武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

作品紹介34(クレヨン)

2009-09-28 01:04:37 | Weblog



上のクレヨンの絵はガジュマルの妖怪で、下の写真は「ギャラリー島田」の島田誠氏がヒロク二さん宛てに届いたハガキの写真。子供の頃、ガジュマルの木に登って海を見ていたヒロク二さんも71歳。本当にガジュマルの妖怪人間が絵を描いているのだろうか?


この絵は散歩する夜の街。青色の絵はとても珍しい。
土俗的な感覚と都会的な感覚をいつもあわせもっている。その融合のありようが‘武内ヒロク二’の絵の面白さだと思っている。

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オムライスの巻(オムライスを作るこつ)

2009-09-24 10:27:38 | Weblog
毎日新聞夕刊 2006年6月6日(火)

ドロっとソースがかかったオムライス。

西川きよしさんが、父親とスクーターに乗り、はじめて町の洋食屋に行って食べたオムライスは、卵で巻いた赤いご飯の上にケチャップとグリンピースが3つの、昔のオムライス。盆と正月が一緒にきたような気持ちで食べたオムライスは、がんばるエネルギーと語ります。

オムライスを美味しく作るコツ。
①薄く焼いた卵が破れるのをふせぐには、卵を1個ではなく1.5個使う。大きく焼けて破れにくい。
②無理に巻かない。フライパンの中の卵の真中にご飯をのせ、卵でご飯を包み、ご飯がきちっと巻けなくても、そのご飯が見えてる部分は下向き皿にのせる。フライパンのすみにオムライスをよせ、エイャとひっくり返しお皿の上へ。
③オムライスにかけるソースは作る。トマトのざく切りとケチャップを1:1の量で作る。鍋にそれを入れ、少し煮る。このソースはご飯の味付けにも使います。

この3つを実行するだけで、懐かしいオムライスが出来上がります。


おうちオムライスの出来上がりです。
具は、玉ねぎ、にんじん、マッシュルーム、ピーマン、鶏肉が入っています。

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武内ヒロク二語録(恋愛の話)

2009-09-22 15:31:22 | Weblog

「大きなカールの女」鉛筆
火山の噴火ように見える女性の肖像。もしかしたら、桜島かもしれない。

「若い頃の恋愛って残酷だね」
ヒロク二さんが急に話だした。
「好きだと思っていたのが、家の周りをうろうろされたり、まとわり付かれたりすると嫌になるし、うんざりしてヒドイ態度にでたりして傷つけたり。若いから野獣になったり、変に精神的になったり。散々よ」と。結核の少女を好きだったこともよく話す。汽車に乗ってサナトリウムにお見舞いにいったそうだ。木材屋の娘を好きになったこともある。貧乏絵描きの卵は、彼女の両親の手によって引き裂かれたらしい。堀辰雄の小説から、ロミオとジュリエット、ウディ・アレンの映画さながらの生活だ。単純に野獣の時は、サーカスの女と・・・。公園にいた変な女と・・・・。今度はロマンスが吹っ飛び、話がそのヘンから怪しくなる。わたしは言った「ケダモノだね」と。そうすると「そうだよ」と当然な返事。わたしは失恋した時、悲しくてだらだらと涙を流したことを思い出し、「別れたとき悲しくなかった?」と聞いた。「あんまり記憶がないんだ」だって。
あまりロマンスがないわたしの失恋の原因は、ひつこく結構まとわりつくのが原因というのが、この話で解った。かつての恋人を待ち伏せして、喜んでくれるかなと姿を現したら「なんで、おまえがここにいるんだ!!」と言われ、恐怖を与えた記憶がよみがえった。

