武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

台風の前に吹く風(色鉛筆作品446) と ヒロクニさんの教育勅語体験

2017-02-27 14:37:44 | Weblog


今日は、アトリエからこんな作品を見つけました。
絵の裏に、「2015、くものあいだから」と書かれていました。

少し難解な作品かもしれませんが、
湿気た風がふうっと、首や頬のあたりを撫ぜるような感じがして、
いいなぁ~と思い紹介することにしました。

色鉛筆と6Bの鉛筆が、混ざりあい、紙も筆圧で伸され、
表面がなめしたようになっています。

昨日の夜から、どの絵にしようかなぁ~と、アトリエで絵を物色。
なんかコソ泥になったような気持ちで、コソコソと絵を見て、これにしようか?あれにしようか?と、
ヒロクニさんに悟られないように、行動してしまいます。

「これを上げようかな?」とか言うと、
「こんな絵をあげるな!こっちにしろ」。とか、
「その絵は、駄目だ!」とか、言われているうちに、時間が過ぎていく。
「これに、しろ!」と言われると、私には理解というか、ポイントすらつかめない、
作品だったりするので、困るのです。

たぶん普通の人は、「これなんじゃ?」となる作品。
実は、わたしも「これなんじゃ?」と思っていることも多い。
だから、その時、その時、私が見て、惹かれた作品をとりあげることにしています。

今回の絵は、海から流れてくる湿気を含んだ風のような感じがしたので、選んだのです。
決して、寒い風ではなく、生温かい台風がくる前のような・・・・。
ヒロクニさんの作品は、風が吹いているような絵が他にもたくさんあります。
「風」が付いたタイトルも多い。
ヒロクニさんが、感じていた風は、多くの時代の風もあるだろう。
幼少期の徳之島の風や、母親と蜜月が送れた九州の風、青春期(芸術家になろうと決意した日)の風の感じ方や、
油絵を描いていた時代、現代美術の頃(グループ位)、ロック喫茶を経営してロック三昧の日々、
色鉛筆を描き始めた頃、その途中から参加している(結婚して)わたし。
そう考えると、わたしというのは、ヒロクニさんの人生の後半部分の人という事になります。
ヒロクニさんは、昭和12年生まれですから、幼少は戦前、物心つく頃終戦の人であります。

そのことが良くわかる出来事があった。
わたしの絵画教室に来ている生徒さんの前で、急に「俺なんて、教育勅語」。
「家に帰って、自分の机をみると、教育勅語の本が真正面に置いてあってさぁ」。とか、
言い始めるのです。(両親が教員だったせいもあるのかな?と思いつつ聞いていますが・・・)
結構長く絵を描くので、お茶を飲んで休憩を取るのですが、ヒロクニさんも一緒に取るのです。
その時に言い始めたのです。
そうしたら、生徒さんが、「学校の歴史で習った」。と言う。
わたしは、「歴史に立ち会った人になっているなんて、化石か?」と冗談めかしていう。
ヒロクニさんは、忌々しい感じだ。

そこで、実際どのような教育が行なわれていたか聞いてみると、
教師と共に、「教育勅語」棒読みするらしい。
これを↓
(現代カナ使い文)

朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、
徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、
世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、
亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。
爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、
恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、
徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、
以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、
又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、
之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日
御名 御璽(ぎょめい ぎょじ)

以上。


小学生のヒロクニさんにとっては、上記の文章を暗唱するだけだったそうで、
意味も分からず、たいくつだったそうだ。
たいくつゆえ、とてもその時間は嫌いだったそう。
「今でも、教育勅語の内容はまったく知らない」という現状のようです。

もっと簡単に要約するとこういうこと↓

1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭倹己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓発シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.徳器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、
それにより永遠の皇国を支えましょう)

という内容になります。
「夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう」これなんて、目下私が努力していることだ。
「兄弟・姉妹は仲良くしましょう」も、どうしても考えが合わないから言い争いになる妹がいて、
そのことで、父から、「お前はもっと心を広くもって、兄弟仲良くしろ」と説教をくらった。
ヒロクニさんに「知識を養い才能を伸ばしましょう、とも書いてあるよ」と言うと、
「それは素晴らしい」。「俺が、いつも言っていることだ。」と言う。

今は、教育勅語は、なくなったが普通に努力して、前向きに生きている人なら、
なんらかの形で実行しているのではないでしょうか?
12番目のところだけ、現在の私達からみると脳内が「軍国主義」ととらえてしまうことがあるとは、
思いますが、国が無くなったら・・・困るなぁ~と思うのでありました。


