武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

dancing with mr d と共に(色鉛筆作品紹介441)と私の着物の理想

2017-01-25 19:01:09 | Weblog


2日程前に、見せてもらった作品です。
武内曰く「 dancing with mr d というやつだ」。
    「ローリング・ストーンズにあるだろ」。
確かにストーンズの曲の題である。
ストーンズのファンのくせに、題名とかは覚えられない私であった。

絵をみると、ダンスをしている2人がいる。
どうも、その音楽と共にこの絵があるようです。
動き回る線が、なんとも心地よく、いい感じである。
単純な私は、こういう風にしか解釈出来なくてすいません。(汗)

まあ、兎に角、こういうスタイルの絵を見たのは、初めてで新しいと感じました。
その絵のことで、夜話していたのですが、「シリーズのように連作は出来ないの?」と聞いてみた。
そうしたら、「今のところは、なんとも言えない」。「数を描けというのだろう?」と言う。
「そう」と言うと、「2点より、そりゃ60点あるほうが強いだろうね。」と。

急に夜中に起きて描きあげた作品なのである。
その翌朝は、10時に「寝なおす。」と言って、仮眠をとる。

そして、起きてから話すには「この絵を描いている間は、妙に楽しくて」といい、
「そんな風に描いた絵は、珍しいんだよ」。
「なんか夜急に出来ちゃった絵で、こんな絵になるとは全く思っていなかった」とも。

私も、それは同じ気持ちである。
このスタイルの絵をまだまだ見てみたいと思うのですが、
どうなるのか?
これからまだ見ぬ絵画に挑戦して欲しいなぁ~と思う。


話は、変わります。
最近、家ではほとんど着物で過ごしている私。
冬は、下着を冬用のものに変えたら、すごく暖かく、「冬は着物よね」。と思う。
家にある着物で一番暖かいのは、結城紬の着物。
紺色の濃い色の着物で、毎日といっていいほど、着ています。
どんな風に着物と付き合っていこうか?
私がいいなぁ~と思った写真が1枚あります。

こちら↓

この方は、明治生まれの画家「熊谷守一」の奥様の写真。
「独楽」という本の中の1枚です。藤森武氏が写真を撮られています。
たぶん、熊谷守一氏の貧乏は、有名なので、たぶん高価な着物ではないが、
実に美しい着物姿の写真だなぁ~と感じています。
奥様は、洋服のようなものを着て、写っている写真もありますが、
やはり美しいのは着物姿です。
着物は、なんと人を美しく見せるものかと感心したのです。

めざせ!着物美人ということで、まず着慣れることから入っていってます。
たまたま、実家で着物一式見つかったのが、始まりですが、
私なりの美意識まで発展させれたら、とても面白いなぁ~と、妄想中であります。

ヒロクニさんは、「かーちゃんが、いるみたい」。ばかり言います。
なんかデリカシーに欠ける言葉で、憤慨してるのですが、
「冬暖かければいい」とも言い、人が来たら「こいつ、着物で自転車乗ってんだよ」とか、
余計な事ばかり言ってくれています。

いつか着物美人になるぞ!!と今に見ておれ。と張り切るのでした。










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ヒロクニさんとアドルフ・ヴェルフリ展を観にいく

2017-01-15 17:41:01 | Weblog


1月11日 兵庫近代美術館へ『アドルフ・ヴェルフリ、二萬五千頁の王国』展へ行って来ました。
アドルフ・ヴェルフリは、ヒロクニさんと結婚した頃から、お互い知っていました。
時々、美術雑誌で取り上げられていて、ヒロクニさんと「面白い絵画だね」。と、
お互い思っていて、その展覧会がはじめて実現したのです。

本当に、変わった絵なので、文章では伝えられないので何点か紹介します。









この絵は、出口の近くにありました。

アドルフ・ヴェルフリは、アウトサイダー・アートとか、アール・ヴリュットの画家と紹介される。
一般の美術教育もなにも受けていない人で、精神病を患った人が描いた絵ことを指す絵です。
急に、ある日を境に描きだす人が多い。

アドルフ・ヴェルフリもスイスの精神病院に入ってから、絵を描きだしました。
その作品を観てきたのです。

鉛筆と色鉛筆で描かれた絵であり、ヒロクニさんも鉛筆と色鉛筆で描く。
その共通項もあり、観に行きました。
それに、アドルフ・ヴェルフリを知ってから、30年ぐらいの月日も経ち、初めての展覧会です。
実物を見れることに凄くワクワクして行きました。

実物を見ると、ほぼ直線に見える線が多く引かれているので、定規でも使っていたのだろうか?
きっと使っているのだろうと絵を見て思った事。
円径が非常に綺麗な事。コンパスでも使っているのだろうか?と思った事。
そんな時ふと、兵庫近代美術館の館長の方が解説している言葉が耳に入ってきた。
「彼は、定規などのものはいっさい与えられていないので、・・・」という言葉が・・・。
思わず近くへ行って「本当に、定規とかコンパスは使用していないのですか?」と
聞いてしまいました。返答は、「そうなんです。一種の才能があったわけです」と教えて下さいました。

それからは、直線と円径を食い入るように見た。

左右対称に繰り広げられる円と曲線は美しい。

画集などでは分からないが、繰り返し出てくる同じ顔の人物の顔も良く見ると、
一つ一つ表情があり、意外と可愛らしい。それは画集では小さくなってしまうので分からなかった。

ヒロクニさんは、音符のある直線の間に描かれているあの形(なめくじかと私は思っていた)は、
「小鳥なんだ」と何度も言いに来た。②の絵にその小鳥が描かれています。

①と②の絵は、スイスの新聞紙(印刷されていない)描かれています。
③は画用紙に描かれています。
③の絵は、絵を売って換金できることに気がついたヴェルフリが、換金する為に描いた絵だそうです。
そして、そのお金で、色鉛筆を買って貰って色数を増やしたそうです。
初期の頃は、鉛筆で描かれた部分が多いのは、単に色鉛筆があまりなかったようです。

いつも気になるのは、アール・ヴリュットと言われる画家の生い立ちだ。
とても、不幸であることが多い。
ヴェルフリも例外ではない。
1864年、貧しい両親のもとで生まれ、その父は品行不良で妻や子供のめんどうをみず、やがて犯罪者に
なり、犯罪者の子供といわれる。病弱ながら優しかった母は、子供の面倒をみることが出来ず、
養育は、地方行政区の福祉援助に委ねられる。行政区長はその兄弟を罵り、屈辱をあたえる。
そして兄弟5人はバラバラに。
8歳だったヴェルフリは、里子奉公協会に引き取られ、母からひきはなされる。
貧しい大工の所で一年間働くことになったが、その家も安住の場ではなく、いつもひもじかった。
その上、酒飲みだった家主にブランデーを買いにしばしば行かされるが、ある日転んで瓶を
割ってしまい事情を説明すると、カンバの木の鞭で、裸の背中から尻までを鞭打ちされる。
度々の折檻。
1年が終わり、新しい家に移り、以前の里親と比べるとましであったが、やはり召使のように扱い、
また、鞭打ちが待っていたのであった。
これ以降も不遇が続くのである。
また、ヴェルフリも猜疑心や怒りの感情を内包してく。

これは、ヴェルフリが記した自伝の幼少の箇所ですが、ヴェルフリが9歳の時、すなわち1872年のスイスでは、
鞭打ちをこのようにしていたことに驚く。
それとも、ただ運が悪かっただけなのであろうか?

精神病院に入ってから、外の世界に出たがらなかったヴェルフリ。
そして、絵に打ち込み出したヴェルフリ。
絵を描くことで、少しは幸せになれたであろうか?と考えるのでした。

ヒロクニさんは、実物を鑑賞してから、あまりヴェルフリについて語らなくなった。
なんでだろう?と、
そちらの方が、疑問なのであった。
書いたようなことを、ヒロクニさんに話すが、ヒロクニさんは聞いているだけで、
私が一方的に家でも話しています。


