武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

万華鏡のような街(作品紹介776)と 素のわたし

2024-05-31 20:03:57 | Weblog

この絵は、1階のアトリエに持ち込まれて、棚の上に飾られていました。

クレパスで描かれていますが、塗り残しというものが全くなく、

表面は非常にフラットに仕上がっています。

自身がクレヨンで絵を使って描いたのを思い出して見ると、

紙の凹凸によって、ザラッとした感じが出ていました。。

クレパスを何度も塗り重ね、ギューと押し付けると完璧に隙間を無くすことはできますが、

部分だけに終わっていたことを思い出します。

ある程度塗りこめていっても、今度は重い感じになったりする。

その上クレヨンは、失敗すると修正すると色が濁るのです。

そう思うと、武内はなかなかの熟練者だ。

描き方として、下書きというものをしないというのも、不思議なこと。

この絵は、街の絵だと思いますが、

ひっくり返ったこうもり傘の形と三角の縞の形は、隕石のようで、

「何にかが、降ってきてる。」と、絵の前で呟きながら、

絵の裏を見ました。

裏には、白い紙切れに「飛行する街」と書いてあった。

タイトルを知ると、ますます謎めく。

わたしとしては、「万華鏡のような街」だとぴったりくるな、と思いながら絵の前で考えていました。

だから、ブログのタイトルなわけです。

 

作者である武内の近況の写真があります。

↑こちら

散歩に行く一番近い公園にて。

遠くを見ています。

こういう人が、ハチャメチャな絵を描いています。

 

 

長くブログを休んでいました。

かなり重症な風邪を引いてしまい、頭はボ~としているし、

物を持てば、落とすし、無理して銀行に行くと、引き出したお金を持ち帰るのを忘れるしで、碌でなし状態。

途中でお金を持ってないことに気がついた時は、気が遠くなった。

しかし、取り忘れていたお金は、銀行が預かってくれていて、なんとかセーフ。

日本だからお金は無事返ってきたと思います。

家に帰ってから、何度こう言ったことか。

風邪を引いたからといって、する事なす事に過失がつきまとうことはないと思うのですが、

今回は、そのようなことがつきまとい、

お茶を飲もうと思って入れて、「さあ、飲もう。」と思って、湯のみを持った途端、

指に力が入っていないのか、膝の上にこぼす。

その上、精神のほうも、“嫌々病”といってもいいぐらいで、

「ご飯作るの嫌」

「買い物、行きたくない。」

「ピー(我家の猫)、わたしをこき使わないで!」

「ヒロク二さん、話かけないで。答えるのに気力使うから。」

こんな調子。

それなのに、ヒロク二さんからは、

「さほり、具合悪いからって家にばかりいてはいけない。日に当たらないとダメだ。」と言われ、

散歩に連れ出される。

わたしが、ヒロク二さんに常日頃言っていた言葉が、自分に返ってきているという・・・。

そう、散歩に連れ出していたわたしのことを、鬼とか言っていたのですが、

歩いているうちに体力がついて、身体が楽になってきたのを実感している夫は、

今、散歩が気持ちいいみたい。

無理やり連れ出され、一緒に行くと、

「さほり、色々教えてくれてありがとう。それに付いてきてくれて。」と、言ってくれる。

元気な時なら、「そうよ~!」と相槌を打つかもしれない。

しかし、「ハ~、しんど~。」と重い身体の時に限って、感謝の言葉を聞くというアンバランスさ。

内心、わたしは嫌がっているからね。

わたし達は、シーソーの関係に似ている。

なんかいつも揃わない。

 

この度の重度の風邪は、わたしにとって変な精神作用があり、

武内の奥様ということから気持ちは離れ、

“ただのわたし”つまり、素のわたしに近づいているようなのです。

簡単に言うと、肩書きがなくなった感じに似ているでしょうか?

役割はあるので、それはしていますが、

気持ちが白紙状態に近くなった感じで、何かをリセットしています。

ヒロク二さんは、白紙のようなわたしと今出会っているのですが、

あまり気がついていません。

家から歩いて45秒のところに、たばこや日用品、食料いろいろなものが売っているお店があり、

具材がたくさん入っている“冷凍の鍋焼きうどん“を買い、晩御飯にだしました。

「あ~、これでやれやれ。」と思っていると、

時間が経ってから、「今日の晩飯はしないの?」と言われ、吃驚!

「鍋焼きうどんを食べたでしょ?」と言うと、

「あれが、夕食?」と言い、

今度は、ヒロクニさんが吃驚。

やっと、こういう手抜きが出来たのが、非常に新鮮。

ヒロク二さんは、文句も言えず階下に下りていきました

わたしがリセット状態のせいか、いつものパターンをくり返しませんでした。

いつもだと、何故うどんは晩御飯にならないのかという理由を聞かされるハズなんです。

それがなくて、ホッとしたのでした。

その他に、子供の頃の時間を思い出すことが多く、

「元々のわたしというのは、どんなことを思い、考えていてたのか?」等と言うことを、よく考えているようです。

こういう感覚に襲われるのも、60代なんだろうか?

