていたのが、

ひょうんなことから、子供の造形教室をして先生を雇って采配を振るう立場になったこと。

考えられないことでした。

武内から無理難題を言われる度に、沸点が低くなって、

感情を抑えることが減ったこと。

(これっていいことなのか?という疑問も残りますが・・・)

職場でも意見の大人しいわたしが、

「おかしいでしょ?」と思うことには、時として面と向かっていうようになった。

報復として、冷蔵庫に入れてあった休憩時に食べるサンドウィッチが、

踏みつけてゴミ箱に入っていたことがありましたが。

それを見て、「酷い。」と涙するのではなく、

「それで、気が済んだか!」と、鼻息荒く思ったりして、

「気が済んだのであればいい。」と思うと、少し笑い話のような気がしたのでした。

新しい性格というか、捉え方が変わっていたのです。

時代によって起こる事、画家の場合は不況というのは買い控えがすぐ起るものなので、

頭が痛いのだが、先のことを思い詰めない為に、

「騙し騙し生きるのよ。」と気持ちの持ち方にバリエーションを加えた。

この頃は、悪夢の政権「民主党政権」の時で、

TVで、うつ病で入院している人を取り上げていて、患者が「頑張らないと。」と言うのを聞いて、

「もうちょっと、休みなさい!まだ、よ~。」とTVに向かって言い放つわたしがいた。

大体、TVに向かって叫ぶという行為が今までにない行為で、

自分の中でモヤモヤと思いをくすぶらせるのが以前のわたし。

こうやって、タフになった一面があり、わたしにとってはいい事のように思われます。

災難というものでは、阪神大震災がありましたが、

やはり1人ではなく、2人だから、思いを共有しながらやってこれたように思います。

武内は、しみじみと「俺達もいろいろ越えてきたねぇ。」

    「こんな困難な時代が来るとは思ってもみなかったけど、一緒になっといて良かったねぇ。」と言う。

わたしは、「確かにそうよねぇ。」と言いながら、うなずく。

しかし、その中で余分なものもある。

「余計な苦労を加えているのは誰?」と付け加えておこう。

やっぱり一言多いわたし。

 

この絵を見ると、薄く2016と記されていて、赤色で2017と書き込まれています。

一旦、2016年に仕上げ、2017年にさらに手を入れ仕上げた作品のようです。

花を中心に描かれているので、

以前の家で花を育てている頃の絵だと思い、その頃の庭の写真を見ていました。

2016年の春は、

↑はじめてアリウムを植え、咲いた春でした。

白い花はノースポールで、あとはビオラ。

ピンクの花は思い出せない。

アリウムの大きい球根は、深く穴を掘って植えたのが思い出されます。

2017年の春は、

↑チューリップとビオラ。自生する花ニラと。

今こうやって見ると、非常に熱心に取り組んでいたと感心します。

新居では、ルピナスはすぐ枯らし、今は何も植えていません。

ビオラの種もまだ蒔かず。

綺麗に花が咲いている家も見かけない。

その上、近所の花屋では、花苗は売ってなくて皆無なのです。

宝塚市では、あちらこちらに花苗が売っていて、

皆盛んにやっているから、自然と苗を分けて貰ったり、あげたりしていました。

広い庭って凄いことだったのだと痛感します。

それと、ヒロクニさんの絵になんらかの影響を与えていたのかもしれないと思うと、

面白い。

これからは、どうなるのか?

路地の絵が増えるのか?楽しみにしています。

 

やっと、暑さがましになり散歩が出来るようになりました。

夕方、坂道を登って散歩に行きました。

坂道を上りきると、バス道に出た。

そして、禅寺を見つけ、小さな珈琲店も見つけました。

「今度、行って見よう。」と、いうことになっています。

散歩の時に空の写真を撮りました。

↑もっと明るい感じだったと思うのですが、

写真では暗めに写りました。

↑雲が速い速度で流れている日でした。

写真を撮っているわたしのことはお構いなしに歩いていくので、

やや焦り気味に写したので、この2枚だけになります。

↑中央右部分の雲のアップ。

夕焼けって、ピンクとオレンジが混ざり合っているのですね。

ヒロクニさんの描く、夕焼けの絵を思い浮かべてしまいました。

「雲を見ていると飽きない。」という人がいますが、この日は、その言葉がぴったりきます。

 

花の絵を見て、自分を投影するとは思ってもみませんでした。

花が風に振り回されているように思ったのでしょう。

花とは違い、人は考えるということをします。

だから、一筋縄ではいかない存在。

自分の事をそう思います。

花は、純粋に美しく、人に癒しを与えてくれます。

そういう存在が地球上にあるということが、不思議です。

こういう思考をはじめると、すべてが不思議につながっていきます。

今日は、自己憐憫の感情から、いやそうでもないか・・・?ということになりました。

ある種の肯定もしているということです。

しかし、武内ヒロクニは手強い。

あなたの手強い相手というのはいますでしょうか?

そんなことを思いながら。

今日も最後までお読み下さったかた、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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プリミティーブな頭部(色鉛筆作品紹介744)と 輪廻転生を妄想す。

2023-09-02 16:57:06 | Weblog

色が重なっているようで、重なっていない。

積み木のような頭部の絵。

古代遺跡の“モアイ像”のような。

武内のプリミティーブな感性が見られます。

古代と言っても古代ギリシャやヨーロッパのではなく、

南米やアジア、古代のインディアンに通じるスタイル。

当人は、ヨーロッパが好きなのに、

友人から、「インドネシア行ったら、武内さんみたいなんの何ぼでもおるで。」と言われたと。

「俺、そういわれてガックリよ。」と肩を落としながら話していました。

「所詮は、島民なんよ。」

という事に落ち着き、徳之島のことを思っていたようです。

話を戻します。

わたしは生まれ変わり、輪廻再生はあると思っているので、

「もしかしたら、前世でも絵を描いていたのと違う?

 土器に絵付けをしていたり、レリーフを作っていたり、

 古代の時代に大きな像を作る現場のアートディレクターだったりして。」と言うと、

「そういうことはあるかもしれない。」と、うなずいていました。

ちょっと否定して欲しかった。

野蛮な武内像を想像すると、あまりにも似合いすぎる。

普段でも文明の利器を壊すのが上手な人で、

家にあるCDラジカセのボタンを強く押しすぎて、

ボタンがめり込み奥に引っ込んでしまったことがある。

かなり激しくめり込んでいて、客人がそれを見て「信じられない。怖いな。」と。

使わない家電は、すぐに外の庭に出すし・・・。

わたしはその様子を見つけては、

「雨に濡れたら使えなくなるでしょ。」と言いながら、

家電を家の中に戻すのがわたしの役割。

ヨーロッパに憧れがあるというが、この調子なんです。

 

ただ、ヨーロッパ、フランスによく行かれる画家の方が言うには、

「武内さんは、フランスで受け入れられると思うよ。

 フランス人こういうの好きよ。」と言い、

「フランスで個展をしたらいいのに。」と言ってくれる。

フランスには全く行った事がなく、美術事情も知らないので、

よく分らなくて頭がフワフワしていました。

その方が言うには、パリはもうフランス語が話せなくても何とかなるそうで、

ラーメン屋とかがあって、フランス人も食べているよ、と。

それはそれで、憧れのパリではないような・・・。 

耳学問の深層はいかに?

 

 

まだまだ暑さは続くらしいが、

やっと朝が爽やかで、これが夏の感覚というぐらいの気温。

普通の夏の感じを味わっています。

そうなると、身体が緩み、疲れがでるのか、横になったとたん寝入っていました。

疲れが出る時は、身体がしんどくもあり嫌なのですが、

疲れを出してニュートラルな状態になる過程と思い、休みがちに過ごします。

寝ていたら、顔をペチペチ叩く奴がいて起されました。

「夜寝れなくなるよ。」という声が聞こえ、

横にヒロクニさんが・・・・。

もう少し寝たかったな、と思いながら起き上がった。

もう1人、いや一匹も顔をちょんちょんと触り、起す奴がいる。

猫のピーちゃんだ。

カリカリが空になっていると、夜でも起してくれます。

2人ともわたしを召使のように思っている。

それでいて、とてもわたしのことを好いてくれている。

起す時の顔が、嬉しそうだ。ニコニコしている。

ピーの場合は、喉が鳴っている。

ゴロゴロの嵐。

時々、ヒロクニさんもピーも同じようなものなのかも?という思いが過ぎります。

そういう思いが強くなると、

ヒロクニさんにふざけて「こっちへ来てごらん。」と言う。

そうしたら、来るのだ。

わたしはよくやっている「ピーちゃんにスリスリ」というのを、

ヒロクニさんの頭を持ちながらする。

「ヒロクニちゃん、お髭痛すぎ。」と言いながら。

「俺もピーも同じか?」とヒロクニさんは言いながら、苦笑しています。

「そう、よく似てるよ。」と言い、間をあけてから、

「ピーは可愛いけど、髭の人はどうかなぁ~。」と疑問にしておくのであった。

(猫の方が可愛いに決まっている)

 

近頃、頭が働かなくて困ったことに。

ちょっとボーとしています。

4月ぐらいから家を探し始め、5月は家を見に行き、

6月には引っ越しし、7月は移転に伴う各種手続きをして、

8月は暑さの中、日常の買い物の店めぐり、

9月に入り、猛暑が去り(去ったように思っている)、

今一息入れているという状態。

9月は、家も居場所ですが、

自分の密やかな居場所、喫茶店を見つけようと思っています。

都会なので、地下や路地の間、隣の筋といろいろな店があります。

外から今眺めているだけなので、冒険めいた気持ちで扉を開けて行ってみようと思っています。

暑いけれど、気持ちは秋。

思索できるような所を探しています。

 

今日は特に、子供っぽい気分が突出してしまい、

幼稚園の作文のような内容になってしまいました。

見かけは確実に歳を取ってきているのに、この調子。

そんな文章を最後まで読んで下さった方、心よりお礼申し上げます。

 

最後に。

   わたしは輪廻転生はあると思っていると書きましたが、

   この8歳の少女は、前世でジャズの歌姫の生まれ変わりかもしれないと密かに思っています。

   3歳の頃からジャズが好きで、童謡なんて嫌いだったそう。

   今現在は、若い歌姫として活躍中。

   子供で「暗い日曜日」を歌う姿も見て、歌声からすでにもうそなわっていると思ったのです。

   前世は黒人で、今世では白人のジャズの歌姫となった等と、勝手な考えを持っています。

   成長が楽しみだなぁと。

 

 

 

 

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