武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

武内ヒロクニ 音楽あれこれ5

2010-06-27 23:23:23 | Weblog

神戸、元町にあるジャズ喫茶jamjamにて
いつも座る椅子から見る店内。

神戸へ用事で出かけた時に、立ち寄るジャズ喫茶JamJam。
ヒロクニさんは、店に入ると忙しい人で、マスターとちょこっと喋ったり、あれかけて、これかけてとリクエスト。そして、椅子に座るのではなく、万歳するように伸びをして、足を開き腰を動かす体操のようなことをしてから、椅子にすわる。そして、珈琲と煙草。そして、足を踏み鳴らす。そう、音楽にのっているのです。わたしは、その姿を傍観している。ジャズ喫茶では、音量が大きいので、私達は、あまり話さずボーとしている。家事や用事の出来ない状態がとてもいい。わたしは、音楽を聴きながら考え事するのが好きだ。家で聴くのとは違って、知っているアルバムでも新鮮に聞こえる。そして、じっくり聴けるのがいい。珈琲もとても美味しい。お店のアンティックのソファのような椅子も好き。
このお店で行われる「詩の朗読会」にたまに、ヒロクニさんも参加する。

At the Village Gate
クリエーター情報なし
Blue Note

この日は、ヒロクニさんはニーナ・シモンにこだわっていて、あれこれレコードを探してもらっていた。
そして、聴いたのがこのアルバム。

わたしが初めてニーナ・シモンを聴いたのは、ヒロクニさんが買ったCDで。
「ニーナとピアノ」というアルバム。聴くととても可愛いアルバムでとても気に入った。それをかけながら「自殺した妹が、よく聴いててね」と言ったので、ヒロクニさんの妹のことを考えた。ヒロクニさんは思い出話の時に「コッコがね・・・」と呼んだ妹とは、とても仲が良かったのが偲ばれる。結婚した頃、ミュンヘンでビールを飲んでいたら、隣の席の年配の婦人から、「あんた達、お似合いだね」と言われ世間話をした。そのご婦人は、美容師だという事が解り、店を出てから、ヒロクニさんは「コッコが喜んでくれてるのかなぁ・・」「コッコが姿を変えて言ってくれたのかなぁ」と言った。(妹さんは美容師だったのです)ヒロクニさんの妹とアルバム「ニーナとピアノ」は、わたしの中でイメージが出来上がっていて、ある種の感傷を感じる音です。純粋なものを感じずにはいられない。

ニーナとピアノ
クリエーター情報なし
BMG JAPAN Inc.(BMG)(M)

このアルバムがヒロクニさんから教えてもらった、「ニーナ・ピアノ」。
ソウルなところが押さえられていて、フランス文学みたい。(あんまり、フランス文学って読んでないのでめちゃくちゃな形容だと思いますが・・・・)


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梅雨の読書

2010-06-23 10:39:22 | Weblog

名作と古典が梅雨には、似合う。

ヒロクニさんは、川端康成の「山の音」を寝る前にひっそりと読んでいる。

わたしは、田辺聖子訳の源氏物語にはまってしまった。
源氏の死後の物語「宇治十帖」を読んでいると、雨の多い梅雨の季節にぴったりしている。うっとうしい季節と平安時代のなよなよした雰囲気や、霧の多い宇治の山間での話しにぴったりくる。
 結婚当初の神戸市西区にいる頃、ヒロクニさんの本棚にある源氏物語、与謝野晶子訳は、明石の君ぐらいまで読んで、後は覚えていない。古い明石のありようを想像しながら読んだ。明石暮らしが新しい暮らしの始まりだったので、「明石の君」の章は比較的気持ちが入りやすかったのかもしれない。明石の君のイメージは、すっとしたキリリとした知的な姫君だったなぁという印象を持っている。
 本屋さんで「小説一途」ふたりの「源氏物語」田辺聖子・瀬戸内寂聴をパラッと立ち読みして、源氏物語の面白さが気になり、図書館で、田辺聖子著「源氏物語」の男達ーミスターゲンジの生活と意見・「源氏物語」男の世界を借りた。源氏の子孫、夕霧と薫の恋愛模様がなんかとてもいいの。特に薫の登場するところが、わたしには面白い。薫さまは、ロマンティックで初めて愛した美しい大君のことが忘れられない。恋は成熟することなく、大君の死によって終わる。死ぬまぎわに、かたくなに薫の求愛を拒んでいた大君なる女性は薫を愛していることに気が付くのだが、遅かった・・・・。その後の薫は、大君の面影をたたえた女人を視つけると、次々と愛するが、薫の恋は成熟あと一歩手前で空しく手が届かなくなるのである。薫は事務手続きもうまく、恋の為に采配を振るうのはうまく、思いやりもあるのだが、恋に対して凄くロマンティック・ラブな人なのであるが、世間をやたら気にするところがあり、そのことで墓穴を掘る。ゆえに何故かいつも辛い別れを強いられる人物なのです。源氏が亡くなってからの「宇治十帖」は、本当に面白い。面白いから、ご飯を作って食べる時間も惜しかった。

