武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ホップ・ステップ・ジャンプ(作品紹介722)と 人との出会い

2023-02-22 18:50:04 | Weblog

「この絵をブログに取り上げてみてよ。」と言われ、3枚の絵を渡されました。

その中の1枚になります。

この絵を見た時、ぼかして線が消されたようになっている部分が気になって、

この部分を何度も見てしまいました。

クレヨンの白とグレーが、紙にのっているように思いますが、

表面を触ると硬くなっていて、平らなのです。

目をこらして見ていると、黒い線が滲んで見えたりと。

こんな技法があるのか?と思って見ています。

何故、消されたのかという理由は、まったくわかりません。

四角く切り取られた空間から、花がくっきりと見え、

春を待ちわびている気持ちによく合います。

それで、この絵を選びました。

この人型のことを、わたしは「埴輪くん」と呼び、

消された埴輪の間の赤い部分は、炎に違いないと想像する。

『キャンプファイヤーをする埴輪たち』そう思いだしたら、

それにしか見えなくなりました。(笑)

武内に、「これ、埴輪みたい。」と言うと、

「3人いるだろ、ホップ、ステップ、ジャンプ。」という答え。

この埴輪の居所なんかも聞きたいが、言わずじまい。

ボールペンに、色鉛筆、クレヨンで彩色の作品。

よく思うことの1つなのですが、

「武内の頭の中は、どうなっているのだろう。」という事が浮かびます。

 

 

企画展の案内。

実は、2023年2月18日より、神戸にある「ギャラリー島田」にて、

「坂の上の作家たち展」にて、武内ヒロクニの作品が展示されております。

↑こちらが、その案内状。

会場:ギャラリー島田 B1F un & 1F trois

会期:2023年2月18日(土)-3月1日(水)

11:00-18:00 *最終日は16:00まで

この企画は、山本忠勝氏の美術評論より、企画されています。

武内はギャラリー島田で個展をすることになる前から、忠勝氏とご縁があり、

わたしは個展の度に足を運んでくださっていた姿を思いだします。

初めて出会ったのは、電車の中だそう。

そう聞いています。

今は亡き、美術研究家の山本芳樹氏と武内が電車にのっていたとき、

山本氏が「君に会わせたい人がいるのだか。山本忠勝氏といってね・・・。」と話していたら、

すぐ近く、向かいの席に山本忠勝氏がいたという。

その偶然に、武内と美術研究家の山本氏がどれだけ驚いたか・・・。

この話は美術研究家の山本氏から、わたしも直接聞きましたので、武内の作り話ではないのです。

不思議なことってあるのですね。

3人で意気投合した様子を話してくれました。

その山本忠勝氏の評論集にとりあげられた作家たちの企画展になります。

展示作家は、以下

石井一男 上前智祐 上村亮太 梅田恭子 岡井美穂 鴨下葉子 北村美和子 金月炤子 桑畑佳主巳

コウノ真理 笹田敬子 高野卯港 武内ヒロクニ 坪谷令子 徳永卓磨 栃原敏子 中井博子 中辻悦子

松村光秀 三沢かずこ 山内雅夫      (五十音順)

 

興味のある方は、是非。

 

庭は、春の準備中といったところ。

↑チューリップの芽が出てきています。

陽射しを浴びています。

しかし、気温は低い。

 

↑近頃、よく摘む野生のビオラ。

株が増えて、少々摘んでもなくなってしまいません。

花のない時期に、食卓に飾るようになりました。

↑育苗中のビオラ。

今日は、新しいつぼみを見つけました。

また、紫色。

花色がわかるようになってから、鉢に植え替えます。

春が来て、暖かくなるのが待ちどうしい。

 

 

