武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

アンドレ・ブルトンと色鉛筆画の関係(作品紹介352)

2014-09-25 16:35:20 | Weblog


タイトルは「朝のcoffee」色鉛筆作品。
写真が上の方に光が入ってしまい、うまく撮れていません。
実物は、もう少し落ち着いています。

この絵を描いている時の心境を語ってくれました。
「アンドレ・ブルトン集成7」の中のP49の最後の一説という事で、読んでくれました。

『あなたは、ルーマランとラ・コストの館の間にある<狂者>の塔をご存知ですか(サド)。これはリュペロン山脈のまっただなかに灯台のように建てられた塔で、そばに鉄の甲胃に身を固めたような家があり、ヴォーパン風の砦に守られています。この館には城壁はありませんが、順警路があって、それは銃眼のついた狩小屋に通じています。つげの木の植わった庭のまんなかには、1880年という年号が刻まれた僧院の拱廊があります。』

この文章と作品の描かれる背景が近しいという意味で理解しています。
「俺は、シュールレアリスト」宣言!という風に・・・。
かの有名なサド侯爵の本も読んだことがない私は、伝わってくる雰囲気でしかわかりません。

本を読んでいたら、「頭がややこしくなるから、無理して読むことないよ」と声をかけられました。そう言われると、「読むことは出来る!」とちょっと読むことに。はっきりいって雰囲気だけが読んだあと残るのですが、すべての内容は忘れてしまう。雰囲気と奇妙な感覚だけが、身体に残ります。たぶん、それがフランス文学の真髄のような気が・・・・。文章は、ほとんどイメージに置き換えられ、美しい雰囲気がただよっています。


これは、デッサンなのですが、身の回りにある物が描かれていて、私にはとても面白い。
ひまわりや、スタバの珈琲、干からびたエキナセアの花、マッチ。
ヒロクニさんの描く、線がすごく好き。
けっこうポップな雰囲気となんとなくオシャレでもあります。
当人は、真面目一点張りで描いたものだと思っています。ヒロクニさんが、生真面目になればなるほど、頭大丈夫か?という風な、アホな感じの作品が出来上がる時もあり、ハラハラする。


制作中の写真。
アンドレ・ブルトンに酔いしれながら、制作中!
上半身は何故か裸・・・。





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我が家の食卓・栗菓子

2014-09-20 17:38:12 | Weblog


店先に栗がならぶようになりました。
この栗菓子を作るのは、2度目です。

夫が、上記の描いた絵から触発され、今年は栗菓子をトライする決心を!
10年以上前に作ったきり、忘れていた御菓子です。
それでは、作り方を(そんなに難しくありません)


①まず400gの栗を、20~30分水に浸して、落し蓋をしておきます。
②圧力釜に200ccの水を入れ、沸騰したら8分圧力をかけて煮る。
③その栗をザルに上げ、触れるぐらいになったら、栗を半分に切って実をスプーンで取り出す。


④裏漉し器で、木へらを使って裏ごしします。
 この写真は、裏ごし中です。


⑤裏ごしされた栗。
 ここに砂糖を120g入れ、よく練ります。


⑤の栗を半分に分け、その一方に抹茶を大さじ一杯弱を入れ、よく混ぜ合わせます。


⑥12個づつに均等に近い大きさに丸める。高さは低めの丸い形にします。
 手ぬぐいを濡らし、硬く絞る。←これ結構大切です。
 その手ぬぐいに、色違いの団子を合わせ、ふきんにつつみギュっと絞ります。


⑦そうすると、こんな形に出来上がります。
 箱の型に入れて、二段にして羊羹のようにするやり方もあるのですが、
 このやり方の法が簡単で、手ぬぐいから出てくる形を見るという楽しみがあります。
 上に抹茶色をするのがいいのか?下の方がいいのか?試してみました。


⑧ガラスの容器に入れて、冷やしておきます。
 冷やしてすぐよりも、翌日の方が味がなじんで、美味しい。

ヒロクニさんは、上等の菓子が自宅で出来上がったという感じで、大事に毎日一個づつ食べる宣言を、してくれ、ちびちびとフォークで食していました。私は、3口ぐらいでパックっと食べてしまうので、もったいない!などと言われ、無くなったら寂しいと言われました。
そんなヒロクニさんの言動は、無邪気で純粋で愛おしい感じがして、微笑ましい。
我が家って、なんか貧乏たらしく食べるのですね。そんな時、愛を発見する妻であります。


我が家の庭もすっかり秋。
こおろぎがよく鳴いています。秋の虫の鳴き声は、涼しい。
ラフカディオ・ハーンの事を調べていたら、こんな文章に出会いました。


■虫の声―― ハーンが見つけた日本の音

深まる秋。虫たちの奏でる音ねが夜長に響く。平安時代の女流歌人・和泉式部(生没年未詳)は、鳴く虫の声の多様さから、悲しみも虫それぞれに違うのだろうと、思いを馳せた。和泉式部のこの歌は、ギリシャ出身の英国人で来日・帰化したラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850~1904)の随筆「虫の演奏家」でも紹介されている。

1890年(明治23年)、英語教師として松江に赴任したハーンは、西洋とまるで異なる日本文化の趣おもむきに驚く。耳を澄ませると聞こえてくるのは生活の音だ。橋を渡る下駄の乾いた音。神社で打つ柏手の音。虫売りの籠から届く虫たちの音もその一つだった。「虫はその出す音色のため珍重されている」と、日本人が虫の音を味わう様子を綴り、秋の虫の種類と音を詳述する。松虫は「日本語で書けばチンチロリン、チンチロリンとなるその調べは、銀のような甲高い音」。鈴虫は「リイイイインとなるその調べは、鈴の鳴る音とついまちがえてしまう」。そのほか、螽斯きりぎりす、蟋蟀こおろぎ、轡虫くつわむしなどさまざまな秋の虫の音を、詠まれた短歌とともに紹介した。「月はなほくさ葉の露に影とめてひとり乱るる鈴虫の声」「庭草に村雨ふりてこほろぎの鳴く音聞けば秋つきにけり」(以上、講談社『日本の心』牛村圭訳「虫の演奏家」より)

日本人は、虫の音を雑音とは聞かず、音楽のように聴く。西洋人は、虫の音は、雑音の分類に聞いている違いに驚いたという事を書いています。ハーンは、外国人だからこそ、こういう日本人の感性に驚いた人であり、日本人に改めて日本文化について気が付かせてくれると、思いました。

虫の鳴き声と共に、秋の夜長を過ごす時間、再発見であります。
我が家の庭に生息しているコオロギは、ゴキブリと思えるぐらい大きく、うじゃうじゃいます。


ひまわりとカクノトラノオをちゃぶ台に飾っています。
庭も夏の花が終わり、春の準備を始めつつあります。
もうすぐしたら、周明菊が咲きそうです。





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平和で単調な日々「晩ごはん、何しよ?」が合言葉(作品紹介351・油彩)

2014-09-14 22:11:10 | Weblog


ヒロクニさんは、まだまだ油彩に凝っています。
もともと洋画家として出発したのだから、ある意味自然なことかもしれません。
この絵は、アトリエで見つけて、わたしが気に入った作品です。
「唐突」な所が気に入りました。
日常とは異質な次元に驚いたのでした。
そう言うと、ヒロクニさんは「えっ・・・・?」という風に、わたしを異次元の人のように見つめたのでした。

最近、ブログの更新が遅くなっています。
なんか家庭は平和なのです。
ヒロクニさんは、ご飯食べて、仕事して(制作)、たまに近所で買い物。という風に淡々と家で過ごしているのです。わたしは、買い物して、ご飯や洗濯、たまに掃除、土曜日だけ絵画教室、残りの時間は読書と編み物の生活がエンドレス状態。まさしく「今日のご飯は何?」という話題が唯一の関心ごとという単純な生活を毎日こなしているという感じです。
喧嘩しないから、書く事に事欠くという事態。変化の少ない生活を送っています。
幸せな時間を送っているようです。


「今日のご飯は何?」という日々の中で、いわし10匹が100円で買った時のメニューを紹介します。
上の写真は、フライ用に6匹のいわしを開き、残りの4匹をつみれしたものです。
①フライは、普通に軽く塩コショウし、フライに。
②つみれは、開いたいわしの皮をはぎ、包丁で細かく刻み(叩くように)、そこに酒小さじ1、塩少々、山椒、小麦粉を入れ練ります。出しじゃこでだしを取り、練ったつみれを1.5センチ位に丸め、煮立っただし汁にいれます。つみれに火が通ったら、ダシの味をみて、みりんと塩で味を整えます。器に盛ってから、たっぷりのねぎの刻んだのをいれます。新鮮ないわしを使うと、臭みも少なく、美味しいですよ。
ヒロクニさんも「美味しい」と言ってくれました。(この一言が、料理に励む原動力かも・・・)


つみれ汁は、じゃこダシが一番合います!!
付け添えには、ししとうの網焼きを添えています。


いわしのフライはよくします。
いわしは、脳の活性化や豊富なDHCが含まれているので、いわしが安ければいつも「買い」ます。
トマトは、我が家で採れたもの。イタリアントマトを種から育てました。鉢でも良く育ち、重宝しています。


ヒロクニさんが肉を買ってきたので、めずらしくステーキなるものを作りました。
洋食が好きなヒロクニさんの為に、コーンクリームスープを作りムードを盛り上げる。
付け添えは、オクラの茹でたものを縦切りにしたものと、茹でたキャベツを添えました
ソースも自家製で、玉ねぎとにんにくのすりおろしたものを、オリーブオイルでしっかり炒め、ウスターソースと、しょうゆで味を整え、バターを加えて作りました。(こういうことを、わたしは、調味料科学実験と呼んでいます)
きのこ(ブラウンマッシュルームとエリンギ)とシーフードを炒めたもの(塩、コショウ)にバジルソースを加えた物も作りました。(実は、これは不味かった・・・・失敗)
ヒロクニさんは、1つ食べて、無口に・・・。わたしも食べて無口に・・・・。

まあ、とにかくヒロクニさんは、自家製を喜んでくれるので、こちらも嬉しい。


庭では、ひまわりが秋空に映え、楽しませてくれています。


このひまわりは、もっと大きくなる種類なのですが、種をまく時期が遅れたためわが庭では、これくらいしか成長しなかったのであります。本当は、2~3メートルの高さにまで大きくなる種類だったのです。来年は、種を時期を逃さず育ててみたいと決意を新たに来年もトライするつもり。


地植えしたカクノトラノオが、群生するようになりました。
秋に咲く花です。今、咲き始めです。





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ヒロクニ流の花との付き合い方(色鉛筆作品紹介350)

2014-09-04 16:33:48 | Weblog


この色鉛筆作品は、「城への誘拐」とタイトルが付いています。
ヒロクニさんは、ラジオで現代音楽を聴く日々が続いています。

台所で仙人みたいになって聴いています。そういう時なんか近づき難い感じがして、私はあまり気楽ではありません。台所で夕飯の支度にかかりながら、一緒に聴いていました。
ジェチント・セルシのような大家はなんとか聴けますが、その他の現代音楽は、「本当は醜悪な音楽なんじゃなかな?」とか「やっぱり、好んで聴く気になれないヮ」とか、いろいろ勝ってに思っている。
ヒロクニさんは、仙人みたいになっているので、そんんなにいいものなのか?とわからない私はソワソワしてます。夕食の準備に打ち込み、音楽を打ち消して生存しています。
現代音楽を聴くと必ず出で来るのは、「ベケット」の小説。バロック小説というのかな?
一冊だけ、ヒロクニさんの紹介でベケットを読みました。美しいイメージがする小説です。
ボキャブラリーがないので、陳腐な一言ですましてすいません。
そんな空気に彩られた色鉛筆作品と伝えたかったのでした


急に秋がきたような感じになり、本当に秋の花が咲き出しています。
玄関にある花壇のインパチェンスの花の横から、白いタマスダレの花が咲き始めています。
10月に咲く花なのですが・・・・。


このように道の脇に植えている花壇に彩りを添えてくれ、にぎやかになっています。

花を欠かさないようになってから、ヒロクニさんは花の絵を壁に貼るようになりました。
やはり、どいつもこいつも煮て食えないような花の絵が多い。
その絵をよく見るようになり、好きな絵は、どれもこれも「花を描きながら、花以外のことを考えている絵」が多いことに気が付くことに。
ヒロクニさんの選択の花の絵を見ていると、哲学的になっていくのです。
ひときわ目立ったのが下の絵です。(グラビアの切り抜き)朝井閑右衛門の絵


この絵は、台所のはずれに貼ってあったのですが、見ている内に「薔薇の花」がゴワーと固まりになっていて凄い感じといった第一印象から、この薔薇の絵からすがすがしい透明な空を思い浮かべるようになり、布の柄が空を駆け巡るような感じがし、やっぱりこの絵の持つ「精神性」を感じるようになった。
(「薔薇(法華壺)」1981年 油彩 81.7×104.5cm 神奈川県立近代美術館蔵
戦後描き続けられた薔薇の連作の中でも、ひときわ生命力に満ち、作家自身も気にいっていた作品とあります。

■簡単な作家紹介
洋画家。大阪生。本名は浅井実。独学で油絵を研究し、戦前は官展・光風会展に活躍、昭和11年の文展で五百号の大作「丘の上」が文部大臣賞受賞。戦後は井手宣通・須田剋太らと新樹会を、鳥海青児らと国際形象展を組織する。油彩を塗り重ね、色彩豊かな独創的作風を展開、つねに画壇の第一線で活躍しながら、画集もなく、個展もほとんど開かなかった特異な野人画家として知られる。昭和58年(1983)歿、82才。


この絵も一緒に貼られていました。
ヒロクニさんは「電線の絵なんだ」「なんとも凄い感性だよ」「古い絵もいいでしょ」と語りかける。
若い頃は、新しい美術情報を追いかけていたミーハーだったので、古い洋画などは知らなかったけれど、
ヒロクニさんから、絵を紹介されて見ている内に、流行も関係なくいい絵というものは、時間が経ってもいいのね!と思いました。
やはり、いろいろな作品から精神を知る楽しみというのが、芸術の楽しみだと痛感します。

「電線風景」1960年 油彩 76.6×82.2cm 神奈川県立近代美術館蔵
田浦のアトリエから見た風景を描いたものだが、のたうつ電線が不思議な激情を放出しているようだ。(解説)

この2枚の絵、台所に貼ってあります。



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