 ヒロクニさんは、「山の音の小説の中に、基調音があり、それは戦争のかげりの音がする」という。
わたしは、その話にフムフムと聞いてから、「源氏物語が、かんなに面白いとは思わなかった」と、話を切り出すと、「源氏物語って、床敷きの上でしたんでしょう」というの。なんか嫌な感じ。美しい平安の貴族が奏でる旋律のような、感情としっとりした「もののあわれ」もへったくれもない返事。「もー、いい。源氏物語と、風と共に去りぬは男性がもっとも読まない本らしいから、もー、いい」と言った。

わたしは、紫の上がとても印象に残っている。そして、源氏よりも頭の中将が好きだ。

読書の後の言葉使いは、質問は「いかがなさいます」となり、反論するときは「そうでございましょうか」となり、ヒロクニさんに、気に食わない時は「いやなかたですね」なり、波風がたたない言葉使いを、古典に学んだ。なんかヒロクニさんと、喧嘩しなくなってしまった。

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ビート的色鉛筆作品(作品紹介41)

2010-06-17 11:51:41 | Weblog

不思議な作品。
わたしは、この作品がとても気に入ってしまった。そう言うと、ヒロクニさんも「俺も、コレ好き」と言った。
ヒロクニさんは朝から晩まで、いろんな音楽を聴いているが、そんな脳細胞の様子にも見える。
朝はCANで始まる。ダモ鈴木のボーカルと独特のドイツ・サイケといった音が朝食事に流れ、耐えているわたしは、自然に早食いになり食べ終わると、その場を離れて、自分用のヘッドホンで「ローリング・ストーンズ」のベカーズバンケッドを聴き、その音を聞かないようにする。歯には歯を、目には目をの境地です。
それはさておき、ヒロクニさんがいかに音楽が好きかという事がこの絵を見てもわかると思うのです。音楽には、形がない。形はないが人はそれによって、感動したり、ウキウキしたり、悲哀を感じたりと感情が動くきます。ヒロクニさんの絵には強く音楽の形を感じる時もあり、その表現の仕方がユニークで感心します。ヒロクニさんの作品には、明るく楽しい画面に寂しさが隠してあり、ロマンティストなヒロクニさんらしい。照れ屋な性分が絵にも出るのですね。この絵は、7月のギャラリー島田のミニアチュール展に出品予定です。

Delay (Hybr)
クリエーター情報なし
Mute U.S.

上がヒロクニさんが死ぬほどよく聴いているCDです。別に嫌いではなかったのだけど、聴きすぎて、いや聴かされすぎて聴くのも嫌な音楽になってしまった。ヒロクニさんはDVDまで持っていて、一緒に見ないと機嫌が悪くなるのだ。
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ビート・ゼェネレーションと武内ヒロクニ

2010-06-15 07:05:54 | Weblog
地下街の人びと (新潮文庫)
ジャック ケルアック
新潮社


上記の本を家でよく見かける。「地下街の人々」ジャック・ケラワック著の本である。わたしは、その本の題名からビートニクな印象を受け、この本をヒロクニさんが持ち歩いている度に、眉をしかめたものである。地下街の人々イコール貧乏でどーしょうもなくイカレタ芸術家の集まりを想像して「いつまでこんな本を後生大事にするつもりだろう」と。わたしは、同時代の作家、トールマン・カポーティに熱を上げていて、広げて読むとなんか意味の解らん、雰囲気だけの文章に思えたのです。


