梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

七年前の十一月

2005年11月16日 | 芝居
私にとりまして、十一月は思い出深い月です。といいますのは、今から七年前、平成十年の十一月から、師匠梅玉のもとでの修行が始まったからなのでございます。
大阪松竹座での<十一月大歌舞伎>。この興行の昼の部で上演された『花桐いろは』が、<三代目中村梅玉五十年祭追善狂言>と銘打たれておりました。
地方公演での<初仕事>。前月が名古屋の御園座でしたので、ホテル暮らしには慣れたものの、師匠の仕事をしながら自分の役も勤めるということは全くの初体験。しかもこの月は、昼の部では師匠が『花桐いろは』の主演で、タイトルロールの歌舞伎役者役を演じ、劇中劇の『お夏笠物狂い』の娘姿から普通の男姿、そして数十年後の老人の姿へと早ごしらえの連続、そして続く播磨屋(吉右衛門)さんの『一本刀土俵入』では辰三郎、夜の部では『保名』を踊られ、切の『松竹梅湯島掛額』では寺小姓吉三郎という計四役。お出にならないのは夜の序幕の『一條大蔵卿』と『女伊達』だけでした。そして私は『花桐いろは』で芝居見物の町人と旅の巡礼客の二役に『一本刀土俵入』の町人、『一條大蔵卿』の腰元、『松竹梅湯島掛額』の捕手と計五役。師匠の用事と自分の出番で楽屋と舞台を往復しっぱなし。もちろん、私だけが忙しいのではなく、兄弟子方もみなさん四役五役を勤めていらっしゃり、みんなで忙しく働いていた記憶がございます。
新参者ですから、衣裳を着せたり後見をしたりということはございませんでしたが、楽屋作りから始まって、師匠のお迎え、お見送り、<おか持ち>を持って師匠について回ったり。初めて立ち会う<こしらえ場>の緊張感にドキドキしたり、なにもかもが初体験でしたから、慌てたりまごついたりときに失敗してしまったり、周りの方々にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、皆さんが親切に一から教えてくださいましたし、師匠もいろいろと話しかけて下さり、そんなおかげでなんとかくじけずに働くことができました。
ところが、やはり気がつかないところで疲れが溜まっていたのでしょう。後半でひどい風邪をひいてしまい、忙しい仕事がさらにしんどくなってしまったり、水が合わなかったのか、女形の化粧で肌がひどく荒れてしまったり。大変なこともありました。一日が終わっても、今のように夜の街に繰り出す力もなく、コンビニ弁当ばっかりでした。
ともあれひと月なんとか無事に終わったときは、安堵感と、東京に帰れる嬉しさでいっぱいでしたが、翌十二月の歌舞伎座でも、今度はインフルエンザにかかってしまったのですから、今思えば、あのころは相当<無理に>頑張っていたのかな、と思います。
…それから七年! 早いものです。歌舞伎役者として生きてきて、本当にいろんなこと、いろんな出会いがありました。それらを糧に、少しずつでも成長していければと常々思っておりますが、まだまだ未熟ですね…。