武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ギャラリー島田 特別企画展 2022「CREWS」のご案内

2022-05-28 16:22:38 | Weblog

神戸にある、ギャラリー島田での企画展に出品しています。

日時:5月28日(土)~6月21日(火)

   11:00~18:00 *最終日は16:00まで

            *会期中水曜休廊

場所:ギャラリー島田

   神戸市中央区山本通2-4-24、リランズゲートB1・1F

   TEL&FAX 078-262-8085

   ホームページ:http://gallery-shimada.com/

企画のテーマは、「CREWS」

“CREWS”は、「乗組員たち」という意味で、運命共同体の一員として、

今を伝える展覧会を目指して企画されました。

たくさんの画家や彫刻家などが参加しています。

武内もその中の1人として、参加。

こういう展覧会では、武内の絵は際立って、個性的なんだと再認識します。

他の人の絵を見てから、武内の絵を見ると、

やはり、「頭がブッとんでいるよ・・・な・。」と思うのです。

作品は、以前紹介しましたが、再度紹介。

作品のタイトルは、「CREWS」

絵は、A3サイズ。29.7 cm × 42.0 cm 

素材は、紙の上に、鉛筆、色鉛筆、クレヨン。

パネル貼りされています。

価格は、29,000円

この絵を見て、元気が出るか、頭痛がするかは、好みだと思います。

物事を杓子定規にとらえる人には向かないかもしれない。

武内の絵には“静けさ”を感じる作品もありますが、

この絵は、エネルギーというか“動”を感じる作品です。

老体に鞭打って描いていたのだと思われる。

絵の価格は、武内ヒロク二価格でわたしが決めた価格ではありません。

「絵を買った人が、生活に困ったり、貧乏にならないように。」と言う、

武内価格。

わたしが付けるともっと高く付けるでしょうが、こういう企画展は当人にまかしています。

ネット販売は、会期の途中から始まる。

この価格の理由がとても、武内らしく「可愛らしい」ので書きました。

他人も自分と同じような生活をしていると、考えているのでしょうね。

 

 

腫れ物も、やっと一週間空けて診察という間隔になり、企画展の絵も納め、

ホッと一息いれているようでした。

いつも武内が支配しているCDラジカセからは、静かな曲が流れ、寛いでいるようでした。

いつも観察していて、息苦しい妻のように思われるかもしれませんが、

いつもわたしの周りに来て、「あれして。これして。」と言うのはヒロク二さん。

例えば、自分の方が冷蔵庫に近いくせに、「冷蔵庫から、とうふの残り取って。」など言い、

「あなたの方が冷蔵庫の近くにいるでしょ。」と言っても、

「どこにあるか、わからないから。」と。

実際、わたしも冷蔵庫の何段の左とか言いたいが、そこまで記憶していない。

自分の部屋からピーちゃんのゲージを周り、冷蔵庫に向かう。

そういう日常なので、息苦しく感じてしまうのは、わたしの方。

我家の音楽事情としては、わたしがヒロク二さんのCDをかけても、いきなり変えられたりする。

音楽は詳しくない方なので、もう好きにやってとなっていて、

嫌いな音楽の時は、心を閉じてしまうという技も身につけた。

一息入れているヒロク二さんは、普段聞いていないジャズをCDの前で聴いている。

パソコンの前に座っていて、作業をしながら、とてもいい感じと思い、

どのCDをかけているのか聞いて確かめ、ジャケットを目に焼き付けておいた。

名前は、簡単な場合は覚えられるですが、少し長く感じる名前はダメ。

英語のセンスが0(ゼロ)を自覚します。

だから、ジャケットが頼り。

では、日常の音楽から、気に入ったものを紹介。

どれも落ち着くし、音色がきれいに感じました。

3番目に上げたイラストのアルバムは、東京、渋谷で買ったのをふたりで思い出しました。

「この俺が、めずらしくジャケ買いというのをしてみようと思うけど、このジャケットどう思う?」と、

聞かれ、「えー、いいよー。」とポケーとした顔で返事したような。

東京の個展の帰り道で、CD売り場で長居されて、疲れていたかも。

まだまだ、当時の初々しい頃の思い出なので、随分前に買ったものだ。

何年ぶりに聴くのでしょうか?