教育勅語の正反対の意味を考えてみると、とても面白い。↓

1.親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。
2.兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。
3.夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。
4.友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。
5.自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。
6.広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。
7.職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。
8.知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。
9.人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。
10.社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。
11.法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。
12.勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

この度、ヒロクニさんの「俺なんて、教育勅語」。発言から、内容を調べていました。
以外な内容でした。
ヒロクニさんは、3回結婚した人だが、ヒロクニさんが病気(癌)の時、
「僕には、家族がきてくれない」。とごねだした時、来てもらったお嬢さんがいます。
ご夫婦で来てくださったようで、とても有難く、ヒロクニさんは安心した模様。
そして、帰っられてから「○子が、離婚などをせず、夫婦仲良くやっていっているのが、すごく嬉しい」。
「離婚なんて、悲しいからね・・」。と、嬉し涙をだらだら流れるように流して、「嬉しいよ」。と言う。

自分は離婚を2回もしたのに・・と思いつつ、聞いていましたが、
「夫婦仲良くしている娘さんの姿」に、涙を流して「嬉しい」と言うヒロクニさんの姿も、私には快い時間でした。
お嬢さんに、「嬉しいなぁ」と直接言ってあげればよかったのに・・。と思う。
せっかく来てくれたのに、愛想が悪い態度にでる、見栄っ張りな奴なのだ。
この出来事で、人は、知らないうちに「教育勅語」を願っていたり、実行していると思ったのでした。

「自分の言動を慎みましょう」これもわたしにとって重要です。
日本料理店の料理人の方に、「バーモンドカレー」なる単語を連発したことがあり、
興ざめな話題をしてしまったことが・・・。非常に失礼な話題だったかもと後悔していることがあります。
やはり「自分の言動を慎みましょう」という言葉を読んだとたん、その記憶が・・・。








これは、夕顔の実です。
これが、かんぴょうの原材料なんですね。
この話は、次のブログで!




 


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ヒロクニさんと私(作品紹介445)と 芭蕉と無常感

2017-02-20 18:46:31 | Weblog


この絵は、男と女という風に紹介しようと思いましたが、
左の人物は、どうしても自画像というか、ヒロクニさんにしか思えない。
やはり、どういうわけか首が描かれていないのは、女の形である。
イヒヒと笑っているように見える自画像といつも驚きながら生活している私のようである。

だから「ヒロクニさんと私」とタイトルに付けました。
画面には2010と書いてあるようなので、その頃の作品です。
色鉛筆とクレヨンで塗り込められていますが、表面は複雑なマチエールが印象的。

現在の制作は、鉛筆のみでデッサンのようなものばかりなので、
なかなか取り上げなかった絵をアップしました。
私的には、この絵を上げるのにちょっとためらいがあった。

この作品は、ちょっとエロティックな要素があるので、
ためらったのでした。健康的ではありますが・・・・。

ヒロクニさんが私に語ったことがあるのですが、
「僕の本質は、アムール、愛なんだよ」。と。
私はヒロクニさんに無味乾燥なオンナと言われるような、色気のないオンナなので、
「えっ!?」
「そうなんかい?」
と言う調子で聞いていた。
最近、母が持ってきた高校生の時の成績表をみたら、科学と生物だけがダントツ成績が良かったようで、
驚いたくらい。美術が大好きだったのに、評価の低いこと・・・。
客観的に物事を把握するのが、好きだったのかもしれません。
だから、ヒロクニさんと会った始めの頃は、ヒロクニさんのことを、「なんと叙情的な人なんだ」と、
驚いた記憶がある。
しかし、芸術家にはポエジーというのは絶対に必要な要素です。
みごとな妄想、昇華した妄想が、芸術でもあります。
そんなことを考えながら、この絵を観ていただけたらと思います。


松尾芭蕉を読み終えたので、松尾芭蕉の話をヒロクニさんにします。
全句を読み終えてわかったこととして、松尾芭蕉は、日本の古典を非常に丹念に読破している。
万葉集や古今集、新古今、源氏物語、枕草子、平家物語、また西行を非常に尊敬しているし、
中国の古典、杜甫や白楽天、荘子などにも通じている。
もちろん江戸時代の人なので、きっちりと漢文を読みしっかりと身に付けているのです。

