武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

賢いのかバカなのか?分からなくなるヒロクニさん(色鉛筆作品紹介727)

2016-09-30 16:27:40 | Weblog


謎めいた作品。
「絵画は、自由だ!!」というヒロクニさんです。

絵画の表現は、まさに自由である。
ゴックン・・と唾を飲み込んで絵の前で立ちすくむ私。
これは、人の顔の絵である。

この絵を見ていると、ヒロクニさんは天才か?バカか?
賢いのか?バカか?という気持ちになりました。
「俺に、バカをやらしてくれ!」というから、それをしているのか?

この世の中を見渡しても、こういう絵はないだろうと思われる。
既存の絵画の概念を壊してのヒロクニさんの絵です。

「絵画は、自由だ!」と言うヒロクニさんの自由な作品かもしれない。

この絵が出来上がってから、簡単に額縁に入れ、すごく怖い顔をしてこの絵を見ている姿をよく見ました。
食事の時もよそ向いているから、何だろう?と思うと、この絵を見ていたのでした。
台所で立ってじっとしているのを見るとこの絵を見ていたのです。
何か気になる絵らしく、難しい顔をしてこの絵を見ていることが多い。

私は違った意味で、眉間にしわをよせて見ています。
こういう絵を描いているという事は、一般的に簡単に認められるとは思えないないので生活は厳しそう・・・等と、
思うのです。難解な作品だし。
でも、この作品が持つ力強さは好きであるし、ヒロクニさんが平凡な絵を描くようになるのはつまらない。

ヒロクニさんは、戦後美術の話をしてくれたり、凄い知識を持っているので、賢い人なんですが、
そういう人が描く絵なのだから、意味はあるのでしょう。
この絵の横に、萬鉄五郎の絵が貼られている。


この絵が横に。
この絵を描いた「萬鉄五郎」は、大正~昭和初期の画家である。
当時は黒田清輝のアカデミックな画風が支配的だった。
そういう中、前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者なんです。
その意味においては、「萬鉄五郎」の絵が横にあるのは、不思議でもなんでもなく当然なんです。

現在の地点からの前衛をヒロクニさんは、考えているのではないか?と察する妻であります。

話は変わるが、「ヒロクニさんは賢いのかバカなのかわからない」と思うと書いたが、
私自信も「君は、賢いのかあほなのかよくわからん」とアルバイト先で言われたことがあります。
行動が予測の範囲を超えるらしく、また的確な時もあり、普通はそんな事は思いつかないだろうと言うことを、
しでかしていたようで、上司は私の扱いに困っていたようです。
若い時の話です。
なんか、その時の上司の気持ちがわかるような気がします。
もしかしたら・・・、ヒロクニさんと私って似たもの同士?

なんか、ウッディ・アレンの名言に、「自分を会員にするようなクラブには入りたくない」というのが
あるのですが、そんな気持ち。





玄関前の花壇。
タマスダレが急に咲き出しました。
今は、花が少ない時期なので、ペンタス(赤)とユーフォルビア・ダイアモンドフロスを植えたしました。
長雨が続くので、庭の秋の準備が遅れています。











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 妻は別のブログも書いています。 
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
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街E (作品紹介426)とバルチェス夫人・節子さんの本

2016-09-23 16:30:38 | Weblog


タイトルは、「街E」。
そして、この街の絵には、人がいます。
探すことが出来ます。

この絵は、色鉛筆と青のボールペンとガランダッシュのマジックで描かれた作品です。
パズルのように人が描きこまれています。
ヒロクニさんは、楽しみの読書ととして、ミステリー小説をよく読みます。
主にイギリスのミステリーを中心にして、話してくれることが多い。
そして、その謎解きがとても楽しいみたい。
その謎解きのような感じが、この絵にはあるなぁ~と思い、フフフ・・・・と含み笑い。

ボールペン(青色)を使った作品が、急に出来上がるので驚いています。
4~6年程前に、ボールペンに凝って、緻密な作品を描いていた時期の終わりごろ、
「もう、ボールペンなんて使うもんか!」
「異常に肩が凝るこの画材はなんじゃ!」と言い、
ボールペンを全て捨てると言い出したので、「それじゃぁ、私が集めて片付けておくわ」と片付けていた。
ヒロクニさんは、小まめな方で、小さい片付けをよくする。
私からしたら、「よく、ごそごそ動く奴」なのですが、ごそごそしてボールペンを見つけたのでしょう・・・。
もう、以前思ったことは忘れているようで、熱中しています。

