武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

夏、海へ(作品紹介621)と 詩情(ポエジー)について

2021-08-26 16:07:30 | Weblog

この絵は、ベニヤ板にアクリル絵具で彩色されたもの。

裏に、「夏、海へ 2017」と記してありました。

私には、3人の人が描かれているように見えました。

手前に2人、後ろに1人いるように感じます。

家にベニア板を見つけると、その木切れを切って絵を描く。

家には、木切れに描かれた絵が多く存在する。

時々、ゴミ箱の中で見つけることがあって、

手にとってみると、「けっこう好きかも・・・。」という絵を見つけると、

拾い上げます。

そんな木切れをいくつか持っています。

 

武内は、今現在は、色鉛筆を使って、ほとんどの絵を描いていますが、

鉛筆、アクリル絵具、油絵、インク、水彩、ボールペン、顔彩、ポスターカラー、クレヨンと、

様々な絵具を使って絵を描いてきています。

始めは、洋画家、そして現代美術、ロック喫茶経営の頃は8mmフィルムで映像、

次に色鉛筆画に。

この色鉛筆で絵を描き始めたときと同時に、色々な画材を試して絵を描いています。

私は、3番目の妻なので、色鉛筆画に絞った時に登場しています。

私自身も美術大学卒(嵯峨美)なのですが、絵具の使い方が独特で驚きの毎日でした。

理論的には破綻しそうな絵具の使い方をするのですが、

これがけっこう良い効果を生んでいるので、目から鱗でした。

例えば例を上げると、鉛筆、色鉛筆画では、

「消しゴムで消す」ということを何度も繰り返します。

何度も、なのです。

色鉛筆と共に、多量の消しゴムがいつもあります。

私のような合理的というか、普通に絵を描く程度の人には、

「それって、どういうこと?」

「それって、無駄な徒労のような?」

と思えることをします。

しかし、出来上がってみると良い効果というか、味わいというか、不思議になる。

インクに和紙の作品を始めて見た時は、

「インクに和紙って、ペン先が引っかかったら、

そこにインクが広がって終わりじゃないか・・。」と思い、

「ペンには、ケント紙や水彩紙でないと・・。」と、無味乾燥なことを思ったものです。

家には、紙に塗りつけた「色見本」のような紙切れが壁に貼ってあったり、

実験したような絵具の絵も貼ってあったりします。

この紙をよく眺めるうちに、大学で小手先の理論を知るより、

ヒロクニさんの行為自体の方が貴重に思いました。

その絵の具のつけ方にも美意識があるようで、

それを見るのは楽しいのです。

それで、じゃあ、わたしも見習って、いい絵を描いてみようとは簡単にならないようなのです。

根本的に、元の発想がないし、同じように絵の具を塗りつけたって、

わたしには意味をなさないから。

それに、手先から出るポエジーが、わたしにはないので、

すぐにやめてしまう。

嫌な感じに塗りつけられてしまう。

やっているうちに嫌になり、放り投げてしまいます。

壁に貼ってあるヒロクニさんの紙切れは、

自身にとって意味がある大切なものなのだなぁ~と思って見ています。

しっかり、絵の具の染みのようなものも鑑賞しています。

 

ポエジーは、漢字で書くと「詩情」です。

この「詩情」を持つというのは、とても難しいことだと思う。

ヒロクニさんの何気ない線を見ていても、やはり建築の設計図の線とは程遠く、

線や形に詩情があります。

そういうものを鑑賞するのはたやすいのですが、

そういうものを獲得するのは、難しいと思います。

ピカソの線にも詩情があります。

(後半の作品の方が見て分り易い)

わたしは、ポエジーがある芸術家と、

そうでない芸術家という分け方をして、自分の中で分類することがあります。

どちらもそれぞれに成り立っていて、対比すると面白い。

違いを認識するのが興味深いのです。

この「詩情(ポエジー)」というのも分り難いと思いますが、

こういう説明を見つけました。

『詩情(ポエジー)とは、結果である。

 それは鑑賞者の中に眠っているものを目覚めさせるものでなくてはならない。』

この解説は、いいと思います。

いつも思うことですが、ヒロクニさんは、独学なのでユニークなのでしょうね。

時々、はみ出しすぎなような気もしますが・・・・・・。

 