西行は出家して、旅をしていた俳人です。
そして、芭蕉は江戸で、俳諧で成功して名声もお金もすべて整ってきてから疑問を抱くようになり、
西行のようにすべてを捨てて旅に出て、俳句の精神世界に没頭していく。
粗末な草庵に住み、透明な句を詠む姿は、修行する禅僧のようであり、禅から派生した茶の湯の精神と
非常に似ていると感じました。そのことをヒロクニさんに必死に伝えたいのでした。
普通の人だったら、「そんな話きょーみない」。「うるさい」。と言われるかも知れませんが、
ヒロクニさんも、仏教辞典などをもっているような人なので、
話を「なるほど」。とか、
「そんな話をしてくれる女は、あまりいない」。とか、
「君も、成長してきたね」。と言ってくれる。

そして、「こういう話を聞いてくれる夫で、良かっただろ」。と言われました。
「そーです!ダーリン!」と言ってやった。


有名な句ばかりですが、なかなかいい句なので少しばかし紹介します。

 ●古池や 蛙飛びこむ 水の音(ふるいけや かはづとびこむ みずのおと)
  しーんとした静かな空間に、蛙がポチャンと飛び込む音だけが、聞こえ、だれにもいない空間が
  感じられて、静かさだけが残る空間を私は感じます。
  解説◆まず、蛙は鳴き声を詠まれることがほとんどで、蛙が飛び込む音を詠んだ人がいなかった。
     そこが新しいのであるが、芭蕉にとって古池の意味として「古」は、長い歴史の中に
     おける人間の栄枯盛衰の諸相が暗示されており、「池」には天然の湖沼と違い、人工的な
     造営物すなわち、文化の匂いをこめて使われている。
     蛙がたてた水の音は、一瞬のことであるが、その後の時間の静寂によって包まれてしまい
     なにごともなかったように時間が過ぎていく。
     芭蕉の随筆である『葛の松原』には、この句を詠んだ時期に、禅機や老荘哲学の哲学に
     ふれていることから、このように解説しています。

 ●夏草や 兵共が 夢の跡(なつくさや つはものどもが ゆめのあと)
  解説◆小高い高館の跡から眺望される平泉の地一帯は、昔、義経の一党や藤原氏の一族らが、
     あるいは功名を夢み、あるいは栄華の夢に耽った跡である。だが、そういう功名・栄華も
     むなしく一場の夢と過ぎ去って、いまはだだ夏草が茂っているばかりだ。

     人間のはかない営みと巡る季節が対峙しているこの世を普遍的に感じ、善悪を超えた
     世界感に広がりを感じます。この哲学は、荘子によるところがとても大きいのだなぁ~と
     いう句と思いました。

 ●閑さや 岩にしみ入る 蝉の声(しづかさや いわにしみいる せみのこえ)
  解説◆夕暮れ立石寺が物音一つせず静まりかえっている。そのむなしいような寂寞の中で、
     ただ蝉の声だけが一筋岩にしみ透るように聞こえる。

     この句もうるさいはずの蝉の声がいっそうの静けさをかもしだしている。
     「岩にしみいる」という表現がそれを強調して、自身がその空間を想像すると
     心は透明であるであろうと想像する。


 有名な句ばかり紹介しましたが、どの句にも無常感がだだよっています。
 そして、宇宙感のようなものを感じます。
 松尾芭蕉は素晴らしいなぁ~。




古い着物を解いて、座布団カバーを作りました。紫にストライプの柄の・・・・。
ミシンが動かないので、手縫いで作りました。
こればっかりに集中している間、あまりブログを書きませんでした。
なんか、着物生活をするようになって、新たな楽しみが増えました。
縫い物もけっこういいものですね。


先回のブログでは、ヒロクニさんのことで心配なことを書きましたが、
無理をしないように見張っているので、ご安心して下さい。


     

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ヒロクニさんから「命の恩人、さほり」と言われることに・・・(作品紹介444)

2017-02-17 18:29:56 | Weblog


ヒロクニさんは、鉛筆でメモ(フォルムもしくは、モチーフ)をたくさん描いていました。
私も時々、製作中におじゃまして、見たことのない形、もしくはメモ描きをたくさん目にしていました。
「この感じいいね!」「これもいい感じ・・」とメモを見せてもらっていました。
あんまり感心が湧かなかったものには、スルーという冷血な妻。
朝から晩まで、アトリエに篭って格闘していたよう。