ヒロクニさんの描く街の絵は、日本であり神戸の街だ。
よく「外国人が描くような絵」といわれるが、自分が愛する神戸の街なのです。
現在、宝塚市に住んでいてよく言う言葉は、
「宝塚はなんと覇気の無い町」
「うすらぼんやり眠っている町」「お昼ねの街」と言う。
なんとなく、言わんとする宝塚の空気を言い当てている。
宝塚市って、田舎やからね!みんなおっとりしていて鋭敏な感覚を持った人にあうのは難しそうだ。


ヒロクニさんが、神戸の街を愛しているのは真実であります。
この絵には体温があると感じています。






家で着物きています。そして、古典は中断してこの本を読みました。
見る美 聞く美 思う美―「画家バルテュス」とともに見つけた日本の心
節子・クロソフスカ・ド・ローラ
祥伝社


平家物語を読むきっかけは、バルチェスが妻である節子・クロソフスカ・ド・ローラさんに、
「平家物語を何故読んでないのだ?あの素晴らしい日本の叙事詩を日本人自身が読まないなんて・・」と
言われたという事が、節子夫人のエッセイの中にあり、私も読んでいなかったので、あわてて読んだのが始まり。
節子夫人は聡明で頭の良い方で、バルチェスの言う事の意味を理解し素直に非常に反省して
日本人として改めて日本の文化を猛勉強をされたようです。
ちょっと着物に興味がでてきてから、節子夫人の着物姿も美しいなぁ~と思っていたので、
古典の途中で、こちらの本を読んでいました。

外国に住む日本人としての意見も非常に参考になる。
例えば、言葉のことを挙げられているのですが、西洋の言葉と日本の言葉の違いは、外界性と内界性の違いをあげている。
「それを西洋では、説明する美しさがあり、日本語には説明しないところに美しさがあります。」と述べています。
また、「この欧米と日本語の言葉使いの違いから、「日本人は意見をはっきり言わない」とか、
「本当の気持ちがよく理解できない」という批判になって伝えられます。でもそれは、私たちの心の奥に潜む、
慎ましい、他人を敬う優しさからのことなのです。
これからの世界は、少数の国の文化、他とは異なる思想をも尊敬されるべく新しい時代に向かわないといけないと
思います。
ですから日本人は、日本がこのような文化、思想を持っている国であるということを出来るだけ努力して伝え、
日本語の美しさは、いかにしても守るできであると望んでいます。」という部分を大変興味深く思いました。

その他、バルチェスが「徒然草」を愛読していることを知り、私は先回のブログで「徒然草」はいまいちだったという
感想を書いた。まだまだ私には良さが分からないのかもしれません。

着物はやっと名古屋帯を自分で結べるようになり、少し進歩をしています。
ギュッと伊達締めを締めるとき気持ちが引き締まる瞬間は、いい感じがします。
私は上等でなくていい普段着の着物を目指しているので、すそがめくれない工夫をして自転車にも乗っています。
通り過ぎるのは、一瞬のことよね~ということで・・・・・・。






こちらの花は、庭の下草なのですが、花を付け出したので飾りました。
名前は、「斑入り藪欄」と言います。
秋に入って、花も少なくなり、次は周明菊がつぼみを付けています。
9月~10月にかけて球根の植え付けが忙しくなりそうです。







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Paper House ローズ色の街(色鉛筆作品紹介425)

2016-09-17 17:27:53 | Weblog


この絵は、「Paper House」と名付けられた作品群の中の一つ。
それのローズ色版といったところでしょうか?

この絵は、小学校などで使う、わら半紙に描かれています。
色のトーンが少し落ちているところがキッチュな感じな仕上がりに。

このわら半紙に描くという行為にかなり前からとりつかれていて、
「わら半紙のもっと大きいのはないのか!探してくれ!」と言われ、
A2サイズのわら半紙を8月に取り寄せた。
色を重ねるうちに、紙がよれよれとなり敗れたりすると、独特のやり方で裏から修正をしている。
「色鉛筆用の紙ってのは、ないから・・・・」と言い、
薄い紙がヒロクニさんにはいいらしい。

「もう、裏はこんなありさまよ」。と、私に見せにくる。
厚い紙だと、筆圧強く色鉛筆をのせると紙がでこぼこしてきて、紙のふくらみが気になるらしく、
裏から鉛筆で一度筆圧をかけてから、描いてみたりとしていた時期もある。

その作業を省略できるから、わら半紙を使っているようです。
この作品は、色鉛筆とボールペンの併用です。
エネルギーを感じる作品で、この絵が仕上がったら、疲れていました。


