武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

我が家の食卓・コンビーフのピラフ

2011-10-28 10:04:43 | Weblog

忙しくて、買い物にも行きたくない時に作った「コンビーフのピラフ」

ヒロクニさんは、一緒に外出していても、一緒に外食しても、必ず家のご飯を食べる。
一種の儀式のようなもので、妻がいる安堵感だけが、味わいたいのかもしれない。

わたしの料理も波があって、自分で食べてもまずいと思う時もあるのだ。
心の中で「この料理、いまいち・・・・」と思ってあやまろうと思って、ヒロクニさんの顔を見た途端「サホリ、これ美味しいよ」。と言ってくれるではないか。
心の中で「これが美味しいのかぁ・・・」ちょっと嬉しいような悲しいような。
反対にわたしが美味しいなぁと自画自賛したくなるほど美味しいと思って食べていると、「サホリ、塩が入れすぎ」。と言われる時もある。ヒロクニさんの顔を見ながら、それを確認するかのように味を確かめる。そして、
心の中で「よくわからんなぁ」と思う。
食通の夫でないヒロクニさんを夫に持ったわたしは、「いいなぁ」とよく思う。
創意工夫のやりがいがある。(たまには休みたい時もあるが・・)
実験が好きなわたしは変な料理も作っているが、「気転が利く」等、褒められています。
わたしの料理は、ご飯が食べれるか、ご飯が進む「惣菜」が中心で、あまりおしゃれではありません。

わたしは、いつもコンビーフの缶詰を常備しています。
コンビーフのピラフ・レシピ(2人分)
材料:コンビーフ一缶
   キャベツ葉3枚程
   ししとう3個(なければなくてもよい)
   ご飯 茶碗2杯分強
①ピラフを作る前にご飯を冷蔵庫に入れてご飯をパラパラ状態にする。
(コンビーフは炒めるとベチャベチャするので、ご飯は必ず冷やした米を使う)
②キャベツは千切りに。コンビーフは缶から出して8等分にしておく。
③フライパンに大さじ1ぐらいの油を入れ、キャベツの千切りを炒める。
 キャベツがしんなりしたら、コンビーフを入れ炒める。
④炒めたキャベツとコンビーフを皿に取り出します。
⑤そのフライパンに大さじ1の油を入れ、冷やしたご飯を入れよく炒めます。
パラパラご飯になったら、皿に取り出したキャベツとコンビーフとご飯を混ぜ合わせ、
輪切りにしたししとうを加えて、塩、コショウ、ガラスープの素で味を整えていただきます。

夫婦2人とも、コンビーフが好きであります。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酔芙蓉の花に酔う

2011-10-24 18:54:11 | Weblog



我が家の庭には、1本の芙蓉がある。
金木犀の花が咲き、甘いオレンジのような金木犀の香りがただようのが、終止符を打つ。
その頃、芙蓉のつぼみがふくらんでくる。
今度は、芙蓉の登場だ。朝白い花が咲く。昼ごろになると、白い花がピンクを帯びてくる。夕方になると白を少し残し赤い花になっている。

今年初めてこの花は、「酔芙蓉」ということを知った。酔芙蓉の中でも獅子頭(ししがしら)という珍しい芙蓉だそうだ。
芙蓉の色の変化の美しいコト!!
「美しいものは、何と心を癒してくれることか!!」
そんな透明な気持ちになって、過ごしていると、
「さほり、この股引を早く洗濯してくれ!」と股引を手にしてわたしの方に腕を出しているヒロクニさんの姿が・・・・。
現実に戻ったわたしは、「洗濯かご入れといて!!」ぶっきらぼうに答えた。
「フゥ~」とため息をついて、

この顔と

この花の違いを考えてみた。

花は何も言わない。
ヒロクニさんは、芸術どうだ率の高い顔だ。その上、顔に混沌とした芸術オーラー。

芙蓉が終わったら、柿の収穫が待っている。
柿の木が大きいせいか、2人で力を合わせなくては収穫できないのだ。(こういう時に何かを教えられる)
借りている家だけれど、この庭には季節感と人生の楽しみを教えてもらってるような気がするのです。

柿の実は、欲しい人の予約があってひっぱりだこなのだ。
昔の柿の味がするそうです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次の個展は、ギャラリー枝香庵 東京展1(作品紹介67)

2011-10-16 15:43:27 | Weblog

星鉄道という題のアクリル絵の具で描かれた作品。
武内曰く、「今までの絵の中で最高傑作」だそうです。
わたしも、「そんな気がする」。

神戸での島田ギャラリーでの個展にも出す予定だったのすが、板に描かれていているせいもあって、板の作品を置いているところでまぎれてしまっていたのです。額装をする間もなく、個展が終わってから見つかった。
この作品は、2012年2月7日~14日の個展、ギャラリー枝香庵(銀座)での武内ヒロクニ展に出品することにした。
現在も制作に励んでいて、朝から鉛筆を走らす音がアトリエから聞こえてくる。さらに新作も加えてのことの個展にしたいとのこと。

わたしが傍目で見ていて感心するのは、ヒロクニさんは絵のスタイルがたくさんあるが、生活事態はなんの変化もないのに、絵には新しいスタイル、または変化と読んでいいかもしれないが、それが多様な事である。それでいて、武内ヒロクニの絵であることが明白な事実であることに驚く。

ヒロクニさんの絵は、前衛的な絵かもしれない。美術館でリキテン・シュタインの作品を見た時、すごくクラシカルに感じたことがあり、時間がたてばヒロクニさんの絵もクラシカルに感じる時がくるかもしれないなどと、この絵を見て想像したのです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蟻を殺す(作品紹介66)