この絵のタイトルを見て、長く海を見ていないなぁ~と思いました。

そして、海を見たくなりました。

(絵を見て、海に行きたくなったわけではない)

 

庭の方は。

↑やっと、朝顔が咲いてきました。

雨つづきで、咲いていても分らない状態がつづいていました。

今からが、朝顔の見時ということに。

もう、いったい何時咲くのか?と、言うくらい待ちました。

雨のせいで、ペチュニアやカーネーション、菊はボロボロ。

トマトは、連作障害で収穫、小さいの1個。

しばらくは、トマト以外のものを植えることにします。

そして、何故か、いんげんは実を付けませんでした。

いんげんは、ポットから植え替える時、

もうめんどくさいから、赤玉土を省き、再生した土じゃなくていいかも?と、

思ったのが悪かった。

雨の間に腐っていました。

何事も投げやりになってはいけない・・・のだと思いました。

トホホです。

↑大振りのニューギニアインパチェンスだけが、長雨に耐えました。

鉢は、大きい方がいいようです。

大きいことはいいことだ!と思い、大きい鉢をこれから買う気持ちが芽生えました。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛躍(作品紹介620)と ヤンソンの誘惑・レシピ付き

2021-08-20 19:36:13 | Weblog

ポーンと宙に浮いた顔。

ちょっとしたひらめきが浮かんだ瞬間の・・・・。

シュールな絵です。

山は、桜島。

武内がよく目にした山です。

ボールペンの素描に色鉛筆で色が塗られている。

久しぶりに見るボールペンの絵。

2021年、8月に描かれたものになります。

超、最近作です。

この絵は、下の動画に合わせて、絵を選んでみました。

 

このところ雨が降り続き、コロナの影響もあり、家に2人して篭っています。

ツイッターで、猫ちゃんの鳴き声と音楽をコラボした動画が廻ってきました。

説明のコメント付きで、コロナの中、猫とコラボを思いつき人気になったのはいいが、

その新作のリクエスト曲が、猫ちゃんの声のコラボばかりらしくて、

それは飽きている状態らしく、本筋の私達の音楽を聞いて欲しいと、

願っていると書いてありました。

The Kiffness X Alugalug Cat 2.0 (Please Go Away)

猫コラボの動画 ページは、こちら→ https://www.youtube.com/watch?v=2oRlBmwKzy4

その動画を見ている内に、いろいろな動画があるのだなぁ~と感心して見ていたら、

オーディション番組『The X Factor』または『AGT』というのに行き当たり、

ヒロクニさんにも見て貰おうと強引に呼びかけた。

まず、11歳の男の子のダンスに感激してしまい、

ほぼ、強制的にパソコンの前に座らせた。

そして、私はこう言った。

「思うのですけど、一時あった『暗黒舞踏』より、こっちの方が断然いいよ。」

「芸術かなんか知らんけど、やっぱり人を楽しませるというか、エンターティメント性は大事だって!」

「この子、11才なんだよ。」

ダンスについて語るノア君の話し方や利発な様子を見て、

もう、親のような気持ちになっているのでした。

可愛い~、と。

母親は、男の子の方が断然可愛いと思う通説がありますが、

それに近しい感じ。

「なんと言っても、感覚とセンスが新しいって!」と力説した。

人形が操られているという設定も自分で考えていて凄いわよ。と、ノリノリな私。

「暗黒舞踏よりズーといい。」と言ったあと、 

武内はロック喫茶を経営していた頃、暗黒舞踏を店で開演していたことを思い出した。

しまった!と思うと同時に、私を見る目に敵意を薄っすらと感じたりして、

まあ、まあ、とか言って一緒に見ました。

↓こちら

【和訳】素晴らしい発想とダンス、11歳のノア | AGT 2020

見終わった後、

ヒロクニさんは、「かなりの訓練して肉体を鍛えている。」と言い、

「それと、審査員が素晴らしいよ。大人なんだよ。」

「こういうショウを見ると、アメリカ人の健全さと偉大さを感じる。」と。

とにかく、審査員が素晴らしいと何度も。

私は、「私はこの子の頭脳が素晴らしいと思っているのよ。」

「子供なんだけど、センスがあるところがいい。」と言い、

もっと話したかったのですが、話は打ち切られてしまいました。

どうして、審査員のことばかりに終止するのかも疑問。

ノア君に嫉妬?ヒロクニさんには、ありえる・・・・です。

 

