武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

何かを引き連れて(色鉛筆作品778)と 公園とネジバナ

2024-06-23 14:46:01 | Weblog

2人の男の顔が描かれている絵を見つけ、

「これをブログにあげようかな?エスにティな感じがいいから」と手に取ると、

「それは、ジャン・デュビュッフェの絵を模写したやつだから、やめて」と言われてしまいました。

「いくらなんでも、人の絵を真似した物は、俺の絵じゃない。

 そこまで、破廉恥なことは出来ない」と。

すっかり武内の絵だと思って見ていたので、

デュビュッフェと武内の絵の共通項というのはあるのだと思いました。

それじゃあ、どの絵にしようと思い、見つけたのが上記の絵です。

(アトリエには、絵が積まれている)

この絵は、以前ブログに載せるのに敬遠した記憶がります。

「変わった絵だなぁ」と、脳震盪を起したかのような気持ちで見ていました。

再び、この絵を見て、「変だけど可愛い感じもする」と思い、この絵に決めました。

武内の絵を乱暴に説明する時は、

「変だけど、どこかキュートというのが、主人の絵なんだよね。」と言います。

友人と電話で話をしている時に、この表現を使ったかな。

だから、この絵はそういう種類の絵と思って下さるとありがたい。

これは、スカートをヒラリとさせながら、ルンルンと歩く“女の子”だと思う。

だけど、顔の部分が変なのです。

はたして、顔なのか・・・。

足元の黒い線でおおわれたグレーの部分を、胴体としてみると、

腕を広げながら左斜め前に進んでいるようにも思え、

歩いているというシュチュエーションだけが、はっきりと感じる。

どこを歩いているのか?

それは、永遠の謎のようなものだ。

武内の絵から受ける、摩訶不思議な感覚・・・、これしかないと思う作品です。

画材は、色鉛筆、鉛筆使用。

 

 

私達は、散歩に勤しむ毎日。

公園の頂上に着くと、普段、日に当たってないと思っているらしく、

日当たりの良い、芝の上でヒロク二さんは寝ます。

わたしは、日差しを避けるように影になっている所で休みます。

横になったらすぐ寝れるらしく、長時間寝入っている。

30分ぐらい経ったら、起しに行くのですが、

起きる瞬間、家で寝ていると勘違いして「公園?」という顔をする。

熟睡していたらしい。

この速攻で寝れる体質、羨ましい。

それとも、疲れがたまっている?

たぶん疲れているのだと思います。

夕食の支度をしていると、「もう、自殺したい」と言っていました。

こういう事をよく言う人でもあります。

その後、戦争をしているロシア、プーチンのことを話していて、

「ロシアが、核を落としてみろ!多くの人間が死ぬことになる。日本だって、危ない」

と、言っているので、

「さっき自殺したいって言ってたから、核を落とされて死んだらちょうどいいのじゃない」と言ったら、

「そんな単純なことじゃない」と、怒られた。

わたしはヒロク二さんが世を憂う程、不幸ではないと思っている。

すぐ自殺だ!とのたまうヒロク二さんにムッときたので、

「あなたは、絶対自殺はしないと思うよ。

 自殺を考えるが、“やっぱり痛いでしょ”と言っていたし、

 病院の手術の前、大声で叫んだじゃない『俺を殺さないでくれって!』

 そんな、無駄なことを考えるのはやめたほうがいいよ」

「それに、自殺しなくても死のほうが近づいてきているじゃない」

ここまで、言うと今年87歳になるヒロク二さんは、

それもそうだなと言う顔になり、変な素直さが出る。

ここが変でしょ!

妻の毒舌の毒がまわって、普通になるのか?

“変な絵だど、どこかキュート“な絵を描く人は、

“変な素直さと妙に正直な資質”を持ち合わせています。

たぶん、疲れが溜まっているのだと思います。

そうだとしたら、休めばいい。

 

散歩ついでに、公園の頂上で、ネジバナを見つけました。

以前の住まい宝塚では、1本見たきり。

それが、何本かが一緒にネジを巻きながら咲いていました。

写真を撮ったのですが、outlookが具合が悪くなり、

スマホで取った写真がメールで画像を送れません。

それで、自分が撮った写真と似ている写真を貼りました。

下の写真をクリックすると、元のページが開くと思います。

自分の写真ではありませんが、どんな花かとお伝えしたかったのでした。

ネジバナ|公園へ行こう!

↑今、ネジバナの季節らしく、こういう花見かけませんか?

この花は、雑草のように思っていたのですが、ランの一種らしく、

根が球根で太目の白い茎のような根をしているのですって。

知りませんでした。

ネジバナ Spiranthes sinensis subsp. australis ラン科 Orchidaceae ネジバナ属 三河の植物観察

↑花もよく見ると、ランの形をしているそうです。

(こちらの写真もクリックすると元のページへ行きます。)

知らなかった。

宝塚で、ネジバナを見つけた奥様が、「とても、めずらしい。」と言って、

喜んでおられたのがわかりました。

その時は、ただの雑草と思っていました。

神戸に来てから、雑草に目がいくようになりました。

こういう変化、楽しんでいます。

 

今日は、意地悪な妻の一面をちらり。

ある男性の発言で「妻という字を“毒”と読まないようにします」と言ってらした方の顔が思い浮かぶ。

今日も、このような内容を最後まで読まれた方、

ありがとうございます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群集(色鉛筆作品777)と 日常生活

2024-06-11 11:09:13 | Weblog

水色の四角い顔に青色の胴体の人物らしき人が、ほぼ同じ形に描かれ、

こちらに向かって笑っています。

この奇妙な統一感から受ける印象が、シュールだ。

絵自体は、ブルーとピンクの対比が美しく、

花のある道を歩いているようで、楽しい雰囲気がある。

「ああ、いい天気でなんていい日だろう。」と同じ形の人物は言っているとまで、想像した。

そして、いつものように“髪の毛がカールした女の子”も登場している。

武内の絵に登場する人物は、いつも男性と女性の組み合わせか、女性達。

男の人物ばかりを描いた絵は、見たことない。

こういうの不思議だな、と思います。

この絵の見方に、別なものがあります。

見ていて、思ったことなのですが、

パズルのように色面が組み合わさっているにも関わらず、

遠くから見ると不思議な奥行きが感じられること。

その奥行きの見え方は、描かれた顔を無視(遠くから見ると顔が見えなくなる)し、

色面だけを感じると、下の色の固まりが前景になり、中間に川が見え、川向こうにビルがあるように見える。

川は、下の四角い水色の顔の部分が、ビルの間から見える川に思えるのです。

↑この大きさで見ると分かり易いだろうか?

そうなると、街を内包している?

もしくは、街の絵のスタイルでこの絵を描いていたんだとも思い、

それで街の絵のような印象を受けたのだと思いました。

後半の絵の見方は、武内の絵を見すぎているせいで、

アクロバットな解釈になっているような気もして、

「そんなふうに見えない!」と言われそうだ。

もう、毎日、絵を持ってきて、「この絵はどう?」と言われているのです。

(時々、辛い・・・)

 

 

みそ汁が美味しい。

「なんて、みそ汁って美味しいのだろう。」と毎回の夕食の時に思う。

風邪で身体が弱っていたせいか、「みそ汁が身体に染みる~。」というところ。

最近、味噌の材料が「大豆、米、麹、塩」のみの味噌を選んで購入。

早く発酵させるため酒精、アルコール。砂糖、アミノ酸などが使われていないものを選びました。

昆布と鰹節で出汁をとって、みそ汁を作ります。

ヒロク二さんまで、「今日のみそ汁、美味しい。」と言った。

美味しいという声を聞くと、

「そうか~、シンプルな材料で作られているものが美味しいんだな!」と手のひらを打った。

それで、今や味噌が冷蔵庫に四種類並んでいます。

新潟の味噌(白)、仙台の味噌(合わせ)、秋田の味噌(赤)、信州味噌。

これらの味噌をそのままで、又この味噌を調合したりして、好きな配分で作ったり。

そんなことをしていると、下級武士達が、「汁講」なるものをしていたのもうなずける。

その頃だと、手前味噌で特徴があっただろうし、楽しみだっただろうなと思い、

その情景を浮かべていたのでした。

わたしは、セコガ二をぶつ切りにして、蟹のみそ汁も作ってみたりと、みそ汁作りに余念がない。

ヒロク二さんは、梅干もよく食べる。

昔からある日本の伝統食で、健康を維持してます。

散歩も日課になっているので、みそ汁と併せて年齢の壁をこれで乗り切りたい。

 

散歩の途中に、また実の生っている木を見つけました。

(先回は、桑の実。)

↑調べるとこれは、「ヤマモモ」だと言うのが分かりました。

↑だんだん実が熟していく過程なのでしょう。

赤くなり始める前は、葉と同じ濃い緑色でした。

苔の塊が付いているような感じで、「何だろう?」と思いながら通り過ぎていたのです。

写真に撮ってから、

ヒロク二さんに「何でも口にいれるんじゃない。」と注意されているにも関わらず、

一粒、赤い色のものを食べてみました。

酸っぱいのですが、すももの香りがして甘みがありました。

この味は、食べたことのある味で、子供の頃は売っていたのを思いだす。

そして、懐かしい時間を思いました。

そこには、祖母がいたな、と。

“お婆ちゃん”というのは、子供にとって偉大だった。

子供に寄り添る具合が本当にいい。

安心感のような存在で、一緒に住んでいて良かったとよく思う。

今や、だんだんお婆さんになっていくだろう私は、どんな婆さんになるのか?

想像すると怖い・・・。

心の狭いお婆さんで、何かとケチをつけるようなお婆さんには、なりませんように祈るばかりだ。

現実の我家のお爺さんは、老体に鞭打ちながら、人間も丸くならず絵を描いています。

 

散歩道の途中に、ミラーがあって、

「あなた、ここに来て。」と呼び、2人がミラーに写っているのをヒロク二さんと一緒に見ます。

そこには、若作りのものを着ていても、高齢者夫婦が並んでいます。

(ヒロク二さんが、高齢度を上げる)

そして、「老夫婦が、写っているよ。」と言うと、

「そんなことない!」って、否定されます。

「ありのままで、いいのよ。受け入れろ!」て、言ってやりたくなりますが、

黙っています。

 

今日は、とりとめのない日常の一コマ。

年齢のことばかり、書いてしまったようでお恥ずかしい。

改めて、今日もブログを読んで下さった方、ありがとうございます。

今日は、賑わいのある市場へこれから出かけます。

東山商店街という所。

物価高だから、安いと言われている市場へ探索。

気に入りの店が見つかるといいな、と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする