武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ジャズ喫茶にぃにぃのマッチ

2011-04-30 09:43:34 | Weblog
ブログでのにぃにぃの常連さんのリクエストにお答えしました。


こちらが表


こちらが裏
色は、他に黄色、青があったそうです。(絵柄は同じで)

ヒロクニさんにどんな人がきていたの?と伺いました。
「中島や、みぃ子(故中島らも氏とその当時のらも氏の恋人、奥様のこと)、フジワラや、ナカムラ。顔は色々覚えてるけど、名前まで覚えてない。」
「アート・アンサンブル・オブ・シカゴやドン・チェリーをかけるような店だったねぇ」。ということです。

ライヴ・イン・ジャパン
クリエーター情報なし
THINK! RECORDS


このCDをヒロクニさんと聴きました。今でも、たまに聴いています。
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ジャズ喫茶バンビを思い出して(音楽あれこれ7)

2011-04-26 15:59:00 | Weblog

今日手渡された絵(色鉛筆)

バンビ時代、朝夕、僕を支配した曲は、ジョン・コルトレーンのROBBIN'S NEST。
生きてきたすべての時間が体に吸収されている。
ヒロクニ曰く、「死ぬ気で遊んだ」。
「そんな奴もいなくなって寂しいねぇ」と言う。



ヒロクニさんと休憩する時は、ジャズ喫茶が多い。
この曲は、何度か一緒に聴いている。わたしは、神戸元町にあるJAZZ喫茶JAMJAMの薄暗い部屋とソファーに腰掛けた時の感触を思いだす。
日常と離れた空間で、美味しい珈琲を頂く。
わたしは、じっとしているのは嫌じゃない。
ヒロクニさんは、あれ聴きたい、これ聴きたいとリクエストしたり、マスターと話をしている。
音楽聴きながら、身体を動かし、聴き入っている。
身体の音楽が染み込むまで。充電OKになると「行くぞ!」と外に行ってしまう。
そして、わたしは、ぐずぐずと後から追いかける。

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病院にて(夫婦喧嘩編)

2011-04-23 23:12:10 | Weblog

「ドライブのハナシをする」色鉛筆作品 1998年作

ハミガキ女王がハブラシのある地下鉄の前にいる人物に話しかけているそうです。
最近は、ハミガキ女王はどこへ行ってしまったのか登場しません。
2011年は堕天使が、登場しています。この作品は、12年前の作品です。

ヒロクニさんは、神戸でのオープニングパティーに出席して、翌日手術を終えた。付き添いのわたしもホッと一息入れて「今日は動かないように!!動くと麻酔の加減で気分が悪くなることがあるから、それと動くと傷口も痛んだりするからね」と。看護婦さん達も入れ替わり立ち代り同じことを言っていく。明日もあるので4:00頃帰宅した。帰ると忙しい日々が続いていたので、すべての殻を脱ぎ捨て、食事も適当、出来るだけ気をぬき、ヒロクニさんの前ではしない、なりふりかまわず生態で、寝そべっていた。

そんな時に電話が鳴った。
ヒロクニさんが、「今直ぐ来て」。と電話口で言っている。「看護婦が俺を滅茶苦茶にするんだよ」。「部屋を移すとか言って」。看護婦さんに「おい、その荷物は・・・・。くそぉ。」と言っている。何が起こっているかわからない。だけど病院から電話をかけているという事は?とハットした。「もしかして・・・、電話をかけてるということは起きて歩いているということ?」と聞いた。「そうだよ」。そして続けていうことには「こういう時に君がいないと困るんだよ。今から来て。」このままでは、看護婦にメチャメチャされるそう。ヒロクニさんには、看護婦が鬼のように見えてるのだろう。しかし、「明日、10:30に行く」。と言い張った。

明日の朝
看護婦さんにまず会い、話しを伺うと、服まで着替えて、歩いていたらしい。点滴もつけていたのに、どうやってその服が着れたのかわからない程、器用に着替えたらしい。それで、ビックリした看護婦さん達は、ヒロクニさんが動いたら分かるように、センサーをつけ、ナースステーションの近くに、つまり見張れるように移したということが分かってきた。

それでも、好物のイチゴを細かく切って、口に入れてあげたりして「とにかく気分良くなってもらわないと」と思い、ヒロクニベービーと心に思いながら横に寄り添っていたが、だんだんわたしは、帰りたい気持ちが大きくなって、悪魔のようなことを口走た。
「痛い、痛いって言って、動いたせいじゃない。こんな軽い手術で我慢出来ないのか?ボギー(ハンフリー・ボガード)は、病気に対しても大人で、本当にハードボイルドな人だったんだよ。見習おうと思わんのかねぇ。そんなたいしたことない手術で、弱音を吐くなんてみっともない。ソーイエバ、わたしが突発性難聴で入院した時は、1回しか見舞いに来なかったわよね。その上、退院するときも来てくれなったわよね。」
返事は、「僕はボガードじゃない。弱虫だ。」「君、いつ入院してたの?」「突発性難聴の時の仕返しを今、僕にするの?」わたしは、喧嘩の糧のような返事を聞いて「そう、今しかえしをする」と言い、理論もどうでもよくなって、ヒロクニさんがごねてるのと変わらないわたしになった。なんか必死で帰りたかったのだ。子供の喧嘩みたいに、「おまえのかあちゃん、でべそ」と言われて「ムカァ~!!」と、わけも分からず腹立つというわけで、喧嘩内容のレベルの低いコト。子供と同じ。お互いレベルの低いコト。こういう喧嘩のことを、夫婦喧嘩は犬も食わないとはこのことかもと思い、4:00頃帰った。帰り際に、看護婦さんにお詫びを言い、「松村さんは、どんな絵を描かれるのですか?」とか「芸術家なんですね」と言ってあげてくれますか?そうしたら、扱いやすくなると思いますとお願いをして帰った。

