武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

やぐるまそうとおもちゃ

2012-05-31 23:22:10 | Weblog

頂いた矢車草の花とミントの葉。そして、道端に茂るぺんぺん草をアレンジしました。
左の「兵隊」は、ヒロクニさんのおもちゃ。どこで拾ったものやら?
下に引いた、ドイリーは鍋敷きでもあります。これは、わたしが編んだものです。

この写真を撮る時に、この「兵隊さん」を一緒に撮ろうか、撮らまいか悩んだ。なんか可愛い感じでいいのですが、「ヒロクニさんのおもちゃをわたしの花にくっつけて写すなんて・・・」と憤慨した。良人と仲良くする気がないはずなのに自らこんな行為をしてしまった。やはり、こうやって夫婦というものは、「離婚だ!!」と叫んでも、時間がたてば迂回しながらもとにもどっていくのかと思いながら、「花」と「兵隊さん」を組み合わせていたのです。

家の中や外にワケのわからないものが沢山ある。
最近、発見したものでは「オレンジの皮の干からびたもの」がトイレの窓の枠のすみに置かれてあった。
風呂の窓の所のは、茶色く折れた枯れた植物がマミーの瓶に入れられている。
玄関の前の土には、歯ブラシが植えられている。
服のワッペンやタグ、切れ端なども家の柱に画鋲で止められている。
すべて、見える所に貼ったり、置いたりしなといけないのか、どこもゴチャゴチャしている。

まともな宝物としては、半欠けの鉄の仏像がる。上半身しかなく、右の腕を折り曲げて上げ、人差し指を上へ向かっている仏像だ。その仏像は飾られてるわけでもなく、フッとヒロクニさんの身近に転がっている。阪神大震災から、引越しが多かったのに、いつもその仏像は付いて来ていた。ひっそりヒロクニさんがポッケトに入れている姿が浮かぶ。お守りのような感じがするので、その仏像は温かく見守っています。
その仏像以外は、ゴミに見えるんです。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトリエにて 2

2012-05-28 13:04:27 | Weblog

アトリエのヒロクニさん

スクラップブックに紙切れを貼ったり、塗ったり集中している。
赤い絵具は、油。
トイレにも、赤い絵具を塗りつけたキャンバスが乾かしてあり、絵具がつかないように、毎日気を使ってトイレ使用。
こんな人は、空気のような存在になる訳がない。

高野京子さんの個展に行くと、ヒロクニさんの絵のコレクターのT先生が、座って居られた。こんな所で会うなんて!!と驚いた。武内の個展会場で「君は、また具合が悪くなるって。見たらわかる」という謎の言葉を残して会場から去って行った。その上、わざわざ薬も貰った。
 しかし、その謎の言葉は、当たり、我慢や忍耐が長期間よるストレスと怒りの感情で、具合が悪くなった。その謎の言葉を言う張本人から、何故判るのか?どうしたらいいのか?分かり易い助言を聞きたくなった。
 先生は自ら自身の事を「鞍馬天狗みたいなもん」と言い、「神出鬼没」とわたしは言った。先生は「武内さん(良人のこと)は、まともでないからいいんだ。ムンクよりもいい。いいんだって」と何度も言われた。「芸術家は、気違いみたいなもんだろ。好きにさせとけばいいよ」と軽く言う。わたしも急いで口を開く「だけど、ムンクは精神病院に入っていたでしょ。わたしが、いつも精神科に行くのではなくて、良人にいってもらわんと・・・あべこべだと思うの」と必死で言った。

いろいろ言ったけれど、究極、「気違いみたいなもんやと思ってあきらめ!」と言って、また、去って行った。
ああ、日本人だなと思った。アメリカでは「あきらめない」という事を教えるそうですが、「あきらめる」ということを学ばねばならない。
よく言えば、「あきらめる」という事は、仏教で言う「執着を捨てる」ということなのだろうと、最近、思うところもある。
兎に角、わたしにとっては、武内ヒロクニは、もう煩悩の中心部をなしているのです。

武内ヒロクニと、別れたら煩悩は、すべてなくなるであろうか?
なんとなく、次の煩悩が待っているような気もするので、新しい煩悩より、今の煩悩ほうがいいかもしれない・・・。
慣れ親しんでいる苦悩の方が、楽な気がするのです。

そういえば、仏教は「中庸」が大切ともいいますよね。
わたし自身の中でも、世界は揺れてるのです。
この世は、想念の世界らしいよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫達の楽しい季節

2012-05-19 23:51:40 | Weblog

草を食む、ジル。牛みたい・・・・。
青葉が茂り、庭には雑草が茂る。これでも、草引きはしている。しかし、草々の、よく伸びるコト。
すぐ、ビニール袋が一杯になる。そんな作業をしていると、二匹の猫達がわたしの近くでウロウロと近寄ってくる。キタハマは、行きたいところ、そう家の隣、畑へ行こうとわたしを誘導する。

畑の道を一緒に歩くのが好きなのだ。その畑の道を走りながら「レッツ、ゴー!!」というと一緒に走り出して、凄い勢いで先を走る。何度か、そんなことを繰り返し、最後に「レッツ、ゴー、キタハマ!!お家」というと、わたしより先に玄関で待っている。玄関前で「キタハマは、賢いねぇ~」と褒めてあげると、玄関前でコロコロして嬉しそうである。


↑キタハマ
そして、家に帰ると「絶対にご飯下さい」という顔でわたしを見つめるのだ。
この真剣さが、目によく現れていて、容赦しませんという風に読み取れて怖い。
カリカリではなく、鰹節、または、雑魚が欲しいらしい。女の猫ちゃんは、その時によって要求が微妙に違いがあり、ものを伝えるのも、ニュアンスある。お皿も三つ持っている。


↑ジル
その間、ジルはノロノロと相変わらず、庭を駆け回るでもなく、ゆっくり草を食べている。
逃げ足は早いが、行動はゆっくりまったり。庭に寝ながら草を食べていたりとものぐさな猫なのだ。ジョウロに残っている水等も前足を浸して、根気よく飲んでいる様子も微笑ましい。
最近、毛が茶色くなってきたが、頭だけが黒さを残し、異様な毛並みになってきた。お腹も、ブヨブヨしている。しかし、抱くとキタハマとは違い、デロンと力を抜いてぼんやりと「僕ちゃん」という感じで、膨らんだお腹を出してゆっくりしている。「タヌキみたいな猫」になり、それはそれで可愛い。雄なのに、テリトリーもキタハマと同じ。甘えた感じが可愛いやつなのです。


夜は、遊び疲れてるのか、二匹ともすぐ寝ます。

わたしが淡々と生活しているせいか、猫達は幸せそうです。
幸せそうな猫達の寝顔を見ると、心が安らぎます。

ヒロクニさんの眉間に皺をよせた寝顔をみると、難しい野獣やねぇ・・・・。と目を細めて見るのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餃子なんて、くっつけないで!!

2012-05-11 14:58:47 | Weblog

左二列が、わたしが作った餃子。右の乱れた二列がヒロクニさんが作った餃子。
餃子の具は、豚挽き肉に、ニラ、キャベツ、たまねぎ、干ししいたけ、にんにく、生姜、酒少々に、しょうゆをたらし、ゴマ油を混ぜたものです。

台所で嫌々料理を作っていた。
めんどくさいが、まずいものを食べたくないので、一人シコシコと餃子作りに励んでいた。
わたしは、結構食べ物にうるさく、チルドの売っている餃子は食べたくないのだ。
それに、遺伝子組み換えの添加物も入っているし・・・・。
餃子を台所で独り考えごとをしながら、黙々と手を動かしていた。

その姿を見ていたのか、ヒロクニの野郎が「僕も手伝わせてくれない」と目の前に来て言う。
ちょっと嫌な気がしたけれど、手伝う気持ちを無碍にしてもと思い、「まあ、やってよ」と言った。
阿呆のように、大盛りの餃子の具をのせて、餃子がはちきれんばかりの姿。
手元を見ていたら、その餃子をわたしの作った餃子にむぎゅっと押し付けて置くのである。そのくっついた餃子の姿を見て思わず言った。

「わたしの餃子にくっつけんといて!!」と大きな声で言った。悲鳴に近かったと思う。なんか寒気がしてしまった。

その餃子をつかみ「あなたは、こっち」と皿の端の方につまんで移動させた。
右に固まっているのが、ヒロクニ野郎の餃子。
左にあるわたしが作った餃子は素直な感じがする。
右の餃子、「口を絶対割るもんか!」という意固地な感じで、ヒロクニさんの眉間の皺ようでもあり、わたしは憎憎しげにじっと眺めていた。

そのせいか、餃子を焼くのにも何故か失敗した。

◆遺伝子組み換え作物から作られている添加物紹介◆
 
 しょう油
 大豆油
 コーンフレーク
 水飴(ジャム類)
 液糖(ふどう糖果液糖又は果糖ぶどう糖液糖と表示)
 デキストリン
 菜種油(カノーラ、キャノーラ)
 綿実湯
 砂糖(てん菜)
 レシチン(大豆由来)など

これらのものを省いて食品を買おうと思ったら至難の業です。
今までなにげなく食べていた好きな物も我慢の世界になります。
なるべく市販のジュースを飲むのを控え、油を選ぶときは値段が高くてもよいものを選ぶ。
スナック菓子は極力控える。
この3点を実行するだけでも、添加物の摂取はぐ~んと減ります。

わたしが、こういう事を実行するわけは、アメリカのモンサント社(遺伝子組み換え種子の会社)が儲かるのは、人の不幸に直結すると思っているからです。この種子からの作物を食べさせて、人に病を与え、人口を減らそうとアメリカの政府と示し合わせているのではないか?と疑っている。モンサントの社員は、ここの種子で出来た作物を食べないそうです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありのままの姿が一番(作品紹介85)

2012-05-06 21:38:52 | Weblog

この絵は、破れていて個展で発表することはない、作品。
鉛筆と色鉛筆
エロティックな作品は、最近発表しない。
時代は、エロスから離れているような気がして個展では、あまり並べません。

わたしは、よき妻でいようとしすぎて、ヒロクニさんのヒステリックな性格についても凄く我慢していた自分に気がついた。
常に、前向きな気持ちで、自分の自然な感情を押し殺してまで、前向きな心をもとうと努力していた。
我慢がどうにも出来なくなって、「離婚して欲しい」まで、心は思いつめた。

わたしは、目標があった。絵でなんとか生活が出来き、絵の保管が出来る広さの家で、画家らしい生活を共に送れる生活を夢みていた。広い家に移って、わたしは、一室で絵画教室もしたいなぁと夢を思うあまり、努力とひたすらヒロクニさんを励ましたり、甘やかせたりしていた。人間は、甘えれる場所があれば、外で強くなれる。と思ってきたのです。

その思いは、裏切られた。

わたしが、何でも何とかしてくれるという風になっていた。

何日もボ~~と過ごしているうちに、「何とかならんか?」と期待を持ったり、嘆息したり。そして、売り上げ等で一喜一憂したりするのにも、何か疲れた。ヒロクニさんの機嫌も大事と必要以上に我儘を聞くのに無理していたのかもと・・・・。

最近、自分を偽ったりして、気持ちに無理がありすぎることは、すっかりしたくなくなった。

雲の流れのように、あるがままの姿がいいなぁ~と。
今までの自分に、疲れた。そして、すっかり欲がなくなってしまった。


フリージアの花が咲きました。
花は、自然に咲くのですね。
季節が巡るのと同じように・・。

暫し、一日一日、淡々と送ります。
虎視眈々の日々は、さようなら~。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・平家物語と端午の節句

2012-05-03 18:33:26 | Weblog

ニラ花のが咲き乱れる我が家の庭

新・平家物語の五巻(吉川英治著)の本の文中に、
菖蒲葺きという章がある。
その中の一部分を引用。
桧皮葺の院の大屋根へ、梯子をかけ、舎人たちが、菖蒲を葺いているのである。
「五月よ、今年も」
と季節を、思う。
という一節があった。

頭の中では、屋根にたくさんの菖蒲の花が立ち並んで、紫の花が咲いている情景を浮かべて、そんな風習があったなんて、知らなかった。と思っていた。西洋風に「屋根が菖蒲花のお花畑」になるとイメージしていた。なんと珍しい風習が平安時代にあったことよ(ほぉ~)と思っていたのです。屋根はお花畑と想像していました。
ところが・・・・どうも違うことに気がついてしまったのです。「菖蒲を葺く」という日本語が分かってなかった。お花畑ではなく、茅葺のように、屋根に菖蒲をのせていく作業のことだったのです。次のような写真を見つけました。

端午の節句の菖蒲葺きの写真

これが「菖蒲葺き」の正しい姿だと思いました。
小説では、院内のその光景を描写していたのだと分かりました。

ちょっと調べて見ると、平安時代には、端午の節句の年中行事として、「菖蒲葺き」「菖蒲の輿」「菖蒲枕」「菖蒲刀」「菖蒲の宴」「菖蒲兜」「菖蒲根合」などが行われていたそうです。菖蒲の葉は、剣のように勢いよく伸びる葉と独特の香りから、端午の邪気を払う魔よけの植物として、用いられてきたということを、知ったのです。邪気払いのために「菖蒲葺き」をしていたのです。

そういえば、学生の頃、京都に住んでいた頃、銭湯で菖蒲湯に入ったことを思い出しました。
風呂なし下宿に住んでいたので、銭湯に行く回数は多い。菖蒲の葉が束ねられていて、風呂の湯の中で、葉がゆらゆら揺れていた。今、初めて京都を意識したのです。その当時は、銭湯のおばさんが「菖蒲湯だから、おいでね」と嬉しそうに勧めた訳が今になって分かった。「厄除け」していきなさいというニュアンスが含まれていたことに・・・。

京都の銭湯には、いろいろ思い出がある。200円の銭湯代の元を取らねばと、茹蛸になるまで入ったあげく、気分が悪くなって、隅のソファでうずくまっていたことや、瓶のりんごジュースを一週間の楽しみにしていたりと、水風呂に平気で入れる人に感心したり、思い出はつきない。

五月は、現代では、ゴールデンウイークだけど、平安時代は、端午の邪気を払う季節の行事だったのです。

はて、端午の邪気とは何?
それは、中国の「史記」の中に記されています。
たしか、中国のある心ある政治家が入水自殺した川に、民衆がその死体が魚に食べられないように餅のようなものを川にまいたのが、ことの始まりで、入水自殺したのが5月5日でということだと記憶しています。間違っていたらすいません。

■余談■
ヒロクニさんは、どうしてるかって?ほったらかしにしているので、萎びています。
今だ、「魔物ヒロクニ除け」デス。芸術家で、妖怪ですからね。
菖蒲の葉を身体に巻いておこうかしらん?
実は、菖蒲の葉だけなら、庭に生えているのですよ。

今年は、こいのぼりを見かけてないのだけれど・・・。
五月の節句は、時代によって移り変わる風習なのでしょうか?
時代の移りかわりを感じる今日この頃です。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする