武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

手の自由(色鉛筆作品紹介568)と 私の刺繍2

2020-09-30 20:13:45 | Weblog

「手の自由」2014 と書き込まれた作品。

“自由”について“手”のみに絞られているところがいい。

漠然とした自由じゃないところがとてもはっきりしている。

普段、ヒロクニさんと「手って凄いよね」。と2人で意気投合する時があるのです。

人類は手によって、発展してきているといっても良いくらい。

もう少し考えてみると、脳と手の関係、脳のみについて・・・と、順番に考えていくと面白いかもしれない。

脳には、心も宿っている。

絵を描くということは、心というか思いや感覚などを手を通して描いているわけだけど、

手が先に動いてから、心というか脳が反応する時もあるわけで、

この辺の微妙な関係が心憎い。

一々意識しなくても、自然に手はあらゆることをやっている。

そうして、あらゆるものを築いてきた。

 

ヒロクニさんがどういう思いでこの絵を描いたのかは、聞いてないから知らないのだけど、

(聞けよ・・・と言われそう・・・。)

「手の自由」という不思議なタイトルから、ヒロクニさんは絵を描くことで自由を感じているのだと思います。

いつも「精神の自由」を大切にしていてます。

実生活では、よく言われる事ですが、「自由業は、不自由業」。を実践中。

 

そんなヒロクニさんに“朝顔”がたくさん咲いているから、庭に出てと促しました。

↑この日は、うす曇で空が白っぽい日でした。

普段のヒロクニさんは、股引姿。

今は、あまり花はなく、チューリップの植え付けを待つ庭です。

私にうるさく言われて、嫌々庭に出た感じの表情が憎憎しい。

 

私の手作業も少しづつ出来上がっていて、またケースを作りました。

↑眼鏡ケース兼ペンケース。

ハーフステッチで全面刺繍のもの。

18カウントのものに、25番刺繍糸6本取りで刺しています。

ステッチで埋め尽くすと、生地が厚くなって硬くなり温もりが出る所が気に入っています。

中世の財布は、このようなステッチした布で作られていることが多いよう。

左は、クロスステッチで詳しい図案がありました。

中央は、オリジナルをアレンジ

右は、オリジナルをアレンジ

↑裏はこんな感じ。

私のオリジナルではなく、

こういう刺繍図柄をアレンジして、細長くしています。

こちらのパターンの刺繍は、

↑オックスバーグハンギングと言われています。

1569年頃、エリザベス女王の妹であるスコットランド女王メアリーが、

エリザベス女王に監禁されていた時に作ったもの。

監禁といっても、幽閉ではなく比較的緩やかなものだったらしい。

このシリーズがとても気に入ってしまい、この絵柄、この色味に魅力を感じています。

絵柄や文字に、謎解きの要素もあるらしく、イギリスらしい感覚が盛り込まれている模様。

 

↑中世の時代によく使われていた袋の綴じ方を見つけて、やってみました。

このタイプの物によく合う感じがします。

 

中世の頃って、ローマ帝国が滅んでから、文化が衰退したと思っていましたが、

それまでの写実ではない、不思議な世界の世界への転換期だったのかもしれません。

これらの刺繍は、どれだけ手間隙をかけたのか?と、刺繍の手作業の量に驚きます。

また、どんな図案にしようかな?と思案中!!

 

 

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地下鉄(色鉛筆作品567)と 人生の秋の始まりかも?

2020-09-23 20:15:36 | Weblog

すっかり秋の日差しになり、爽やかな風が吹きます。

春と似たような気温なのですが、春は始まりを感じ、秋は一年の終わりを感じる。

こちらの「地下鉄」と題された、色鉛筆作品は、‘98と記されているので、

描かれてから、22年の月日が流れたという事だ。

左端のヘルメットを被ったような人は、「運転士」なんだそう。

差し込んでくる光は、どの季節の光なんだろうと思ってみるのでした。

 

22年の月日が流れたと描きましたが、その頃は私は36歳だった。

36歳の頃があったなんて!!と驚きます。

阪神大震災があったのは、1995年なので、起死回生をはかろうと宝塚に住居のを変えた頃になる。

ヒロクニさんは、まだ机も用意出来ていない状態の中、

ダンボールの箱の上に板をのせて中腰で絵を描いている姿をよく目にしている。

「この人って、凄い?」と思った瞬間があった。

私も転職をもくろんでいたので、気持ちが忙しく、ヒロクニさんのことは瞬間思うぐらいの慌しさ。

今思うと、あの必死な感じは自分ながら凄いと感心する。

そんな時、「若い時の苦労は買ってでもしろっていうことがあるからなぁ。」と言われたりもした。

言われた時は、「そんな・・・、突き放さないで~!」と思ったが、

今思うと、身になったこともあったかも?と思うのです。

例えば、「頑張りきった。」「出来る限りの行動をした。」「意外な経験を積んだ。」等、

おっとりしていて天然が入っている性格の私が、行動的になっていたということ。

子供の絵画教室を経営(大げさですが・・・。)して、いつもと違う立ち位置にたってしまった。

人の上に立つなんて、苦手なことの最たるものだったので、大丈夫かな?といつも思っていたぐらい。

こういうことも、やれば出来るんだという経験かな?

 

ただ、頑張る状態が何年も続きすぎて、腕がしびれるようになったり、

荷卸し欝になってしまったけれど、それを経て、ニュートラルな状態というか、

普通の状態を取り戻した。

今思うと、36歳もいとおしい私であるが、58歳になった私もいい。

そうはいうが、自分を褒める、ただのおばさんになったのが58歳かもしれない。

過去の自分も肯定すると、ちょっと力強くなれるし、

人の欠点ばかりを見るより、良い所を見るようになる。

気運だけでも前向きな感じがいい。

若い時は、若い分不安が多くて、人と比べたりして自己嫌悪になることが多いのは、しかたがないと思う。

歳とってあつかましくなったのかもしれないが、

過去の時間の清算として「私は頑張った。」という肯定感を持つことにした。

ヒロクニさんの場合は、戦中の幼少、洋画家になる前、淡路島での洋画家時代、

現代美術の頃、ロック喫茶の頃、色鉛筆作品を始めた頃、色鉛筆中期、そして現在。

こんな風にくっきりと分かれているのが、話ををきいているとわかります。

ヒロクニさんは、「俺のような我儘な人間が・・・。」という時があり、自分で認めている。

ストレスで胃潰瘍になった時も、「俺のような我儘な人間が、ストレス????」と言っていた。

ロマンスグレーではあるが、髪がフサフサなので、自己肯定型の人間だと思って見ている妻なんです。

 

ヒロクニさんが80代に入ってからやらなくなったことに、庭の手入れがあります。

「俺、好きなんかなぁ~。」といいながら、松の木に登って剪定していたりしたのが、

まったく庭に手を触れなくなっていった。

枯葉を熊手で集めるのもうまく、いつも感心していた。

パッチに箒をもつヒロクニさんは、異様に似合っていて、私は見たら面白くって笑っていた。

それも見られなくなった。

庭の手入れは私の役目になったようで、私がやっています。

ヒロクニさんは、絵を描く体力を温存しておきたいのだと思う。

やはり、以前より疲れるのだろうね。

ちょっと、人生の秋の訪れかもしれないと思う今日この頃です。

↑つるニチニチ草で、緑に覆われていたのを引っこ抜いたり、鎌で刈ったり。

万両の木が自生しているのを見つけました。

この木は、縁起がいいし、赤い実のつけ方が可愛いので残しています。

シュロの木の種が落ちていて、次々木になりそうなのは困るので、

小さければ引っこ抜き、木になっていたら切り倒し、切り株に石油を塗って成長をとめておきます。

庭の中央にも向かって広がりかけていたので、食い止めておく。

45ℓのゴミ袋に6個と積み上げた草も山ほどある。

 

玄関のところの「タマスダレ」が咲きはじめ、秋がきているのだなぁ~と思いは深くなります。

10月になると里芋の収穫です。

 

 

 

 

 

 

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食卓(色鉛筆作品紹介566)と ワクワクと恐怖

2020-09-15 12:11:47 | Weblog

この絵は、しあわせ食堂の本が出版される時に、カットを描いて欲しいと言われたときに描いて、

使用しなかった絵の一枚です。

カットを50枚急に描くことになったヒロクニさんは、「また、食べ物の絵を描くのかぇ。」と、

落胆していた。

テレビ等で、料理を食べて「うまい。うまい。」と、人が食べているのを見ながら、

「喰いもんのことばかり考えて、嫌だねぇ。他にすることないのかよ。」と言いながら、

憤慨して、ブッチとテレビのスイッチを消す。

これが、ヒロクニさんなのです。

現代美術をしていた頃は、仲間と打ち合わせする時に、グラタンを食べている人が1人いて、

「腹を一杯にしてから、話をするだと?俺らは、腹を空かしながらでも芸術をするのと違うのか?」と、

この出来事を、今でも私に話ながら、怒るのです。

あいつは、そこが好かん!と、目をキッとさせて言う。

その形相が真剣で、怖かった。

そんなヒロクニさんに、「しあわせ食堂」と言う、毎日新聞夕刊からの挿絵の依頼がきたのです。

頼まれた編集員の方も、私も怖いなぁ~と頭の片隅に思いながらの出発でした。

いつもテーマが来るたびに、

ヒロクニさんはガビーンと不意打ちをくらったような様子で、挑んでいた。

「あまりにも怖い絵」が出来上がりつつあると、その絵を写真にとって、

担当の方に報告して、ヒロクニさんをうまく誘導してもらったものだ。

流れが出来るまで、二人三脚だった。

心臓がバクバクして、電話する受話器を強く握り締めていた。

「ちょっと、なんか言ってやって下さい」。と、私も必死。

依頼して下さった編集員の方も、冷汗がタラーと流れたようなことを後から語ってくれた。

絵が編集室に封書で届く度に、ワクワクと共に恐怖が届いていたみたい。

最強の「怖い絵」は、二人三脚によって、人目に見られることなく、無事時間が流れさった。

話がそれましたが、このカットの絵は、集中して一気に多量に描き、

後から、カットに当てはめていくという形で決めていった。

80枚ぐらい描いていたような・・・・。

この絵はいいなァと思ってはいたが、テーマに合わなくって使われなかった絵なんです。

黒の色鉛筆とボールペンを使用。

ママゴトのような食卓です。

 