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作品紹介33

2009-09-21 22:38:34 | Weblog

秋晴れのとても気持ちのいい日が続く。
そんな頃に出来上がった色鉛筆とボールペンで描かれた作品。
ヒロク二さんも穏やかな気持ちで過ごしている時もあるのだと思いホッとした。数日間、苦虫を噛んだような顔をしていたからね!麻生総理大臣の曲がった口をテレビで見かけると「一国の主相の顔が、ここまで口が曲がらなくても・・・」と心が落ち着かなくなったが、ヒロク二さんの歪んだ口を見るのも心が落ち着かない。その顔は、半端じゃない。飼い猫ですら、その表情を見るとスゴスゴと顔をそむけて離れていくのだから。
しかし、確実にヒロク二さんにも秋晴れが細胞にしみわたりDNAに働きかけていた。ヒロク二さんは、頭で描かずに、身体で絵を描いています。


宝塚市に住むようになって、ヒロク二さんは「宝塚市に咲く花の色は、紫色から藤色の花が多い。こんな町ってあまりないのだよう」と言った。実は本当に、宝塚はすみれの町と云われ、すみれの花が勝手に咲く町です。家の庭にも自生していて、あちらこちらに咲く。「すみれ色の絵も描いてみたい」とよく言っていた。そんな事を思って、この絵を選んだ。メモに近しいハガキ大の大きさの絵です。ちょっと不思議な少女達に好かれそうな絵。
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鳥の空揚げの巻

2009-09-19 14:13:08 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2006年10月24日(火)掲載のえ

熱々の鳥の空揚げに、レモン汁をたっぷりかけて・・・。
フォークが槍のように見えるのは何故?

女優でエッセイストの中井貴恵さんの思い出の味は、お袋の味「ささみの空揚げ」。お弁当のふたを開けたとき、何よりもこれが入っていて欲しかったといいます。結婚してから、夫のお弁当をつくる立場になった時、ランチジャーを嫁入り道具にアメリカへ。帰国後は、2人の娘にお弁当に「ささ身の空揚げ」を入れるようになると、娘からは「ささ身の空揚げ食べたい」のメールがうわごとのようにくるそうです。母から娘へ鳥の空揚げの味、伝承ですね。

中井貴恵さんの作る「鳥の空揚げ」
ささ身を薄くそぎ切りして、にんにくとしょうゆで下味をつける。そして、駅前の食材屋さんで売っている、黒胡椒入りの粉で揚げる。淡白、さっぱりの鳥の空揚げです。


鳥の空揚げとしか聞いていなかったので、いろいろな鳥の空揚げを用意した。竜田揚げまで混じっているのがヒロク二さんらしい。鳥の空揚げを飛び上がっているように見るためにガラスのコップにのせている。そうして、空揚げを納得がいくまで、お皿に取っては、次のお皿に移したりと大忙し。から揚げだけ描くと、茶色い固まりになってしまうと思いパセリを添えた。

この鳥の空揚げの絵は、落ち着いて鳥の空揚げをながめるという気分になりにくく、早食い競争でもして食べてしまったもの勝ちの食卓みたいだ。フォークの伸び方がそう思わせる?

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作品紹介32

2009-09-18 13:33:13 | Weblog

1996年作、「夢見る街」アクリル絵具で描かれた作品。
今から13年前に描いた作品。もちろん神戸の街の絵です。ヒロク二さんの絵は、日記のようなところがあり、この作品は1995年に起きた阪神大震災後に描かれた絵でなんにかしら街が雑然としている。いつも登場する女の子が登場していないのが特徴かもしれない。

アップで見てみると、画面にダンボールが貼り付けられていて凹凸があちらこちらにある。エネルギーというものを感じる絵だ。余震は、地面がゴロゴロと転がるような音がするのです。来た!という感じ。この絵は、紙に描かれているのに、とても重たい絵でゴムの固まりのような絵です。

わたし達は震災で家が半壊して、トイレから屋根から日が差し込む状態だったけれど、ヒロク二さんが本棚を壁にから離していたのが幸いして本の下敷きにならず全く怪我をしなかったのです。その代わりアトリエの屋根から、鉛筆の削りカスが落ちて来て、ブファーと削りカスまみれになってしまい、顔を洗おうと思ったら水道が出なくなっていて困った。チクチクする身体をお風呂に入れず持て余した。地震が起こる前の日は、ヒロク二さんの友人の所で飲み飽かし、朝帰りだったので地震が起こった時は起きていたのでよ~く覚えている。目の前のものがガタガタと音をたて、重りの付いたトレース台が飛んで倒れたのです。最初、ポルターガイストかと思ったのです。物が飛んだのに驚いた!
水汲みと食料の確保が出来てから、街へ。瓦礫の山の中を歩き、信じられない光景をたくさん見た。

ヒロク二さんの水汲みの様子
公園の水道から水を運んでいた。飲用水のほか、チクチクする身体をなんとかする為に風呂の水をためるべくわたしは頑張っていた。執念に燃えていたかもしれない。そんなわたしを見てヒロク二さんは、手伝うと云う。最初は容器をたくさん自転車に積み、行き帰りしていたが、アトリエ用のゴミ箱、蓋付きペール45ℓのゴミ箱で運ぶことにしたらしい。ヒロク二さんに「そんなことしたら、疲れてしまうよ」と言ったが決行した。行き道はフラッと出かけたが、なかなか帰ってこない。帰ってきたら、「重くて水を途中で減らした、重い」「もうだめ!」と言っているの。熱い国の人のDNAというか、先を考えないのが、ヒロク二さんらしい。だから、芸術家になれたのかもしれない・・・と思う時があります。考えていては出来ないこともありますよね。先を見通す力は無いけれど、意思はとても強い人です。

お風呂?お風呂の水は、伝書鳩みたいに行ったり来たりして、わたしが風呂桶を一杯にした。それより、ヒロク二さんが大きい水色の45ℓゴミ箱に水を入れて、抱えている姿!ヒロク二さんを象徴している姿です。
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我が家の食卓・ロールキャベツ

2009-09-16 13:22:21 | Weblog
しあわせ食堂の記事を思いだして、作ってみました。

ロールキャベツを昨日作りました。(6個分)
買ってきたキャベツのはじめの献立として。葉が大きいうちにトライしました。
①まず外葉を外し、キャベツの葉を六枚用意しました。料理の本では、キャベツの茎のところをくり抜いて、水の力を利用してはずしていくとあります。が、経済的ないので、キャベツの茎を包丁で切ってはずしていきました。少し破れたけれどキャベツを巻く時にどうにかしました。そのキャベツの葉を塩を入れて沸騰したお湯の中に一枚づつ入れて煮てキャベツの葉を柔らかくします。
②具を作ります。豚肉100グラムと鶏肉100グラムのミンチ肉に、しいたけ2個のみじん切り、玉ねぎ1/2個のみじん切り、卵の黄身1個、塩(小さじ1/2)、コショウを加えて、よく練ります。
③具をキャベツに巻いていきます。
茹でたキャベツの葉の茎の部分の太いところをそぎます。キャベツを広げ葉の先に具をのせ、まず葉の先を具に巻き、葉の3分の1のところまで、ころがします。それから、左右のキャベツの葉をたたみ、残りの茎の部分まで巻き、爪楊枝で茎の部分をはさんで止める。(キャベツが破れていてもずらしたりしてうまく巻く)

④ロールキャベツを鍋に入れ、ロールキャベツが十分かくれるくらい水を入れ、コンソメ1個、ローリエ、ブーゲガルニ、ホールトマト(缶)1/2個(ザクザクと刻む)を入れ、強火にかける。沸騰してきたら火を弱めアクを取りながら煮込み、味見をして、塩、コショウを足す。15分ぐらい煮込みます。(うちは、キャベツがくったりと、食べやすくなるまで煮込みます)
あっさり味です。スープが美味しくできました。