夕刻、「疲れた・・・」と言っていたことは特に覚えている。
ヒロクニさんは、ストーマを変えてから、夕食が食べたいと言って入浴に。
(※ヒロクニさんは、人工尿路を付けているので、ストーマというものを付けているのです)

私は、ストーマの準備を整え、その間、台所で解いた着物から座布団カバーを作っていた。
チクチクと針で運針をしていたのです。

なんか寒いのに風呂の扉を開けっ放しにして、身体を洗っているので、
「寒くないのかなぁ~」。と横目で見ていた。

私は、運針を続けながら待っていたので、なんかすごく上ってくるのが遅いので、
風呂場を覗くと・・・・。

湯船の中で、溺れそうになっているのだ。
身体が痙攣を起こしているようで、手や足がこわばり、顔が半分湯に浸かっている。
すわ!と思い、靴下を脱ぎ、ヒロクニさんの身体を後ろにひっくり返し、
「ヒロクニさん、大丈夫か?」と大声で言った。
意識を戻させねばと思い、顔を叩いてみるが返事もしない。
痙攣は、以前身体をマッサージすると、戻ることがあったので、
マッサージすることに。

手は、右手は常に動かしていてる。絵を描いているように延々と・・・。
マサージをしながら、これって意識不明状態??と思うようになり、
救急車を呼んだ。

救急車が来てからは、即効にストーマの装具と着替え、保険証、財布などを準備して、
一緒に病院へ。

病院へ処置して貰っている間に、意識は回復して、ホッとしたと言うことです。


しかし、意識が復活したとたん、病院からは安静にということで一日入院を勧められたのですが、
「俺、こんなところで寝るのは嫌だ」。といつものヒロクニさんに・・・・。
看護婦さんは、「大部屋が開いているから、奥さんに泊まってもらって、安静にした方がいいですよ」。と。
「だって、ここには道具(絵を描く道具)もないし、自分の部屋でないと安心できない」と言い張る。

今回は、入院費も気にかかるが、ジルくん(猫)が寒いの帰って来ていないし、家を開けるとジルのご飯も
気になるしと言うことがあり、ジルが病気を持っていなければそう思わなかったと思うが、
今回は、私の方から、「無理させないよう見張っておくので、この人の言うとおりお願いします」。と
頼んだのでした。

点滴している間、ヒロクニさんは芸術家としての心構えや、どこにも属さないで、群れないで
芸術をしてきた俺の人生の話を私に語る。
確かに、ある意味孤高を貫いている。多くの友人はそこから派生している。
松尾芭蕉を読み終えた私は、何故かヒロクニさんのいう反俗の意味が分かりかけているのです。

上の絵は、ただの落書きのように思う人も多いと重いますが、
このデッサンは、実は命がけの作品なのです。
メモの集大成がこの絵なんです。ここまで持っていくのに躍起になっていたらしく、
本当に疲れていたみたい。

今回のことで、狭い家に住んでいるからこそ、発見できたのだなぁ~と思い、
そのことにも感謝しています。
ヒロクニさんからは、「さほりが気が付いてくれなかったら、俺は死んでたのかもしれないのだな」。
「さほり、お前は命の恩人だ」。
「助けてくれてありがとう」。と感謝されています。

意識不明の状態の時の記憶は、まったく覚えていないそうです。
「溺れかけていた時、苦しくはなかったの?」と聞くと、
「気持ち良かった」という返事が・・・・・。
(唖然・・・)


一部始終を見ていた私は、ヒロクニさんのようにケロッと出来ないわ。
脳のMRIの検査だけは、行ってもらうことにしている。





最近、おやつとしてマドレーヌをよく焼きます。
ヒロクニさんは、甘いものが好きで、お菓子を良く食べる。
疲れた時に食べるとホッとするらしいが、消費が早い。
もう作った方が、安上がりなのでバンバン焼いています。







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小さな作品 (色鉛筆作品紹介442、443)と 松尾芭蕉の句

2017-02-02 17:49:00 | Weblog


ほんわかとした作品



日輪のよう。


この作品2点は、すごく小さい作品です。
ところが、頻繁にアトリエの棚や、机の上で見かける紙切れで、
もう何か前からあるようなのだけど、また見つけてしまい
なにか気になる紙切れのようなので、紹介します。

ほんわかとしてちょっと気持ちが暖かになる絵です。
寒い日が続いたので、さすがの私も寒い!と思い、そんな時にこの絵を見て、
気持ちが緩んだのでした。

寒さが緩んだ時、庭の花の点検に外へ出て、
梅の木にヒロクニさんが、枯れ枝をばっさりとかぶせていたので、
それを取り除けると梅のつぼみを見つけました。
そんな気持ちを表したかのような絵が、一番上の絵なのです。
私的には・・・・。
そして、冬の陽だまりを感じる絵が下の絵。

相変わらず、冬が嫌いで機嫌の悪いヒロクニさん。
寒いのが嫌いで嫌いでたまらない様子。

毒をもって毒を制すではありませんが、松尾芭蕉の冬の句に
冬の寒さを詠った句がたくさん出てきます。
江戸時代の寒さは、今のように暖房器具もないことから、
寒さがひしひし伝わる句が多くあり、
「松尾芭蕉も寒がりだったみたいだよ」。とヒロクニさんに言い、
「寒さを詠った句がいりいろあるよ」。といい、
寒さを詠った句をヒロクニさんに朗読してあげた。
そうしたら、共鳴して、「誰でもそうだよなぁ~」。という気分になっている。

どんな句をヒロクニさんに紹介したかというと、

『冬の日や 馬上に凍る 影法師』
  ●解説
   冬の鈍い日差しが渥美椀(あつみわん)一帯に照りそそいでいるが、天津畷(あまつなわて)には、
   身を切るような風が吹き上げてくる。その吹き曝しの一本道を馬で行くと、この身は馬上にすくんだ
   まま、影法師のように凍てついてしまった。

   ヒロクニさんには、「芭蕉さんが冬のすごく寒い土地を馬に乗って旅をしている時、ついつい馬に
   くっついてしまって、その姿が影法師となっているのを見たと詠っているの」。と説明。
   すると、「歩いてばかりではなく、馬にも乗っていたのか?」と言われ、「そうです。そして馬に
   乗っている方が寒いのですよ」。と言う。
   (本当は、そういう自分の姿を凝視した俳句だと理解して欲しかったけれど、それ以上は言わなかった。
    なんか、説教くさくなりそうで・・・)


 『ごを焼いて 手拭あぶる 寒さ哉』(ごをたいて てぬぐいあぶる さむさかな)
  ●解説
   旅宿の寒さに苦しみながら、土地に習いの古松葉を焚いて濡れ手拭などをあぶっていると、
   冬の旅情がひとしお身に沁みる。古松葉はパッと燃えてたちまち火勢の衰えるもの。
   先を急ぐ朝の気配が感じられる。三河路の旅の旅情を詠ったもの。

   ヒロクニさんには、焚き火で濡れた手拭をあぶっている様子が寒そうでしょう。この古松葉と
   いうのは、パッと燃えるけれど、焚き火のように安定して燃えなくってね、パッと燃えて、
   すぐ消えてしまうものらしいのよ。そんな火で、濡れ手拭をあぶっている情景なの」。と言う。

   ヒロクニさんは、「寒そうだねぇ~」と言う。

 『瓶破るゝ よるの氷の 寝覚哉』(かめわるる よるのこおりの ねざめかな)
  ●解説
   夜更けにふと目覚めたまま、寒気に眠りを妨げてられていると、買置きの水を入れた草庵の
   水瓶が、氷のために割れる音が響いてきた。
   
   これは、説明するまでもなく情景が浮かんでくるので、あまり説明はしなかった。

   松尾芭蕉も質素な草庵で暮らしていた事が度々解説に出てくるので、その情景を想像しながら
   読んでいくと、もしかして?松尾芭蕉も禅宗の教えから派生した「侘び、寂び」の感覚があるのかも
   しれないと読んでいくうちに気がつきました。
  
   今日紹介したのは、ヒロクニさんの為の「寒さ」の句ばかりですが、他の句では、
   時に無常感が感じられる句もあります。
   また、荘子の哲学を実践しようとした形跡もあり、非常に哲学的な俳句で、男の精神の領域の
   ダイナミズムを感じさせてくれます。また、その名句を紹介したいと思っています。
   松尾芭蕉は、素晴らしいなぁ~と痛感しました。


   着物を着ながら古典を読む。
   実践中!

   
   抹茶色の洗える着物を着ています。
   帯は家ですので、いつも半幅帯。
   写りのいいのを選んでいますので、実物を見たらがっかりするかも・・。
   ヒロクニさんに撮ってもらいました。

   

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