ヒロクニさんは、いつもナースステーションの横の部屋が、指定部屋である。

その日、わたしは泥のように眠った。


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<一石を投ずる展>開催中!!(神戸・ギャラリー島田)

2011-04-19 08:36:02 | Weblog

会場での展示の様子。


とても古い作品。
1980年作だから31年前に描かれた作品ですね。画材は、紙と鉛筆と水彩
「空爆」という題がつけられている。武内画伯曰く、「これは名画なんだよ」。
描き方はすごくデリケートで繊細な作品だけれど、どこか原始的で人類の業を感じさせる。
武内の作品の中で、戦争体験を感じさせる作品の1つだと思っている。
ハガキ位の大きさの作品だが、
価格 80,000円
初日に「この作品が好き」と言う人がたくさんいて、驚いた。
1992年の個展では、あまりそんな声を聞かなかったので。
たぶん、時間の流れで人の感覚も変わっていっているんだなぁと思いました。


一番の最近作で、出来立てのホヤホヤと言っていい作品。
「3号機放水」という作品。東北大震災のニュースで原発の様子を食い入るように繰り返し映像を見ていた。
そんな時に出来上がった作品です。
クレヨンと色鉛筆、アクリル絵の具で描かれた作品です。
サイズは、B4。パネル張り
価格 35,000円 初日売り済み


ちょっとほのぼのムードな色鉛筆作品。武内にしては、珍しい作品です。
ガラスが光ってしまって、うまく写真が撮れていないのが残念。
題「小動物と一緒に」
価格 45,000円

赤色だけ、例の、1本500円のガランダッシュの高級水彩色鉛筆を使っている。
その他は、ガランダッシュのスープラカラーの水彩色鉛筆を使用。
決して、水を使わないのが武内ヒロクニ流です。

4月17日(日)のオープニングパーティーには、4:30頃にギャラリー島田に到着して、6:30頃帰りました。
相変わらず、入院中の病院から頓挫して、パーティーに駆けつけました。明日は、手術なのだ。
8:00までに無事病院に帰る義務を果さなくてならず、シンデレラ状態のヒロクニさんでした。
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音楽あれこれ6

2011-04-12 10:19:19 | Weblog
わたしを断罪せよ (紙ジャケット仕様)
クリエーター情報なし
株式会社ディスクユニオン

食事が終わるとヒロクニさんは、このCDをかけた。

ヒロクニさんは、膀胱癌が再発して4月18日に日程が決まった。
今回は、病院でおとなく手術を受けるつもりなのが、このCDが示唆している。
検査待ちの時、ヒロクニ曰く、「先回は、尖がってしまったけど・・・・、また、尖がってやろうかなぁ」。
「尖がるのは簡単なことなんだけどねぇ」。
そう、尖がるという言葉がピッタリあう行動をしてくれるのだ。
誰もが、ムッとくるか、吃驚するか、忍耐をしいる行動と言動でヘトヘトにさすのです。わたしは、手術の前に絶食してもらうのにサリバン先生のようになり、食べようとするキャラメルを手からむしりとった記憶が残っている。どこ吹く風で、カツ丼を食べたりして「食べたよ!これでも手術するのかい?」とお山の大将のように医師の方にも挑み、わたしはほとんど気苦労でヘトヘト状態。早く家へ帰って鋭気を養い明日の付き添いに望もうとしても、夜の放送が流れるまで家に帰してくれないのです。そんなヒロクニさんがとても好き。なんやかやと言ったって、ヒロクニさんが好きです。

でも、今回は冷静にいてくれそうな予感。
(それは、それで、いいの。ホッとします)

■サホリの余計な独り言
スーパーでグルグル回っているうちに、「婦人公論」の雑誌を手に取った。設計事務所で働いていたときに、独身の女の子が読んでいるのを見つけた時、「そんな本読んでると、結婚する気うせるよ」。「そんな本あんまり読んじゃダメ!」と言った。そんな雑誌なのだ。その雑誌の中で、小松左京氏の小説「日本沈没」の人々の描写が酷いと攻める文章があった。小説の中での危機の中での人間の醜さを小松左京は表現しているのを、目線が高いと怒っているのです。現在震災にあった日本人は略奪もなく素晴らしい人々の姿を想像しなかったのか!と訴えているのだけれど、小説に向かって延々と文句を言っているのがおかしい?と思ったのでした。小説はフィクションだよ。婦人公論の評価がグッと下がってしまった。都合よく生きたい女性の言い分けテキストみたいな雑誌になってきているなぁと痛感したのでした。人を幸福にさせない雑誌だ。
わたしは言う。「断罪せよ!」と。

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4月11日(月)~「絵本とファインアートの間に」出品作品紹介

2011-04-09 16:48:36 | Weblog

このハガキの装画は、武内ヒロクニによるもの

●「絵本とファインアートのあいだに」東京銀座

ハガキから抜粋

《あの世界中に愛されているクレーの絵を前にした時、彼が「絵本とファインアートのあいだに」幾ばくかのイメージを抱き、その往還を愉しんでいたに違いないと思うことがある。だからこそクレーの絵には楽しさと同時に深さがある。絵本はアートになりうる。そんな想いを抱きながら、この同じ分野で果敢に挑戦している作家達はさて如何だろうかー。今展はではすでに絵本を出版している作家もいるが、この作家が将来絵本を創ったらさぞ楽しかろうという視点も入れ、又それがこの国の絵本文化の向上にも役立てば、という欲張った企画である。この中からひょっとすると将来のクレーやミロが誕生するかもしれぬと、そんな楽しい期待も抱くのである。》案内文・御子柴 大三


うまく色合いが出ていないのが残念。ブルーよりもっと黄色と緑色がぱっと目に残る作品です。
タイトル:Dizzy Dizzy
サイズ:19.5cm×26cm
手法:色鉛筆(ガランダッシュから新発売された耐久性に優れた色鉛筆使用)
価格:46000円
  歩く。Stepの度に、ドラム・ギター・ピアノ。
  角を曲がると、ドライブするギター、休止、スタート。
  Coffee shop。ガチャガチャ食器のおしゃべり。
  エンドレスに。明日も、あさっても、ずーとノイズ。
  永遠のノイズ!
  ■文・武内ヒロクニ



タイトル:Mother Sky
サイズ:18cm×27cm位
手法:色鉛筆(ガランダッシュから新発売された耐久性に優れた色鉛筆使用)
価格:38000円


タイトル:Can Be
サイズ:11cm×14.5cm位
手法:色鉛筆とボールペン
価格:15000円

ヒロクニさんの絵を見て、パワーを充電していって下さると幸いです。
色鉛筆とは思えない、色鉛筆画を是非見に来て頂けると嬉しいです。
芸術にかける男の魂とどこか感傷的なヒロクニワールドをテーマに作品を選びました。


日時 4月11日(月)~4月18日(月)PART6→武内ヒロクニ出品

時間 11:30~19:00(日曜、最終日は17:00まで)
場所 ギャラリー枝香庵
   〒104-0061
   東京都中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング8F
   ℡ 050-3452-8627
ギャラリー枝香庵のホームページ http://echo-ann.jp/


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何処かで誰かが見ている(ヒロクニさんの中学時代)

2011-04-03 17:17:55 | Weblog

何処かで誰かが見ている。画家は、その思いを信じて絵を描き続ける。

ヒロクニさんは、時々中学時代の話をする時があって、「兎に角、僕のすることは、学校というものに反逆するということだったから」。という事をよく聞いていた。その時に登場する友人が「ソラタニ」さん。もう1人は「ハマコー」という先生。ヒロクニさんは、神戸市立楠中学校に行っていた。

その思い出話の「ソラタニ」さんから、突然電話があったのです。ソラタニさんに、本「しあわせ食堂」が友人?から贈られてきて、突然電話を頂いたという次第。「ハマコー」とヒロクニさんが呼ぶ先生が「武内は、活躍している」。と、激を飛ばしているのだそうで、ヒロクニさんも熱い中学時代を振り返って、友情を噛みしめていた。「俺と違って、ソラタニは笑う奴なんだよ」とその笑顔を真似してくれた。

ヒロクニさんの個展で同級生に会うこともあり皆言う事は1つ、「中学の時から、全然変わってない」。
ヒロクニさんは、謎の中学生で、籍は確かにあるのに見かけない生徒だったらしい。学校に行かないから、ハマコー先生に呼び出しをくらっていて、それを伝えてくれていたのが、ソラタニさんらしく「ハマコーが、呼んどったで」と声をかけてくれていたらしい。

夏休みに、描いた油絵をハマコー先生に見せると「お前が描いたんじゃない」と言われたそうで、ヒロクニさんは中学生らしくむくれていたそう。中学時代は、文学にもはまり、太宰治や坂口安吾を読みふけり、何よりも進駐軍のラジオから流れるジャズを聴くのに忙しかったそう。草野球にも励んだらしく、学校で学びたいことは、あまりなかったと言います。
ヒロクニさんに「ハマコー先生が、そんな風に言ってくれてるなんて、嬉しいことだね」。というと、ヒロクニさんは「嬉しい」。と呟いた。

※ハマコー先生は、その頃自由美術の会員だったそうです。
呼び名をヒロクニさんから聞いたまま書きました。失礼の程お許し下さい。

下記の本が「ヒロクニさんが出した本」です。
しあわせ食堂
武内 ヒロクニ,毎日新聞夕刊編集部
光人社
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