付録 イタリアの食材、服、靴&カフェのお店紹介。「Fata」
http://www.fata-web.com/
使ったホールトマトは、こちらのお店で購入しました。フレッシュ感があるホールトマトです。イタリアの食材と店内ではホットパニーニが新メニューで食べられます。遊び心とおしゃれ心があるイタリアのお洋服は、見ていて楽しい。最近見て気に入った服は、入らなかったりするのが悔しいが・・・。楽しさをHPでご覧になってくださいね。
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神戸・元町の高架下、古着のショップのシャッターの絵

2009-09-14 13:34:30 | Weblog

元町高架下にある「ポポー二ャ」という、激安の古着屋の店の屋根とシャッターに絵を描いて欲しいと頼まれて、描いた絵。
テーマは「宇宙人の子供」というイメージ。ヒロク二さんとわたしは「宇宙人の子供!!」とふたりして声をあげて叫んだ。場所柄、サイケな感じか、サブカルチャーの感じと思っていたので。とはいえ、ヒロク二さんは「宇宙人とかはっきりしないものの方がやりやすい」と言った。そういえば随分前、「父母恩儒教(仏教でいう親孝行の話)」のテーマで絵を頼まれた時は、困りに困って断ってしまったことがある。「それだけは、描かれへん」ときっぱり断った。横にいたわたしは、「自由に生き、俗にいう親不孝の見本みたいな人に、このテーマか・・・」と凄いなぁと傍観してました。しかし、宇宙人の子供は誰も知らない、ワカラナイ。自由な発想がもてるので仕事をさせて頂きました。あの不思議なお菓子「センレイ製菓」の角のお店です。
注:ヒロク二さんは確かに親の期待を裏切り、裏切り生きてきた人だけど、親のいいなりにならなかっただけで、親を不幸にしてはいません。なんだかんだと言っても「お袋」です。自分のこと少し責めているのだと思います。


描き始めの姿。店が閉まってからなので8時以降の時間に描いています。


メモを見ながら、使うモチーフを選んでいく。暗いので懐中電灯持参。照らすのはわたしの役目。


店の屋根の絵とシャッターの絵とバランスを見ながら描きすすめる。


店の屋根に描かれた茶色の形。ワラビかと思った。


シャッターの白色がくすんでいたので、白の地塗りをしているところ。


アルファベットの「n」のような形が繰り返しでてくる。

ヒロク二さんとわたしは、ゴム草履をはいて、ズタ袋に絵具の道具を入れてきたない格好で10日ぐらい通いました。夜の高架下は人通りがほとんどなく薄暗がりだ。ゴキブリが高架の下で移動していて、夜こっそりと絵を描くわたし達の仲間のような気がしました。終電の電車も思い出です。

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焼き芋の巻

2009-09-13 00:09:28 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年3月27日(火)掲載のえ

焼き芋は、実は、生焼け。

ヒロク二さんは、大きなさつま芋を買ってきた。1.5キロ~2キロもありそうなさつま芋を。「なんでこんなに大きいの?」と聞いてみた。近所のスーパーがたまたま大きなさつま芋ばかり売っていたらしい。ヒロク二さんは、さつま芋を洗い、ふきんでしっかり水分をとり、きっちと3つのさつま芋を並べて正座して眺めている。庭には、枯葉や小枝を集めて焼く準備をしていたら、ダイオキシンが出るとかで注意されてしまい、しょうがなく火を消した。というわけで、実は、このさつま芋は生芋です。

漫画「美味しんぼ」の原作者の雁屋哲さんの思い出は、たき火の中に放り込んで焼いた焼き芋。雁屋さんが10歳くらいのころは、自分の家でも道路でもどこでもたき火ができたから、姉と弟の3人でするたき火がとても楽しみだったいいます。たき火の焼き芋はなんて言ったって待ち焦がれる良さ。焼き芋が焼けたか焼けないかは、棒を突き刺してみる。慌てて出すとゴリゴリ、下手すると黒こげ。しかし、うまくいった時の美味しさはたまらない。うまくかどうかは、それは「運」と語ります。