あと、こちらも見ました。

①「どうしよう たくさんいる」5歳のソフィに会場がメロメロ | AGT 2018

ページはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=LdRdCvLf81I

5歳の女の子が「マイ・ウェイ」を歌う。とても可愛くて「テンキュウ~。」の声がキュート。

歌は、5歳とは考えられない歌唱力。

ヒロクニさんは、「アメリカの底力を感じるよ。」と言い、その女の子を見て笑っていた。

(言うことがおしゃまなんです。)

5歳で、人前を何とも思っていないところにビックリしました。

 

ヒロクニさんが以外に気に入ったのが

↓こちら

【HD】スーザン・ボイル 〜夢をつかんだ奇跡の歌声〜

47歳のイギリス人の女性。

この方は、本当にこの番組の後、プロになり活躍しています。

ヒロクニさんは、この彼女の歌声が聴けて良かったと言います。

私も美しい声ってあるのだなぁ~と驚きました。

声というのも授かりモノの1つかもしれない。

 

この番組を見ながら、いろいろ思いました。

家族が付き添っていることが多いのですが、

その家族の顔から、子供の才を応援しているという姿勢を感じます。

合格のイエスを4っ貰うと、子供と親が一緒に泣いていて、

ステージまでの道のりを考えると、親の愛情って凄いな~と思いました。

子供のいないわたしは、親になってわかることって一杯あるだろうなと思い、

いくつになっても子供っぽいような所がある自分を省みる。

まあ、ヒロクニさんとピーちゃん(猫)が、私を大人にしてくれるのか?

歳だけとっても大人にならないというのは、やはり困るな・・・。

 

 

今回、ヒロクニさんは、パソコンに馴染んだようで、説明をよく聞いてくれて、

「短文のツイッターだったら出来ると思うよ。」と進めています。

しかし、マウスを持つ手は、大きい蜘蛛がのっているよう状態を思い出すと、

遠い道のりになるような。

また、夫婦喧嘩しそう・・・。

 

雨が降り続く鬱陶しい中、気持ちに張りを持たせるのに、

夕食に「ヤンソンの誘惑」という料理を作ってみました。

「初めて作る料理に挑戦する」というテーマを自分で実行することにしている。

久しぶりに奮闘ししました。

↑こちらが、出来上がり。

200ccの生クリームを使いきりたかったので、4っに分けました。

↑オーブンに入れる前の様子。

レシピを紹介します。

材料

じゃがいも400g たまねぎ300g アンチョビ8枚 生クリーム200cc

牛乳100cc

①じゃがいもは拍子切りにする。たまねぎは薄切りに。

②たまねぎをバターで炒めてしんなりさせる。

③容器にバターか油を塗って、半分の量のじゃがいもを平に入れる。

④次に炒めたたまねぎを全部、平にのせる。

 その上にアンチョビをのせる。そして、コショウで味付けをします。

⑤次にあと半分のじゃがいもをのせる。(上の写真の状態)

⑥鍋に牛乳と生クリームを入れ、フツフツと煮立たせ、

 煮立ったものをじゃがいもが入った容器に入れる。

⑦パン粉、バターまたは、オリーブオイルをかけ、

余熱した200℃のオーブンで、30分焼きます。

生クリームがトロッとして、グラタンとは違う味わいです。

 

私は、美味しく食べたのですが、ヒロクニさんの顔を見ると、

表情が暗く、とても静かに食べていました。

「もしかして、まずいの?」と聞くと、無口なんです。

「口に合わなかったかな?」と聞くと、

「いや、味が淡白なのは苦手なんよ。」と言う。

私は「分かった。まずいんやね。」

「たまには、不味いもの食べなさい。」

「我慢できるまずさでしょ?」と、どういう分けか、

良人を追い詰めてしまうのでした。

(私は、美味しく感じていました。)