相変わらず、私はその横で古典を読んでます。

新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1
クリエーター情報なし
小学館


方丈記はすごく短いので、ヒロクニさんも読んだ。
徒然草は、方丈記が書かれてから100年後ぐらいの随筆集であります。
時代は、鎌倉幕府の末期と思われます。
方丈記に較べると、文章も平易であり、感覚も現代的な感覚に近づいている。
個人的な感想なのですが、面白く共感できる所は真ん中ぐらいが多く、前半と後半は読んでからあまり記憶にない。
ちょっと、批判精神がありすぎて、私的には「よく、こだわるなぁ。」と。
ちょっと、徒然草には肩透かしを食らったのでした。
きっと、私は「じゎ~と発酵するような思いと優しさ」を好むのではないかと思いました。
そういう意味では、クールで淡々として批判精神が旺盛な吉田兼好がもしかしたら、苦手なのかもしれないと思いました。
平安時代の貴族社会から武家社会へと、武士という武力をもっているものに世の中が移行していくのを、
平安時代には、物々しくなり優美が失われた嘆きの唄が多く残されていますが、
「蒙古襲来」というものが起こった鎌倉時代。
この時武力が進んでなければ、九州では日本人の残虐の限りが尽くされたかもしれないと思うと、
世の中うまく出来ているなぁ~と思います。

「正方眼蔵随聞記」は、どうやら禅僧の言葉らしく、なかなかおもしろい。
問答集のような感じで、禅の本質を言っているらしく興味を引きます。まだ、途中なんですが・・・・。


ヒロクニさんも私も、夏の疲れが出ているみたいで、お互いに顔を見ればぶーたれています。ヒロクニさんがややこしいことを言うと、「疲れてる時にやめて欲しいわ」とぶっちょう面。
それと、着物を無理して着てるから、暑いこと・・・・。自業自得の2人です。





この写真懐かしい写真なんです。
故・キタハマとジルくんの写真。
キタハマは、賢くて可愛かった。
ジルは、愚鈍でアホ。でも、単純でなにより毛が気持ちいい。
フクロウのような顔で、単純。
猫も1匹、1匹違いがあり、それぞれの付き合い方がある。
ジルの顔を見ると、なんか笑ってしまうのです。
変な顔なんで。
そんな風な笑いをさそう猫なんです。











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作品遊戯Ⅰ (色鉛筆画紹介424)

2016-09-09 17:17:12 | Weblog


変わりゆく絵画スタイル。
以前描いていた街の絵とは違う絵が多い今日この頃。
子供が描いたような絵にも思えるが、子供がこんな絵を描いたら怖い。

バラバラになった形が、踊っているように思う。
しかし、うっすらと描かれた骸骨が見て取れる。
時は、夕焼けのような感じもする。
無邪気と死が交じり合っているような作品だなぁ~と思いました。

武内曰く、「その作品は、色の輝きがあまりないから、いい作品じゃないよ」と。
そう言うが、出来上がった時には「いいと思わない?」「そう思わない?」と聞かれていたので、
「言いと思っていた心はどこに?」と、私は思ったのですが、
絵が出来上がった瞬間は、絵がよく思えるようです。
そして、台所などに飾り、時間が経つと、ヒロクにさんには、いろいろと課題が見えてくる。

我家の台所は、絵が掛けられたり、絵を貼ってあったりとごちゃごちゃしていて、
その入れ替えも激しい。
急に「この絵どう思う?」と聞かれると「えっ!」と言葉に詰まるが、
私も時間がたってから「ふぅ~ん。この感じのここの所が面白い表現だなぁ~。」と思う事が多く、
時間が経つにつれ、いろいろ思いをめぐらしたりすることが多いので、
あまり性急に意見を求めないで欲しいと思っています。


まだまだ、「古典を読む熱」は続いていて、「方丈記」「徒然草」「正法眼蔵髄聞記」と・・・・。
「方丈記」は、ヒロクニさんも読むと言って、読んでしまったみたい。
ヒロクニさんは「方丈というのは、箱のことを言っているだね。住まいという箱のこと。
そして、花を飾る場所やそんな場所を決めたりして趣があるねぇ~」と言ってました。
私は、物をなるだけ簡素化して、欲の気持ちもそぎ落とし、死について真剣に考えながら生きていく
鴨長明の姿がさっぱりとして、読後感が爽やかでした。
そう、爽やかな気持ちになったのでした。
時代は、平安末期。京の都が平家の滅び、鎌倉に都が移る時代。
また、平家から源氏へと武家政権に変わっていく様や、自然災害などが多発した時代でもある。
しかし、鴨長明はそのことにあまり触れず、淡々と心情を語っている。
時代背景を考慮しながら、読むとその切実さが心に染みます。
無常観と共に、欲を捨てようと努力し、鴨長明の考えた精神世界は、爽やかで温かい心。
古典って、面白い!




台所で写真を撮ってもらいました。
古典を読みながら、着物をきてますよ。
ありあわせの着物ですが・・・・・。
まだ、帯むすべません。この黄色い帯は「作り帯」といって、
もう、形が出来上がっているもの。帯は、こればっかり付けています。
(一番写りのいい写真を選びましたw)

着物姿で割烹着を着ると、ヒロクニさんから「お母ちゃんみたいや」。と一言。
ヒロクニさんのお母様は、大島紬をたくさん持っていたようで、
戦時中、食べ物に変えてしまってないそうです。ヒロクニさん曰くなんですが・・・。












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夏のオンナ(色鉛筆作品紹介423)と竹久夢二

2016-09-02 14:23:25 | Weblog


「夏のオンナ」というタイトルが付いています。
最近のヒロクニさんは、絵のスタイルが以前とは随分違う。
この変化に、私はついていけず、言葉をもう失っている。

随分陳腐な解説のような、解説でないような駄文を書いてきたが、
以前のスタイルを完全にぶっ壊しつつある最近の作品は、
もう、私の思考力では太刀打ちできないような感じです。

私は、占いはあまり信用する方ではない。
しかし、たまたま占い師が言った言葉が思いだされる。
その占い師は、良人の絵をみたこともないが、生年月日を見て言うには、
「感覚が早くて最先端を行くから、理解されるのはずっと後になる」と言われたのを
この絵を見て、思いだしました。
言われた私は、内心で思ったことは「良人が生きているうちにでないと困るわ」でした。
そういう分けで、現在78歳で最先端を行く良人は、まだまだ長生きしてもらう予定です。
画家として踏み出してから、58年わが道を行くヒロクニさん。
一本の道だけがあるのみである。


毎日制作に励むヒロクニさんの横で、着物に目覚めつつある妻。
着物は、すべて実家から頂いてきました。
母は、「ある着物全部持っていって!もう着物着ないから・・・」とサバサバとした返事。
着物の量は、そんなに多くないが、祖母が持っていた着物にめずらしいものがあって驚いた。
どうも、祖母が着ていた着物でもなくもっと古い生地の着物も出てくる。
その着物の色柄が美しい。そそくさと持って帰り着付の練習をしています。
ネットで「1人で着る着物」の動画を見つつ練習するが、なかなか帯を結ぶのが難しい。
画像の音声を聞きながらやっていると、ヒロクニさんから「その音なんとかしてくれ」と言われ、
ヘッドホーンをはずしたり、したりとしながらの「1人着付け教室」はなんだかせわしい。
帯を結ぶのが難航しています。
「着物を着て、古典を読む」ために、着付けに汗を流しながらとりくむ姿は、
我ながら風流ではないなぁ~と思い、「あさましき姿なり」という感じ。

着物の練習をしていたら、ヒロクニさんは急に「竹久夢二」の画集を持ってきました。
画集の中の2枚を画集から切り離し、壁に飾った。

テレビの後ろの壁に貼られている。

ヒロクニさんは「竹久夢二」は、好きな画家の1人なんです。
私が「竹久夢二の描く女性像はあまり興味ない。女性がマスコットのように描かれているようで」と言うと、
ヒロクニさんは、「夢二はイラストレイターの先駆けの人であり、そのことが分からないようじゃ、しょうがないねぇ。」と。
「人物がちょっとへし折られているような描き方とか、そのデフォルメの美しさがわからないの?」とも言われた。
それから、ちょっとちょっと機会があるごとに、竹久夢二を見る量を増やしていきました。
ビアズレーなどのアールヌーボーの作風の美意識を発展させ、竹久夢二の絵はスタイルを作っていく過程を
見るにつけ、だんだん竹久夢二の良さがわかって来た。
今は、即物的な感心が強く、描かれた絵の着物の柄に感心がある。
絵って、やっぱり面白いと思った瞬間でした。


↑実家から持ってきた着物を着ると、ヒロクニさんが写真を撮ってくれました。
ちょっとイラついたのは、「50のおばさんを下から見上げるように撮らないでくれ!!!」と
何度も言ったのに、聞いてくれなかったことだ。
練習疲れぎみのわたくし・・・・・。







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 妻は別のブログも書いています。 
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
 左側のブックマークに貼っています。
 今は、フーバー大統領回顧録「日米戦争を起こしたのは誰か」を紹介しています。
 ついでに、私が良く見るブログも貼ってあります。
 よろしく。



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