ヒロク二さんは、「あんまり粋だと、人は聴かないんよ。」と一言。

音楽を聴きながら、「粋???」と思いながら、一緒に聴いています。

今は、外出が減ったので思うことが少なくなりましたが、

ヒロク二さんのCD売り場の滞在時間の長いこと!

一緒に居ながら、そのCD売り場で、

「どうして、近くにベットがないのだろう。

あれば、助かるのに。医務室とかはどうなっているのか?」と、妄想していました。

立ちっぱなしの苦痛やら、待つのに疲れるやらで、寝て休めたらどんなにいいか・・・という思いが、

妄想になり、仮病を使ったらうまくいくか?という考えにまで発展していたのでした。

ヒロク二さんは、CDを見て、音楽を思い出すことで、記憶も引き出せるらしく、

記憶の再生をしているのがよく分りましたので、耐えていました。

その時していた妄想の中味を思い出すと、わたしも異常者か?と思える自分が怖い。

そうだからといって、その場で座り込んだり、寝る度胸はない。

 

今日の食卓の花は、大きめのビオラで。

↑ビオラの種からいきなり大き目の花。

虫に食べたれています。

虫に食べられていない、薄いアプリコットの色が出ている黄色いビオラの花を摘みました。

 

↑そして、茶系のビオラを合わせ、色が重くならないように白いビオラを添えた。

アプリコットの色が引き立つようにと思いながら、まとめました。

大きいビオラは、難しいなぁ~と思いながら、強引にあわせました。

 

 

武内も久しぶりに企画展に参加。

会場でも、ネットでも(会期の途中から)宜しかったら、覗いて頂けると嬉しく思います。

今日は、いつもより文章が短いですが、この辺で。

お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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ヒト・くも(作品紹介673)と カヤツリ草のこと‥

2022-05-21 19:03:47 | Weblog

崩れそうな積み木の積み方。

この絵を見て思ったことです。

タイトルが書き込まれている。

「ヒト・くも」と。

この“くも”と書かれた可愛らしい文字。

字を見ていると愛しくなる。

アップで↓

それはさておき、この絵は直線がよく使われているのが印象的で、

サシでも使ったのか?と思って見ていました。

しかし、線をよく見ると、

なめらかな線ではなく、キザキザしていたり、

太くなったかと思うと、細い線になっていったりと、

その線のせいかギシギシという音を立てながら歩いている人型のように見えます。

赤と青の“くも”も子供が描いたような感じもして、

なんだか童心に返ったような気持ちにさせられる。

だた1つ、子供の絵じゃないと思わせるところは、右にある枯木だ。

この部分は、寂しさを感じさせる。

侘しい感じが漂うこの枯木。

この部分にヒロク二さんを見つけるのでした。

余談なのですが、しあわせ食堂の毎日新聞の挿絵を描いていた頃、

食事が喉を通らなくなった時、

わざわざ新聞社の方が心配で来て下さり、わたしに、

「いや、枯木も強いですからね。意外と枯木強いですよ。」と励まして下さって、

良人を枯木のように眺めました。

この絵は、色鉛筆、クレヨン、ボールペン、ガッシュを使用しています。

 

 

心地よい風が吹いた日。

「僕が、僕でないときがあって、

 そんな時はスーと風のようになる。」とヒロク二さんは言った。

こういう歯の浮くようなことをすらすら言えるという才能がある。

わたしは、毎度のことながら「恥ずかしいくないのか。」と思うのですが、

「詩人なのかもしれない。」とも思う。

野蛮人なのにロマンティスト。

また、わたしに軽井沢の写真を見せながら、

「俺は、こういう所に佇んでいる自分もいるのだよ。」と言われ、

無言になり、真顔で見つめ返したりした。

だんだん、思いが高まってきたのか、「堀辰雄の本を検索して。」と言われました。

「俺の本質はここにもあるんよ。」と言われ、

サナトリウムと恋、そして高原の風、とイメージした。

実は、わたしは、「堀辰雄」は小説のイメージだけで、読んだことがない。

たぶん、イメージは誇張されていて、本質はまったく知らないのだと思う。

とにかく、言われるままに、最新刊を注文しました。

繊細な小説を好む割りに、身体が強いヒロク二さん。

“おでき”も治癒能力が高いのか、急激に直っていってます。

繊細な心に、原始人のようなヒロク二さんが軽井沢で横たわっている姿を想像すると、

「場違いよ、あなた。」と言いそうである。

マキャベリの「君子論」を読みたいと思うわたしと、ヒロク二さんの読書の傾向の違いは大きい。

 

そんなふたりですが、病院からの帰り道、一本の草を摘みました。

中心から花火みたいに、茎と星のような草が水路のわきに生えていました。

「あっ、この草の形おもしろい!」と言って、手折ってヒロク二さんに見せると、

「よく、こんな草みつけたね。さすが、さほり。」と。

「いや、この草の形は、あなたの絵に通じるものがあると思って、ハッとしたの。

 わたしじゃなくて、あなたの絵がそうさせたのよ。」と言った。

そんな絵あったかな?と首を傾げている。

この草の形を非常に関心をよせているようで、

やはりヒロク二さんの形だったのだと思い、自分に感心した。

(自分で自分を褒める)

↓そのカヤツリ草は、

こういう草で見たことがある人は多いと思う。

水路で羊歯も一枚手折りましたが、枯れてきました。

そう思うと、雑草というのは強い。

写真が分り難いので、日本野草図鑑からの写真を

↑これ。カヤツリ草の形はさまざまです。

この形は、メリケンガヤツリ草という。

しばらく、ふたりはこの形に感動していて、心がウキウキ。

この真直ぐ伸びるシュッとた葉と固まりに見える実のような草の部分の、

数とバランスに何かを感じているわけです。

ふたりにとっては、いい感じに映る草。

わたしは急に閃き、ヒロク二さんに、

「あの、ビックバンってあるじゃない。

あれって、エネルギーから物質が出来たという、無から有が出来た瞬間じゃないですか、

そして、その物質から宇宙が、この世界が出来上がって、

その物質から私達も出来ているということじゃない?

私達の身体も結局は原子や素粒子で出来ていているということでしょ。

宇宙に通じるものが、私達にもあるということなんだよね。

私達が見る、4万光年とかも、4万年前の過去の光を見ているという事だし・・・」と、興奮気味に話す。

ここでヒロク二さんが、口を挟んだ。

「アインシュタインとかいるじゃない。科学者というのも凄いものだと思うよ。

私の分野とは違うけど、彼らの頭脳というのも素晴らしいと思うんだ。」

科学者のことを、そんなふうに捉えていたのかと知りました。

意外でした。

普段、科学の話なんかはしない。

この草を眺めながら、こういう形になるのも深遠な法則があるような気がしました。

話が宇宙にまでいくという飛躍ぶり。

こんな話を聞いてくれるのは、ヒロク二さんしかいないだろうなぁと思った日です

 

庭は、やっと枝豆が成長してきたところ。

↑左に植えてあるのが枝豆。

ビオラが咲いている中、育苗しているのは、ねぎ、さやえんどう、イタリアンパセリ。

 

↑今年は、ペチュニアを夏の花に。

左の後ろに見えるのは、朝顔の双葉。

 

↑食卓には、あじさいのようにビオラを飾りました。

この容器は、蓋付きの容器(陶器)なのですが、

口が細くてビオラを飾るのに適しています。

この白いビオラは、咲き始めは白いのですが、だんだん花びらの縁から青みを増します。

種から継いでいるビオラなので、花に安定感がない。

しかし、あじさいに見立てるのはいい感じでした。

 

ヒロク二さんは、野蛮人さを発揮したり、ロマンティストになったりと極端な人。

わたしは、現実をこなすのに追われていますが、

もしかしたら現実を考えるのが好きな性質なのかもしれない。

「現実が好き」何だこれは?と思いつつ、この辺にします。

話が飛躍したり、あっちこっちへと思いが飛んでいますが、

今日も、お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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CREWS(作品紹介672)と ヒロク二さんと看護婦さん達

2022-05-14 18:30:01 | Weblog

B4サイズ。半紙の大きさ。

鉛筆、色鉛筆、クレヨンを使用。

この作品は、企画展に出品する作品になります。

何かが立ち現れたような印象もします。

この絵の制作中に背中にコブのようなものができ、

それが破裂して、病院で手当をうけました。

その痛みと老体に鞭打って、家に着くなり、また制作。

「ちょっと来て。」と呼ばれると、この絵がありました。

「そんな絵描いてたの?」と言ったら、

「痛みにかまってられないくらいに、制作を追い詰めていたからできたんだ。」

「君は、何もわかちゃいない。」と、凄む。

わたしは、時々こっそり「小姑」とつぶやき、

下を出してベーという顔をして、

視線を感じたら、真顔ですます。

その言われる「何も」の何はなんなのか?

それがよくわからないのです。

この絵はそんな状況下で制作されていたようで、当人はよれっていたにも関わらず、

パワー系の作風。

「人は落ち込んでいる時にも、いい絵って描けるもんなんよ。」と武内は言います。

この絵が、そうなのかもしれません。

この作品は、神戸にある“ギャラリー島田”で、5月28日~6月21日に、

企画展にて出品します。

久しぶりの出品になります。

この絵を描いている時にかけていた音楽も印象に残りました。

いつもよくかける音楽と違うようだったのと、

何をかけているのか気になったので、思わず確かめた。

正直いうと、いつもCDのジャケットの識別だけで、聞き分けているのがわたし。

名前とか曲の名前をあまりしっかり覚えられない。

いつも、ヒロク二さんは人名や曲名をすらすらいうのが不思議でしょうがない。

気になったということは、「いいかんじ」と思っていたということ。

ライトニン・ホプキンスをいいかんじと思う感性は、

わたしのいったいどこにそういうものがあるのか?

謎だわ・・・、と思っています。

この絵を描く時は、どうしてこの選曲だったのか?

そんなことも考えながら、絵を見るのも楽しいと思います。

 

 

一段落着くと、「俺は、コブのことをバカにしていた。」といきなり話しだす。

そのコブは、“おでき”と一般的に言われるもの。

バカにするものが、なにやらおかしい。

病院へ連れていく一週間前に、「これ見て。」と呼ばれた。

「大きく膨れて、コブのまわりが赤くなっている。」と返事した。

調べると、膿が溜まっているのを皮膚に傷を入れて処置してもらわないといけない、というのが分った。

早めにした方がいいと思い、声をかけるが「もうちょっと待って。」の声。

毎度のことなので、最近、わたしは待つ忍耐が早く切れるようで、途中から忘れていた。

いきなりアトリエから出てきて、わたしを見る。

顔を赤くして、形相まで変わっている。

「病院を予約して・・・。い・た・い。」と喘ぐ声とともに、脂汗を出していた。

予約した病院の診察室に入って、服を脱いだら、赤く腫れ上がって、身が破けてきているという・・・。

診察室では、「先生、右肩のやつを酷使しているから、

こういう痛みは起こるのだと思うのだけれど、そのへんのとこはどうなんですか。」と、

変な質問をしている。

先生は、「まず、看ましょう。」

(先生、切り返しが上手と感心)

見た途端、「○○先生呼んできて。」とすばやい判断。

そして、すぐさま、処置室に移され○○先生の手に委ねられた。

しかし、その“おでき”の大きかったこと!

説明で、呼ばれ、先生が「見ていて下さいね。」と言い、

その傷口から小さいハサミを入れるとづづづ・・と奥まで入っていく。

怖くなって、「気が遠くなりそう・・、もう直視出来ません。」とわたしは音を上げた。

直径7センチぐらいの空洞があるそうだ。

良人が処置室を出たあと、「奥さん、ちょっと。」小さい声で話される。

話された内容は、

「普通は、3㎝ぐらいの大きさでも痛いと大抵の人は言って診察にくるんです。

何故、あそこまで耐えれたのですか?」と。

続けて言うには、「処置はここ当分、毎日きてもらわないといけないと思います。来ますね。」

と念を押された。

いつもの流れです。

医者と主人の間の通訳係。

お医者様は、確実性を求めているのだと思いました。

やっぱりヒロク二さんという人はフワフワした感覚を発散しているので、

不安なんだと思う。

ハイハイ、と肯いて聞いているようで、まったく聞いていないということもよくある。

処置が終わったら、服に付いている絵具を血と間違えた看護婦さんがいて、

ヒロク二さんは、「絵描きなんだよ。」と言い、看護婦さんにワーワー言われて、楽しそうでした。

「映画になった画家の人に似てる。」とも言われ、それが「熊谷守一」だったりして、

「そうかな?」と照れたり。

一瞬、看護婦のアイドルでした。

看護婦さんの気性の良さに助けられた。

もう、カッコをかまってられなかったようで、股引姿。

着替えられないというから、「もう、そのままでいいから。」と言った。

その服装だからか、看護婦さんもリラックスしていたようで、

「おできをどうしてこんなに熟させてしまったの?」

「くだものみたいにいうなんて・・。」合いの手の声が。

ヒロク二さんの、どうしてこういうテープなんだ?という質問に、

「ここはねぇ、貧乏なんよ。最新の医療を買えないのよ。」

「だから、許してね。」

また、テープの跡をきれい拭きながら、

「ぼろっちいテープでごめんね。きれいに剥がれるテープもあるかもしれないのだけど。」

「これもやっぱり貧乏のせいなんよ。」

「これに懲りず、また明日もきてね。」

皆、おかしなことを思い付くようで、

思わず聞きながら笑ってしまいました。

しかし、頑丈そうで粘着力の強い古風なテープを久しぶりに見た。

スタイリッシュの真逆の代物。

いかにも怪我してます!の風情。

まあ、看護婦さんとヒロク二さんのようすを眺めながら、

やっぱりフワフワ感はヒロク二さんによく似合っていると思いました。

ヒロク二さんといると、みな冗談とか言いたくなるのか?

私も、悪ふざけをするようになったのはヒロク二さんと結婚してからだもの。

↑曇りがちの日でしたが、ジャーマンアイリスが満開。

緑が多い中、よく映えています。

↑生育がいまいちなのですが、今年はじめて咲いた色合い。

どんな交配でこのビオラになったのか?

蜂が受粉させると、違う種類の花だったりするらしい。

ブルーを感じさせる紫が気に入りました。

左右と下の花びらに縁があるのも古風でいい。

我家では、咲き始めるのが遅かったので、今が一番花を付けています。

 

 

 

今は、傷のための抗生物質をヒロク二さんに渡す度に、

ウクライナの人の傷の手当には、こういう薬は必要なんだと思いました。

傷が化膿しにくくなる薬と聞いて。

ヒロク二さんの病院通いは、続きそう。

長い間だかかって出来たものは、長い時間をかけて直るということです。

なるほどと納得しました。

いつも、ヒロク二さんに驚かされてながら、日々精進。

ブログをお読み下さりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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静止(作品紹介671)と 柿の葉寿司作り あれこれ

2022-05-06 17:49:35 | Weblog

F8のキャンバスにアクリル絵具。

フォークロアな雰囲気の作品。

この頃から人型への思考があるのがうかがえる。

この頃と書きましたので、いつの頃のか?というと、

40年ぐらい前、ヒロク二さんは、40代の頃の作品と思われる。

わたしは、鍵みたいだな、と思い見ていました。

写真を撮るのに、部屋に立てかけてあると、

「それ、どこから持ってきたの?」と聞かれ、

「奥の部屋(物置き場になっている)の壁にかけてあった」と答えた。

「そう。」と言って、またアトリエに篭りました。

わたしは、けっこう好きな絵だったので、わざわざ壁に飾っていたのです。

この絵のザクザクと尖がっていたり、切れ目が見るものに、

エモーション、情動を起させます。

また、子供の頃した遊びで、「だるまさんがころんだ」というものがありました。

「だるまさんがころんだ」という声の間に、動く遊び。

ピッタッと動かなくなった瞬間のようで。

時々、おかしな格好をする羽目になるのが出てきて、

笑いをさそう。

そんなことも思いだしてしまいました。

この絵は、形が洗練されているので、

このような遊びとは随分違うのですが、

“ピッタッと動かなくなった瞬間”つまり、静止した時の静けさが似通っている。

ヒロク二さんは、わたしのように集団で子供っぽい遊びをしたという話は聞きません。

唯一話したのは、「鬼の橋渡った」らしく、

「鬼が突き飛ばしよるの。なんでぇて思ってね。嫌になってよぉ。」と言い、

「あの土に線を引くあの在りようは、いいんだけど、なんか触られるでしょ。

 気安くさわりやがると思って、好きじゃなかった。」と。

ナンだか、子供の頃から“自分は特別”みたいに思ってそう。

今も、自分は特別な人、つまり“芸術家”で、他の人と違うと思っているところがあります。

普通と特別の間で、ゆれることがない。

とてもいい。

しかし、時に孤独になることがあって、

孤独感が増し、許容出来なくなると、

惨め路線へ真直ぐ進むようで、その時の雄叫びも激しい。

ストレートゆえに、面食らう。

それも憎めないような感じがあって、得な人だ。

芸術家って、孤独になりやすい人種だと思います。

個性か強ければ、強いほど。

だけど、自家製「柿の葉寿司」を食べたから、

我が良人は、大丈夫!です。

 

柿の葉寿司を作りました。

以前作ったときは、柿の葉を取って洗ったもので作りましたが、

今回は、葉を洗ってから塩をして、重石をして葉を柔らかくしました。

改良一点目。

以前は、買ってきたしめ鯖だけでしたが、鯛を酢昆布締めにしました。

改良二点目。

自分で握らないで、箱寿司を作る容器である程度、米の形を決めてから

それを葉にのせて包みました。

改良三点目。

↑これが、持っている押し寿司の型なのですが、もう少し幅を小さくしたいので、

板を切り出して、添え木を作りました。

では、行程を紹介します。

↑柿の葉を、まず洗ったところ。

布で拭いてから、これに塩をすりこんで、重ねてビニールの袋に入れ、本で重石をしました。

2時間ぐらい。

すると、葉がやわらかくよく折れ曲がるようになりました。

↑葉が思ったより小さかったので、二枚重ねて包むことにした。

ご飯の下には、しめ鯖、または鯛の昆布締めがあります。

↑包んだものを、大き目のタッパに入れました。

空いた隙間には、残った柿の葉を詰めた。

↑重石の下に入れる蓋のようなものがなかったので、水彩のパレットを重ねた。

その上に重石をした。

袋に入っているのは、庭から持ってきたもので、

万が一砂がついていたら嫌なので、ビニール袋に包みました。

そして、冷蔵庫の中で一晩寝かして翌日食べます。

 

翌日、今日6日にヒロク二さんが、

「お腹すいた。なんか食べさせて。」というので、

「柿の葉寿司、食べれるよ。」といいすぐ取り出した。

無言で食べていたので、「どう?」と聞くが、

「さほりの作ったものなんだから、美味しいよ。」と。

言い方が変だ。

後で食べてみると、ご飯が固めすぎるし、何かが足りない。

レシピのとおりしてみたのだが・・・・・。

敗北感をしばし、味わった。

そして、わさび醤油をつけて食べて、気を取り直した。

次は、ご飯は普通に炊き、塩味として昆布だしを加えて、味見をしようと思った。

この手間を考えると、やはり「柿の葉寿司」に関しては、

買った方がいいという気もした。

奈良の吉野にある、創業何十年という老舗の「柿の葉寿司」があまりにも美味しかったので、

それが忘れられない。

それで、柿の葉を見ると、つい「自分で作れば・・・。」と思ってしまうのでした。

次作れば、三度目の正直になるのでうまくいくかも?と期待する。

ご飯が、かたすぎるのはよくない。

しみじみ思いました。

 

庭では、ジャーマンアイリスが。

↑今年は、たくさん花が咲きました。

↑薄い藤紫色なので、陽射しがきついと白っぽく映るので、夕方に写真を撮りました。

蕾もまだあって、こんなに花が咲くのは初めてです。

植えっぱなししてから、何年経っただろう。

最近、何年経つのか?と思うことが多くなりました。

 

↑最後は、食卓のビオラ。

口が小さくなった容器に。

いろいろなビオラをアラカルト。

どれも、種から育てたもので、華やかさがないけれど、

我家の食卓にはよく似合います。

 

柿の葉寿司は、細かにする作業が多くて、疲れたような。

いや、お味で疲れたのかも。

気落ちしました。

その代わりに、ジャーマンアイリスが花を咲かせてくれています。

しょんぼりして、庭にある椅子に座っていました。

気落ちした時こそ、花の持つ癒しの力を感じながら。

偶然、今年は花がたくさん咲き、いつもと違うジャーマンアイリス。

初めてのことでした。

そして、料理に失敗して気落ちした時が重なりました。

偶然は必然と言われますが、こういう偶然が起こるのは、

何かが与えてくれた恵みのように思います。

 

 

今日は、失敗談でした。

努力して失敗するという・・・。

しかし、失敗は成功の元として、糧にします。

たかだか寿司のことですが・・・・。

今日もお読み下さり、お付き合い下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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