春に咲いていたビオラの種を撒きました。

6種類。食べれるスミレ、濃い紫、白にふちが紫、白、先祖帰りしたビオラの黄色と黄と赤茶色のもの。

白色のだけ、発芽が遅くい。

ポットに植え替える時に、どれが何色だったか?分からなくなる時があり、

今年はしっかり色がわかるようにポットに印しを付けるつもり。

秋は、急にやってきて、季節が巡りを感じます。

庭は、チューリップの球根を選んだり、春の準備に入っています。

 

ゲージに入っているピピ。

ゲージの扉を自分でクィッと開け、自分でゲージに入る様子は、いつみても可笑しい。

ゲージに入る時は、いたずらモードというか、かまってモードなので、

顔がドラ猫モード。

ヒロクニさんは、ピピがゲージに入っているのを見つけると、

ゲージを指でガラガラと鳴らし、ジャラジャラと賑やか。

そんな良人の姿の方がおかしいと思う妻なんです。

 

 

 

 

 

 

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草(色鉛筆作品565) と 我家の食卓(いわしの生醤油揚げ)

2020-09-08 13:12:29 | Weblog

この絵は、色鉛筆の黒で描かれています。

この絵は、どうやら一発勝負。

色鉛筆は消しゴムでは、消えません。(ヒロクニさんの塗り方で)

普段メモやら、描き散らした量がものをいうのかもしれません。

時々、ヒロクニさんは「数、量が大事」と言います。

これは、禅寺の和尚から学んだと。

私は、意味を理解していないので、どういう経緯でそんな考えがあるのだろう???と、

聞けばいいのかもしれないが、私は晩御飯のメニューの方に考えをとられています。

暑さが続いく中、だんだん何を作ればいいか、浮かばない日が続いています。

 

ヒロクニさんは、「草達」。というタイトルの付いた作品があるくらい草が好きなんです。

以前「草ぼうぼうの街に住みたい」。というキャッチフレーズを思いついて、

それに派生する作品を製作していたこともある。

明石にいた頃は、明石公園で草の生い茂る所で休憩し、

「この草の匂いとか、吹く風を俺は愛する」。と私に語り、

地面に寝っころがるヒロクニさんがいた。

あと、「ラジオと草」というテーマもある。

それは、随分前の話で、ここ何年かの方が、風を感じる作品や、

植物かも?もしくは植物的な形が顕著になっています。

ヒロクニさんの絵のテーマは、街が多いですが、ちょこっと登場する花や、

草や風に思いを寄せる感覚も織り交ぜてあるので、そこをちょこっと発見するのも楽しみの1つかもしれません。

鉛筆の黒と違い、色鉛筆の黒で描くと、コントラストが強調されて、

版画のような効果が出ているところが、とても不思議。

 

↓少し、バテて「いわしを何とかせねば!」と思って作った夕食です。

いわしの生醤油揚げ

ゴウヤの天ぷら

豆腐とわかめの味噌汁

自家製 だいこんの糠漬け

だいこんおろし

枝豆

とても質素な晩御飯になりました。

しかし、いわしの生醤油揚げは、しっかり醤油辛い味が付いているので、

ご飯との相性がよく、ご飯はよく進みます。

だいこんが少なくなっていたので、それが少し寂しい。

だいこんおろしをたっぷり添える料理だったので。

レシピの添えておきます。

■いわしの生醤油揚げ

1、いわしは、開いておきます。

2、みりんカップ1/4 醤油1/4 酒大さじ2をボールに入れ、

  ここにいわしの開いたのを30分~40分漬け込みます。

3、漬け込んだいわしをキッチンペーパーで余分な水分をとり、

  その両面に軽く茶漉しで小麦粉をまぶします。

  それがこちら↓ 水分を取ったところ

  

 

4、まぶしたものを中火でさっと揚げます。

  みりんで漬けているので、焦げ目がすぐ付いてきます。

5、いわしをつけた醤油を鍋に取り、さっと煮詰める。

6、いわしを皿に盛り、煮た醤油をかけ、たっぷりの大根おろしをのせる。

こんな感じ↓

「今日の夕食は、粗食って感じねぇ~」。

「今日は、武士の食事って感じがするよねぇ~」。と言いながら、食事をお進めしました。

おかずとしては、とてもいいものです。

 

↑台風が去った後の朝顔。

9月に入ってからの方が、花がよく咲きます。

 

↑とても涼しげ。

 台風の後、秋の気配が色濃く感じます。

 夏の終わりは、やはり寂しい感じがします。

 秋が深まると、ヒロクニさんの「寂しい病」が、始まりそう・・・・。

 

 

  

 

 

 

 

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