ヒロクニさんから聞く話の中に、人との出会いというものがあります。

この度の山本忠勝氏との出会いも、そんなことってあるのか?と、本当のような、嘘のような話。

3人が同じ電車の車両に偶然居合わせるなんて。

偶然は必然という言葉がありますが、

こういう話を聞くと、「必然が強引に偶然を引き起こした。」という感じがしてきます。

お互いが、強い念でも出していたのじゃないかと。

「こういう人に会いたい!」と。

引き合う関係というか。

山本忠勝氏の心意気の特徴ある文章は、作家にとっても勇気を与える書きっぷりで、

作家のからは、書いてもらいたい評論家だったと思います。

ナイーブな表情から、繊細な感性を持たれていたとよく思います。

嬉しい、出会い。

こんなことって、あると思います。

そんな事を思いながら。

今日も最後まで、お読み下さった方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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喜び(色鉛筆作品721)と 執着は負である

2023-02-15 17:13:48 | Weblog

画面に見える記号や形が赤い大地の上に、折り重なりながら浮かんでいる。

見ていると、多くの微笑があるようで、春の到来を思わせる。

ここは、楽園なのかもしれない。

左の受け皿のような赤い形に落ちてくる丸い形は、

実りを受け入れ、豊穣を思わせる。

右端にあるxのような形は、喜びを表しているかのようだ。

この形は、絵に初めて登場したもので、目新しい。

こういう形をよく発明するというか、表現させたらピカイチかもしれない。

任意の形を生み出す才が秀でているのだろう。

わたしは、このxの形の虜になっています。

武内は、亡き師匠の徳山厳氏から、若い頃、

「おめぇは、詩を爆発させるからな。」と言われたと聞きます。

こんな絵、摩訶不思議絵画なのですが、

ポエジーを感じます。

この形の集合から、「喜び」を感じるのです。

そして、春が早く来ないかなと思う。

 

この絵は、アトリエに吊るされていたものです。

写真をアップします。

↑急に写真を撮りに行ったので、お疲れの武内がいます。

頭の上のほうに、この絵があります。

他の作品もあると思いますが、

あまりにも難しい作品は、ブログでは、紹介していないと思う。

わたし自身が、非常に戸惑っているということです。

武内はなにか話しているようですが、

「俺を写真に撮ってどうするの?」ということを言っています。

机の前、左端に見える写真は、

マース・カニングハム、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージの3人の写真。

アメリカの偉大な表現者、年老いた3人が写っています。

毎日、見えるようなところに貼っているのが、可愛い。

(台所には、晩年の熊谷守一氏の写真が貼ってあります。)

こういう素晴らしい老人になりたい!ということなのでしょう。

普段は、用務員のようないでたちで、制作しやすい服装がコレだそう。

寒がりなのに、このいでたち・・・、石油ストーブで考えられないほど部屋は暖かい。

部屋を暖かく保つために、やりくりの工夫に追われるわたしです。

 

