武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

個展の案内 武内ヒロクニ 都市欲望曼荼羅 (神戸)

2016-05-27 16:55:42 | Weblog



アジアホテルという色鉛筆作品↑
非常に細かく、大きな作品なので画像を大きくしました。
じっと見ていると、ちょっとやみつきになります。

急なお知らせになりましたが、神戸のハンター坂にある‘ギャラリー島田’にて個展があります。
26日は新作4点をヒロクニさんと搬入しました。


期日 2016年5月28日(土)~6月2日(木)
open 12:00~19:00 *火曜日は18:00、最終日は16:00

住所 〒650-0003 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲート1F
tel&fax 078-262-8058
ギャラリー島田 HP http://www.gallery-shimada.com

29日(日) ヒロクニさんライブペインティングをします。
ご案内では、78才の渾身ライブペインティング 「欲望」。と案内されています。
随時、急に繰り広げると思われますので、お楽しみに!!


「危険なほど性(エロス)の氾濫を都市の腑瞰図として描く。街の個々の景観は
ほとんど記号のように切り詰められ、簡略化され、代わってそこで重厚に飛躍するのは、
性(エロス)ないしは欲望の怒涛のような洪水です。
武内ヒロクニという作家は、間断ない想像と破滅のせめぎあいのまっただなかで
いつも危うい闘いを選び続けているのです。」

山本忠勝著「坂の上の作家達」より


山本忠勝氏は、神戸新聞の論客であり、ギャラリー島田の前身、海文堂ギャラリーからの付き合いである。
武内の絵にも、随分と美術評論家として評論して頂いた。
その評論集からの言葉が上記である。
近年、『「坂の上の作家達」ギャラリー島田という絶壁 山本忠勝美術評論集』という本が出版された。
ギャラリー島田の出版物である。
この本では、作家だけでなく、ギャラリーを愛しておられる島田誠氏の物語でもある。
読みながら、過ぎ去った時間を再体験しているような気持ちで本を読んだ。

重厚な旧作が展示される予定です。
美術館を訪れるような気分でお越しくださいませ。


こちらの本↑
この本をガイドブックとして、武内ヒロクニ展を見ていただければ嬉しく思います。






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船と骸骨(色鉛筆作品紹介421)

2016-05-23 15:52:08 | Weblog



骸骨と船。そして夜の海。
ヒロクニさんは、時々骸骨の絵を描きます。

この骸骨の絵は、シックな感じで、いつもの元気な骸骨とは随分違う。
三途の川を横断しているような・・・・。
ヒロクニさんは、現在78歳。
「俺がもうすぐ80とは・・、信じられない」と言う。
私も負けず、「9月で54歳とは・・・、結婚したときは27歳だったのに・・」
「8月が来たら、結婚して27年にもなるわよ!あなた!」と、
魔法使いサリーちゃんのお友達の「よしこちゃん」の声でいう。

それは、ともかく、「死について考える」時が、時々真剣にある瞬間が増えた。
あの世というのは、全くわからないから、それは死んだ時のお楽しみとして考えるとして、
この世でどのように生きるか?これにつきると思うのです。

わたくしも子宮癌が見つかって、全摘手術を宣告された時、あわてて思ったのが
「まだ、死にたくない」だった。なんやかんやと不満も言いつつ、生きていたいと思っている私がいました。

私が感心した話が一つ。
ある九州の男性の話で、自分はもう役割を終え心に残すことはないと、少しずつ食を減らし、
覚悟して自分から死を迎え入れた方がいる話を聞いた。
そして、そういう方は、十分に自身の役割を生ききり、また末期癌や老齢で晩節を汚す恐れを感じる人であり、
人生に対するけじめとして、そのようにして死を選んだのである。
真摯に人生を全うしてきたからこそ選べる選択である。と言う話です。
(自殺はダメです)

「単に、死にたくない」しか思えなかった私はなんなのでしょうか?
「俺を殺さないでくれ!」と病院で叫んだ良人はなんなのでしょうか?

随分と高尚な死を迎え入れたお話の方と較べたら凄い差・・・・。


ヒロクニさんの絵の骸骨は、暗い夜の海をゆっくり進む船に乗っている。
しかし、この骸骨は恐怖におびえているわけでもなく、陽気でもないが、とても静かで落ち着いている。
絵の表面は、ひび割れ古びた感じに仕上げられている。
紙をそういう風合いになめしているのです。不思議な技法を思いつくなぁと感心しています。
独特の色鉛筆画をお楽しみ下さいませ。






庭に秋に植えつけたアリウムが咲いています。
この花一度植えてみたかったのです。
21日は、楽しい来客があり、庭にシーツで日陰をつくり、庭に出てピクニックムード。
ヒロクニさんともリラックスムードで楽しみました。
楽しい時間は早く過ぎるようで、あっという間に過ぎていきました。


コメント (6)
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浮上する地下鉄 (色鉛筆作品紹介420)

2016-05-08 15:48:59 | Weblog



「浮上する地下鉄」とタイトルが付けられています。
顔のように見える部分が、地下鉄を象徴していると思われます。
地下鉄が、地上に現れる瞬間なのではないでしょうか?

このしわのようになっているのは、ヒロクニさんが紙をしごいて、
この風合いを出しています。
写真では、光ってしまい紙がボコボコしたような感じがしますが、もう少し落ち着いている。

この作品は、随分前に描きかけていたものに加筆し、最近出来上がったもの。

この不気味な地下鉄は、何か私を不安にさせる。
私は、シュールレアリストの画家、イブ・タンギーの絵を見ても不安になるのであるが、
ヒロクニさんのこの作品にの不安を感じる。↓イブ・タンギーの絵

イブ・タンギーの絵には、非常なる孤独が感じられて、それが怖いのである。
ヒロクニさんの絵は陽気ではあるが、その中に破壊性が感じられて不安に、私には映る。
今回の絵では、そんなことを考えました。
 
たぶん、全然違う感じかたもあると思います。
まあ、なにかインパクトがある絵の一つだから、そんな感想をもつのかもしれません。

話は変わりますが、私は最近「腰痛」なるものにかかり、左側がとても痛い。
しばらくは、様子を見ていたがだんだん痛くなる。
私は、「いつもヒロクニさんのマッサージをしています」。
ヒロクニさんは、気が利かない人で、「ああ、そう・・」という感じで、
いつものように「冷蔵庫からあれとれ」とか、
「これ持ってきて」と手足のように私を使う。その度に腰が痛む。

思わず「私の腰も揉んで下さい」「ちょっと人の手でしてもらったら早く直るから」と言った。
そんな事は考えても見なかった・・・。という顔でこちらを見る。
でも、今回「分かった。時間を作るから」というお返事が・・・。

「私の腰も、揉まんか!!!」とか「人の痛みがわからんのか!!」と言わず、
「して下さい」と言ったのが良かったのかも。
交代で、マッサージのし合いをしています。
私の腰痛も、早く直りそう。
それに、私の心もちょっとした甘えが満たされたようで、人心地がついて「ちょっと幸せな気分」です。

夫婦は、協力し合うといういい関係です。




ジャーマンアイリスが咲いています。
この花が咲くと、花にブイブイ(虫)が寄ってくる。
ブイブイは、花をすぐダメにしてしまうので、ブイブイチェックをしています。




家庭菜園をされている方から、高菜を頂きました。
庭で一度干してから、塩、昆布、鷹の爪をまぶし、かなり重いミシンで重しをして「高菜漬け」を作りました。
初めて作る「高菜の漬物」。
けっこう美味しく、フレッシュな感じがとても良かった。
漬物などを作っているときって、「生きている」という実感があって好きであります。

コメント (4)
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2人の読書「バルテュス、自身を語る」と(色鉛筆作品419)

2016-05-02 14:34:54 | Weblog



この絵は、紙の切れ端に描かれたもの。
帽子をかぶった人なのか?キツツキの鳥のような人なのか?
メモのような作品。

ヒロクニさんは帽子好きである。



バルテュス、自身を語る
バルテュス,アラン・ヴィルコンドレ
河出書房新社


図書館で借りた本。
最近、ヒロクニさんに自伝を書け、書けと進めています。
そんなこともあって、図書館で目に付いた本。

ヒロクニさんと出合った当初、バルテュスの絵を画集で眺めていた時間を思いだす。
ヒロクニさんは、色鉛筆画家なので、バルテュスの兄であるピエール・ド・クロソフスキーの画集も持っていた。
特に印象に残っているのが、こちらの絵↓


この絵を2人で随分長い時間をかけて見ていた。
この絵の中に何人かの人を見つけることができる。ヒロクニさんはそれを数えていた。
すぐに7人は分かる。
それ以外に人が見つかると言い、山の岩肌の人のように見える箇所まで見つけ出して
「ここにもいるんじゃない?」「これもそうじゃないかな?」と言い出して、お互い笑った。
バルテュスの絵は、なにか特殊な雰囲気があり、それが唯々そうさせる。
その雰囲気の匂いを嗅ぐように絵をながめるのです。

「バルテュス、自身を語る」の中で上記の絵に登場する友人の名前なども書かれており、
ふむふむと思い、この絵を眺めていた「時間」というものを思いだしていた。

その他には、モチーフに「鏡」を使う理由とか、当時のジュールレアリスト運動にある程度距離を置いた理由、
当時のバルテュスの美術家に対する思い、立ち居地を明確にしている。
また、バルテュスは、独学タイプで、絵の模写をするというスタイルで絵画を学んだようである。
友人はジャコメッティとボナール。親密に行き来があり2人の画家を尊敬している。

一番印象に残ったのは、バルテュスは光を非常に重要視し、その光と画布のうつろいの中で
祈りにも似た態度で制作に挑んでいたこと。
敬虔なカトリック教徒であり、非常に謙虚な態度を崩さず、非常に静かな環境で素朴な生活を好んでいたこと。
修道士のような生活に驚きました。
ヒロクニさんと「禅僧のような感じもするね。」と話していた。
貴族的(実際に貴族なんですが・・)な、ストイックな面があり、自分に厳しく威厳がある空間を好み、
そういう要素が、気品というものに結びついている。
極東の東洋文化と西洋文化が、バルテュスの作品に同居する理由なども面白い。
エロティックな画家として紹介されることが多いバルテュスですが、自身としては嬉しくないそうです。

エロティックな少女が描かれている絵にも、風景画にも、そのモアモアとした光に照らされていて、
モチーフは違うが、どちらの作品にもエロスを感じることがある。
「きっと、バルテュスにとってはどちらの作品も等価なのだなぁ~」と思ったことがあります。
この本を読んでいて、たくさん思いめぐらすことがあり、芸術って面白いとさらに思いました。

ヒロクニさんは、熊谷守一氏の到達した心境と、バルテュスの共通点を見出していたようです。
どちらも90代まで絵を描いた画家という共通点があります。




チューリップです。
毎朝、花がら摘みをします。ガーデニング3年目。
花を育てているうちに、光なんだなぁ~と思う。
花にあたる光の具合で、この瞬間が綺麗だなぁ~感激する。
そして、そのうつろう光の中で花は輝く。
瞬間の美しさは、永遠には続かない。
そんなことも考えていたので、バルテュスがアトリエの光を待ったり、追い求める姿がに少し理解が出来る。
そして、「光」とともに「祈り」、「敬虔な神への信仰」の中で、描かれる絵はストイックな美と気品がある。
たんなる、エロスの画家という評価は、あまり嬉しくないと繰り返し語られています。

夕食中、あれやこれやと話がはずみました。
たまには、同じ本を2人で読むのもいいものです。




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