7017年9月11日から、東京・銀座、ギャラリー枝香庵である個展の案内が掲載されています。
ヒロクニさんは、自分がこういう雑誌に載るということが、いまだ信じられないようで、
「俺自身が、ビックリしている」と言います。
そのページを一部コピーしました。↓
右上の部分です。
絵が見えにくいので、自宅でスキャンしたものをアップします。↓
タイトルは、「山の麓の帰り道」
女性像らしきものが描かれています。
わたしは、女性の足の部分がとても好き。
以前に完成か・・・、と思いブログに挙げた記憶がありますが、
加筆されています。
だんだん個展の期間が迫ってきているのをヒシヒシ感じていますが、
最近のわたしは、ちょっとノータリンであり、「さあ!あれして!これして!」と
ビシバシするわけでなく、ヒロクニさんに「あれをやっておけ!」と言われれば、
「あっ、ハ~イ」しま~す。と命令がなければ、なんにもしない。
以前は、ヒロクニさんに、あれして、これして、と命令口調でいい、
「なんか、いざとなったら、あんたはトロイわねぇ」とイライラしていたのに、
私がのほほんとしていたら、ヒロクニさんが命令で忙しいようです。
素直に「は~い」と言い、言いつけは、すぐするようにしています。
読書は、西行の「山家集」の中雑に入り、半分が過ぎたところにきています。
そこで知ったことの一つに、「西行」という名前の由来は、
「身はこの世にあっても、心は西方浄土にあこがれ、今から送りおく」と言う
思いを込めて名乗った名前であったのを知りました。
西行は、平将盛と同い年であるというのも読んでいるうちに知った。
(解説にて)
そんなことを思いながら、忘れられない一つの句にであった。
■あだならぬ やがて悟りに 返りけり 人のためにも 捨つる命は
訳:身命を惜しむことなく捨てるのは無駄ではなく、他人のためにでも
捨てる命は、悟りの境地として返ってくるよ
(真言十巻書の一であり、菩提心論を前文に記載している)
この句を読んで、私が真っ先に思い浮かべたのが、特攻隊の人達だ。
戦争の悲劇であったと思うが、特攻隊の人達の死後は、かなりいいところ、境地の高いところへ
行ったのではないか?と思ったのです。
以前にも書いたと思うけれど、死の悲しみは残された人のものだという考えはかわらない。
死後の世界を信じている私は、現世は修行のようなものだと思っている。
いつごろそう思うようになったのか?
だんだんと歳を重ねていってそう思うようになったというあいまいさなのですが・・・。
だから、私はたいしたところしか行けないと思っている。
残された人の悲しみは、痛いほどわかるけれど、憎しみを持つのはいけないと思うのです。
憎しみを持って生きているのも悟りとは、程遠い世界であり、執着でもあると思うのであるが、
いかがでしょうか?
西行を通しての、仏教感でありますが・・・・。
最後に西行の吉野の西行庵を紹介して終わります。
■黄色の部分 平将盛は間違いで、平清盛が正しい。