今日は、寒い一日ですね。
我家の猫ちゃん、ジルくんは雪が積もった朝から、外で遊んでいます。
なんか、変な猫なのだ。
私は、着物に羽織、そしてショールもまいて、過ごしています。
江戸時代は、庶民は寒さをしのぐにの、着物を何枚も重ねて過ごしていたようですね。
重ねて布団みたいになっているのです。
浮世絵にその姿が描かれているのを見たことがあり、なんとなくしたくなるよね、と
含み笑いを今日しています。








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色鉛筆画家のアトリエ 紙、紙、紙 (夕暮れのアトリエ)と、松尾芭蕉の句

2017-01-07 17:55:57 | Weblog






夕暮れのアトリエ。
現在、武内画伯は入浴中。
絵にも夜の絵、昼の絵があり、夜も制作するせいか、昼間にいつも入浴をします。
夜のしじまの時間の絵と昼間に描く絵は、違うらしく、
夜の絵は内省的な絵が出来上っています。

武内はエスキースなしに(下絵なしに)絵を仕上げていくタイプなので、
描いている途中でうまくいかないとその絵を放棄します。
その中で、うまく完成に持ち込めたものが完成です。

アトリエを見ていると試行錯誤の奮闘している姿が思い浮かび、
「頑張っているのね」と思います。


その横で、古典にはまっている私は、松尾芭蕉集(全発句)を読んでいます。
台所で本を読んでいると、何故かヒロクニさんはくっついてくる。
制作の合間だから、息抜きに来ていると思われるが、
本を読んでいるのに、やたら話しかけてくるのです。
こっちも、‘本を読みながら話をするという技術’で応対しているが、
なんか途中で頭がくちゃぐちゃになりそうである。
ヒロクニさんも私に合わせて、「芭蕉は句会で忙しい一面もあるだろう」と言い、
以外に物知りである。
私も変な読み方をしていて、晩年から時間を遡って読んでいっているので、
読むに進むにつれ、芭蕉の年齢が若くなる。
まだ「奥の細道」の旅に出ている頃の所に至っていない。

そんな中、ヒロクニさんに丁度いい句かも?という句を発見して、
声に出して読んで挙げた。

『月花の 愚に針たてん 寒のいり』

この俳句の意味は、
財産もなく、家庭もなく、だだ月よ、花よと優雅に浮れ過ぎしてきた愚かなわが身に、
今年も「寒の入り」の季節がめぐってきた。これからは当分は厳しい寒さの日々が
続くことである。世間の人びとは、厳寒を迎えるにあたって灸を据えたり、鍼を立てたりして、
身を養っているが、私は愚かな私の心に鍼を立てて、厳しい人生の思いを新にしよう。

という意味。と、解説にあります。

私は、絵に打ち込み芸術にいそしむヒロクニさんの姿を重ねて、
「この句があなたには似合っているわ」と言ったが、
後半の句は、寒さに不平不満を言う愚かな愚痴に対して、
ヒロクニさんを戒めるのみぴったりと思ったのです。

「ほら、芭蕉のこの自分に厳しい態度は、すばらしい句を作る、孤高の精神は素晴らしいじゃないか」と、
言うと、ヒロクニさんアトリエにすぐ戻って行ってしまい、私の側から離れて行きました。

ヒロクニさんは、食事中に「オンナで、松尾芭蕉を読む奴はあんまりいないんだ」。とばかり言います。

古典の読書に、松尾芭蕉を選んだのは、
日本画家なのですが「小野竹喬氏晩年の作品、奥の細道シリーズ」というのがあり、
特にその絵が好きであったので、読むことにしたのです。
いつも絵画から触発されて、好奇心の赴くままの読書をします。

小野竹喬氏のその作品を1枚紹介します。↓


句は、「五月雨をあつめて早し最上川」
日本画の中でも、たいへん粋な作品と思い、いつも心にあります。
ヒロクニさんは、ハチャメチャな作品を描くのですが、芸術は芸術性において等価であると考えていて、
好き嫌いはともかく、「こーいう奴には、なかなか勝てない」と漏らすことがあります。

実は、芭蕉の句には、よく最上川が登場します。
流れが急で、雨などが降ると川が増水して、川が渡れなくなると宿でもう一泊となることが多いようで、
とてもよく渡った川であったようで、その船頭の様子の句などもあります。





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明けましておめでとうございます。(色鉛筆作品紹介440)

2017-01-03 15:43:17 | Weblog


晦日の日に出来上がった絵。
まとめて絵を見せてくれた中から、この絵を選びました。
紙はしなしなと柔らかい布のような感じになっていて、
束ねられた紙は、ふんわりとしていました。

明けまして、おめでとうございます。
いいお正月を過ごされましたでしょうか?