2011-10-10 14:45:01 | Weblog

「ヒコーキ獲り」という題の作品。
2011年9月の個展に発表した作品。色鉛筆とクレヨン。
幼少の頃、アメリカ兵に狙い撃ちされ、恐怖の体験のあるヒロクニさんが、ヒコーキを蝿でも叩くかのようにヒコーキを叩き落とす★この解説は、わたしの勝手な想像です。手らしきものが、蝿叩きに見えるのが笑える。最近、あのゴムで出来た蝿叩きも姿を見なりましたね。

夏から我が家では、蟻が台所に進出してきていて困っていた。
猫の餌のカリカリに蟻が群がって真っ黒になっているのを目撃。猫の餌は、餌をあげて食べ終わるとさっと引き上げることにした。蟻は激変した。
それでも、餌を探して少数の蟻は、ちらほら台所のカーペットの上を歩きまわり食物を探している。その蟻の上に座ると蟻に噛まれてかゆいこときわまりない。その頃から蟻を殺すようになった。わたし達2人は、蟻を見つけると「こんなところまで」。と言って蟻を殺す。ヒロクニさんは、ひねり潰した蟻が動き出し、蘇生する瞬間も見たらしい。そんな風に台所で過ごしていると、台所へ行くと二人とも、床を見るくせがついてしまい、下ばっかり見るようになってしまった。それから時間が経ち、蟻を見つけて殺すのが遊びになり、「トイレットペーパーの切れ端を蟻がこんな風に」。と、トイレットペーパーの切れ端を立てながら、蟻の運行の様子を再現してくれる。わたしは足の爪を切っていたら新聞紙の上を、蟻が1番大きい爪を運んでいるのを報告した。もう、2人の間では、蟻がどんなことをしたというのが娯楽になってしまって、蟻は娯楽の道具になっていた。ヒロクニさんは、じゅうたんの柄の白っぽい所を、「砂漠」と呼び、色の濃いところを「オアシス」として、「俺は、砂漠の横断は許してないんだ」。と言うようになった。
下を見るヒロクニさんには、座布団の毛玉すら関心の対象になったようで、静かにしてると思ったら、「毛玉の奴を、やっつけた」。と言って横に毛玉がまんじゅうぐらいの大きさになっている。
ギョッとしたわたしは、毛玉取り器を渡して、使い方を教えた。ヒロクニさんは「サホリ、これ凄いね」。と言ったが、少し寂しそうになった。
文明の利器は、手ごたえを奪ったらしく、蟻も、毛玉も、今は取らなくなりました。

秋になって、蟻も減りました。

あっという間に毛玉を刈ってしまった文明の利器が二人にもたらしたのは、「白ける」というコトとコミニュケーションの不可ではないかと思ったりする。毛玉を取りながら、無心になっているとか、考えがまとまらないことに対して、手を動かしているとか、そういうクッションのような役割を毛玉を取る行為の中には、含まれたりするコトもあると思うのだけど、それが一瞬で終わったというのは、衝撃だったのかもしれない。
ヒロクニさんといると、子供時代のした遊びの数々の思い出す時があって、不思議だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれ変わるとしたら、男と女どちらがいい?

2011-10-05 14:48:39 | Weblog

ヒロクニさんの描く男女

何気なく、ヒロクニさんに「今度生まれるとしたら、男と女どっちがいい?」と聞いてみた。
ヒロクニ「男は寂しいから、男は嫌だねぇ」
サホリ 「じゃあ、女がいいんだね」
ヒロクニ「どっちも嫌だねぇ」
サホリ 「じゃあ、ニューハーフがいい?」
ヒロクニ「どれも嫌だ」と曖昧な返事なのです。

この質問をしてみたのには、訳というか、私自身の心情の変化もある。
生まれてから今まで、わたしは女性に生まれて良かったとズーと思っていたのが、「男に生まれるのもいいものかもしれない」「男の人生も面白そうだ」と思ったのが、この質問をした動機である。ヒロクニさんの曖昧な返事には、肩透かしを食らったが複雑な気持ちになるのも解るような・・・。

この先、男に生まれても男の生きる醍醐味のある時代は全くなくなっているかもしれないと思うと女に生まれる方が無難か?などと考え直したりする。最近女性は強くなったと云われるが、わたしは、中途半端に強くなったような気がするのです。(すべての女性ではないのでその辺はご考慮の程を。素敵な女性も増えたのも確かなので)簡単に言うと欲張り、フェアでないという言葉でもいいかもしれない。そういう女性が増えると、ちゃんと頑張ってる人にも飛び火が飛ぶから嫌な感じ。

ヒロクニさんは、古い人なので男尊女卑的なところが無いわけでもない。個展の会場で「女性の作家は、草間弥生でも、オキーフでも俺は面白くなくてね」。と女性に向かって平然と言ったりしている。言われた女性は何か心に突っかかるかもしれないが、わたしが思うには、「武内ヒロクニの絵は、そんなことをいう奴が描いた絵」なのです。もし、手前勝手なヒステリーな女性運動家が居たとしたら、ヒロクニ語録を聞かしてやりたいものだ。

あと「可愛い」で、すます女性にもうんざりするらしい。「何でも可愛いですましやがる、他にボキャブラリーがないのかよぉ」とぼやく。これは、理解できる。
女性に厳しいヒロクニさんだが、女性たちに支えられてきたのだから、もうちょっと優しくしてあげて欲しいのがわたしの本音。

兎に角、世の中は、男と女で成り立っているとしたら楽しく面白みのある世の中であって欲しいと思ったのです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする