武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ふんわり軽い(作品紹介686・697)と 夏の終わりの夫婦喧嘩

2022-08-27 18:10:43 | Weblog

春をイメージしたかのような絵。

花が咲き終わった後、種をつけ、その種を遠くに弾き飛ばしているような感じ。

色がパステルカラーで、武内の絵と思えない色使い。

女の子らしき姿の頭から髪が波打つようすもファンタジック。

可愛いさ満開の絵。

「どうしたんですか?武内先生?」と言いたくなります。

それでも、形は武内らしく部分、部分を見ると、元々持っている形だというのが分る。

「星の王子様」に対抗して、「花のお姫様」と言ってもいいかもしれない。

雰囲気が化粧品のパッケージや、ファンシーグッズにもありそう。

はじけた感じは、何かから解放されていて、とてもはしゃいでいるようでもある。

 

この絵は、フェイルされたブックから取り出しました。

わたしが、どの絵を上げようかな?とアトリエの絵をあれこれひっくり返して見ていると、

急にふり向き、「絵はねぇ。このフェイルに収納しているから、ここから取って。」言われ、

その中から選びました。

いつもの絵ではないから、目が止まってしまった絵になります。

その横にもう一枚、同じスタイルで描かれた絵がありました。

↑上の絵と同じサイズ、同じ描き方。

ボールペンに色鉛筆で彩色されています。

わたし的には、宇宙人みたいに思えるところが気に入っています。

髪型は、いつも出てくる少女の髪型。

左は、アンテナが頭から出ているし、

右は、頭の上に桜島。

幼少、九州で育っているので、

桜島の噴火の灰が小学校の教室に薄っすら積もる様子を語ってくれたりします。

だから、富士山ではない。

このスケートボードのような宇宙人の無口感が、とぼけている。

上の絵は、喜びの言葉が聞こえてきそうだが、

下の絵は、言葉は言わないという無言が感じられる。

メモにも近い絵だけれど、こういうあっさり感のある絵は少ないないので、

新鮮に感じました。

どことなくキュートな雰囲気もあって、そこがいいのでしょうか?

武内は、下書きはしないので、一発で描いたものです。

いつも、勢いを大切にしています。

 

 

秋を感じる今日この頃。

庭では、雨が降った後、虫の鳴き声がするようになり、

スーパーの店頭で、かぼちゃを見かけ、手に取りながら、

「やっぱり秋を感じているのだ」と思いました。

しかし、すっかり夏バテの様子で、することを伸ばし伸ばししてしまい、腰が重い。

こういう時にしてしまうことの1つとして、夫婦喧嘩がある。

やってしまいました。

気温が下がったので、曇ったとたん、窓を開けられて・・・。

室温、クーラーを入れて29℃~30℃の我家。

食事の準備で台所で火を使うころに、いきなり窓を開ける。

湿気た空気がしのびよってくる。

何度か続き、そのたび毎に、「料理をする前は勘弁してくれる?火を使うから暑いのよ」と言い、

開けられた窓を閉めまわる。

言っても人の話を聞いていないようで、トドメの窓開けをされた。

これは、我慢すべきか、すべきでないか?という気持ちの揺れが起り、じわっと滲み出る汗とともに

「もう、がまんできない!」に軍配が上がり、怒りが爆発した。

「ちょっとォ!どうして自分中心なわけ!」

「わたしは何度も言っているよ。料理の時は冷房を入れて欲しいって!」

「自分さえ良ければいいのか?」

ここまでは、立て続けに言う。

「何だか、むかむかして来て、もうやる気ない!」

「それにさ、不平不満ばっかり言って。不平不満言って、何かいいことある?」

「前向きな気持ちも台無し。わたしも気持ちが腐った」

そうすると、「君もおもしろくないのだったら、私と同じじゃない。そうでしょ。それでいいじゃない」と。

この言い草に、かなり腹が立ち、

「勝手にご飯を食べてね。知らないし」

こう言うと、部屋は静まりかえった。

いいことではないのですが、忍耐の尾が切れて、腹立ちが大きいと食事を取るより、

怒りは野放しにして、収まるまでじっと待つ。

気分転換はしない。

気分転換が出来る人、偉いと思う。

高濃度で怒りに集中する。

すると、一晩ぐらいで終わることが多い。

腹立ちの余韻は2日に収まり、3日目できれいになくなります。

ヒロク二さんは、1人でご飯を食べていました。

(冷蔵庫になんやかんやある。ご飯も炊き上がっている。

 缶詰(さんま、いわし)もあるし、ちょっと可哀想な気もするが、自分を優先する)

一夜空け、翌日、ヒロク二さんが手を振りながらわたしを見ている。

「今日は、花がきれいだよ」と言ってきた。

「さようか」と言うと、ギクッとした顔をして引っ込む。

アトリエに行った。

気持ちを立て直したりしてるのか?