我家は、年が明けようとしてくる頃につれて、雲行きが怪しくなって、
正月早々、夫婦喧嘩・・・・。
2人して、31日の夕方ぐらいまでは、仲良く買い物にいっていて、
「なんか私達ほんと喧嘩しなくなったよね」。と道々思ってしみじみ道を歩きながら思っていた。
ヒロクニさん「今年は日本酒を飲みたい」。
私     「へぇ~。いいよ」と。
スーパーにて
ヒロクニさん「いつもより多めに飲んでみたい。大きい方が割安なんじゃないか?」
私     「えらく、飲むつもりなんだねぇ~」。

こんな会話をしながら帰宅に。
帰宅してからは、お酒の宛てのような料理を今年は作ることにしました。
ヒロクニさんの好物の‘豚の角煮’応用が利きそうな‘鶏の蒸し煮’‘煮しめ(ごぼう、れんこん、にんじん、こんにゃく。たけのこ’等を作って用意していました。簡単にできる料理の材料もストックして。
年越し蕎麦を午後5:00頃食べてから、器にオードブルのように料理を並べてました。

酒を飲み出してから、急に愚痴ばかりを・・・・・。
1年の計は、元旦にありと思い、「健やかで、爽やかな気持ち」で正月を過ごそうと思っていたが、
ブチブチ、ネチネチと私には、よくわからん愚痴を言う。
6月にも個展の予定が入ったのですが、ヒロクニさんはその個展をやめるだのやるだの、
挙句の果て「妻が、やめときなさいというべきだ。気の利かん女だ」。とか、
「はっ?????」
私は言った。「ヒロクニさんがやると決めたから、それに従っているのだけど?」
      「じゃあ、何で了承したの?」
      「何でも私のせいかよ――」。このへんから、苛立つ私。
よく分からない話に、労働者がどうしたこうしたという話もあり、わけがわからんのです。
「何で、そんなに労働者が気になるのかよくわからんわ。人のことより自分のことを考えたら?」というと、
「和尚にもそういわれる」という。

爽やかどころか、随分気分を害した。いい時間を送れるよう努力していたのでよけいに。
すっかり嫌な気持ちになり、
「もうこっちも不愉快な気分だから、やる気なくした」。
「勝手にしろ」。
等と言い、最悪の正月を迎えたのでした。

ジル(猫)とだけ遊び、会話して過ごしたのです。
どんな会話?
「ジル、君はフカフカだねぇ~」とか、
「ジル、君は手触りがいい猫だねぇ~」とか、
「ジルくん、もうお寝んねですか?」とか、
「ジル、えっ、外に一緒に出て欲しいのか?」とか、
「ジル、外が好きだねぇ~」とか
「ジルは、変な顔だなぁ~」とか、
ほとんど私が話す会話です。


そんな中、ツイッターで心癒される写真を発見。

室生犀星(詩人)と猫の写真。
火鉢に手をかざしているのがなんとも可愛い。
この猫の名前は、「ジイナ」と言うそうです。

 金沢の しぐれをおもふ 火桶かな

という句が、この猫の写真に添えられています。

室生犀星といえば、
 ふるさとは遠くにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
という詩が有名です。

萩原朔太郎が好きな私は、エッセイで室生犀星が登場するので、
その描写を思いだしたりして、温厚で誠実な人柄であったことが思いだされます。

今日、ヒロクニさんを呼びつけて、「この写真を見て!!」と強引に見せたら、
「室生犀星は、いいよ」。
「朝から、室生犀星のこんないい写真を見れてよかったなぁ」
ですって!
これで、仲直りか?


では、わたしも一句
しばらくは 遠くにいると 思いたい ヒロクニ画伯
                         さほり
   





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