武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

冬眠状態のヒロクニさん(作品紹介102・色鉛筆)

2012-12-31 12:36:58 | Weblog

2012年の最後の作品

ヒロクニさんは、一歩も外に出ようとはせず、ほとんど冬眠状態。
つい最近は、寝ても寝ても眠いらしく、3日間すごくよく寝ていた。ほんとクマさん。ヒロクニさんは意外と睡眠時間が短い。毎日制作が終わると、鉛筆砥ぎや、読書、気になる画集を眺めたりしている。TVも見ないのにあっと言う間に夜になる。唯一時間を取るのは「話」。わたしに向かって「絵」の話をしてくれるのだが、話が抽象的なことばかりになると、さっぱり分からなくなる。それでも、以前より「聞く態度」はできてきた。一生懸命、話を聞く。ところが、聞き終わって、2時間もすると「何を話していたんだったけ?」と全く思いだせないのです。

話を聞くフリがうまくなっただけかぁ・・・・・。
しかし、以前の自分を考えるとましになったと自分自身では思っているのです。
以前は、「話」を聞いているうちにイライラしてきて「バカにでも理解できるように、もっと易しく話しできないのか?」と喧嘩ごしになったものだ。イライラしているせいか、いつも机の足に、足の小指を引っ掛けたりして、「話を聞くと、ロクナコトガナイ」とさらにイライラして、足の指の痛さに涙した。そう思うと、わたしは進歩したのです。

「話」を聞くのに、一呼吸というか、頭を真っ白の状態にして、つっかっかる気持ちを取っ払ってから聞くようにしています。

ヒロクニさんの冬の楽しみは、ミステリー小説。いつも、夜静かに本を読んでいる姿をチラッと見ます。わたしはミステリーは読まないのですが、ちょこっと話してくれるので、ミステリー小説の楽しみっていうものがあるのだなぁと感心しています。いつか、ミステリー小説を読むときがあるかもしれません。

去年は、冬の個展で忙しい冬でした。
今年の冬は、冬眠させてあげようと思っています。
家の中で、制作三昧させるのだ!!



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クリスマスのムードまったくなしの家

2012-12-25 21:51:58 | Weblog

アトリエに飾ってあるメキシコの骸骨
クリスマスムードの全くない我が家。ヒロクニさんの意向が反映した。
冬は、外に出ずストーブと共にひたすら制作。随分前に、フェリシモからクリスマスカードの絵を描く仕事が来たときも、ひたすらキリストの誕生日からきた由来や、クリスマスツリーやクリスマスのオーナメントや、サンタクロース、ヨーロッパの本当のクリスマスは、静かでとてもセントな感じらしいよ、と等説明したが、「俺は耶蘇じゃない(ヤソとは・・・・。昔はキリスト教信者のことをこう呼んでいた時代があった)」と言いって「クリスマスとは何ぞや」と問い詰める困った人でした。
今現在でも、クリスマスの事はあまり解らない人です。

なんたって年の差婚ですから、「ヤソ」という表現にビックリしましたヮ。
今日は、普通に過した、何の変化もない一日として、終わりました。


冬の間も制作、制作な良人ですが、机の上に机を重ねた机に、出来上がっているのか出来上がってないのか分からない絵をドンドン机の積んでいくのです。抽象的な線で区切られて塗られた絵は、色鉛筆の強度を試しているそうです。冬は完成させる事は好まず、ひたすらデッサンのような作業が多い。暖かくなって、色鉛筆が柔らかくなる頃、それらのデッサンが淘汰されて、作品が多く仕上がります。

ヒロクニさんの写真も撮ろうか?と思ったのですが、いつ撮っても同じ姿になるので、撮らずじまい。
夏が冬版の服装になっているだけ!?カッコよく撮りたいのですが、急にふざけて、情けないことをするのでブログにはあまりヒロクニさんの写真をあげないという理由があります。


わたしは、あみぐるみにハマッテいるので、編み編みしていました。
ズボンがまだ編めていませんが、自画自賛するなら、このクマさん上を見上げているところがいいかなぁ?アメリカンカントリーな感じを目指していました。トウモロコシのような網目だと思いながら作っていました。

我が家は、何事もなく日常です。
こういう日もいいものです。


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この人は誰?(作品紹介101)

2012-12-23 11:43:46 | Weblog

この人は誰?
台所の柱と扉に貼ってある絵。たぶんメモの類だろう。
しかし、わたしが座る机の右側からよく見えるのよね~。
写真に撮って、よく見ると泣いているような表情に見えます。

変な付け加えをすると、ヒロクニさんは「涙もろい」。
映画を見ていても、鼻水が出る程泣くことがあり、けっこう涙にもろい。

そうすると、わたしの頭には「平家物語」が浮かんで、物語の中にあるさまざまな人物が涙する場面が浮かび、素晴らしい「情」の物語を読んだのを思い出す。日本の高湿多雨な気候を考えてみると、日本は「情」の国とはいえないだろうか?「情」というものは、うっとうしくもあるが、あまりカラッとドライでは、温かみを感じないというか・・・・。
田辺聖子さんが、日本文化勲章を受章した時に「若いお嬢さん達に、古典を読んで頂きたい」という一言を覚えていて、若いお嬢さんではないが、古典を時々手にとるようにしています。
ヒロクニさんのような人物は、平安時代の古典によく出てくる。

平安時代の男性は、みんな歌を詠って、よく泣きます。
ちょっと褒めすぎですが、在原業平が出てくると「あなたみたい」と必ずうるさく言った。その頃は、ヒロクニさんも若かったし、なんかピッタシという感じ。最近は、近所で灰色の髪の毛で細くて自転車に乗っている人をみつけると「そんな所でなにしてるの?」と人違いして、とまどうのがオチになっちゃって・・・・。人違いをすると落胆するワ。(お年寄りとヒロクニさんを間違えるなんて!!って具合に)

我が家の今のアイドル、ジルくんです。

今日は、寝顔に癒されて、寝ます。
よく食べて、よく遊び、よく寝る猫です・・・・。


大きい猫でございます。重い・・・・。6キロ越しました。
キタハマの3倍の大きさに成長してしまいました。
明日もいい一日を過せますようお祈りして寝ます。
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武内ヒロクニの冬のアトリエ。

2012-12-16 19:43:18 | Weblog

アトリエの机の上

クレヨンでドローイング。
冬は、メモ描きのような、ドローイングをしていることが多い。
このメモが、色鉛筆作品へつながるようなのです。
部屋も冬らしく、石油ストーブを焚き、その下には、猫ちゃん(キタハマ)がいつも寝そべっています。
じゃまになると、ヒロクニさんに蹴飛ばされるのに、ヒロクニさんが大好きなキタハマです。


別の机には、ピカソの画集と、プルーストの「失われた時を求めて」の新訳、吉田一義訳の本。その下に赤で印のつけられたダイヤリー。
自宅にいる時も外に出ても、絵の話しかしないヒロクニさんは、毎日制作。TVも見なくなったので、音楽を聴くか、絵を描くか、読書をするかで時間が埋められています。

今年の冬は、石油ストーブは、1つしか使用していないし、ホッとしています。

せっかくホッとしていたのに、いけない想像をしてしまった。
時々、ヒロクニさんがこの世にいなくなってしまったら、わたしはどんな風に暮らしていくのだろう?と考える時がある。考えると怖いような気がして・・・。年の差婚の最初のジレンマであり、最後のジレンマです。
ヒロクニさんの横で、絵画と共に生きていく楽しさと希望と不安。これは、いまのところ友達のような存在で、これがわたしにはなじんでいる。
そういうものがいっさいなくなり、ヒロクニさんと共に消滅してしまったら、残ったわたしは孤独になり、何をしても楽しくない人生が待っているのか?と、こんな風に考える時、「NO!!」と「なるようになる」「大丈夫!!」と強く言い聞かせます。
「不安は、マイナスでしかない」と言い聞かせて、悪い想像は否定します。別れることができたら幸せと思っていた頃もあったのに・・・・。その時から考えると、人は変わるんですね。とりあえず、良い方へ、わたしは変わったのでは?と思っています。


とにかく、仲良くやっていかなくっちゃ!!

最近、頼まれて編んだ、猫のあみぐるみ。
左がアメリカンショートヘアーで、右がベンガルです。
このようにいつまでも仲良くやっていきたいですね。

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色鉛筆画の初期の頃の作品(作品紹介100)

2012-12-07 18:17:35 | Weblog

ヒロクニさんが色鉛筆画を描き始めた頃の作品。
現在のスタイルとは、違う所が、面白いね!
色鉛筆もカステル社のものを使用しています。

ヒロクニさんの話では、色鉛筆画の原型を考えていた作品の一つだと聞いています。
この作品は、30年以上の作品なのですが、色あせることなく綺麗な状態で残っています。
水彩と併用した作品ですが、時間を置いてみると、いいなぁと改めて感心します。

ヒロクニさんと生活して悩み多い頃、「占い」をしてもらったことがあります。
ヒロクニさんを占ってもらったのです。ヒロクニさんの数字は、「2」が基調で、感覚人間で「芸術家に向いている星の元」に生まれていると言われ、その後、「感覚的に先へ先へ行こうとする性向があり、感覚が早くて、周りは付いていきにくく、生きている時点では、認められにくい」と言われた。その方には、作品等はいっさい見せていない。夫が、どんな人かも言っていない。

わたしは、「ヒロクニさんが生きているうちに、そんな時がこないか?」と思っているので、その占い師に「死んでからでは、いかん!!」と占い師に噛み付いたが、「所詮占いよねぇ~。当たらぬも八卦、当たっても八卦」とくるり気分を変え、かの有名なカエサルの言葉「人は自分が見たい現実しか見ない」という平凡な人間になって、「占い」を知らぬふりした。

時間が経って、見直した作品が、いいなぁと思えることに喜びを覚えたのでした。


その後、ヒロクニさんのアトリエへ行って(4歩でいける・・・)、「ヒロクニさん、ファンに一言」と言ってカメラを向けた。
笑いながら、「消費税アップといっているが、この状態でアップしてもしょうがないだろ。使っちまったからってねぇ~。」等と柄にもないことをつぶやいた。

わたしは、経済がいまでも上向きが永遠に続くと考える方が無理があると思っている。お金が流通しなくなったのは、お金は不自然な流れで「ある所」に流れていっているのに・・・・。富を何も生み出さず集約している所があると睨んでいる。税制をアップして増えたお金は、又どこかへ行くという訳で、簡単に「イエス」とは思えない国民の一人です。ヒロクニさんが消費税の事なんか言うから、こんな事書いてしまいました。
「お金」はとにかく、国民に反映せず、何処かへ行ってるのだ。こういう結論に、わたしは至っています。
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