こんなわたし達ですが、最近の口癖は、

ヒロクニさんは、「そうねぇ~。」で、

わたしは「そうなのよぉ~。」「そうでしょう~。」だ。

お互い、「そう」を連発しているが、何に対して言っていたのが思い出せない。

それぐらいたわいのない話をしているということだ。

日常は淡々と過ぎ行く。

こういう日が続くと少しの変化にも敏感になり、

一日の中でも気持ちの移り変わりがよく見えた。

わたしは、よく考え事をする性質なのであるが、

その考える行為の中で、自分の周りにまとわりつく余計なもの、

つまり、ある種の考えごとにつきまとう灰色の影のようなものがあるのに気がついた。

仏教でいうところの“執着”といっていいかもしれない。

執着性の考える行為。

ものごとをよく考えるのはいいが、

その中に考えなくてもよい種類のものがあるのだと。

例えば、引越しのことを考えている内に、

引越し先の環境のことを思い、嫌な住人がいたらどうしようとか、

ものごとを悪い方に想像し、それに陥っている考えなど。

そのことに囚われだしたら、なんか抜け出せなくなっている状態です。

その考えに陥っている時に、これって“執着”?と思いました。

自分の中にある執着が、この考えを増長させているのだと。

簡単にいうと、原因は“不安”なのでしょうが、

必要以上に「快適にならねばならない」という思いや、

わたし的には今の家が快適というか、割合好きなので、

「現状より、悪くなると嫌だな。」という考えが支配的になっているのだろうと思う。

まだ、引越し先が決まってないのに、あれやこれやと考えているのです。

悪い方に考える自分自身の中に、問題があるのだと思いました。

「卵が先か、鶏が先か」の例えがあるように、

不安が先か、自分の中にある執着が先か?と思い、

自分の心の中を見ています。

不安は、物件を見ている内に解消されることがあると思う。

そう思うと、自分の中で支配的になっている“執着心”を解消してから、

家を見に行ったりする方が、判断の時に良い選択が出来ると思いました。

「ねばならぬ。」という肩に力の入った状態ではなく、

肩の力を抜いて、淡々と物事に取り組むという姿勢で望んだ方がよさそうです。

今週は、ヒロクニさんに驚かされたり、無理難題や、怒りをぶつけられることもなく、

平穏な日々でした。

平穏な日々だからこそ、自分自身の心のありようを見つめることができました。

自分の中の不穏な心に気がつけたのは、いいことです。

普段、不穏はすべて、ヒロクニさんがもたらしていると思ってしまいがちなので、

少し反省です。

しかし、わたしって考え事をよくします。

この文章自体もそうですよね。

 

↑種から育てているビオラがやっと1つ咲きました。

次に咲くつぼみも見つけていますが、やはり紫色。

今年もどんなビオラが咲くのか楽しみにしています。

 

今日は、わたしの負の感情について書きました。

負の感情って、なかなか強いものがあります。

日常生活の中で、自分を見つめるのもなかなか難しいもの。

私の場合、いろいろやらかしてくれる、

ヒロクニさんを見つめるのに集中してしまって・・、特に。

見ないでいい部分まで見ているような気がします。

淡々とした変化の無い生活もいいものだと思いました。

今日も、たわいのないブログを読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

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雪と一緒に(作品紹介720)と 夕食とタラのコロッケ

2023-02-08 13:26:19 | Weblog

こちらは、マジック作品です。

油性のマジックインキは、重ね塗りすると下地が透けて見え、

セロファンを重ねたような効果が出ます。

緑に見えるところは、オレンジや黄色が、

紫に見えるところは、ピンクが塗られています。

案山子でも描いているの?と思ってしまいますが、これは飛行機です。

武内の絵を何年も毎日見ていますと、

視覚に形が擦り込まれていますので、

描かれていませんが、尾っぽの部分“水平尾翼”があるのです。

このバッテン、+の形があるものは飛行機なのです。

雪の振る人家のある街並みを浮遊しているような感じがします。

ところで、雪が降ったら、飛行機って飛べただろうか?

こんな疑問もありながら、絵を見ています。

 

台所でこんな会話をしていました。

ヒロクニさんは、「最近、ご飯が美味しくってね。毎日、ありがとう。」と言い、わたしに握手を求める。

握手した後、「こういってはなんだけど、わたしも自分で作りながら、美味しく食べてる。」

「楽しみがご飯しかないというか、一日の終わりにあれこれ美味しく食べると、充足するよね。」

「あ、こういうの“一日の労苦は、一日で足れり”っていうのかな。」

「他の欲望が減るよね。」と、何か発見でもしたような気持ちになって話す。

ヒロクニさんは、「確かに、無駄使いが減るねぇ。」

「満たされてしまってもて・・・。」と、冗談っぽく、笑いながら言う。

我々は、こんなことで満たされてしまっていいのか?

もっと崇高なものがあったのではなかったのか?

というものが、ヒロクニさんにはあるので、

こんなことで満たされてもて・・・ということで、変な笑いが出てきているようです。

普段、「精神の不良」なはずが、

“晩飯”で満たされて幸せになってしまった。

「満たされてもて・・・。」と言う表情は苦笑顔なので、可笑しく楽しい気分になった。

若い時は、厳しかったようで、現代美術の団体にいた頃は、団体で話し合いをした時のことを語るのですが、

特に印象的だった言葉があります。

「この大事な話し合いをする時に、グラタンを食べる奴がいたんだよ。

 俺は、“こいつ許せん”と思ったねぇ。

 腹一杯にして、何が芸術だ。

 腹がすいていてもやるのが芸術じゃないか。

 俺らがどんな思いをして芸術をやろうと思っているか、分ってない。

 こいつとは、口聞きたくないと思ったねぇ。」と、いうもの。

グラタンを食べただけで、ここまで思われるって、可哀想にと思うと同時に

ヒロクニさんの言い分もわかるような。

飯より情熱が大事なんだ!こっちが先だ!なのでしょう。

確かに、ストイックで、暮らし始めた頃、

食事を出しても、食べないで見ているだけで、驚いたことがあるのです。

「見ているだけで、お腹が一杯になっているから。」とか、言われて・・・。

わたしにしたら、それはありえないなので、とても困りました。

かといって、まったく食べないではなく、急に食欲が出るときがあって、

変な時間(普通はあまり食事をしない時間帯)に食べだす時があって、

武内の友人の目の前で、急に食事を注文したり。

わたしは、「食べたり食べなかったりなので、好きにさせてる。」と、皆の前でポツリ。

皆、大変やねぇ~という目で、ヒロクニさんを見る。

だけど、皆寛大です。

美術関系の集まりでも、パーティでも本当に食べない人。

家に帰ってから、「何か簡単なもの作って。」と言われます。

(わたしは一緒に行って、アルコールやら料理を頂いていて、ちょっとめんどうである)

こういうことを思い出すと、今は食べるようになってくれて、ありがたい。

 

そんなヒロクニさんですが、夜中に起きて制作していたり、朝早くから制作していたり、

昼間制作していたり、昼間寝ていたり、夕方寝ていたり、遅くに寝ていたり、

わたしから見るとこんな風に映ります。

“不規則な生活”つまり、制作に一番いい生活らしい・・・。

受ける雰囲気は、活動的な感じ。特に表情がです。

それが、急に“休息”に入ったらしく、熊みたいに冬眠しています。

「ちょっと、今から休憩するよ。

 今から、幼児期のあのくる日もくる日も海を見ていた記憶を。

 あの生まれた時から、海があった環境の中で育まれていたものを探し当てたいかな。

 新しい今までにないものを発見してみたい気も。

 才能とかじゃなくって、努力したら努力した分、解ることがあって、

 解ったら、また努力を続けて、その努力が出来るのが才能。」

「努力できるのが才能」改めて、うん、なるほどと思う。

そして、ヒロクニさんのいう「解る」とは、何か?

ここが明快になりにくく、解りにくいところでもあるが、

ここがポイントなのかもしれないと思うのでした。

哲学みたい・・・。

 

 

では、晩御飯の話から、はじめて挑戦した、タラのコロッケのお味を。

昨年から、考えていたコロッケを作ってみました。

↑丸い形をしたものが、パルメチザンチーズ入り。

長めの形は、プレーンな味。分けています。

これだけでは、ただのコロッケの見かけ。

↑こちらが、コロッケの中身。

左の透明のボールには、マッシュしたじゃが芋と

すきみたらを塩抜きのため戻したものをフードプロフェッサーで細かくしたタラの身。

右は、炒めた玉ねぎ。

イタリアンパセリは刻んで一緒に混ぜる。

味は塩、胡椒。ナツメグ。牛乳も混ぜるあわせる時に入れました。

 