そのせいで、物を落としたり、お玉を鍋のヘリで叩いたりしてしまうのか?

叩いているのに気がつかなくて、ヒロク二さんから乱暴モノと注意されました。

味噌がお玉から離れなかったから、やっていたんですが、

軽蔑の眼差しで睨むのです。

 

 

そんな日常を送りながら、珍しいものを見つけました。

↑赤い実が生っていて、ベリーの木?と思っていました。

↑ベリーの木にしては、棘がない。

そして、熟れた黒っぽくなった実をちぎって食べた。

甘酸っぱい味で、ベリーのような甘さはない。

これは、調べると「桑の実」というのが分かり、初めて見た植物。

よく通る道の端に、植わっているのですよ。

 

このことをヒロク二さんに報告すると、

「何でも口にいれるんじゃない。」と注意を受けました。

「毒だったどうするんだ。」と。

今、わたしは、大人の分別を無くしているようです。

 

 

今日は、書く気力がたまってきたようで、ブログを描きました。

“素のわたし“とは、「自分とは何か?」という問いに似ているように思います。

まだまだ、入り口というところ。

きっと「心の旅」をするんでしょうね。

今日は、読み応えはなかったかもしれないと内心思っておりますが、

最後まで、読まれた方、

ありがとうございます。感謝!

 

 

 

 

 

 

 

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凝視(作品紹介775)と アッシャー家の崩壊を読んで

2024-05-06 15:49:57 | Weblog

この絵は、家の柱に貼ってありました。

まず思ったのは、「この絵って、縦向けでしたっけ?」という事。

よく見たら、「カンテ」という文字と、サインが横になっているじゃないですか!

横だと、

↑横だと、このように見えます。

縦向けに貼ってあったということは、この方がいいと思っているのでしょう。

確かに、横向きにみるより、縦向けに見た方が、宇宙人?に目力を感じます。

「カンテ」というのは、大阪にあり、阪急中津駅の近くにあります。

随分前に、この本店で個展をさせて頂きました。

その時に、描いたものになります。

20年以上前の作品です。

この絵の緑色にインパクトを感じ、新緑の季節に合っているかもしれないと思い紹介する事にしました。

宇宙人の横には、蝉の顔が描かれているようにも思え、怪奇幻想という言葉も浮ぶが、

エイリアンの出現と思えば、近代映画のような印象も。

油性のマジックを使っています。

宇宙人の緑色の中に、黄色い線を残しているのが、小憎らしい。

オシャレな宇宙人なのかもしれません。

外国のコミックにも思えるところがあって、POPな作品です。

 

 