この様子を見ながら、「まだまだ、距離を持った状態を維持しなくては・・・。

このわたしにネチィッとくっ付いている感とまだ距離を持ちたい。

普段、ぴったとくっ付いた感じで、不平を聞かされると嫌なんだろうな」と思った。

不平不満の汚物を浴びせられ、まみれる感じが。

わたしは、「不平不満は心の纏足」と思っている。

さしずめ、わたしの纏足は、ヒロク二さんのことが多い。

これにも、ムッと来る。

窓をわたしの部屋まで開けるのは、親切のつもりなのか?

自と他を、分けてないのだろうか?

「クーラーが嫌だったら、自分の部屋の窓を開けて、自分の部屋で調整したらいいでしょ!」と

きつく言い渡したが、理解したのであろうか?

暑い真っ盛りの時は、うまく2人で過ごしていましたが、

雨の後、気温が下がり、湿気だけが高くなってから、

毎夏する、夫婦喧嘩をしてしまいました。

大抵、クーラーを入れる入れないで、我慢するわたしにが怒るのです。

まあ、今日の名言、「花がきれいだよ」は、

あからさまな「仲直りしようよ」で笑いそうでしたが、

ちょっと離れて欲しいので無碍にしました。

そう、ヒロク二さんは、「寂しがりや」なんです。

そうだけど、人の嫌がることばっかりしていると、なおさら寂しくなると思うので、

怒ったり、思っていることを言います。

これでも、以前と比べたら夫婦喧嘩は随分減った。

どういうわけか、いつも仲直りしています。

コツというか、心得ていることもあって、相手を追い詰めるような喧嘩はしない。

また、それ以外、相手の家族に話を広げない、腹が立ったことのみに集中する。

これに気をつけています。

しかし、暑い中、湿った空気や、バテテいる身体と不快指数で、たまりませんでした。

ヒロク二さんは、普通じゃない人なので、普通の素晴らしさというものを感じる次第。

その普通って何?って言われると困りますが。

普通の人の異常さは、私たちにとっては異常なこともあるのです。

何だソレ?

 

 

↑今は、花が少なく、朝顔も今日はまばらな状態。

カクノトラノオが咲き始め、夏の終わりの知らせ。

オレンジのエキナセアが一本だけあり、バジルとひまわりを合わせました。

簡単にいうと、ある花寄せ集めたものを食卓に飾りました。

カクノトラノオを搭のような感じにして。

ヒロク二さんから、花を飾ってと言われていて、

「何か寄せ集めになってしまって・・」と言うと、

「まあ、それでもいいじゃない」と言われました。

夫婦喧嘩は、台風のように去り、仲直りをいつの間にかしています。

いつも仲の良い夫婦がいるのは知っていますが、

私達は雨降って地固まるタイプの夫婦なんでしょうね。

たまに、台風もあったりと。

あまり書くまいと思うのですが、今日は夫婦喧嘩の話になってしまいました。

書き方を変えてみましたが、内容は、代わり映えしないと思います。

「蓼食う虫も好き好き」という言葉もありますが、

「夫婦喧嘩は犬も食わん」を実践しています。

今日も、最後まで読んでお付き合いして下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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夢想の地平線(作品紹介685)と 一日の中のドラマ

2022-08-20 14:34:25 | Weblog

「夢想の地平を飛ぶ戦士」意識下の世界を巡る。

そのようなことを思い浮かべました。

武内の絵は、深層意識というものに接触している作品もあると思います。

見た夢を自分で分析したり、

話しながら味わったりと。

夢の話をよく語ります。

その淡い思いのような空間を、飛行機で飛んでいる。

そんふうに思いました。

この絵は、クレヨンと鉛筆を使用。

左中央の鉛筆で描かれた部分は、遠くに浮かぶ島のようにも見え、

そう思うと青い部分が「海」のように思えてくる。

この左上に描かれている人をよく見えるように部分を見た。

船というよりは、飛行機だと思う。

それも、小型プロペラ機。

でも、翼がない。

抽象的にとらえているのだろう。

この飛行機は、カタカタと音を発てて、マイペースで進んでいるのだろう。

現実生活では、「究極のマイペース」な人です。

時々、迷惑なくらい。

この絵も独特で、絵もマイペースを崩さず進めています。

今は、アトリエから紙をなめす音が聞こえています。

これも独特なのです。

 

よく、我が夫のヒロク二さんの特異なところをあげつらっていますが、

わたしも人のことは言えない時があります。

わたしの場合は、驚愕ほどではありませんが・・・。

きゅうりと卵が切れたので、さっと買い物してこようと思い立ち、

すぐだから、もうカッコなんてどうでもいいよね~と自転車に乗って出かけました。

そのカッコなのですが、

インドネシア製の柄物で、足の首のところにゴムが入って、バルーンみたいになるパンツ。

上は、黒の長袖で、腕のアームをつけるのがめんどくさいから、コレ。と着た。

首の部分に切れ込みが入っている。

ベトナム風になった。

帽子をかぶり、マスクをつけた。

この帽子が、ジャックルコーというフランスのメーカーの帽子で白と青のボーダー柄。

日本製ばなれしている帽子で、何となく帽子が周りから浮く。

このいでたちで、家を出た。

自転車の鍵が、かけたらあけ難い。

ちょっと嫌な予感がして、まずホームセンターへ行き鍵を試してみた。

あき難いが、なんとか無事に外せた。

スーパーに付き、また鍵のことを考え、そのままにして置いた方がいいかもしれないと思ったが、

いやいや、やっぱり鍵をかけないと安心できない。

「また、無事に鍵はあくだろう」と思ったのが間違いだった。

スーパーを出てから、鍵と格闘すること1時間。

暗くなり雨も降ってきて、それも止む。

もう、だめ!と思い、人を頼ることにした。

まずは、スーパーの誰か、男性はこういうことに詳しいかもと思ったが、

となりのホームセンターで聞いた方がいいと言われ、ホームセンターへ。

サービスカウンターで、自転車の修理をしている人にどうしたらいいか?を聞くと、

「鍵は、壊すしかない」と言われ、

「どうやって壊すのですか?」になり、閉まっているので、輪をノコギリ、専用のノコギリで切らないとと、

言われ、今度はノコギリを探すのに店員さんが変わった。

一緒にノコギリを見ながら、

「さっきまで、鍵を開けれたのですけどね~。このノコギリですか?」と言いながら、

無駄な出費に気持ちが落ち込んだ。

こうやって、積み重ねてきた節約が、一瞬にして無になることがあるなんて。

「雨が降った後から、おかしいのですけどね」と言うと、

その若い男性の男性は、ムム・・・、という眼差しを向け、

「奥さん、それ551でいけるかもしれません」と。

「551って。あーあの油を差すやつ!」

「そう、もしかしたら、錆に引っかかっているのかもしれません」

「551ですか」と安堵をつきながら言うと、

「551じゃなくて、556です。551は豚饅です。551は蓬莱です」と。

頭が静かになって、あの赤い箱と豚饅と蓬莱の文字が浮かんできた。

「あのう、確かアイスキャンデーもありますよね」と言った。

「すいません。僕が551とわざと言ったんです」

は?って感じ。

大声で、551を買いますと連発していました。

556の話が出たところで、鍵はあくに違いないと予感がした。

天然丸出しのような気もするが、

「まあ、冗談まで思いついてくだすって、楽しかったわ。きっと、鍵はうまくあきますわ」

「僕も、そう思います」と言いながら、向こうもニコッとして別れました。

お互い、やった!というものを感じました。

鍵は、うそのようにあき、長い道のりが終わる。

いでたちも、かなりアレなオバサンだったので、どういう印象を与えていたのか?

それも、後から気になりました。

 

帰るとヒロク二さんが心配していて、

「行ってもいいと思ったけど、俺はここにいた方がいいと思って」と。

鍵のことを話し、「今回のことは、何をいわんとしているのかって、教訓を考えていた」と言うと、

即、「物を大切にしろってことだ。自転車を庭先に放置して、カバーもしない」

「何回言っても、そのままで。いつも雨ざらしにして」

「わたしがせめてと思い、傘でカバーしてあげているだろう」

「これを境に、大切にしなさい」

わたしは、しーんとして聞きながら、「そうです」と肯く。

それよりも、自転車に油をさすことを知らなかった。

いつも、ギコギコいったり、チェーンが外れることもあった。

また、「鍵があかなくなるかも?」と思った瞬間の予見のことも考えた。

こういう時は、その声に従った方が良いということかもしれない。

しかし、ヒロク二さんの言うように、自転車は大切にしないといけないと思いました。

 

もう1つ、こういう時に限ってがあり、

買い物でも、普段買わない水物を多量に買い、鞄がやたら重たかった。

一息いれて、遅い時間になってから、夕食を作り始めました。

 

その日の朝は、朝顔がたくさん花をつけ、いい一日の始まりと思っていました。

その朝顔はこちら。↓

↑雨が上がったあと、たくさんの花が。

↑上の写真とは、向きが違う。

蔓が下に延びているのもあって、地面をはっている花もあります。

↑色味は白っぽいブルーや紫がかったりと。

 

一日の間に、たくさんのドラマがあったように感じました。

その間、こちらの猫のドラマにもはまっています。

↑猫、それも野生の森に澄む猫の物語で、荒々しい物語。

喧嘩のシーンの描写は、読み応えあり。

全米で100万部売れていて、映画化が決まっているらしい。

サバイバル感覚も楽しめます。

四人の作家(イギリス人3名、アメリカ人1名)で書いています。

 

わたしも、空想が好きみたい。

でも、夫のような夢想はしません。

今日も、こんなわたしの文章を最後まで読んで下さった方、

ありがとうございます。

 

 

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ペシミスト(色鉛筆・作品紹介684)と 悲観も極に至れば

2022-08-13 16:47:24 | Weblog

この絵の左をを指差して、

「この人はペシミストなの。この絵はペシミストが描いた絵なんだと言って、皆で笑う絵なんだ」と、

解説してくれた。

ますます、分りにくい。

かえって頭が混乱する。

「中央の、白いお皿に料理がのっているように見える部分があるけど、

 これ、しあわせ食堂の本の書き下ろしのカットのメモを使ったの?」と聞いた。

「ああ、それ模様が見えるよねぇ。何だろうねぇ」と。

「ハンバーグでも描いたのかと思ったんですが・・・」と言うと、

「それは違う。しあわせ食堂のメモじゃない。違うメモを使った」と返事が。

さらに、「左の形がいいと思って、これから使おうかと思って仕上げてみた」と言う。

現在、台所に簡単に額装され、飾られている。

台所にいる度に、見ていると、フッとにこやかになる。

そして、「ユーモラスなこと」と思う。

プイッと顔を背けているところが、いじらしい。

これが、ペシミスト?

そう思うと可愛いけど、ペシミストの意味は「厭世思想」とか「悲観主義者」とあり、

調べると、

この世が嫌いな人。 この世に生きるほどの価値はない、という思想の人。 厭世家。」だそう。

大雑把に言うと、ものごとを悪い方に考える人のことでしょうね。

(語源はラテン語で、最悪のものを意味する「pessimum」に由来するそうです。)

そういうのを見て笑う絵なんだろうか・・・。

描いた武内は、言いながら、笑っていました。

わたしが思うには、普段、武内は心配性で物事を悪い方に想像することが多い人だ。

「石橋を叩いて渡る」タイプ。

もう少しニュアンスをたすと、「石橋を叩いて叩いて、壊してしまってどうするの?」と言うくらい、

同じ所に留まり、「早く、渡らないとかえって危ないでしょ」と言う具合。

無意味な用心をします。

心配性だ。

また、この世のことを“シャバと言い、斜に構えて世の中を見ています。

そんな武内の顔が、パソコンの画面の上から見え、「ちょっと話を聞いて」と言われたら、

即、「その話っていい話なの?」と上目ずかいで見る。

すると、「いや、・・・・・」と一歩引いて無言に。

「やっぱり、悪い話で、最悪のことを考えていたの?

 それは、それでいいのだけど、不安とか悪い考えって、かえってそっちに近づいて、

 やっぱりそうなったと納得する事態に成りやすいと思わない?

 いい流れの方も、同時に考えてみたら?」

と、老眼鏡を鼻眼鏡にして言う。

わたしは1つ決めたことがあって、

「未来のことで、不安や心配しすぎになる時、不安や心配ばかりして悪い状態になるよりも、

不安や心配もせず未来を考え、出来ることをして、結果として悪い状態になるのなら、

後者の方がいいと決めた。」

決めてから、まだ変更していない。

不安や心配は打ち消すことで消えるものは消し、どうしても解決しないものは、なんらかの対策を考えるというふうにすることにした。

それと、自分の心の中に、意外な不安の原因もある。

これが取り除かれない限り、同じことを繰り返すような気がします。

でも、それが自分では、はっきり分らなかったりする。

こう思うまでには、いろいろなことがあり、理不尽と思う出来事もありました。

(内容は割愛します。関係ないわたしにトバッチリが降りかかったというようなこと。)

しかし、理不尽な事というのも、生涯に一度は体験するようになっているのかもしれないと

近頃、思い至りました。ある種の法則のような感じがした。

このことに気づくまでに、なんと時間がかかったか。

やっと、この頃の「負の感情」を手放しはじめているところです。

今振り返ると若い時の方が、わたしは厭世的で「なんだか面白くないわ」と思っていました。

現実と理想の差が大きく、またその理想とやらもあやふやで、

社会に出てからもぎこちなく、未熟なので感情に支配される始末。

強烈な理不尽によって、厭世的では生きれなくなって、生き延びなくっちゃとなり、

今に至ります。

生きる価値はあるのです。(笑)

 

ヒロク二さんはわたしと違って、極端を行ったり来たりするので、

急に楽天家になったり、重苦しい悲観者になったりしますが、

これはこれでバランスをとっているのでしょう。

それと、絵を描き続けている限り、体力要りますから前向きにならざるを得ないというジレンマ。

そこで楽天的になる。

やはり、悲観ばかりでは難しいのだと思いました。

 

今、アトリエで制作に励むヒロク二さん。

物音がかなりしている。

制作をやってるのね、と思う。

ヒロク二さんの部屋は、クーラーがないですよねぇ~。

扇風機で風を送っているだけ。

厭世家ではここまで頑張れないと思います。

 

 

ひまわりの花数が増えてきました。

↑まだ、背は高くなりませんが、花が多く咲くように。

秋ごろまで咲くらしいので、どれだけ大きくなるか楽しみにしています。

 

↑暑くて庭に出るのがおっくうになってしまい、草もボウボウ。

さやいんげんも抜いた。

石がある所に植えていました。

春蒔いたネギがやっと成長してきた。

まだ、大きくなっていませんが、冷奴に添えるのに役立っています。

細かいネギですが、意外と丈夫。

 

↑花が少ないのでニチニチ草を買い足しました。

選ぶ時、ホームセンターも暑くて、どの色にしようかと決められなくて、

かえって長居してしまいました。

 

ペシミストというのは、

「この世は最悪で苦しい世界ととらえている」ということから、

不安とか、心配の話になり、私的見解を書きました。

わたしは東洋人だなぁ~と思うのは、

「禍福は糾える縄の如し」の如く、何もかも「悪」と捉えきれない部分があります。

西洋の言葉を、カタカナで「ペシミスト」と言うと、気取った感じがします。

日本語で語って欲しい。

未だに、「イノベーション」と言われても、さっぱりなんです。

今日は読み難かったかもしれないと思いつつ、

最後までお読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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西方(色鉛筆・作品紹介683)と 暑い日のおかしな日常

2022-08-06 16:09:48 | Weblog

今日は、旧作から。

八九年十二月と記入されている。

武内ヒロク二、51才。33年前の作品になります。

出合った頃のの作品で、結婚するしないでもめていた頃の絵になります。

ロマンティックに言えば、「恋をしていた」時期。

パンツの形をしている旗が懐かしい。

右下の文字は、

「西へ向うんだ

 その方から

 匂うんだ

 まちがっても

 いいから見つけるまで

 とぶんだョ」

と、詩のような文面が描かれています。

この頃は、ラブレターと称する“日記帳”が送られてきたり、

“いら草”について書いてある手紙が送られてきたりしていました。

“いら草”についての内容は、いら草のからまるような詩的な文面と

その手紙から発する、精神が沈みこんだ胸中の透明感や、

その中から光を見出そうとする苦悩が書かれていて、

危うい感じがあり、心配して電話をしたことなどが思い出されます。

電話して会うと、意外と元気そうで、

「いやぁ、さほりと会えたのだから嬉しいよ。」と言う。

もう、このストレートに、こういうふうな物言いに毎度驚くわたしは、

「だだ、人として心配したんです。」と相変わらずそっけない。(当時)

会ったら、会ったであちこちに引っ張り回され、

夜になっても街のあちらこちら。

次の日、仕事がしんどいこと。

 

話を元に戻します。

この絵を見ると、危ない胸中にいたのだなと感じる部分があります。

“から草”の手紙に通じるものがある。

「西へ向かう」とありますが、その頃は手前勝手に九州の方のことか?と思っていました。

住まいが明石にあったので。

近年、古典にて、西行の「山家集」を読んでいる時に、

西行の名前の由来は、阿弥陀仏の極楽浄土が西にあることから「西行」と名乗ったとあり、

「西」というのは、極楽浄土のことを指す場合もあるというのを知った。

この頃は、仏教に傾倒していて禅寺にも行っていたことを考えると

「なるほど。」と今思えるのです。

この頃から、「飛ぶ」というオブセッションがあり、表現は変わったが今も健在です。

変化としては、浮遊感覚がある絵も多くなりました。

澱んだ川のところに船があり、

不思議な円径がいくつかあり、

「地獄から這い上がりたい。」

「ここを突破するのだ。」

その葛藤、そのものが絵に表れているように思います。

色使いも、この絵の特徴で、こういう色彩の絵は、今はありません。

 

絵の描かれた当時は「西、西って。東はダメなのか?」と言ったりもしていました。

わたしは、即物的な単純に考えを行ったり来たり。

「君は、無味乾燥な人だね。」ってよく言われています。

今、時間を経て、そうか・・・と分る時って、

あるんだなと思い、年をとるのも悪くないと思いました。

 

雨で涼しくなりました。

それはそれで、急に気温が下がるとホッと一息入れてしまって、疲れが出る。

連日の暑さでバテ気味。

ヒロク二さんは、朝から「出べそ。」「出べそ。」て、わたしに言う。

「マイルス・デベゾ。」とか言って、1人で受けていらっしゃる。

「お前も出べそだ!」とわたしを指差して笑う。

私的に受けてないので、合わせようとすると、

「疲れるから、やめときなさい。」って、天から言葉が降りてくる感じがする。

どうしよう・・、と思っていたら、図版から切り取った紙を持ってきた。

この方がいいと思った次第。

↑そう、笑えない冗談よりこちらの方が断然良い。

「それ、面白い。それは、ピカソの陶芸の作品?」と聞くと、

「全然違うものだ。」と言う。

「じゃあ、それは古代の文明のもの?」と聞くと、そうだと言う。

クレタ文明を思い浮かべてみた。

切り取られているので、詳しいことが分らないのが残念だ。

それから、私達は、この切り抜きについて、ああだ、こうだと延々話す。

この形や腺に興奮しているので、この切抜きをいろんな所に置いてみたりした。

2人でここはどう?とか言って、「そこよりここだ。」とゲーム感覚で遊ぶ。

最終段階として、ヒロク二さんのメモを引っ張り出し、置いてみたのでした。

う~ん。ヒロク二さんの絵も古代感覚があるような気がしてきて、再び、う~んと唸る。

フランス映画などで、確かゴダールの映画だったと思うけれど、

唐突に、古代の彫刻が映し出されることがあり、意味が分らなかったことがありますが、

ヨーロッパの人が見ると意味があるのか?と思ったことがあります。

たぶん、地中海文明はローマ帝国の文明と近く、

日本人であるわたしとは違う親近感があるのだと思う。

ピカソの陶芸の作品も、地中海文明から大いに影響を受け、制作されたと言います。

それを、日本人のわたし達が鑑賞し、感覚を見て学習するということに。

こういう感覚の伝播って、面白く楽しい。

クレタ文明は、紀元2000年も前の文明ですが、かなり高度な文化を持っていて、

高度な建造物が建ち、海洋国家だったのです。

この切抜きから、たくさんのことを想像しました。

こんな紙切れで遊ぶ大人。

わたし達ぐらいでしょうか?

ピカソの陶芸も紹介します。

 

↑切抜きの写真と通じるものを感じませんか?

 

 

庭の花は、大雨でぐったりしてしまっています。

なんとか大丈夫そうな花を手折りました。

↑庭のひまわりです。

ひまわりとよもぎの葉を合わせたものを食卓に飾りました。

ヒロク二さんは、「何か、すっきりした感じだ。」と言いつつ、通り過ぎました。

 

暑さは、また戻るのでしょうね。

麦茶とスイカで暑さをしのいでいます。

今年は、甘いスイカによく当りますが、今年は甘く仕上がっているのか?

冷蔵庫に、カットスイカが待機しています。

そうしておくと安心する。

今日も、最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

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