梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

天下御免の…

2005年11月02日 | 芝居
二日目となる本日の舞台、やや落ち着いてきた感です。『鞍馬山誉鷹』の立ち回りでも、昨日は随分と汗をかいてしまいましたが、今日は冷静に、あわてずにすみましたが、全員のイキは…? となると、これはまだまだというところで、ご覧になった方には申し訳なく思っております。

さて、本日の写真をご覧下さいませ。こちらは『櫓』とよばれるものでございます。
江戸時代、歌舞伎の興行は、幕府からの公認を受けた、市村、森田、中村の「三座」に限定されておりました。これ以外の劇場は、いわゆる小芝居といわれ、正規の劇場とはみなされてはおりませんで、「三座」の格式、権威は相当のものがあったといわれております。
そして、この幕府公認の劇場としてのシルシが『櫓』だったわけで、三座はそれぞれの劇場入り口の上にこの『櫓』を掲げ、官許の劇場であることを広くアピールしていたのです。
この『櫓』、寸法は九尺四方木枠を幕で囲んであるのですが、正面には劇場の紋、左右には「木挽町 きゃうげんづくし(狂言尽くし) 歌舞伎座」と染め抜かれております。そして左右の角には「梵天(ぼんてん)」という房のついた棒を立て、間には五本の槍を寝かして並べます。これは信仰としての意味あいが強く、この『櫓』に神を降臨させ、興行の成功、安泰を祈念する心がこめられているそうです。

歌舞伎座では、今月のような十一月の<吉例顔見世大歌舞伎>の興行時に、この『櫓』を掲げるのですが、これはそもそも、江戸時代の芝居の世界の年度始めが十一月で、芝居町は世間の正月と同じようにお祝いの行事をし、「三座」はそれぞれ本年度の座組を紹介する、つまりメンバーの「顔」を「見せ」る公演(これが顔見世の由来です)をしたことにちなんでおりまして、当時と風習ががらりと変わった現代でも、歌舞伎座では毎年の十一月の興行を大切に取り扱っており、古式ゆかしい『櫓』を掲げることでその面影を伝え、常にもまして、大看板、花形役者を揃えての公演をおこない、賑々しい雰囲気を出しているというわけです。また、歌舞伎座での『櫓』は、十一月以外にも、特別な興行、記念興行を行う際には掲げることもあります。

この『櫓』、京都南座でも、十二月の<吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎>でも見ることができます。とくに京都の<顔見世>では、『櫓』の他に、出演する幹部から名題俳優までの名前を書いた『招き』も掲げられ、よりいっそうの賑やかさです。
また名古屋御園座の十月の<顔見世大歌舞伎>では、『櫓』は上がりませんが『招き』は飾られます。

<顔見世興行>では、演目数もいつもより多くなることがしばしばで、今月などは昼が五演目、夜が四演目で、終演が九時をまわるのは無理もありませんが、お客様には、どっぷり芝居の世界に浸かって頂いて、心ゆくまで楽しんで頂けたら、と思います。