武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

2017年6月の武内ヒロクニの個展の予定 と 猫待ち妻

2017-04-26 17:38:52 | Weblog


ギャラリー島田での打ち合わせの様子
ハガキに印刷する絵を選んでいます。

今回は、ヒロクニさんはすべて新作で望むということです。
作風が変わったものも、すべて出品します。

家でも、作品の選別を2人でしますが、
どうなるのでしょう?

楽しみにして下さいませ。


所 ギャラリー島田
日時 2017年6月24日(土)~6月29日(木)
時間 12:00~19:00 火曜日は18:00まで 最終日は16:00まで

住所 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1F・1F 電話/ファックス 078-262-8058

HP http://www.gallery-shimada.com/index.html


ヒロクニさんの世話をしながら、
猫を待つわたし。

4月8日に、愛猫ジルくんがあの世に旅立って逝きました。
腎不全を発病して1年と4ヶ月、病院につれていっていましたが、亡くなってしまいました。


手前にいるのが、ジルくん。後ろにいるのがキタハマ。
キタハマは、18年生きましたが、ジルは7年間。
変な顔の猫でしたが、いなくなるととても寂しく、庭仕事などをしているとジルがいないことをひしひし感じます。
家の中が嫌いで、ほとんど外で過ごす猫だった。
私が外へ出ると、見つけて近寄って来て、ドンと横になり、それからコロコロする。
嬉しいようで、ゴロゴロと喉を鳴らす音が、離れていても聞こえてきたものだ。

見た目は、強い猫に見えるが、猫どうしの喧嘩でジルの失態を何度みたことか・・・。
仰向けにされ、腹を出しひっくり返って猫に押さえつけられるところを見てしまったり、
木に登らないジルが木に登っていると思って見ると、下から違う猫に追い詰められていたり。

以外と愛くるしく思っていた自分に気が付くのでした。
キタハマは、私は働いて家にいる時間が短かったせいか、ヒロクニさんと蜜月をすごしていたので、
ヒロクニさん大好き!といういう感じが、見ていると微笑ましかった。

ジルは、完全に私を頼りにしていたので、私はジルに寄り添っていたのです。
連想ゲームではないが、ジルはフクロウに顔が似ていたので、近所のペットショップで、フクロウを見に行った。
「うん、ジルはこんな感じの猫だったわ」。とジーとフクロウを見ていました。
もし飼うとしたら・・という考えを抱きつつ値段を見たら、22万円とかなっていて、タマゲタ。
餌とかもねずみとかをあげないといけないらしく、だんだんフクロウから遠のいて家に帰りました。

ヒロクニさんには、「ジルって、フクロウにちょっと似てたよね」。と言った。

代わりの猫をすぐ用意するのもなんかちょっと、出来なくて、猫待ち状態です。
はかなさを感じる今日この頃。
時間とは、移りゆくもので、一時にとどまることはなく、絶対というものもなく、その中に生きているのだなぁ~と、
思いました。
また、ジルが居た楽しい時間に執着しているのは私で、結局はジルのことではなく、
自分が寂しいという自我に支配されているのだと思っています。
その感情が整理されたら、新しい第一歩を!と思っています。



大きいチューリップの球根を2つ昨年植えました。
ヒロクニさんと、「きれいとか言うより、お化けみたいだ」。と2人して言って見ています。




庭全体でみるとこんな感じ。
やっぱり、お化けみたい・・・・。



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春爛漫と色鉛筆作品紹介メモ448 と エホバの証人に気に入られる私

2017-04-18 17:46:56 | Weblog


作業机の上に置かれていたメモ。
なんか「絵で遊んでいるようで、楽しげだなぁ~」。と思い、
絵画の自由を感じさせてくれる。

やはり、暖かくなってからの作品。
ヒロクニさんの身体の細胞がわくわくと春をに喜んでいるのね!と思う次第であります。

庭には、50本植えたチューリップや種から育てたビオラが咲き誇っています。


チューリップは、まず白色が咲き始め、次に黄色、次に紫色、次に赤、最後にピンクという順番に
咲くようです。
上の写真では、白色と黄色が爽やかに咲いています。



赤色が咲き始めてにぎやかな感じになってきたのが、昨日。

春の喜びと共に、去っていったジル(猫)のことを思い出します。
ガーデニングの共を失ってしまいました。
春の喜びと寂しさが混じった今年は、花の儚さにも思いをはせます。




話は変わるのですけれど、神戸市に住んでいたときもなのですが、宝塚市に住んでいても
何故か、「エホバの証人」の人に好かれるのです。
感じの悪い人達じゃないので、適当に話を聞いて終わりにするのですが、
「この人は、エホバの証人に入ってくれそう」と思うのか、すごく足繁く来られるように
なったのです。正直いうと「サタンが・・・」。と言われると私はドン引きよ。
小冊子を読み上げられて、「人の心が乱れているのは・・・・・・・・・・うんぬん」。と聞き、
すぐさま聖書をめくり、その部分を取り出す姿には驚くけれど、そして「聖書にはこうやってきちんと
述べられているんです」。と、胸張って言われる。
長く話しを聞いたので分かったことは、エホバの証人達は、死んでから楽園にいけると思い、
それで信仰しているようだ。
私は、自分が生きた間の行いによって、行き先というはあるのではないかな?と思っている。
まあ、私程度では行き先は普通ぐらいであろうと思う。