お味の方は、あっさりしたコロッケで塩味が残っているタラの身とナツメグがよく合います。

ケチャップをつけて食べるのがいい。

洋風な感じの味になります。

個人的には、パルメチザンチーズが入ったものの方が、ケチャップに合うような気がします。

ヒロクニさんには、いまいちだったようで、塩をかけて食べていました。

普通のコロッケのほうがいいみたい。

このコロッケは、ちょっとポルトガル風なのです。

 

↑庭では、あまり花は咲いていません。

手前から、ムスカリとチューリップを植えている鉢。

ルピナス、ビオラ。

ポットには、ビオラを育苗中。

やっと蕾をつけたものが1つ。紫色でした。

これからの楽しみ。

 

 

不規則な生活が板に付いている武内ですが、制作と関係あるように思います。

「規則正しい生活をしようよ。」というと、

「嫌だ。」と即答で返ってきたときは、え~!!!と驚いたのですが、もう、好きなようにと。

「満たされてもて・・・・。」と言う言葉を聞いた時、夫も随分変わったのか?

時々、「腹が減っては戦は出来ぬ。」「ご飯、食べて!」と食べるように仕向けていたこともあり、

わたしの啓蒙も脳に浸透しているに違いない。

制作を戦に見立てたのが、功を奏したとのだと思います。

 

今日も最後まで、お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

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誕生(作品紹介719)と 最近の昆虫食について

2023-02-01 17:19:16 | Weblog

この絵は、週刊誌「サンデー毎日」にカットを描いたときのもの。

ショートエッセイで、子供のことだったのかもしれません。

いつも見るフェイルとは、違うものから選びました。

武内の絵の中でも、爽やかさが漂うというめずらしい絵になります。

武内らしさがあるとすれば、「みんな飛んでいる。」ことでしょうか。

光に包まれている赤ん坊は、腕や足がプクプク太っていて栄養満点です。

祝福あれ!

この絵を見ていると、そんなことを思います。

一気に描いたようで、鉛筆の線を書き直したところがありません。

そのせいで、線がのびのびとして、大らかな印象を受けるのかもしれません。

 

