冬に描かれた油絵
いつもは色鉛筆で制作ですが、おもむろに油絵を描くことがあります。
夏に描くことが多いのですが、今年の冬は、色鉛筆、油絵具と2つのテーブルを行ったり来たり出来るように
アトリエでセッティングがされています。
「冬に油絵描くの珍しいね。」というと、
「せっかく貰った絵具が使わないとだんだん硬くなるから、もったいないし、せっかく持ってきてくれたHに悪い。」
「やっぱり、なんでも無駄にするのはいかんと思って。」
「油絵具の感触も思いだすのにいい機会でもあるし・・・。」と言う。
ヒロクニさんは、若い頃、16歳~25、26歳ぐらいの時は、洋画家として油絵を多く描いていました。
貴重な仲間がいて、その内の1人は、亡くなってから兵庫近代美術館で回顧展がありました。(山本六三氏)
油絵を描くとその時の仲間とのエピソードを思い出すらしく、よく話してくれます。
仲間から「武内の絵は、なんか他のヤツと違う。」「でも、何かいい。」と言われた話や、
絵画とは?熱く語り合った日々をなつかしそうに話ます。
この絵は何か静けさと色合いがとても優しい感じがしていいなぁ~と眺めていました。
トイレに入ると目の前に入ってくるので、何時見ても色彩のふんわりした感じと、
右端の形が縄とびしているようにみえて、愛らしく思ってみていました。
我家に新しい家族がやってきました。
↑さび猫ちゃんです。
里親募集に応募してとんとん拍子で話がきまって、我家にやってきました。
目がクリクリしていて、なき声がとても可愛い女の子の猫ちゃんです。
この子は名前を付けるのに、なかなか決まらなくていろんな過程経て「ピピ」と命名した。
先居た猫の「キタハマ」も次の「ジル」もすぐ決まったので、意外でした。
今は、ほとんどゲージにいるので、ゲージの前へ行って、
ピピをみてあらゆる名前を言ってみて、「なんかあわない。」とゲージから去るという行為を何回も何回も繰り返した。
「ココ」とういう名前はどう?というと、ダメだという。
ある日、ヒロクニさんは、「ル・クレジオ(ノーベル賞受賞作家)の『愛する大地』という本を取り出してきて、
「こういう文章があるんだよ。朗読するから、さほり聞いて。」と廊下に立って朗読しはじめた。
以下、朗読内容です。
“そして彼らにはそれぞれ名前がある。みながみな小さな人間であるみたいに、彼らには彼らなりの魔術的な個別性があるのだ。
蚊のセピア、蚊のダリウス、蚊のアナンダがいる。肉につく蝿のトリュミングがいる。
油虫のブリヤン。みみずのアレクス。しらみのマリア。ばったのスミット、そしてばったのエオル。
南京虫のマルセルがいる。だにのガラパゴ。働き蜂のジョルダーノ。黒蜘蛛のサンカ。
蝶のドリアン。蛾のカザン。てんとう虫のアニア、かまきりのクノック、衣魚のフェリウス、そして甲虫のゴーがいる。
―中略―
だがまた植物もあり、他の動物たちもいる。犬のアゾール、猫のビッシュ、おうむのココ。
そして草の一つ一つにも、固有の名があり、風の重みにたわむ一つ1つの繊維に刻印されているのだ。
マニュエル、カラール、ジェロ、シリコ、アメデ、プリクスト、トニー、ゴール、テランス、オリーヴ樹のジルベール、さぼてんのアナトール。
コルク樫のジェウレミ、竹のヴァテルマン。一すじの毛の一本一本に、花々の一つ一つに、これら石とか水たまりの
一つ一つに、名前をつけねばならぬ、忘れてしまわないように。
この円い石にはシブ=ソンとつけよう、この尖った石にはモロポックと。いま飛んでゆくあの鳥はブリーヌだ。
背中が禿げたあの馬は、ゴワランだ。この瓶の破片はロランだ。
それは空のハンの光を反射し、桑の木のオトンの枝枝と埃だらけの岩のグレゴワールのあいだにはさまっている。
かもめのアンタールは海のマアの上にとまって漂っている、
波のソランジュと波のシモーヌのあいだに。
一つ一つの物、一つ一つの動物、一つ一つの植物に名前をつけてしまったならば、もう決してひとりぼっちということはないだろう。
絶え間ない暑気が照りつけるこの涯てしない景色の上で、こうした名はすべて、か細い、ほとんど眼に見えない糸で互いに結びつけられているのだ。
ありとあらゆるお話が、ありとあらゆる冒険がある。
それらは数限りも無い。絶える間がない。
何百万もの小ドラマであり、何千億もの小喜劇であり、サスペンス映画、闘牛、対抗戦、戦争、祭の行列であって、
そこでは一本一本の小枝、一つ一つの小石がそれなりの役目を持っているのだ。
ここ、大地のただ中にある岩の上こそ、恐らく座るべきなのだ、あるいはまた密生した草の上に寝そべって、世界の物語のすべてのを書くべきなのだ。
大きな黒いノートの第一ページから始めたっていいだろうし、
大文字でこう書くのだ。”
すべてのものに名前を付けようという内容の文章で、いかにもフランス文学だ。
即物的な私は、「おうむのココ」という箇所があったので、ひどくヒロクニさんからダサい名前思いつきやがるという顔を
されたが、「悪くなかったじゃん。」と胸張って言ってやった。
それから、ヒロクニさんが、「プティとか。」そんなイメージがいいと言い出し、「プティ、ピノ、ピピ・・」と言い出した。
すかさず「ピピがいいわ。」と言った。その後、「ビビでもいいかも?」というと、なんかもだえだして、もう考えられない。
「苦しい」と言いながら、目の前から去っていった。(名前のっことで頭が一杯になりすぎてた?のか?)
小鳥のような声でなくので、「ピピ」が可愛くてよいなぁ~と、2人で納得して一件落着。
↑ベッドの中から遊ぶピピちゃん
↑ベットでお休みのピピちゃん。ベットの中にオモチャをやたら入れます。
もう可愛くってしかたがありません。
我家には、ル・クレジオの本が4冊あります。どうも愛読書の一つだったようです。
名前をつけるときに、知りました。
ヒロクニさんは、隠れインテリの異名を持っています。そんな一面を知る出来事でした。