なんかよく分からないが、「私達はグローバルなんです」。と凄いんだぞとまた胸を張って言う。
私は????「グローバルがいいことか悪いことか分からん」という感じ。
なかなかひつこく来るようになって、「めんどくさいなぁ」と思うようになった頃、
「私達は、こうやって自分の時間を自己犠牲しているのです」。と言われたので、
「来て欲しいと思ったことありませんよ。勝手に来て自己犠牲と言うなら、来なくていいよ」と言った。
「自己犠牲というのは、もっと尊い行為を言うと思いますが・・・」。
続けて言った。
「例えば、世界で始めて麻酔を研究した華岡青洲(はなおか・せいしゅう)は、麻酔が効くかどうか
自分に身体に麻酔を打っていたが、研究しているあなたが身体がおかしくなってしまっては、研究が
出来なくなるから、妻が実験台になると申した所、姑さんが、あなたはまだ若いから、わたしの身体で、
実験しなさいと言って、麻酔の研究に死をもおしまなかった人のような行為を言うのではないかしら?
祖母がなくなった後は、嘆願したとおり妻が実験台になり、その妻も死んでしまったが、その研究を
元に、世界中で麻酔が開発されることになって、外科手術が痛みなく出来るようになったと言うのは、
おおぜいの人に貢献したということではない?
本当の自己犠牲というのは、そういう人のことをいうのじゃない?」

ここまで言うと、し~んとして顔面蒼白になっていた。
最後に「一神教は、他をみとめないし、おしつけがましいから嫌いよ」。言った。
それから、来なくなったのでした。

聖書は消して悪いものとは思っていないし、キリストも素晴らしい人だと思っているが、
現代でも主張の後書きに、聖書の言葉をよくピックアップで引用することがあるけれど、
それもなんかあまりいい行為じゃないなぁと感じた。聖書にも文脈があり流れの中でも意味があるはずなので、
主張に対して都合の良い言葉のみを抜書きするのは、イエス・キリストは望んでいないと思う。
これは、この人達から学んだことであります。

まあ、感じの悪い人達ではないのですが、エホバによって現実逃避させられているような感じが
しました。




少し付け足すと、華岡青洲の麻酔手術の成功は、
西洋(アメリカ)にに先んじること40年の話なんです。
私は、こういう風に、人類に貢献した人が、天国の方へ行かれるのではないでしょうか?









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作品紹介447と芭蕉と干瓢(かんぴょう)の句

2017-04-02 16:11:37 | Weblog


鉛筆と色鉛筆で描かれています。

暖かくなってきました。種から育てたビオラも花をたくさん付け始め、
庭は賑やかになり、ヒロクニさんも冬の熊が冬眠からさめるように、外へ出る。
黄色、白、紫、緑の草とのコントラストを基本とした花が、けっこう清々しい色合いになっている。

ヒロクニさんは、今年の冬は、「絵画上の試行錯誤が実った」と一言。
充実した冬ごもりだったそうです。

確かに、上記の絵を見ると、ヒロクニさんの言う「絵の揺さぶり」は、
十分行なわれている。こんな絵は、初めて見る。
また、ヒロクニさんの言う、「俺は一年生なんよ。」とは、このことか?と、思うのでした。

御歳79才のヒロクニさんに対してあまり年齢を感じていなかったのですが、今年で80才になる。
毎年、一年生になってしまうヒロクニさん。
肉体と精神は、どうなってるの!?と横にいながら思います。

今日は、晩年(51才)の芭蕉の一句を紹介します。

■夕顔に 干瓢むいて 遊けり 
 ゆうがおに かんぺうむいて あそびけり

この一句がなにかしら、心に引っかかりました。
晩年の作、といっても51才。江戸時代の人なので晩年にあたるのです。
そんな時に詠まれた句ですが、なにか飄々とした感じを受け、肩の荷をおろしたような清々しさを、
感じてしまったのです。それと「干瓢」が夕顔の実とは知りませんでした。
あの、料理で巻き寿司に入っていたり、揚げの口を縛ったりする干瓢の姿を知りませんでした。

また、枕草子には、「夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、
実のありさまこそいとくちをしけれ。」とも書かれていて、夕顔の実って、どんなに醜い姿なんだろうとも、
想像していた。それが、干瓢の素材だと言うことに気が付き、そのことにも驚いたのです。

干瓢の実ってこんなの↓

これは、一例なのですが、他に丸っこいもの等色々なものがあるみたい。
枕草子の清少納言は、夕方に白い花を咲かせて、はかなげな夕顔が、
こんな大きいどかっとした実をつけることを残念がっていたのだと実感をこめて知りました。
芭蕉は、せっせと干瓢の実を1㎝圧ぐらいの紐状のものに向いていたのです。
そんな姿を思いながら、この句を味わっています。

この句の解説を。
■夏もたけ夕顔の白い花が咲いている下で、すでに収穫した実の皮を取り去り、白肉の部分を薄く剥ぐ
 干瓢作りの中に自分も入っていって余事を思わずしばらく気を晴らしたことだ。
 芭蕉は、芭蕉庵にいた寿貞死去の報を知ったころであり、しばらく単調な手仕事に気をまぎらわせ、
 心を慰めていたのである。


ヒロクニさんにも、「干瓢って夕顔の実から出来ているんだって。」と、言い、この句を紹介しました。
ヒロクニさん曰く「女で芭蕉を読む奴なんてめずらしいんだよ。」って・・・・。









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