この絵のことを怪奇幻想と書きましたが、

このブログを書く前に、エドガー・アラン・ポーの短編集を読んでいました。

ヒロク二さんがいつも話題にする「アッシャー家の崩壊」をまず読み、次に「黄金虫」を。

後は、ページ順にという具合に。

私達の間で「アッシャー家の崩壊」がどういうふうに話題になっているかと言うと、

ヒロクニさんは、いきなり、「来るんだよ。妹が・・・。階段を上って来るんだよ。」と言いだすことから始まります。

「そしてね、階段から足音がするんだよ。ギシギシって音がね。」と言い、

「死んだ妹が階段を上ってくる音でね。」と続けて言い、

「その妹が扉の前にきて、その時に扉が開くんだ。」と言った後、黙っている。

そして、わたしの顔を見ながら、

「それは、まぎれもなく妹で、それが兄にのしかかるんだ。」と、また続け、

「怖いねぇ~。」と言う。

顔の表情と手でゼスチャーをまじえて、怖さを演出してくれるのですが、

これを見ているほうが、特異な気持ちになれるという代物。

私の中では、幽霊物語になっていました。

こういうイメージを持ちながら、「アッシャー家の崩壊」を読みました。

ヒロク二さんの話で、恐怖小説のようなイメージを持っていましたが、

耽美的なところも往々にしてあり、「怪奇幻想」という言葉がぴったりきます。

語り手である友人がその曰くのある城と友人を訪ね、城に着いたところから陰鬱さが始まります。

物語が進むにつれ、城の内部の描写があり、陰鬱さが重ねられ、恐怖が深まっていく。

恐怖の虜になっている城主の特異な耽美的な美意識と、恐怖がワンセットになり、

訪ねている友人の心にもそれが侵食していく描写で、恐怖が高まります。

恐怖の正体は、「死」。

妹が死んだと思った城主は、妹を棺に入れ、墓地には行かず、

地下のかつて爆発物を入れていた倉庫に運びこみ、棺桶の鍵をかけ、地下の扉に鍵をかける。

その後、城の中で足音がするようになるのです。

城主は、妹を生き埋めにしたと言い出したりしますが、真相は分かりません。

ヒロク二さんの言うように、「それは、まぎれもなく妹で、それが兄にのしかかるんだ。」となった時、

その兄も死ぬ。

取り残された友人は、城が揺れ始め、その恐怖で外に出ると、

城は、割れ崩れ、沼に飲み込まれていきます。

沼の様子を見ながら、ただ独りそこに取り残される。

静けさの漂う中、尋ね人であった友人が独り残されている情景で物語は終わります。

エドガー・アラン・ポーは、アメリカ人なのですが、作風はヨーロッパを思わせます。

文章は簡素で分かり易い部分もありますが、

物や人物についての描写は装飾的でゴシックロマンの小説を読んでいるような気になるが、

“ロマン”という部分は薄いので、ゴシック小説の輪郭が浮き出ているという感じがした。

「アッシャー家の崩壊」は、陰鬱な沼が、わたしの心には象徴的に残りました。

ヒロク二さんは、階段の足音らしいが、

冒頭から登場する沼が、「死」、もしくは「滅び」を象徴していたようなように思いました。

次の「黄金虫」は、愉快な雰囲気を隠し持ちながら、話が展開されます。

「黄金虫」は、推理小説の原型といえる作品で、暗号を解くという推理がはじめて世に登場した小説らしく、

これは、読みながら、何度か読者は騙されます。(笑)

読むものは、ここに登場する「黄金虫」の班のありようがドクロに似ていることや、

黄金の色をしている珍しいものだという描写で、この昆虫に意識がいく。

登場人物の中で、それに囚われる人物がいて、

すっかり「黄金虫」に囚われてしまい、意外な結末に驚かされます。

推理小説という分野を開拓したエドガー・アラン・ポーは、

アメリカよりもヨーロッパで人気があったそうです。

ポーの影響や、時代の流れで探偵小説が、イギリスで花咲くのはこの後です。

 

ここで終われば、書評ということになるのだろうけど、

ヒロク二さんとわたしは変なゴッコをしていました。

ヒロク二さんとわたしだけが受ける笑いにはまることに。

わたしが2階にいると、ゆっくりと階段をギシギシいわせながら、ヒロク二さんが上ってくるのです。

「アッシャー家している。」と思ったわたしは、

「怖いじゃない。マデリン姫が上ってきたのかと思った。」と言うと、

「リジーア」と言って、ポーの小説の登場人物になって、変な顔しているのです。

(注:死んだ妻の虜になっている男の話で、リジーアはその妻)

こうやって、2人で笑っていると、

私達夫婦は、お互いが娯楽になるという、究極を極めているのかもしれません。

 

 

散歩は、ヒロク二さん頑張っています。

また、家からトアロード通りまで、行きました。

また、ジャズ喫茶木馬に。

↑いつもここに着いた時は、疲れているようです。

しかし、この後もっと疲れることになるのですが・・・・。

電車に乗らず、歩いて家まで帰りました。

この日は、9722歩に。

そして、道々私達は、言い争いながら帰るという・・・・。

疲れているせいか、聞き捨てなら無いことばかり言うので、争っていました。

わたしのことを「鬼」とか言ってましたわ。

 

よく行く公園は、シロツメクサが満開。

↑花がどんどん増え続けています。

この木の幹を見ながら、なんて言う木だろう?と疑問に思っています。

この地は、木が多いので、木の種類が気になるようになりました。

 

↑タンポポです。

このように写真に撮りたくなったタンポポは、はじめてです。

このありように、宇宙を感じました。

(大げさ)

タンポポは、刺繍やデザインに多く取り入れられている花です。

葉のギザギザの形も特徴があります。

植物は美の恩恵を与えてくれる素敵な存在だと、いつも思います。

 

 

今日は、絵も写真も緑尽くしになったと思います。

今日は、ヒロク二さんからの影響で読んだ、エドガー・アラン・ポーの小説のことを書きました。

小説における新しい分野を開拓した、先駆者です。

ヒロク二さんからは、「意外と“詩”がいいし、多いと思うよ。」と、アドバイスしてくれました。

いろいろなことを知っている人です。

散歩は歩数を伸ばす、身体に負荷がかかるぐらいすると、体力はつくようです。

以前と違い、階段を勢いよく登っているようで、

降りたり登ったりの行動が多くなりました。

小部屋を書斎にするとか言って、動いています。

やっと、運動が癖ついてきたようで、やいやい言った甲斐があった。

言うのも疲れるのですが・・・ね。

今日もブログを最後まで読まれた方、ありがとうございます。

 

 

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