私は怒っているわけではないのですが、いつもこういう流れに。

冷凍庫に「ヤンソンの誘惑」は、眠っています。

材料さえ揃えば、わりと簡単な料理です。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟と雲(作品紹介メモ619)と 大雨の中のひまわり

2021-08-15 18:16:26 | Weblog

この絵は食卓にあるコップに立てかけてありました。

雨が降り続く中、この絵を見て、

はやく雲が過ぎ去ってくれればいいのに・・・、と思いつつ見ていました。

ヨットが嵐にあう前触れを感じているような雰囲気を感じます。

記号のようにも思えたりと・・・・。

 

このところ、わたしは、「ジョン万次郎物語」や、「ガリバー旅行記」「モンテ・クリスト伯」と、

舟が出てくる物語ばかり読んでいます。

たまたま、手に取った本なのに、みな舟に乗る主人公。

しかし、この3冊は、どれも名作で読後感にヒタヒタと浸かり、

牛のように読後を反芻していました。

ヒロクニさんは、「ジョン万次郎の本を、わたしにも貸してくれないかな。」と言い、

「このジョン万次郎は、絵うまいよ。」と言う。

この主人公のジョン万次郎は、実在の人で、漁に出て難破したところ、

アメリカの捕鯨船に助けられ、その船長の養子となります。

難破したのは、14歳の時。

時代は江戸末期なので、後にアメリカとの開国にあたり、大きな役割を果たします。

一介の農夫がたまたま漁の手伝いをした為に、遭難してアメリカに行く話です。

そして、日本に帰って来てから「サムライ」になります。

農家の息子が、サムライになるのです。

万次郎は、江戸時代に遭難した仲間の日本人より、ものの受け止め方に分析力があり、

読んでいて、感心する。

それと、変な言い方ですが、心がいい。

その部分が、アメリカの船長の愛情を受けることにつながり、

また、そのアメリカ人船長も一般のアメリカ人よりも心が大きかった。

本に出てくる絵は、万次郎が記録として描いた絵です。

アメリカの捕鯨船の様子を克明に描いて記録したものが挿絵になっていて、

その絵がいいとヒロクニさんは言います。

また、舟は、武内の絵にモチーフとしてよく出てきます。

舟に関することは、興味を引くことなのかもしれません。

「捕鯨船ってどうやって鯨を射止めるの?」

「何を使って、射止めるの?」

「どうやって運ぶの?」

「鯨をアメリカ人も食べてたの?」

と、私に質問攻め。

「アメリカは、明かりの為に油をとっていたんです。」と、言いながら、

「本を読めよ!」と内心思うわたし。

思わず、「私は、捕鯨のプロじゃないし、本に詳しく書いてある。」と言うのでした。

絵だけ、見ていたようです。

 

雨が続き、アトリエから窓の景色を見ると、

ひまわりが頭を垂れ、ガラス窓が曇り、ゆらゆらと揺れていた。

あやうい夢を見ているような気がした。

↑いつも見るひまわりと違い、別の世界を見ているようでした。

幽玄の世界のように思いました。

窓から切り取られたこの様子は、映画を見ているような感じ。

ヒロクニさんは、この様子を楽しんでいるようで、

しょっちゅう、「この揺れぐあいを見に来て。」と呼びます。

この非日常的なこの光景を見ると、「夢みたい・・・。」と。

雨のせいで水槽の中にいるような気分がいっそう、そう思わせます。

除湿を入れたらヒロクニさんは、「寒い!」と怒るので、

我家の湿度は最高になると70%なんです。

雨の日、テントで過ごしているような感じと言ったらいいか。

きっと、私は疲れているのだと思う。

↑こちらは、雨が降る前のひまわり。

背丈がいろいろ。

同じ種なのに。

 

雨が続く中、ピピちゃんの首輪を作りました。

↑はぎれを使って。

シャツの襟みたいになるよう作ってみました。

首の部分、襟の部分は接着芯を入れて。

猫ちゃん用の外れる留め具は、古くなったものから取り外して作りました。

(ピーちゃんは、暑くても寝るし、雨が降っても寝てばかり。最近、よく寝ています。)

 

ヒロクニさんは、首輪を見て、「ピーは嬉しいだろうね。」と言うのですが、

「う~ん。ピーは嬉しいかな?別に嬉しくないのじゃない?」

「ピーにとっては、どうでもいいことだと思うけど。」わたしは、言った。

以下会話。

サホリ 「ピーじゃなくて、わたし達が嬉しいのと違うの?」

    「首輪をしているピーを見るのが、嬉しいんだって。」と。

ヒロクニ 「猫は、こんなの作って貰って、自分が可愛がられているって思わないものなのか?」

     「こいつは、さほりのこと友達と思っているじゃないか。」

     「俺には、あまり寄って来ないよ。」

サホリ 「それは、わたしが餌を上げているから!餌をくれる人は重要なの。」

    「あなたも、餌を上げたらすぐ寄ってくるって。」

ヒロクニ ふ~ん。(間がある)

    「ピー、良かったね。首輪を作ってもらって。」

    「よく似合っている。」

    「やっぱり、サホリだよね~。」と、言って去っていくヒロクニさんでした。

 

「作ってもらって。」と去っていったヒロクニさんはの気持ちが読めた!

『俺もピーも、さほりにいろいろして貰って、嬉しいよね。』と。

それで、勝手にピーちゃんの気持ちになっていたのだと。

「自分のことは、自分でさっさとしろ!」と、良人には思うことが多いのですが、

ちょっと絶望感がしました。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓辺(作品紹介メモ618)と 小さな哲学者の思い出

2021-08-08 13:29:53 | Weblog

この絵は、ノートの紙に描かれていて、メモのような。

裏に「病院・死・草・ブギ」と書かれています。

窓から外を見ているような印象もする。

いや、窓辺で外を見ている人を見ているようでもある。

中から、外からと境界線がなく、ただ眼差しがある。

こんなふうに思いました。

この絵に「病院」「死」という言葉は、あまりふさわしくない気がするので、

どういう意図なのかと疑問に思うのでした。

 

裏には、薄い鉛筆で色々なことが書かれていて、興味深い。

■『酒買いの唄』となっていて、

  空の青が

  石ころが動いて

  歩いて

  歩いて

これは、詩なのか?

■また、こういうのもある。

  岬を曲がって

  この道を歩くことに。

  心に決めていた。

■???と思うものに、

  クレヨン

  スープ

  骨つき

と、単語が並べられている。

ヒロクニさんは、文字が良くて、字そのものがポエジーを持っているので、

「字」を見た感じが詩人なのですが、

文章は、唐突で、文が非常に短いので、どういうことなのだろう?と思い、

読むのは一瞬で、考えてしまう時間の方が長くなります。

 

ヒロクニさんの文章の「この道を歩くことに。心に決めていた。」という箇所が、

わたしの心に引っかかります。

小学校の頃、3年生ぐらいでしょうか?

下校して道を歩いている時に、

「昨日もここを歩いていたけれど、今日もここを歩いている。明日もここを歩くなぁ~。」と思い、

今や明日、ここ当分の間、この道を歩くのは決まっていて、それは偶然ではなく、

何者かがわたしを歩かせていているのだろうか?と思ったことがあります。

明日とか、これから先の時間も、未来は決められていて、

「自分はその通りにしているだけなのかも。」と。

毎日、道を歩きながら、考えていたのを思いだします。

そのことを考えている時の感覚は、道を歩いているのですが、

自分が歩いている姿を漠然と見つめている「何者か」がいるような感じがしました。

何かが上から見ているような感覚。

一々の行為は、自分の意志のように思っているけれど、

違うのかも?と考えていました。

決まっていることをしているだけなのかもしれない。

道を歩きながら、小さな哲学者になっていた頃がありました。

ヒロクニさんも、心に決めたという決心をすること自体が、

決まっていたのかもと思うわけです。

 

わたしは、58歳なのですが、今になって、

時々、この道を歩いて考えていたことを思い出すのです。

それは、ヒロクニさんを見ていて思うこともあれば、

わたしに降りかかる嬉しいことや、嫌なことを通して思うのです。

まず思うのは、私は、どういう分けか「絵が好きだ」ということ。

これは、決められていたような感じがする。

一生これは続くと思われる。

私の家は、全く芸術系のものと無縁な環境なのに、深みにはまっていった。

ヒロクニさんとの結婚も今思えば不思議だ。

恋愛以外の力というか、先祖の働きのようなものを感じたりした。

ヒロクニさんと会った頃は、どういうわけか普段しないお墓参りをよくしていた。

(先祖に道を踏み外しませんように、お願いします。とか、言ってました。)

家族からは、「さほりは、最近おかしい。」と言われていたらしい。

そして、ヒロクニさんと一緒にいることから、さらに深みへ突入。

絵画からは離れられることはなく、一生続きそう。

嫌な出来事では、

どうしても理不尽に思う出来事に対峙して、困ったあげく、行き着いて、何かを得たりする。

悩みとか苦難は嫌なのですが、それを何とかするために、偶然出会ったものや、

新しい考えが起こったりして、気づきや自分に変化が訪れたときに、

苦難とかからは、だんだん離れていくような感覚があります。

偶然に知ったもので、救われるのは「何かの力」があったと思う。

よく「偶然は必然」とも言われるが、その言葉自体が、

「何者か」が働いている証しのような気がします。

また、嬉しいことは、コツコツしいていたことが実るように、訪れる。

タイミングにそれが現れると思う。

ヒロクニさんに毎日新聞の連載の話が来た時、闘病中だと受けれなかったのですが、

膀胱の全摘出の手術を受けた後で、

再発の心配がないとお医者様から言われた時にその話が来た。

やはり週一回の連載は、穴を空けれないので、

健康でないと受けることが出来なかったと思うのですが、

とてもいいタイミングで話が来たことになります。

やはり、何者かが、アレンジしてくれているように感じました。

今の年齢になってから振り返ると、そういう存在「何者か」いた。となるのです。

出来事をアレンジしてくれている「何か」は、有難い存在かも。

連載は、本当に降ってきた感じでした。

 

ヒロクニさんが、絵を描く一生というのは決まっていたことかもしれない。

当人は、決心したと言っていますが・・・・。

ヒロクニさんは、絵画が好きというより、「芸術が好き」という感じが強く、

そのせいか、他のジャンルの芸術全般に詳しい人です。

 

「何者か(見えない世界)」と現実の自分というものは、

複雑に絡まりあって生きていると最近思います。

小学校の頃感じた、上から何かが見ている「何者か」は、

何かわかりませんが、いると思っている今日、この頃です。

 

お盆が近くなっているので、こんな内容を書いてしまったのか?。

こういうことも決まっていたのでしょうか?

思いをまとめたのが、今日という日になったのは、偶然です。

変な日・・・。

 

庭では、ひまわりが咲いています。

↑今年は、背が高くなった。

やはり日当たりがいい方が大きくなる。

↑ひまわりと青い空。

そして、雲。

夏全開です。

↑角度を変えて、2つが写るように。

上の写真より後に撮ったもの。

ひまわりの中心が時間が経つにつれ、茶色に変化してきています。

 

ヒロクニさんは、ひまわりを見ながら、

「あの葉も、バランスを取るのに役に立っているようだねぇ~。」と、言い、

「葉がないと、あーいう風に真直ぐ立つことは、難しいだろうね。」と。

「そんなこと考えもしなかった。」と答えました。

わたしが思ったのは、ひまわりが立っているのは、

「見えない重力という力のおかげ」。

重力を発見したニュートンって、偉い人だ。

地球は丸い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩くヒト(色鉛筆作品617)と どこでも小競り合い

2021-08-02 14:26:51 | Weblog

「歩くヒト、歩くヒト」と文字が並んでいるので、

2人の人が歩いていると、思いこんで見ていた絵。

イカのような?火星人のようなヒト型は、変なヤツ。

頭、ファ?ってなります。

大股で元気よくあるいているヒト型がいい。

武内は時々、「元気が一番。」と言います。

時折、グダグダと言う武内は、

「元気が一番なんや。」と、禅寺の和尚に言われたそうです。

(今より若い頃の話)

その言葉は、身にしみているようで、

私に、「元気が一番。」と、声かけしてくれます。

しかし、言うタイミングが微妙にずれていて、

「今は、そっとほって置いて欲しい。」とか、

「少し休みたい。」と、思っている時によく言われます。

元気になって、早く俺の身の回りをして、

かまって欲しいということなのでしょうか?

こんな風に思ってしまう私が、います。

 

近所の仲良くしているご夫婦に、所用があって、久々に会いました。

コロナでしっかり巣篭もりされている方で、ストレス溜まりませんか?の話に。

お優しい人柄のご夫婦のことを話している内に、

「素敵なご夫婦ですよね。」と、お互いに相槌を打ったとたん、

お互いわが身を振り返り、それに比べて私達は・・・と思ったと同時に、

夫婦の争いの話になって、盛り上がってしまいました。

そちらの方は、冷蔵庫で争いをしているらしく、

冷蔵庫に線が引いてあって、夫の領域と妻の領域が分けられているそうで、

きっちりしている方が一方的に注意するらしく、

大まかな性格な方が説教をされ続けている様子を語られる。

その回数の多さに、くやしさをつのらせている思いを聞く。

その線から、出た具合を詳しく話されるので、

それぐらいいじゃないかと憤慨しているのが伝わってくる。

ところが、きっちりしている方も間違いをする。

それで、注意を促すと「見つけたら、だまって直しておいてくれたらいいのに。」と、云われるそう。

「どう思いますぅ~?」と力説された。

その上、古いものは手前に置くとか、一々チェックが入るらしい。

冷蔵庫の開け方、開ける時間の短縮など、決まりも聞いた。

冷蔵庫ぐらい気軽に開けたいそうです。

うん。うん。と、頷きました。

 

「我家もやってます。」と言い、今度は、わたしの力説の番。

「クーラーを室温が31度になってからしか、入れさせてくれないのよォ~。」

「どう思います?」

「クーラーを入れているのに、窓を開けようとするこの行為どう思いますぅ~。」

「夕方になったら、まだ暑いのに、いきなり窓を全開して、切れ。と、

命令するのやめて欲しいのですけどね。」と、話し打ち明けた。

「自分が中心なんですよォ~。」と。

「温度は、絵のためにいい。と、言う時もあって、そうしたら聞かざるを得ないんですよォー。」

「君は、俺が絵を描かなくていいの?と、首を傾けて横目で見たりして、

すごく嫌な感じなんです。」「憎たらしいでしょ。」と言い、

すっかり夏バテしている、目のクマを指差す。

朝起きたら、気分が悪い日があるのです。

そして、頭が働いていなくてボーとして、時間が過ぎる。

昼1時頃、クーラーを入れたら、シャンとしてくるのでした。

そんな様子も語り、

お互い、大変なんだねぇ~と言い、少し気を取り直した。

共感してくれる人がいるというのは、有難い。

私達は、どうも崇高な夫婦にはなれないが、それもいいのかもしれません。

話しながら、面白く、可笑しく、楽しかったのでした。

お互いガンバローね!と思い、手を振って別れました。

お互い、笑顔です。

夕立があった夕暮れの日の出来事。

 

クーラーを巡り、強くなれないわたし。

簡単に出来るものがいいと思い、焼いたらおしまいと云うことで、

サバのみりん干しを中心に夕食を作りました。

↑夏向きな夕食。

サバみりん干し

小松菜としいたけの炒め物(味付けは、シャンタンのみで)

なすとししとうとじゃこの煮物(これは、久々に作りました。出しと醤油で煮ます)

だいこんおろし

きゅうり糠漬け

枝豆

焼きたらこ(これで、ご飯が進みます)

夏バテが本格的になったら、料理は嫌になるので、

クーラーの支配権を奪う機会をねらっています。

 

そして、庭はひまわり。

↑ほんとうに背が高く成長しました。

私の背より随分高くなっています。

庭の中央よりに植え、日がよく当るところが良かったみたい。

ひまわりは、全部で7本が育っています。

花も大きくなり始め、その成長ぶりを観察するのは楽しい。

里芋の葉と大きなひまわりで、庭はいつもと違う雰囲気。

夏らしい庭のありようを楽しんでいます。

↑緑が多くなった庭の中で、唯一咲いているペチュニア。

朝顔は、まだ咲かず、つるばかり。

トマトもやっと実をつけ始めるという、遅れに遅れた状態。

 

↑細長いトマトで、イタリア種。

鉢に植えているので、あまり大きくならないかもしれない。

気長に行こう!

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする