堺正章、加藤茶「年の差婚」パラダイスか?P142~p143に私達夫婦の年の差婚の様子が載っています。
妻の家族から「ヒモ」と呼ばわりされたという画家の武内ヒロクニさん(73)と幸穂里さん(47)の頭の中は、結婚生活二十一年のいまでもなお、行き先の不安でいっぱいだ。<続く>・・・
このインタビューで色々答えたのです。
「暮らしていて年の差を感じたことはありますか?」の質問に、ヒロクニさんとわたしは同時に同じ言葉で答えた。
「感じたことはない!!」と2人ともきっぱりと胸を張って答えた。わたしは、あまりの意気投合さに驚いた。
ところが、その後、年の差があるがゆえに起こる喧嘩をしてしまったのだ。
原因はCD。わたしが夕食を作る頃になると、古い演歌をかける時がある。そういう類の音楽を聴く時、ヒロクニさんは台所でじっとして、伏し目がちになり、なんか辛気臭い感じになるのが目に入るし、わたしは、料理をしている時はリズミカルな音楽の方がいいのです。
わたしは、なにげなく「今は、その音楽はやめて」と言った。
わたしがやめてと言った音楽は、古賀正男のインストメンタルだった。
ヒロクニさんの猛攻撃が・・・・・。
「君は、日本人の心がないのか?」
そのCDに付いている歌詞を読み出して「この詩の心が解らない人間なのか?」
「詩を解さないとは。好きな詩人をあげてみろ」
「中原中也、萩原朔太郎、高村光太郎」と口を尖らせて言った。その反撃がまた・・・。
「詩を解さないような、そんな恐ろしい人間と俺は暮らしていたのか!」と目を丸くして大げさに言い、
「君って、無味感想な神経で生きてるの?」と軽蔑のまなざしでみる。
次は、わたしの反撃である。
「だって、ゆっくり詩の鑑賞する気持ちのゆとりも時間もなかった。次々くる現実に生きるのが精一杯で。」
「感傷的になるより、苦しい時こそ笑顔で頑張ってきたのよ。そんな感傷的になっているひまはないのよ」
「毎日、悲しいとか、わたしが浸っていたら、あなたも困るでしょうが!!」言いながら、「風邪と共に去りぬ」のスカーレト・オハラのような気持ちになった。
今度は論理的な攻撃に変わった。
「その歌は、いつごろよく聴いていたの?」
「18歳ぐらい」とヒロクニさんは答えた。
「あなたが、18歳の時は、わたしは生まれてないの!あなたが25歳の時に、わたしはオギャアと生まれたの。」と言っても年代の差を理解しないようだから
「あなたは、今現在98歳の人のこと、良く解る?」
「全然、解らん」とヒロクニ。
「わたしは、多少の学習と想像力で、あなたの話を吸収出来るように努力しているのぉ!!」と嘆願した。
(これは、本当に努力しています。)
ヒロクニさんは、理解した瞬間「すまなかった」と言って、「なあ~んだ。僕達は、年の差があるんだよね。そうだよね」とニコニコ笑顔。しかし、辛気臭く感じたヒロクニさんもわたしの勝手な見方で、台所で古い歌を聴きながらくつろいでいるというのが解った。人を理解するって難しいことだなぁと思いました。
ヒロクニさんは、古賀正男の他に、ディック・ミネ、鶴田浩二、高峰美枝子をよくかけます。
鶴田浩二は、このCDをよくかけてます。
武内ヒロクニの画像を見たい方は、HPのヒロクニマンダラを御覧下さい。
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http://www.hirokuni.com/mandara.html