ヒロク二さんの思い出、さつま芋で動く車?
ヒロク二さんの思い出は、食としての思い出ではなく、車の油としてのさつま芋がある。子供の頃のおもちゃに小さい乗り車を持っていたのだそうです。坂道なんかを乗って下っていくとスリルのある小さい子供の車。昭和12年生まれだということを考えると、昔のお坊ちゃんだ。「子供の頃、半ズボンだった?」と聞くと「半ズボンだった」と迷わず答える。その頃のお坊ちゃんは、必ず半ズボンで、お坊ちゃんでないのは、ボロをまとい粗野なガキで傍目にもすぐ分かる時代だ。中身より外見がよく物語る時代だ。そんな時代にその小さな車を乗っていたら、羨望の的で視線が集まるのだそう。ヒロク二さんも気まぐれで、乗せてあげたり、乗せなかったりしたらしいが、その車は手作りで、木で出来ていて、車輪が回る部分は、クッション兼油の役目としてさつま芋が詰められていて、そのさつま芋が汁が出て小さくなってしまうと終わりという車だったそう。その車にさつま芋を詰めるのが難しく、毎回の作業は子供には大変だったらしい。大人も「ヒロク二のこの車に詰めるさつま芋の加減が難しくてのう」と毎回言っていたらしい。わたしは、さつま芋を詰めるという発想が凄いと思ったが、それと同時に車輪のところから、さつま芋が飛び出たり、汁がぐちゃぐちゃ出てくる様子を思い浮かべると、東南アジア、暑い所の人達の発想のだと思いました。ある日、乗っているとバラバラになってしまい、姿形もメチャクチャなってしまったそうです。悲しむわけでもなく、「あ~ぁ」で終わり。暑い国の人って、ぬけてる。



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「文句を言っているうちが華である」の巻

2009-09-12 00:06:47 | Weblog

文句を言っているうちが華である カット・武内ヒロク二

この言葉は、「こころの処方箋」河合隼雄著の本の中に出てくる。抜粋すると『誰しも不平不満というものはある。あるいは、あいつさえ居なかったら全部うまくゆくのにとか、これさえなければすべてが上々なのにとか、なにかひとつのこと、1人の人間の存在を恨みたくなるときもある。あるいは、これほど忙しくさえなかったら、自分だって、相当○○できるのにと思っている人は多いのではないだろうか。ともかく「忙しくて」と嘆く人は多い。と続く・・・・』

わたしの場合は、ヒロク二さんの文句を言っているうちが華なんだなと思っている。その代わり、ヒロク二さん以外の人には全く満足しているの。とても、幸せなことかも。皆、言っている事が分かりやすくてまともでいい人に感じるのです。
随分前の話ですが、夫婦喧嘩している奥様からの話を聞いていて最後に「文句を言っているうちが華なんですよ」と付け加えた。そうしたら、目を丸くしてから「うまく言うわね」と言ってすぐ家に駆け込まれた。うまいに決まっているではないか、ユング心理学の研究者の河合隼雄先生のお言葉なんだから。
もし、ヒロク二さんが居なくなったら、わたしは腑抜けのような人間になってしまうかもしれない。若い頃は、結婚して男性によってアイディンティティーをすぐ変える女性の気がしれないと尖がっていたが、長く暮らしていると「あなたはわたし」とも云えなくはないくらい近寄り、「あなたの成功はわたしの成功」のようになってきて、男尊女卑ならそれはそれでいいわよ、ハイ、ハイだ。ヒロク二さんがいなくなったら、どうするのだろう。文句の華がなくなってしまう。

あと、「男女は協力し合えても 理解し合うことは難しい」という言葉もありました。ほとんど不可能なんだって。河合隼雄さんがおしゃっています。


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