武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

散歩(色鉛筆・作品紹介682)と 一番を目指すについて

2022-07-30 15:06:41 | Weblog

散歩をしていると・・・。

こんな気持ちになっているのか、武内は。

これは、心象風景と言えるかもしれない。

ところが、タイトルは「ヒロク二主義」。

わたしが訳すとしたら、「俺の主義」。

日常に主義がたくさんあり、わけが分らないのもある。

妻からすると、苦々しく思うことも。

最大の難問、「俺は布団で寝ないのだ。」だ。

また、「俺は腹一杯は食べないんだ。」

「私は、裸になるのに抵抗感が薄いほうなんよ。」

「身体から、固いものがなくなって欲しいと思っていてね。」と言う。(歯医者に行かない。)

「固いものって・・・・。」とあきれたわたしは、

「それじゃあ、爪もいらないのじゃないの?今、ペンチで剥がしてあげる。」と言えば、

「君って、怖い女だねぇ。」と言われた。

「本当は、歯医者が怖いのと違うの?」と、健康に関わるものなので、こだわりました。

箸にも好みがあり、普通の男性用の箸を使っていたのですが、

「こんな細い箸は、男が使うものじゃない。」と言ったかと思うと、

つかみにくい土産用の菜箸のような箸を急に取り出されたこともある。

「寝巻きはきない。」

病院でも、身体から、ドレーンをつけながら、Tシャツと短パン姿。または、長ズボン。

もしくは、濃いブルーのバスローブ姿。

最近やっと、「ここでは死ねん。手足を伸ばして寝ることも出来ないのか。」言うが、

「誰も、押入れで寝ろとかいいませんよ。自分でそうしてるのじゃない?」とやり返しておいた。

快適に寝るのは、疲労回復にいいと思うのですが、こうなんです。

岡本太郎氏の彫刻に「座ることを拒否する椅子」があり、

ここちよく座れない。つまり、座るということにも戦いが必要な椅子がありましたが、

それと似た感じなのか?

「枕すら、俺はない。」と文句を言われた時、

わたしは自分だけテンピュールの枕で寝て、夫には座布団を折って渡していたのに気がつき、

「確かに・・。」と思ったことも思い出しました。

もう、夫の寝具に興味が無くなっていたみたい。

 

話を真面目な方に戻します。

絵画制作の中で、「俺が一番」を目指していること。

(実際には、そうでないのか、そうなのかは置いておいて。)

誰々の二番手ではなく、この部分では一番だと。

色鉛筆の使い方も、やはり独特。

色鉛筆画も多くありますが、絵も個性的でこういう絵はない。

また、絵画における精神性のことも目標にしている。

それが、個性的な表現に結びついていると思う。

時々、形而上学的に思える作品があるのも、そういう理由がある。

哲学的に、形而上学というのは、アリストテレスの言うところの、

あらゆる存在者を存在者たらしめている根拠を探求する学問ということらしい。

武内の絵に垣間見えるのは、

現象的世界を超越した本体的なものや、絶対的な存在者を、

自分を通して知的直感によってとらえようとしているのかもしれない。

静かに過ごしている時は、

「私は勉強が好きなんよ。ただ、勉強が好きだ。」と、わたしに語りかける。

この言葉を言う時は、ちょっと切ない顔をする。

「少年よ大志を抱け!」この言葉が好きだというヒロク二さん。

この言葉を残したアメリカ人の事まで、解説してくれた。

わたしは、この際、こうなったら、

「少年じゃなくても、大志を抱ける人は抱くのだ!」と、思い直しました。

「一番を目標に上げる」というのは、なるかならないかより重要なことだと、

武内を通して思います。

二番になるのもいいのだけれど、二番を目指して二番になるのではなく、

一番を目指して、二番になるほうがいい。

まあ、二番を目指すということは、二番にもなれないと思います。

「俺は、もう一番なんよ。」とわたしに向かっていう時があって、

芸術家は皆、こうなんだろう・・、と思います。

初めて言われた時は、そんなこと考えたこともなく、「自信過剰」と思いましたが、

今は「そうだね。」と相槌を打っています。

その方が、やる気がでるみたい。

不満ばかり言って生活態度がなってない!と思う時は、

「どうして、そう思えるの?」とつれない態度のわたし。

「えっ。」って顔で、アトリエにすっこむ。

そういう時は、バレたかという顔しているのが笑えるけど。

時々、脅かして、気を引き締めてもらいます。

 

 

今日の作品は、色鉛筆のみ使用。

左にある、赤いビスケットみたいな形と、全体を占める水色が懐かしい色に感じ、涼しげ。

しかし、この絵が「ヒロク二主義」というのは、どういうことだろう。

当人に聞きたいけれど、話が難しいく長いのを想像すると、怯んでしまうのです。

話を聞いている内に、気が遠くなりそうで。

当人の行動は「ヒロク二主義」そのものなのですが、

この絵は、どういう主義を表しているのか分りません。

 

 

こういう人と住んでいるにも関わらず、マイペースで暮らすピピちゃん(猫)。

猫は、賢い。

静かに寝たい時は、アトリエの机の下で寝ています。

急に出てきて、わたしの部屋でも、また寝ます。

その時の写真。

↑ポッテ、コロンというふうに横になる時もあれば、

歩きながら、急にドッテって倒れるように寝る時もある。

この寝顔を見ながら、大きくなったなぁとつくづく思う。

胴体に比べて、顔が小さく見え、太ったのだとも。

サビ猫なのですが、すごく毛触りが良くって、こういう猫も初めて。

↑すっかり寝入っていて、毛を乱してあげたのだけどされるがまま。

猫も暑いとよく寝るのか。

「祭」と書いた提灯の飾りがついた首輪を買い、今の季節にいいかもと思いました。

京都の祇園祭もやっと行なわれたようで、様子を見て驚きました。

祇園祭は、あの音がいいなぁ~といつも思います。

京都に下宿していた経験から、京都の夏の暑さを思うと行く気はおこりません。

アスファルトから陽炎が見えて、アスフェルトに描かれている白い線が踏んだら、

グニュッとなる感じになる日があったことを思えば・・。

それでも、学生の頃は自転車で京都の街を自在に走り回っていた記憶が。

碁盤の目のように道がなっていて、街中はどこも平坦なので、どこまでも自転車で行ける京都の街。

この猛暑、京都はどうなっているのか?と思う。

このピーの首輪の提灯を見ると、夏だなと思い、まだ始まったばかりと思うと怖い。

もう、バテそうで。

猫はいいよね。することが溜まらなくって。

 

朝顔が咲きました。

↑朝、涼しい頃、朝顔をみると清々しい。

唯一、涼しげで爽やかな瞬間。

ヒロク二さんもそう思うみたいで、アトリエから呼ばれると、

開けた窓から、朝顔の姿が現れる。

「ここから見るといいでしょ。」と。

今年は、上の方に朝顔のつるが巻くように格子に

“園芸用テープ”で格子を作ってみたのですが、うまく巻くかな。

今見ると、テープを丸めていたのが開いていて、紐状じゃなくなっている。

それでも巻くのか?

暑いし、蚊が一度に寄ってくるから、もう修正するのにも躊躇します。

毎年、種を取っているので同じ朝顔。

朝顔を見ると、朝、豊臣秀吉が朝顔を見るのを楽しみにしていた逸話を思い出します。

 

 

横にいる人が、「自分は一番だ。」と言うような人なので、

考え方や感じ方が随分変わったと思うことがあります。

「一番を目指す」のと「二番を目指す」の差を書きましたが、

自己肯定感というのが、日本人は弱いような気がするのです。

よく、幸せ度示数とかいうので、幸福度が日本は低いというのも、

ようするに自己肯定感が希薄だから、前向きになれないという。

また、絶対の不幸を知らないからちょっとしたことで不幸になるという。

わたしも、恥ずかしがりやの部分もあり、最初から小さくなる時もあります。

恥をかいてもいいじゃないか!と開き直ることも大切だといえます。

この部分では、ヒロク二さんは大先輩なことがあり、見習わなくっちゃ!と思うのです。

今日の内容から、そんなことを伝わったとしたら、嬉しい。

きょうも最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積まれたユニット(色鉛筆作品紹介681)と 怪しいものについて

2022-07-23 11:32:07 | Weblog

人形が、夜になると、人が寝静まると話しだす・・・、そんな童話がありますが、

これはその積み木版で、放って置かれた積み木が夜に目覚めたような感じです。

静けさがあるので、そんなふうに感じるのでしょうか。

この形自体は、何度も絵に描かれた物もあり、

「あの絵の形がここにあるな。」と認識する。

白と肌色の部分。

肌色の部分は、これが羅列されていてポップな絵があります。

白い形は、同じ表情で描かれた絵が。 

この絵はシンプルさによって、

気持ちをしっとりと落ち着かせてくれるところが気に入っています。

いつも思うことですが、幅広いといえば聞こえがいいが、

我が夫は、絵柄も極端から極端に行く思考回路が未だに謎。

絵も同じように、いろいろだ。

人を不安に陥れる要素の作品もあって、

それは未だにブログで紹介する勇気がありません。

いつ見ても、頭の中で「ガーン!」という音がする作品があるのです。

こう書くと、怖いもの見たさに「見たい!」と思う人がいるかもしれないが、

わたしの秘密にしておくつもり。

この絵は、黒く鉛筆で塗られている部分には、

青い色鉛筆で下塗りがされています。

油絵の下塗りと同じ効果があって、鉛筆の隙間から青色が見えます。

白色の部分は、薄い水色の上から消しゴムで消されている。

シックな雰囲気になっているのは、その効果かもしれない。

単色のようですが、よく見ると浮かびあがる色があります。

 

 

例の統一教会への批判が溢れる中、

「どうして、そんな宗教にはまってしまうのか?」疑問に思いました。

こういうのって、“ねずみ講”にはまる人ともかぶる。

方向は違うように思うが、安易な思考がよく似ていると思う。

わたしも学生の頃、アムウェイの洗剤を買わされそうになったことがあります。

「いい話があるから、話だけ聞きに来てくれない。」という誘いだ。

「いい話って、何で電話で明かしてくれなかったのかしら。」と道すがら思いつつ行く。

洗剤の良さを説明され、その次に“ねずみ講”のシステムを説明され、

「金が儲かる。いい生活が待っているよ。」というノリ。

「そんなん、やりたくないし。その洗剤も欲しくない。」と言うと、

急に怒り出し、「お前みたいな人間は、おかしいのだ!」という内容に変わり、罵られた。

そのさそった友人に「話はだけ聞きにきてくれないって言ったよね。」と念を押し、

「そういうことなので。」と帰った。

大抵の人は、ねずみ講には参加せず、これ買えばいいのでしょ!と2000円で洗剤を買って帰る人が多いと思う。

その場をやや穏便にしのぐ選択だ。

しかし、友人の立場より、災難にあったわたしの立場を優先し、買わなかった。

そして、帰り道「よくもあんな所に連れていったわね。」と友人には詰め寄っておいた。

友人関係を続けるなら、正直に怒っておかないとわだかまりになると思ったのでした。

今思い出しても、その場の雰囲気は異様で、なんか嫌な感じであった。

学生で、絵具を買ったり、映画や、

友人とお茶をしながら話す為のお金の方が大切でした。

 

それでも、心が弱った時、「あなたの運勢を占います。」の

ハガキをポストに入れているお婆さん(70代ぐらい)と目が合い、

話しかけられ、軽い気持ちで、「無料ということで、まあ、どうぞ。」と言われ、

占った結果を聞きに、アパートの一室へ行ってしまったことがある・・・。

その頃は、武内が膀胱癌だったにも関わらず、治療を拒否していた頃なので、

占いを信じるというよりは、「いい智恵でも出してくれないかな。」と思って。

その結果を聞いたあと、

(その結果の内容を覚えていない。それほど、興味がない事柄だったのか?)

「勉強をしなくてはいけない。」とか言われ、月20,000円と言われる。

「そんなお金どこを探してもないし。」と言うと、

「じゃあ、どれくらい出せるの?」と聞いてくる。

「5000円で~す。」と言うと、ちょっと沈黙があり、あきらめるだろうと高をくくっていた。

それが、「あんた気に入ったわ。5000円でいいわ。」と言われ苦難が・・・。

「3000円と言えば良かったかな?」と後悔した。

その先生と言われる人の顔をじーと見た後に、ペンケースを見るとハングル文字が書かれていて、

見慣れない文字をじーと見ていたら、

その先生は、ペンケースをくるっとひっくり返し、見えなくした。

見ていただけで、何も考えていなかったので、隠すようなこと?とかえって疑問に。

その5000円とやらで、月四回、わけの分らんビデオを見て、雑談のために新たな“おばさん”が加わった。

いつも3っケーキを買ってきてくれて、3人でお茶を飲むわけです。

「病院に行ってもらうのに、いい方法はないですか?」こればかり聞いていたように思う。

その内、「わたし、ケーキいらないからどうぞ。」と言われ、

いつも2つのショートケーキを食べるようになる。

「いやぁ、正直に言うとケーキを買うお金もなくて、久しぶりで嬉しい。」と言い、

単純に喜んでいました。

ここでふと、ケーキ2個が(350円×2)×4として、=2800円。

5000円から引くと利益は月2200円。

その上、この場所代?

この人達は、何の為にしているのだ?と。

良い智恵も、言ってくれないし、と思った頃、

急にパンフレットを見せて、「この絵を買ったら、金運が上がりますよ。買いませんか?」と言う。

その絵を見て、「あのう、わたしこれでも主人が画家なんです。

悪いですけど、こんな価値のない絵買えません。

絵は、見たら分ります。ごめんなさいね。」と断った。

次は、“お焚き上げ”をするから、10000円という。

「癌が治りますよ。」と。

ここで、一瞬、「直る・・・。」と心が一歩だけ動いたが、

「5000円で、精一杯と言ったと思いますが。」で止めた。

その後、お茶の時間に物腰の柔らかい優しげな人(新手の方)が、

「主人に相談しないことの1つにお金のことがあるかな。」と耳元で呟く。

心の中で、「主人に相談しとかないと、我家の場合は使えるお金が少ないから無理。

隠してバレる方が怖いわ。この人、わたしの状況を普通の家と思っているか、

誘導しているのかも。」と思いながら、ケーキを食べてました。

(悪魔のささやきみたいで、そのものかも。悪魔がよく誘惑するじゃないですか。)

話の間、もう1つ不信な発言が・・・。

「私、北朝鮮に行かなくっちゃ。」という発言。

「どうして、普通の主婦が北朝鮮に行けるのですか?」と声が裏返って、

わたしは素っ頓狂な声を出す。

見切りをつけて、4ヶ月ぐらいたった頃、約束を破っていかなくなった。

(この場合、約束を破っても良心はなし)

 

また、時間が経ちヒロク二さんは、病院に救急搬送され、病状の結果が、

胃潰瘍で、癌の方は再発まったくしていなかったのです。

もう、てっきり直ったと思い、買い物で自転車を走らせていると、

例の占いのお婆さんが歩いているのを見つけた。

すぐさま声をかけ、「聞いて下さい。主人の癌が治ったのですよ。」と嬉しい声で言うと、

「えっ、癌が治るはずがない。」と言うではないか。

「ちょっとぉ。喜んでくれないの?」私は、ザ・ヤクザに変身しつつあるのを感じながら、

「ちょっとぉ。あの時、癌は治るって言わなかったけ・・。」

言いながら、眼を丸くして首を左右にかしげながら近づいた。

「わたしを騙していたのね。」

一瞬、暴力を振るいそうであった。

首根っこをつかんで、罵りたくなったのよ。

しかし、5000-(350×2)×4=2200円を思い出し、まあいいかと思い、道を急ぐことにした。

そのお婆さんは、よくその辺をうろちょろしているようで、

今度は、「多文化交流」と書かれた、ビルの1室に入るのをみかけた。

これも、怪しい団体なのか?と思うと、秘密組織みたいだと思いました。

この体験で、心が弱っていると、人と言うのは弱いものだと自分で思いました。

 

だけど、防御も出来るわけで、

わたしの場合は、自分の経済能力の把握や、良識、夫との信頼感を維持することや、

自分が大切にしている事などが守りになっていたと思います。

わたしが思うには、正体を隠して勧誘したり、ひつこい勧誘、

止めたいと言ったら態度を豹変させるような宗教はおかしいと思うのです。

わたしは、自己を磨くために宗教はあると思う派なので、金を積んでには疑問がある。

オウムなんかも「宙に浮く」とかやっていましたが、

「そのパフォーマンスに目を奪われても、宙に浮いてからといって、それで何がよくなったの。」と思うのです。

それで人が救われるわけでもない。

「平和」とついているものに、碌なものがないとよく書きますが、今回はまさしくソレ。

統一教会の正式名称は、“世界平和統一家庭連合”という。

やっぱり、“平和“とついているものには、用心した方がいいと再認識しました。

 

ヒロク二さんの癌。

結局、再発したのですが、全嫡手術を受けて根治に挑み、

それから良好状態で、今に至ります。

心が弱っている時に、魔の手は忍び寄ってきます。

用心しましょう。

わたしも、その占いで、お金を騙し取られていたかもしれない。

その頃、お金が本当になくて、その日暮らしだったのも良かったのかもしれない。

今日は、わたしの変な体験を書きました。

ケーキを月に8個を食べた日々の手記とも言えますが・・・。

しかし、わたしも変な人だなぁ~と書きながら、少し思う。

見せられたビデオの内容は、さっぱり覚えていない。

まったく興味がなかったようです。

相手の立場になれば、とんでもない奴だったかもしれません。

自分勝手で。

その上、財布の紐も固い。

 

 

曇りがちな天気が続きます。

我家の庭にひまわりを植えました。

↑このひまわりは、大きくなるらしく、大き目の鉢に植えました。

どれぐらい大きくなるのか楽しみにしています。

ひまわりは、ヒロク二さんのリクエストで夏に植えて欲しい花の1つ。

小さめの花がたくさんつくものを選んでみました。

↑ことしも小芋を植えています。

この葉のおかげで、ジャングルのような雰囲気になる。

手前、中央の葉は、さやえんどう。

一度収穫を終え、新たな花が咲いているところ。

豆って、ぶら下がるので、その様子を見るのが好き。

楽しい植物だ。

 

↑花がないので、思い切ってエキナセアを一本手折りました。

バジルの葉と合わせてみた。

まだ、寂しいと思い、ピンクのインパチェンスを足した。

色味が爽やかな感じになったので、これでよしとする。

とにかく、今、花がない。

ヒロク二さんは、やはりエキナセアが好きなようで、

「いいじゃない。」と言って通り過ぎていきました。

花に元気を貰ってGO!

 

怪しいもの探検のような内容になってしまいました。

もう少し、付け足すと、とても地味な服装の人達で、

色味が少なく、白っぽい服装が印象に残りました。

微笑むけど、冗談とかは言わない。笑うことがない人達だったと。

それと、新興宗教で反対意見を真面目に議論してはいけません。

論理性はないので疲れるだけです。

今日も、お読み頂いた方、ありがとうございます。

何か役にたっただろうか?

役にたたない・・・・だろうね。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女神(色鉛筆作品紹介680)と マキアヴェリの君子論は哲学的

2022-07-16 15:12:42 | Weblog

難しい絵だと思いながら見ています。

絵のサイズは、40cm×31cm。

鉛筆、色鉛筆、クレヨンを使用。

アルッシュ紙に。

画面には、一度、鉛筆で画面が塗られていたらしく、

消しゴムで消した所が白くなっている。

足のようなものが見てとれるし、顔のようなものがあるから、

人物なのか?動物なのか?

フッと微笑む何かが、吹く風から立ち現れたようだ。

お尻のように見える形もあり、女性が変化したものとも思える。

このお尻の形を見ながら、エロティックにも感じられ、

ヒロクに流エロティシズムが出てきたのか?

お尻の形というのも、よく現れる形なのです。

お尻の形の絵もたくさんあります。

山が2つ並ぶ形を見たり、

Mという字の形がたくさん描かれていたりするのは、そういう事なのです。

今日の絵は、難しく、うまく語れません。

苦し紛れに、たち現れた“女神”ということにします。

 

そんな武内に、「生パインで作ったゼリーが出来たからね。」と画室に行きました。

すると、坂口安吾的な状態。

「待って、写真を撮るから」と言って写真を撮りました。

↑こちら

これが、製作中の武内です。

この部屋、クーラーがなく、暑い時は、別室の部屋の冷気を扇風機で送り込みます。

それでも、時々寒いとかいうぐらい寒がり。

暑さには、強い。

もう、この上半身裸も見慣れてしまって、なんとも思わない。

よく、紙をなめすということをやりますが、それをしているところ。

足元に、デッサンのような絵がありますが、

それ、わたしがモデルになった時のものです。

時々、デッサンをすることがあります。

「モデルになってもらうの、悪いでしょ。長時間モデルをしてもらうのは嫌なんよ。」と言いながら。

意外だけど、身近な日用品等もデッサンをします。

例をあげると、歯ブラシ、歯ブラシとコップ、洗剤、花、自分の顔など。

いつも自画像を見ると、

「自分のこと、醜男と思いすぎじゃない。そこまでひどくないよ。」と何度言ったか。

「2枚目ではないけれど、いい顔しているときがあるよ。」と言い、

「そこまで醜い顔していないよ。」と言う。

写真を一枚撮った後、「それなら、ちょっと。」と言われ、

ポーズをしてくれた。

↑こちら

もう何時の時代の人か?という風情になります。

針金を渡した絵を吊り下げるところには、

洗濯ばさみで絵があれこれと吊るされていて、

こちらの絵は移り変わりが激しく、

わたしは、好きとか嫌いとか、好き勝手言っています。

今、評価されなくても、いい絵を描いて欲しいと願っています。

尊敬もするし、軽蔑もする我が夫、がんばれ!

 

そう言って励ましたくなったのは、訳がある。

夜、「お休みなさい。」と言ったら、

「俺は、もうチョット起きているから。」と言いながら、絵を描いていました。

私が寝たのは、午前1:00.

朝起きると、(午前7:00)アトリエから音がするので覗くと、

夜見た姿と朝見た姿が同じ。

驚いて「ずーと起きていたの?」と言う。

「いやぁ、次々やってしまおうと思ったのがあって・・・。」と。

わたしは長年の生活で、夫が仕事をしていてもスヤスヤ寝れるのです。

その後、次々と作品を持ってきて、「これも仕上げてねぇ。」と言う。

どうも、作品を整理している内に、

「これは持ち込める。」と思った作品に手を加えたり、

修正をして描きあげていたのだと分りました。

途中の描きかけの絵というものは、仕上げられる作品よりはるかに量が多い。

数えで85歳なんですけど、やっぱり夫は一味違う人だと痛感しました。

それと、鉄分をとるように薦めたのが良かったのか?

憂鬱感を減らすサプリとして、今、飲んでいます。

どうも、それで最近調子がいいみたい。

薬を普段飲んでいないせいか、薬がよく効く体質だ。

私も飲んでみましたが、あまり変わらない。

効き目って、どうなのでしょうね。

疲れは、翌日ではなく、3日後に出るようで、

地獄からの声かと思うような「疲れた。」という声に驚きます。

座りながら寝ている姿を見ると、

「寝るのなら、横になった方が疲れが取れるよ。」と言い、マッサージをしてあげた。

ちょっと触っただけで、寝入っていました。

武内が寝ている間は、わたしは平和。

だけど、平和がづっと続いても、退屈するから嫌なんです。

やっぱり、武内ヒロク二は存在してくれなくては!そんなふうに思います。

 

以前から読もうと思っていたマキアヴェリの「君主論」を読みました。

↑こちら

イタリア、フィレンツェの人。1469年~1527年。

画家でいえば、同時代にミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリがいた。

ペストが治まりかけていた時代です。

難しいかも?と思って手にとりましたが、訳は読みやすく分り易い。

何が難しいかと言えば、当時のイタリア半島の事情をよく知って読まないといけないこと。

この頃、イタリア半島は、フィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ミラノ公王、ナポリ王国、教皇領と

5つの国に分かれていました。

フィレンツェの名君、ロレンツォが死んだ為、平和が崩れていきます。

そこで、それぞれの国が領土を巡り野心を持ち、外国勢(フランス、スペイン)を交えての争いが起こり、

その時に、フレンツェの官僚政治家として起用されたのが、マキアヴェリです。

この混乱期において、衰退していくフィレンツェのありようを肌で体験したマキアヴェリが、

「君主はどうすべきか?」と晩年考察した書物です。

時代背景もあり、軍隊、軍備、または、外国支援軍、混成軍、自国軍の長所、短所などをあげ、

君主たるものは、戦いのため(防衛も含む)軍事上の制度や訓練以外のことに関心を持ってはいけないと

言いきっています。

引用すると

■武力のあるものとない者とでは、雲泥の差があり、例えば武力のある者が武力をもたない者に

 進んで服従したり、武力をもつ従者たちに囲まれて、安閑としていられるなどの考えは

 筋がとおらない。いっしょにうまくやっていけるなど、とうてい考えられない、

 さらに、軍事に精通していない君主は、前述のように、どんな不幸にもまして、

 配下の兵士からも尊敬されないことになる。君主もまた、部下が信頼できない。■引用終わり

これが根底にあって、様々な君主のとるべきことがケースバイケースで述べられています。

読む箇所によっては、哲学的に感じるところも多いので、面白く読みました。

この君子論からの名言がたくさんある中の一部を紹介します。

★戦いを避けるために譲歩しても、結局は戦いを避けることは出来ない。

 なぜなら譲歩しても相手は満足せず、譲歩するあなたに敬意を感じなくなり、

 より多くを奪おうと考えるからである。

★自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、

 いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。

哲学的に感じる箇所は、

★行せずに後悔するより、実行して後悔する方がよい。

★運命は我々の行動の半分を支配し、残りの半分を我々自身にゆだねている。←これ本当にそう思う。

★運命の女神は、積極果敢な行動をとる人間に味方する。

 

読むと、スルメを噛むように滋味深い味がします。

マキアヴェリは、フィレンツェをとても愛していたようで、それが、文脈から伝わります。

冷徹な眼差しからふと、国を愛する心情が見え隠れする箇所で、

国の平和を維持するにはどうしたら良いか、と真剣に考えたのだろうと推察しました。

この頃より時間が、500年経っていますが、

ウクライナのことを思えば、人類は未だ同じことを繰り返しているように思います。

ヒロク二さんに「何読んでいるの?」と聞かれ、答えると、

「塩野七生氏も読んだらいいと思うよ。」とアドバイスをくれました。

“チェザーレ・ボルジア”のことを言っているのか?