ヒロクニさんのアトリエ内に貼ってある写真。写真集の中から切り取られた1枚だ。写っているのは、アレン・ギンズバーグだ。「吠える」という詩集で有名な詩人。ビート・ゼネレーションの火付け役のような人だ。放浪しながら生活し、詩を書くというスタイルのある瞬間を撮ったものなのだろう。場所はインド。猿と手をつないでいるように見える写真は、東洋に瞑想をしに来ているような雰囲気が漂う。
 アメリカのジャーナリズムが取り上げたのは、極彩色のビート族で、粗末なシャツにデニムのスラックスをはき、手にはジャズのレコードやギンズバーグの詩集「吠えろ」を持ち、不潔で物騒な若者達なイメージが焼きついているらしい。
 ヒロクニさんもジャズをよく聞き、若い頃は髪の毛を赤く染め、髪の毛が爆発していた写真がある。シャツはその頃の恋人が作ってくれた星柄の派手なシャツで、もちろん不潔そうだった。よく「あなたは、ヒッピーだったのか?」と聞いたが答えは「ノー」である。「ヒッピーというのは、意識もあやふやな奴らで、すぐ変わるのだよ」「ただの風俗なんだ」と言う。アメリカでも本当にビート・ゼネレーションだったのは、探求に旅だった人間で静かに、アメリカ生活のあらゆる底辺と地下世界に存在するものらしい。地下世界とは、底辺の生活とは、必要なお金をえるための労働・例えば船乗りとして生活をしながら、詩を書く等という地味な生活をさすようです。有名作家になり社交界に顔を出すという世界には、彼らは自ら否定している態度のことで、アメリカ的実存主義と考えることができるということです。

「しあわせ食堂」光人社のあとがきの作家紹介にて
『小賢しいアッパー・カルチャーの氾濫のなかで、倣岸不遜の地下生活者として、都市の喧騒と退廃と官能性を色鉛筆に留めよ。永遠に!!』
とあり、アホなわたしは、地下生活者の部分で、ぼろい平屋に普通に暮らしてるのだけどなぁと思い、地下生活???と思っていたのでした。地下室に住んでないしなぁと。最近、ビート・ゼネレーション 諏訪優氏の本を読んでやっと意味が解ったのであります。目からウロコが落ちたのでした。
後、アッパー・カルチャーの意味がはっきり良く解らないのだけど、誰かに質問してみよう。しかし、アッパー・カルチャーに対抗しているということは、粗野で貧乏な本物の芸術家だと言って下さっているような気がする。
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ウイズたからづか6月号 第26回宝塚アート見聞記に掲載中!!

2010-06-10 22:26:39 | Weblog

ウイズ宝塚の2010年の6月の最終ページ、22ページにて第26回「宝塚アート見聞記」にアトリエ訪問の記事が載りました。

電動ハブラシ色鉛筆党 武内ヒロクニさん

「しあわせ食堂」の挿絵を描いた破天荒な色鉛筆画家

―以下掲載文―
4月始め、爛漫のさくら花の土曜日、宝塚市内の武内ヒロクニさん(1937年、鹿児島県徳之島生まれ)のアトリエを訪ねた。アトリエの庭の春の花が私を歓迎してくれた。
 私が武内さんを訪ねる契機となったのは、昨年の9月に光人社から発行された『しあわせ食堂』(武内ヒロクニ+毎日新聞夕刊編集部)を入手ことによる。この単行本は、2006年4月から2009年3月にかけて150回毎日新聞(夕刊)で掲載された「しあわせ食堂」の挿絵を描いた武内さんの絵から厳選されたものである。
 挿絵の内容は、各界の著名人が食にまつわる思い出を、「電動色鉛筆党」党首を自称されている武内さんが色鉛筆の描画により、異彩を放っている。
 神戸にあるギャラリー島田の島田誠さんは、単行本の序文に次のような紹介をされている。
 「(前略)食べるまえから満腹、食傷気味のTVのグルメ番組や、雑誌の『××料理特集』などという小奇麗で小賢しい情報の氾濫をぶっ飛ばし、3年間、150回にも及ぶ連載を成し遂げたのは、『生きる』ということと『食らう』ということが密接であった時代の濃密な記憶と、その時代の底辺をしたたかに生き抜いたヒロクニの色鉛筆のパワーなのだ」。
 「しあわせ食堂」の頁を繰ると、田辺聖子さんの「お好み焼き」、藤田まことさんの「おにぎり」、中村吉右衛門さんの「のり弁当」や児玉清さんの「トウモロコシ」などの挿絵が目につき、色鉛筆パワーにユーモアと心地よい刺激による味付けが絶妙で食べきれないうまさだ。
 武内さんは1945年に一家で神戸へ移り、高校を中退し“街”を徘徊していたとのこと。その後、地方展での受賞を機に画家をめざし、淡路島へ遊学したり、1965年には神戸の現代美術家集団「グループ位」の創設に参加するなど精力的に、独創的な作家活動を展開。
 そして1971年には神戸三宮でロック喫茶「VOXヒコーキ堂」を開店。ここを拠点に、その時代を挑発するカウンターカルチャーを繰り広げる。ところが、70年代後半にロック喫茶畳み、作家活動を再開するといった破天荒で波乱万丈の人生を今の実践している。
 穏やかに、自己の半生を淡々と語る武内さんに、そんな紆余曲折な道程は微塵も感じられない。帰り際に、「私には絵だけなんです」と語る背後に映る色鉛筆の主人たる武内さんの瞳に私は魅せられていた。

文・坂上義太郎
  (前伊丹市立美術館館長 BBプラザ美術館顧問)


日常では、動きやすいよれよれの服装のヒロクニさん。
外出では、おしゃれな人と思われているが、制作の時はボロボロな格好が好きなようで、穴の開いた首の所が擦り切れているものを着用する。ゴミに出しても、また取り出して着ている・・・。ヒロクニさんは73歳でわたしは47歳だけれど服の貸し借りをすることがある。「あ、これかして」と言う具合に。父とヒロクニさんは同い年なので、たまに父と比べるときがあるが、父の着ている服を借りるというということはまずない。たぬきおやじの服は、地味で華やかさがなく実用一点なのです。自営業を営む父は、老後に及んでも会社にへばりついている仕事が好きなおやじなのである。信楽焼きの狸にそっくりで、自宅の玄関にはまさしく、その焼き物の狸が据えてあり「パパ、自分を飾ってどうするの?」といつも憎まれ口をたたく。父も電話をかけてくると最初の一声にいつも「何とか生きてますか?」という。バカにしてるのかと思い「電話とってるから生きてる決まってるやろ」と言い返す。お互いの愛情表現は憎まれ口という似たもの親子です。
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宝塚市にて天井画制作

2010-06-06 23:25:13 | Weblog

お店の入り口近くにある絵。イタリアの妖精をヒロクニさんが描くとこんな風に。
この絵はいつも手近にあったメモから描いた。


この絵は、はじめはうっすらとしたピンク色の靴下のような下地の上に、グイッと靴が描き込まれた。
ヒロクニさんは靴好きで靴のデザインにいつも関心をよせている。
スニーカーは、赤とグレーのデザインの変わった物や、緑と白と黒のデザイン物、昔は色と形に惚れてスケートボード用の靴を履いていたこともある。
このお店も、とても履きやすい「ルコライン」の靴がずらっと並んでいて、靴のラインを見ていると、エロティックな感じがして、靴って面白いなぁとよく思った。カーブの具合がよろしいのです。ルコラインの靴は全種類あるそうだ。靴好きのヒロクニさんは、「買え」と言うが、やや靴に対して思いの少ないわたしは、頷きかけているだけ・・・。

突如として現れる女性像。


バーのカウンターの上に現れるのは、買い物好きの宇宙人マダム。


さらに奥へ行くと、歯ブラシを加えた「歯磨き女王」。猫印のハミガキ粉をお持ちだ。
手前の赤い画は、ちょっとお地蔵様のようにも見えるがほんわりした感じが漂いわたしは、気に入っている。全体的におもちゃ箱のような感じに仕上がっている。

まだまだ、写していない所がありますが、追ってブログにて紹介します。
ヒロクニさんは、この仕事を5日で仕上げたのです。
助手のわたしは、すっかりやつれた・・・・。


お店のホームページ
http://www.fata-web.com/ こちらのオーナーのブログにて、天井画の制作の様子もみれます。天井画公開は、お店のリニュアールと共に。2月18日より公開しています。
ウィズ・宝塚6月号の最終ページにて作家紹介されております。
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武内ヒロクニ語録1

2010-06-02 12:55:50 | Weblog


「人間なんてしれてますゎ」
「人間も自然の一部なのに、我をはってみたり、強情をはったりと」。
「う~ん、強情はりなさいってとこか」。(アトリエにて)
 急に制作の勢いが激しくなる。

「平和の隣には、暴力が影をひそめてるからねぇ」。(台所にて)


神戸の夜の街に消える後ろ姿。
煮ても焼いても食えない人だが、こういう人がいなくなれば世の中つまらなくなるのだろう。



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