今日の話題は、昆虫食。

徳島で昆虫の入った“かぼちゃコロッケ”が給食で出されたというニュースを見た。

コオロギの粉末を混ぜているそうだ。

そのニュースを見て、嫌な感じがした。

ヒロクニさんに「こういうのって、何か間違っていない?」と聞くと、

「食料難になったら、食べないといけない。」と言う。

意外と受け入れているので、驚いた。

テレビでしかニュースを見ない人なので、

「人口がこのまま増え続けたらー!」というスローガンが擦り込まれているのかもしれない。

素直な一面があるから、こうなるのでしょう。

わたしは、「これって、どういう陰謀?」と思うのであった。

昆虫を食べることを考えると虫唾が走る。

“いなごの佃煮”は食べたことがありますが、皆が言うほど美味しくはなかった。

いなごの足が舌で感知されると、どうもなぁ~という具合。

わたしは、虫を食べるのに嫌悪感があるし、今の推奨に悪意すら覚えるのだ。

給食の件では、生徒は強制的に食べさせられているように感じます。

実験台にされて可哀想だ。

こんなわけで、ヒロクニさんの答えでは、落ち着かない。

食べたくない人もいるのに、あれやこれやと理由づけして食べさそうとしているのが気に食わない。

“温暖化対策”だという理由まである。

牛がゲップをするらしく、そのゲップが温暖化をもたらしているというのだ。

牛にとってゲップをするのは自然なことだ。

虫だと草も多量に食べないし、コオロギでタンパク質の補給なのだそうだ。

大学生の頃、長野県で農家のバイトに行った時、蜂の子のある場所を発見した親方は、

「ここに蜂の子があるずら。」と言って、少し取ってくれたことがある。

持って帰り、「これは、うまいずら。」といって、食べてらした。

そんなのは、自然な行為でいいと思う。

家族で、皆美味しいといって、まだ動いている幼虫をつまんで食べていました。

わたしだけ、青くなって「無理・・・。」と言い、黙秘していました。

元々、人類は飢餓に苦しんだりといろんな体験がある中で、

食用として“コオロギ”を食べようとしなかった事実がある。

それに、寄生虫の関係で、その食べるコオロギは養殖したものしか食べれないらしい。

これから、その養殖をする人が増えるということだ。

その時に逃げたりして現地で繁殖したらどうなるのだろうと。

マスコミがいいというものに碌なものがない。

太陽光発電もいまや、がけ崩れや洪水の誘引になっていて自然破壊になっている。

雪が積もっても壊れてしまうし、大体雨が多い日本には向いていない。

その上、業者はたちが悪い。

地域の住民と問題をおこしている。

太陽光発電のゴミ、寿命があるので、これから多量に出ると思うけれど、有害物質を含んでいるのにどうするの?

太陽光には、大きな利権があるらしく、

東京の小池知事が太陽光発電の義務化を強引に決めたことで理由がよくわかりました。

義務化って・・・、人の自由を奪うなんて!ムチャクチャです。

EUでは、新規食品として昆虫を承認したらしく、パンやパスタ、クッキーに利用するのだそうだ。

EUも狂っていると思った次第。

WHO(世界保健機関)も昆虫食を推奨しています。

こういうことを決める人って、結局お金持ちなんです。

ヨーロッパのお金持ちというのは、日本のお金持ちとは規模が違う。

国連の人達も自分達は食べないから、気軽に決めているのでは?

キャンペーンでテレビの前では少量食べたりは、するだろうけど、基本進める人に限って食べないと思うよ。

庶民が虫を食べているのを見て、面白く思うのかもしれない。

人を支配する快感というのは、人が自分が思うように反応し、動くのを見るのが面白いそうです。

昆虫食には、何はともあれ選べる自由を!と思います。

給食は、可哀想だ。

朝日のアエラでは、「ハエの幼虫は意外と美味」という記事があった。

なんか報道が、熱心すぎて引きます。

飢餓状態に陥ったら、生命の危機と思い、虫は食べると思いますが、

やはり普通に美味しくご飯は頂きたいと思っています。

 

結論だけ言うと最近よく出てくるSDGsというもの。

胴元だけが儲かるしくみだそうです。

経済に明るい方がそういいます。

お金持ちがさらにお金を儲けるしくみでしょうか。

SDGsってよく分らないので「子供でも分るSDGs」という児童向けの本を借りたことがありますが、

温暖化の二酸化炭素のグラフがあって、どこが一番出しているか?というものがありました。

見ると、“中国”がなく、アメリカが一番大きい面積をしめていました。

中国がない、これっておかしい。

フェアじゃない。

人の善意を利用して、慈善事業のようにみせて違うものがあるかもしれません。

意外と疑り深いというか、「何で?」と思うわたしいます。

ヒロクニさんが意外に素直なせいか、わたしの疑り深い慎重な性格が浮かび上がる。

昆虫食に関しては、選べる自由を考慮して頂きたい。

普通が一番と思うのでした。

 

 

今日の食卓の花

↑野生の宿根すみれとビオラ。

すみれは、地面に沿って葉が横に広がっていました。

寒くて、縦に伸びないようです。

そこにビオラを入れ込みました。

とても小さいデミタスカップなので、花の茎が短くても大丈夫なんです。

 

 

今日は、武内にしては可愛らしい絵を取り上げましたが、

付録の内容が、昆虫食でえぐかったかもしれません。

給食で、そんなものを食べさせられるって・・・。

衝撃でした。

わたしが生徒であれば、食べないでしょう。

変な流行がおしつけられませんように願います。

普通に美味しくご飯が食べられますように。

今日も最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

追記:2月5日 文章がおかしいところを直しました。

 

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