この時代、イタリアルネッサンスの芸術が花開いた時期でもあり、興味深い。

 

ゼリー作りにはまっています。

↑生のパイナップルのゼリー

生のパイナップルは、そのままではゼラチンで固まりません。

一度、沸騰させて作りました。

ゼラチンって、ほぼコラーゲンのなので身体にいいかもしれないと思い作っています。

夏は、つるんとした触感もいい。

しかし、ゼリーについては、コスト高になっています。

贅沢なストレートのジュースや、見たことがない珍しいジュースを使ってみたくなってしまって。

 

今日は、長々と書いたものだと自分で思いました。

前文読んで下さった方、ありがとうございます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

警告(色鉛筆作品679)と 安倍元総理追悼

2022-07-09 21:01:46 | Weblog

パソコンの調子がおかしくなって、クリックしても出来ない事が多く、

画像はスキャンそのままの状態でアップする事態に・・・。

トリミングの時に、まったく動かないのだ。

スキルが低いので、どうしていいか分らずマウスを買い換えることにしています。

「何で?」と同じ動作を繰り替えすしか能の無いわたしは、

「そのままサクサク行こう。」と気を取り直す事にした。

この絵は、アトリエに吊るしてある針金に洗濯ばさみで吊るされていたもの。

メモか?と思いながら、“灯台”のようだ。と、思って選びました。

ムーミンに出てくる“ニョロニョロ”の変形にも思えてくる。

しかし、武内の絵に出てくる灯台にモデルがあるとすれば、

「明石」にある灯台でしょう。

2人で灯台の近くにまで行って、海沿いに座り見ていたことがあります。

潮の香りや吹く風を感じながら。

しかし、この描かれた灯台のような形からは、

安心感のようなものは感じられず、

危険をしらせる警告を発しているようだと思いました。

それもSF小説に出てきそうな雰囲気が印象に残ります。

 

 

きのう、9日のニュースで軽いショックを受けていました。

まず、安倍晋三元首相のご冥福を祈ります。

ヒロク二さんは、「悲しいことだねぇ。」と言い、

「奥さんの悲しみを思うといたたまれない。」と。

わたしはそれを聞きながら固まっていた。

ニュースを見ながら、犯人を観察していました。

テレビもネットも同じ映像だと思うが、

ネットだと簡単に静止画像が見れるので観察していた。

(ヒロク二さんは、テレビで。)

犯人は、腕を見ると筋肉質で身体を鍛えているのが見て取れました。

その散弾銃というものも、自作というので、後から銃を見直した。

けっこう手作り感のあるものだった。

ビニールテープを巻きつけているように見えたところもある。

こういう銃は、簡単に作れるものなのか?

銃に詳しい人が言うには、難しいらしい。

パイプを工作する技術、発射機構を作る電気技術、

黒色火薬を自作する技術、それを撃つ技術が必要で、

また、その銃を試すことや射撃も訓練しなくてはならない。

まだ分らないことが多く、情報を待っている状態です。

日本のマスコミも程度が低いと思うのは、

犯人を元海自とばかり報道しているが、

2002年に入隊で、2005年に退官し17年も経っているのに

そればっかり強調するのはおかしくない?

退官してからの職歴の方が気になる。

無職で17年も過ごせるわけがないもの。

 

「あべ死ね」と言っていた人達いましたね。

この方、翻訳者で「ソフィーの世界」を訳した人なんですが、

あまりにも心根が悪いので、この人が翻訳した本は読まないようになりました。

現在「世界平和」をうたっていますが、「平和」と言っている人に限って、エグイ。

心からの反省はしない。

それから、口癖のように“平和”という人に、

「どういう平和を言っているのだろう?」という疑問を持つようになり、

“平和”と聞くと、質問してしまいます。

「どういうこと?教えて。」と。

ところが怒る人がいる。

怒らない人は、きちんと考えているみたいで、快く答えてくれます。

 

この池田香代子氏のツイッターをすぐに見てみた。

この犯人は、統一協会に母親がのめりこんで家庭がむちゃくちゃになった。

それで、関係のある、安倍晋三氏を狙った。

だから、政治的信条は関係なく、言論の自由の問題でもなく、

テロではない云々・・、と書いてありました。

話の展開に異常性を感じた次第。

そういうふうにしたいと思っているのでしょう。

まだ、詳しく報道されない段階で、こんなことをつぶやいていることが怪しげ。

やっぱり、「平和」連呼派のダメさを確認した。

 

メディアのことは、書くのを控えるようにしていましたが、

安倍総理への追悼の意味もあって、個人的に誤解をといておきたいと思いました。

安倍元総理のモリカケ問題です。

「モリ」森友学園の方は書くと長くなるので、

「カケ」の方の加計学園のほうにします。

国会中継での“加戸守行氏”の発言をすべて聞いた人は、安倍総理は無実なのが分っていると思う。 

それをすべて見た人は、「う~ん、そうかぁ。」と思ったはず。

お友達だからは、まったくない。

獣医師協会が自分の利権を失わないために難癖をつけていたのを、

条件をクリアして通ったというのが本当な所。

じゃまをする為に、獣医師協会は、議員に寄付もしていました。

それが知れると、協会の獣医師達から「何で会員に知らされることもなく、勝手に寄付するの?」となり、

そんな勝手なことに使われるのなら、もうお金を納めないと言われてました。

加戸守行氏が、個別にネットで意見を表明し、

「たった100万の寄付で、あそこまでよく妨害するとは。」と言ったのに対して、

「名誉毀損だ!訴える!」と言い、

加戸氏が「受けて立つ!」と言ったら、訴えを取り下げているという情けなさ。

これは、玉木雄一郎氏と福山哲郎氏。

献金を受けていた他の人は、石破茂氏。

このことも、ほとんど報道されていないと思うよ。

報道で、加戸氏の意見は、ほとんど取り上げられなかったようで、

報道で流しても何秒という短さ。

1分もないし、どうでもいい部分を報道していたと思う。

こんなメディアを見て、「安倍ガー!」と言っていた人もいると思います。

ここまで、報道しないのか・・・と思い、公平にという放送法第4条はもうないのも同然。

わたしは、安倍元総理に対しては、いい部分もあるけど、少し残念に思っていることもある派。

「人は多くは出来ないからな・・。」と思い、しょうがないと。

ヒロク二さんは、人の話をあまり聞くほうでないせいか、テレビを見て、

「安倍総理、いい人だよね。」といつも言うので不思議でした。

視覚が強いタイプなのかも。

確かに、愛嬌のある笑い顔をしていたと思います。

郷土の果物を食べて、「ジューシーです。」しか言わないけど、

その顔の表情が可愛らしかった。

時々、頬のシワがどらえもんの髭のように思えるときもあって、???と。

今回のことが起こって、報道による誤解が1つでも減りますようにと思いました。

誰に対しても。

そんな願いをこめて。

ありもしないことで、不評を得るのは、どんな人でも嫌だと思います。

 

 

さて、我家の庭は花が少なく、朝顔も蔓を伸ばしている最中。

そんな庭で、枝豆の収穫をはじめました。

“あじみのり”という早生の種類を選んで。

以前植えたことがありますが、全滅した。

水のやり方があべこべであったのが、失敗の原因だと思い、

植えつけたばかりは、乾き気味に、花が付きだしてからは水をたっぷりにあげました。

豆専用の肥料も買い、うまくいったようです。

収穫時は、蚊にまみれたりして、辛いですが、終わり良ければすべて良しとします。

↑収穫した枝豆。

収穫してすぐ茹でます。

そうすると、甘みが残っていて美味しいということで、速攻で茹でます。

トウモロコシと同じですね。

自家菜園でトウモロコシもやってみましたが、受粉がうまく出来ず、散々でした。

花と違って、野菜はやはり難しい。

今日は、自家菜園をされている方や親戚が定年で始めた自家菜園、

あちらこちらから、野菜が集まってきてびっくり。

集中したようで、野菜室がパンパン。

固くなっていた心が緩みました。

 

昨日は、ショッキングな出来事だったので、久しぶりにマスコミの低脳さを書きました。

これから、いろいろと分ってくることがあると思いますが、

自分の中で、精査しつつ見ていくつもり。

シャーロックホームズでも現れてくれないかしら?

そんなことを思いつつ。

お読みになられた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな街の集積(エスキース紹介678)と 我家でのクーラーの歩み

2022-07-02 11:40:55 | Weblog

これは、鉛筆で描かれたエスキース。

メモ、兼下書き。

この絵は83と書き込まれているから、40年ぐらい前の絵。

絵柄から、「神様は大あくび」という装丁の仕事をした頃に描かれたものと思われる。

今は、10Bという濃い鉛筆を使用しているが、

この頃は、HBぐらいの鉛筆をしていたと思いながら見ている。

モチーフの要素が多く詰め込まれているようで、

それぞれのパーツを1つ取っても、絵になりそう。

もうこの頃から、得体のしれないというか、

○○のような形というものを描いていると思うと、

絵のスタイルというものは、今も変わっていないのかもしれない。

描き方と表現にのみ変化があって、今につながっていると思いました。

左にある“魚の形に大という文字が描かれている箇所”この部分を見ると、

「ふうむ。」と思って見てしまう。

わたしにとって、この部分は、奇妙であり気持ちをくすぐられる。

幾何学的に描かれた魚型に「大」とレタリングされたような文字。

これが、意外とシュールな要素に感じ、ついこの部分を凝視してしまいます。

それと、円を描くのはうまい。

円は普段からよく描いているのを見ますが、定規なんて使っていなくて、フリーハンド。

アクリル絵具で描かれた円だけ羅列されたものが、壁に飾ってあると、

「ヒロク二さんて、円を描くの上手だよね。」と言い、眺めていると、

「そう?嬉しいこと言ってくれる。」と。

「何ていうかな、たぶん微妙に歪んでいたりするのだろうけど、その歪んだ感じもいい雰囲気なのよ。」と、

言い、感心して、円径の羅列を惚れ惚れと見るのでした。

(その羅列では、作品になりませんが・・・)

フリーハンドのなせる業かもしれません。

この絵は、昭和を感じ、懐かしい時間を感じさせてくれます。

今より、時間がゆっくり流れていて、土ぼこりのする道を歩いている頃のような。

紙も茶色く焼けていて、過去の時間を感じます。

 

暑くなりました。

昨日の暑かったこと。

7月の始めからこんなに暑い年は、はじめてではないだろうか。

庭では、蝉が一声あげ、草が繁茂しているが、暑くて取る気も起こらない。

朝晩と涼しい時間帯は、蚊も過ごし易いのか、外へ出ると回りに集まってくる。

蚊にイライラしながら、土の再生に励む。

里芋も植え付けの遅れているのに、庭に穴を掘る段階で心が折れているいう・・・。

わたし達は、結婚当初はクーラーがなかった。

涼しいところで暮らしていたのか?と言われれば、そうじゃない。

明石にいた頃は、2階にプレハブがあり、そこで制作していたヒロク二さんは、

「人間の燻製の部屋」とでも言っていいぐらい暑い部屋で制作し、

堪らなくなったら、風呂場で水浴びをしていました。

カーテンをしているにも関わらず、日に焼け、汗の匂いで燻され、

わたしは、冗談で、「人間の燻製」と言っていた。

でも、2人とも若かった。

耐えていました。

次に転居した先では、わたしの部屋にクーラーを取り付けましたが、

寝る部屋にはない。それでも寝れていた。

わたしは、お勤めだったのでクーラーのガンガン効く職場のおかげで、暑い日だけ使う事で間に合ったみたい。

ヒロク二さんは、「制作に悪い」という理由で嫌っていた。

また、転居した。

クーラーを持っていたが、転居先は窓枠がなく、大きな引き戸だった。

クーラーは窓枠用だったので、自力で引き戸の隅に引っ張っていって、

床に置き、そのクーラーを使うことに。

遊びにきた人は、「どうしてクーラーが床に置いてあるの?」という質問を皆した。

下から吹き出る冷気が不思議だったみたい。

子供造形教室をするようになり、狭い我家には一時に10人ぐらいの子供と大人2人(着て貰っていた先生)が、

ひしめくことがあって、皆の体温でも暑いようなので、ちゃんと設置出来るクーラーを買った。

教室の子供達は、「まともなクーラーが、アトリエに」というだけで、狂喜乱舞しているのだ。

それに「どうしてクーラーが床にあるのか?」という質問に毎回答えなくてすむ。

新しいクーラーは、よく効き、わたしも快適になった。

今、そのクーラーが活躍中。

しかし、ヒロク二さんと2人になると「寒い。」とか言われて、すぐ消せと言われます。

それが今年は、テレビが熱中症で「何人倒れた。」「何人死んだ。」とやっているのを見ているせいか、

「こんな所では死に切れん。」と言ったりして、まだまだ生きる心構えだ。

「こんな危険な状態をどうして乗り越えたらいい?」

「高齢者は気をつけないといかん。」に続き、

恒例の「さほり、どうしたらいい?」に行き着く。

「クーラーをつける事と、水分補給よ。」と答えた。

すると、粉末のポカリスウェットを水で溶き、一袋を小さいペットボトルに入れ、

「特別に濃いやつを作った。」と言う。

「あなた、一袋は1リットルで溶くのに、何で300ミリリットルで溶いているわけ。

何で節約の反対の行為をするの?それに、水分があまり取れないでしょ!」と言うと、2本にした。

昼すぎにクーラーを入れるのですが、涼しいところへやってきたら、すぐに寝ているのです。

スヤスヤと。

暑いアトリエで過ごしている時は、必ず絵を描いてる姿。

思うに、集中して絵を描いていると、暑さを感じにくく、暑さが緩和されているのだと。

制作のためには、確かに暑い方がいいというのも一理ある。

寝姿を見ながら、涼しい場所にやってきたら、抵抗するものがないから、

疲れがドッと出ているのだと思いました。

この時間は、意外と平和だったりする。

武内画伯は、暑苦しい性格だ。

顔を見ただけで、暑い気がするのは気のせい?

一瞬、涼しく感じる夕方、

外に立てかけてあった板が横倒しになっているのを見つけ、

「どうしてここはいつも倒れているの?」と問い詰められ、

「直しても、直しても、倒れてくる。」と返答すると、

顔を真っ赤にして怒りながら、その板を引き抜き出す。

その顔があまりにも感情むき出しなので、わたしは見たくないと思って家の中へ入ったのです。

しばらくしてから、家に入ってきて、わたしに「頭は使うものだ!よく考えるんだ!」と凄む。

「もう、二度と倒れないようにしておいたから。」とまた、凄む。

ジーとヒロク二さんを見ながら、「ハイ」と言うわたし。

普段、「あなた、少しは考えたら?」

   「あなたは、考えがたりてない。」

   「いつも、考えがないのだから。」

とヒロク二さんによく言っているのが、自分に返ってきたと思いました。

可愛げがないので、「お前が、いうか?」もちょっぴり。

 

 

クーラーを入れてからフロランタン風ケーキを作りました。

↑焼きあがったものが冷めてから、切り分けています。

上にトッピングされているものは、アーモンドのスライスで作るのですが、

アーモンドが切れていたので、ピーナツを粉砕したもので代用。

薄く焼いたスポンジにバター、ピーナツ、生クリーム、砂糖、小麦粉少しを混ぜたものをのせ、

再度焼いて出来上がり。

ピーナツの香りがいい感じに出来上がります。

スライスアーモンドの方が、パリッと焼きあがるような気がしますが、

暑い中、これだけのために買い物に出かけたくない。

最近、これを作ろうと思い立っても、何か1つき足りなくて出来ないことがよくあります。

以前は、こういう事なかったのですが・・・。

なんとか、代用でごまかせたのは幸いでした。

 

 

今、午前11:09ではクーラーはつけていません。

お昼、1時頃に、子供達が歓喜したクーラーをつけます。

今日は、我家でのクーラーの歩みを書いてみました。

結婚当初は、若くて体力があったのだなぁ~と、今更ながら感心していました。

涼しくなったら、寝てしまう姿を見ると、ヒロク二さんも歳をとったなと。

もう「燻製人間」を見れません。

今となっては、懐かしい思い出です。

今日もブログを読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする