武産通信

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『土芥寇讎記』にみる水戸光圀

2011年08月06日 | Weblog
★隠密調書『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』にみる水戸藩・水戸光圀(みと みつくに)行状記。元禄三年(1690)頃。

 光圀卿文武両道ヲ専ラニ学ビ、才知発明ニシテ其ノ身ヲ正シ、道ヲ以政道ヲ行ヒ、仁勇セ專家民ニ施シ、哀憐セラル、事比類ナシ。或世間ニ誉有ル人ヲ集テ、自ラ其ノ諸芸ヲ試ミ、猶家士ヲ励マサルト聞フ。其ノ御身ハ文学而巳ニ非ズ、神道ヲ学ビ、且ツ仏道ヲ修行シ、智者学ク匠ヲ有テ招請ハ、儒仏乃論シ或ハ仏氏乃奥義ヲ尋明メテ難文シ、或ハ自カラ文ヲ書キ、詩ヲ作リテ、出家之智学之程ヲ被ル探知ラ。是御身博学多才成ル故ナルベシ。爰ニ一ツ難アリ。世ニ流布スル処ハ、女色ニ耽リ給ヒ、潜ニ悪所へ通ヒ、且ツ又常ニ酒宴遊興甚シト云ヘリ。然レドモ当時世上之口無き善悪ケレバ、其ノ虚実ヲ不知ラ。

 光圀卿は文武両道をよく学び、才知発明の頭のよい男である。身を正して、道にのっとった政治をやっている。仁と勇とでもって、家来と領民に接し、彼らを憐れむ点では比類がない。また、学問芸能で、世に名高い人物を集めてきて、自分でもそれをやっている。家来にも、やらせるという。学問だけではない。神道を学び、仏道の修行を行い、知恵者や学者を招いて、儒教や仏教の議論をしている。仏教の難しい奥義を明らかにして、難しい文章を書くこともある。あるいは、自分で文章を書き、漢詩を作って、出家僧侶の学識を意地悪く試してみたりしている。きっと、ご自身が博学多才だから、こんなことをするのだろう。ただ、ここに一つ難がある。世に流布するところによれば、女色に耽(ふけ)りたまい、ひそかに悪所(遊郭)に通い、かつ、また、常に酒宴遊興、甚だしといわれている。しかしながら、当時、世上の人は口さがないので、その虚実はわからない。


「謳歌評説」
 色ノ淫ジテ国家ヲ滅ス人古今其ノ類多キ故ニ深ク禁ム之。然レ共光圀卿之事女色籠愛之事ニ付為シ害ヲタル沙汰ナシ。色不ル好ハ聖賢之外希ナルベシ。女色ヲ好ミ給フトモ国家之仕置ニ無クバ害苦シカルマジキ歟。

 女と淫行(いんこう)にはしり、国家を滅ぼす人は、古今その例が多い。だから、深く戒められるのである。しかし、光圀卿が女色を好むからといって、国政に害をなしたという話は聞かない。色を好まないのは、聖人賢人のほかは稀(まれ)だろう。女色を好まれるとしても、国家の政治に害がなければ、構わないのではなかろうか。


 学者ハ学ヲ隠シ、智ヲ隠シ、徳ヲ隠セドモ、隠タルヨリ顕ル、ハナキ道理ナル故ニ、自然ト人知ル之。是「徳不弧ナラ必ズ有ル隣」故也。又疎学ノ出家或ハ儒者等ハ議論ニ負、或ハ御尋之難文ヲ不知ラシテ、赤面迷惑ス。如キ斯ノ耻辱ヲ与ヘテ快シトシ給フ事ハ、学者之セザル所也。既ニ顔淵ハ「人ニ労ヲ施ス事ナカレ」トコソ云ヒシトニヤ。此ノ義ハ不可トスベキ歟。

 まことの学者は、学問をかくし、知恵をかくすものだが、自然に学識があらわれて、人にしられるものである。だから、「徳は弧ならず、必ず隣あり」というのだ。光圀卿のせいで学におろそかな僧侶や学者は、議論に負け、あるいは尋ねられた難しい文章を知らなかったりして、赤面し、迷惑している。こういう恥辱を与えておいて、悦にいっているのは学者のやらないことだ。孔子の弟子の中でも一番秀才だった顔淵(がんえん)も「人に迷惑をかけるな」といったという。光圀卿の学者いじめはよくないことだ。 (史料:東京大学史料編纂所所蔵)


 国民的テレビ番組「水戸黄門」が今年いっぱいで終わるという。1200余回、42年で五代の黄門様を生んだ。
 初代 東野英治郎、二代 西村晃、三代 佐野浅夫、四代 石坂浩二、五代 里見浩太朗
 ♪人生楽ありゃ苦もあるさ・・・の主題歌で始まり、「この紋所が目に入らぬか」の揺るぎない勧善懲悪が、最高視聴率40%の番組を支えた。
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