水色の四角い顔に青色の胴体の人物らしき人が、ほぼ同じ形に描かれ、
こちらに向かって笑っています。
この奇妙な統一感から受ける印象が、シュールだ。
絵自体は、ブルーとピンクの対比が美しく、
花のある道を歩いているようで、楽しい雰囲気がある。
「ああ、いい天気でなんていい日だろう。」と同じ形の人物は言っているとまで、想像した。
そして、いつものように“髪の毛がカールした女の子”も登場している。
武内の絵に登場する人物は、いつも男性と女性の組み合わせか、女性達。
男の人物ばかりを描いた絵は、見たことない。
こういうの不思議だな、と思います。
この絵の見方に、別なものがあります。
見ていて、思ったことなのですが、
パズルのように色面が組み合わさっているにも関わらず、
遠くから見ると不思議な奥行きが感じられること。
その奥行きの見え方は、描かれた顔を無視(遠くから見ると顔が見えなくなる)し、
色面だけを感じると、下の色の固まりが前景になり、中間に川が見え、川向こうにビルがあるように見える。
川は、下の四角い水色の顔の部分が、ビルの間から見える川に思えるのです。
↑この大きさで見ると分かり易いだろうか?
そうなると、街を内包している?
もしくは、街の絵のスタイルでこの絵を描いていたんだとも思い、
それで街の絵のような印象を受けたのだと思いました。
後半の絵の見方は、武内の絵を見すぎているせいで、
アクロバットな解釈になっているような気もして、
「そんなふうに見えない!」と言われそうだ。
もう、毎日、絵を持ってきて、「この絵はどう?」と言われているのです。
(時々、辛い・・・)
みそ汁が美味しい。
「なんて、みそ汁って美味しいのだろう。」と毎回の夕食の時に思う。
風邪で身体が弱っていたせいか、「みそ汁が身体に染みる~。」というところ。
最近、味噌の材料が「大豆、米、麹、塩」のみの味噌を選んで購入。
早く発酵させるため酒精、アルコール。砂糖、アミノ酸などが使われていないものを選びました。
昆布と鰹節で出汁をとって、みそ汁を作ります。
ヒロク二さんまで、「今日のみそ汁、美味しい。」と言った。
美味しいという声を聞くと、
「そうか~、シンプルな材料で作られているものが美味しいんだな!」と手のひらを打った。
それで、今や味噌が冷蔵庫に四種類並んでいます。
新潟の味噌(白)、仙台の味噌(合わせ)、秋田の味噌(赤)、信州味噌。
これらの味噌をそのままで、又この味噌を調合したりして、好きな配分で作ったり。
そんなことをしていると、下級武士達が、「汁講」なるものをしていたのもうなずける。
その頃だと、手前味噌で特徴があっただろうし、楽しみだっただろうなと思い、
その情景を浮かべていたのでした。
わたしは、セコガ二をぶつ切りにして、蟹のみそ汁も作ってみたりと、みそ汁作りに余念がない。
ヒロク二さんは、梅干もよく食べる。
昔からある日本の伝統食で、健康を維持してます。
散歩も日課になっているので、みそ汁と併せて年齢の壁をこれで乗り切りたい。
散歩の途中に、また実の生っている木を見つけました。
(先回は、桑の実。)
↑調べるとこれは、「ヤマモモ」だと言うのが分かりました。
↑だんだん実が熟していく過程なのでしょう。
赤くなり始める前は、葉と同じ濃い緑色でした。
苔の塊が付いているような感じで、「何だろう?」と思いながら通り過ぎていたのです。
写真に撮ってから、
ヒロク二さんに「何でも口にいれるんじゃない。」と注意されているにも関わらず、
一粒、赤い色のものを食べてみました。
酸っぱいのですが、すももの香りがして甘みがありました。
この味は、食べたことのある味で、子供の頃は売っていたのを思いだす。
そして、懐かしい時間を思いました。
そこには、祖母がいたな、と。
“お婆ちゃん”というのは、子供にとって偉大だった。
子供に寄り添る具合が本当にいい。
安心感のような存在で、一緒に住んでいて良かったとよく思う。
今や、だんだんお婆さんになっていくだろう私は、どんな婆さんになるのか?
想像すると怖い・・・。
心の狭いお婆さんで、何かとケチをつけるようなお婆さんには、なりませんように祈るばかりだ。
現実の我家のお爺さんは、老体に鞭打ちながら、人間も丸くならず絵を描いています。
散歩道の途中に、ミラーがあって、
「あなた、ここに来て。」と呼び、2人がミラーに写っているのをヒロク二さんと一緒に見ます。
そこには、若作りのものを着ていても、高齢者夫婦が並んでいます。
(ヒロク二さんが、高齢度を上げる)
そして、「老夫婦が、写っているよ。」と言うと、
「そんなことない!」って、否定されます。
「ありのままで、いいのよ。受け入れろ!」て、言ってやりたくなりますが、
黙っています。
今日は、とりとめのない日常の一コマ。
年齢のことばかり、書いてしまったようでお恥ずかしい。
改めて、今日もブログを読んで下さった方、ありがとうございます。
今日は、賑わいのある市場へこれから出かけます。
東山商店街という所。
物価高だから、安いと言われている市場へ探索。
気に入りの店が見つかるといいな、と思いながら。
この作品、とても好き!と思いました。彩りが最高に私の好きなツボです。ピンクはもちろんですが、この青たちがたまりません。そして幾何学模様的な人たちも、内なる自分が「とても好き」と感じました。
奥行きの見方、その発想はなく、こういう見方もあるのかと「なるほど」と新鮮に思いました。「この絵はどう?」は、両者の気持ちを想像してみると複雑な心境です……。
味噌を調合しているなんて! 美味しいとはわかっていても、手間を考えるとなかなかできません。みそ汁は、年齢的に無敵なときの二日酔いの朝によく食していました。深夜(明け方?)まで飲み歩き、帰宅して仮眠の後に目覚めのみそ汁を飲みほし出社という、若さのなせる行動(笑)
ちょっぴり自己弁護として、インスタントではなく、味噌とかつお節と乾燥ワカメをお椀に入れてお湯をそそいだものでした。あのときのみそ汁は、「五臓六腑にしみわたる」を実感しました。
ヤマモモは、幼少の頃に少しだけ食べた記憶があります。「少しだけ」は、周囲にほとんど生えていなかった希少果実だったので。小学生の私たちは、希少なヤマモモを見つけるとみんなでわけあって少しずつ食べました。あまり甘くないけれど酸っぱすぎもなく、やさしい味だった記憶があります。
ヤマモモとはまったく違いますが、私が子供の頃、庭に「
ムカゴ」が草のツルに映えていてそれを採ってみそ汁の具にしてもらっていました。今考えると、ムカゴは山芋類の芽なので、頑張って掘れば山芋か長芋が収穫できたのかも、とちょっと残念に思います。
先週は免許の更新がありました。写真をきれい撮りたいと思い、頑張ってお化粧をしましたが、撮影の角度が大失敗でとても間抜けな表情になってしまいました。とはいえ、肌のベースはうまくいったようで、今まで一番色白になりました。
でも、自分の顔が(撮影の角度が大失敗とはいえ)ひどすぎたので、「これが今の本当の自分なのだ」と3日ぐらいかけて納得しました。
この作品の色合いは、ヒロク二さんらしい。それを好きと言って貰えて嬉しい限り。奥行きの見方は、私が絵を離して見る癖があって、半妄想的に見たわけなので、行き過ぎかもしれません。「この絵はどう?」と言われると、時々見た途端、脳が固まる絵が出てくる時、難しいのですよ。苦悩・・・。両者の関係を想像していただき、ありがとう。自分側のことしか、考えていませんでした。
若い時の二日酔いの朝は、私はトマトジュースか、ポカリスエットでした。(いまから考えると、怖いわ・・。)みそ汁を作ったともりんは、偉い。私がみそ汁に目覚めたのは、ヒロク二さんと暮らすようになってから。それも50代ぐらいから。今日もみそ汁は、作るでしょう。(笑)
ヤマモモが生っているのを見たのは、初めてでした。ともりんが幼少の頃の環境は、自然が一杯だったのでしょうか?今までの話から、思いました。こちら(神戸)に住み始めてから、初めて見る植物に遭遇します。それをいつも小学生の時に親しんでいるようなので。むかごは宝塚の家の庭で自生したものが伸びてきて、蔓にむかごを付けていました。私も、それを取って、むかごご飯や、ゴマ油で炒ってそれに塩味をつけて、つまみにしていました。みそ汁に入れるのは思いつきませんでした。見た目が、あまりよくないのがあれですけど、栄養価は高いだろうな、と思っていました。ヤマモモや桑の実、むかごの味を知っているという共通項が、なんだか愉快だわ!
私はもう劣化が激しくて・・・。61歳を過ぎてから写真も怖い。目の下のクマが、凄いの。たるみで影が出来ているから、化粧しても無駄という・・。納得するためにも、ヒロク二さんと一緒にか鏡を見るわけです。脳内では、自分の姿をいい感じに想像しているようで、「そうか・・。」と、現実を知るようにしています。以前着ていた洋服も似合わなくなっているし、模索中。新しい好きな感じを見つけたいという感じでしょうか?似合わなくなったワンピースは、切ってトップスにしたりとリフォームしたりしています。ともりんのように写真を写す時は、ベースメイクをしっかりしようと思いました。役所で取ったマイナンバーカードの写真も怖いのですよ。いろいろ工夫が必要ですね。トホホ・・。
それでも、元気に生きよう!
ともりんとのやりとり。楽しい。
今日は、返信で心情吐露的なことも書いてしまいました。老いのこと・・。友でいて下さいね。(コメントは無理せずに)今日も、ありがとう!