梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

歌舞伎座のお祭り

2005年11月15日 | 芝居
本日十五日、歌舞伎座恒例の『機関祭(きかんさい)』が賑やかに執り行われました。
この『機関祭』とは、歌舞伎座内の電気、ガス、水道、ボイラー等を一括管理する「機関室」で働いていらっしゃる方々が、毎年十一月のよき日に、業務の安全、無事を祈って火の神様をお祭りするものですが、日頃機関室のお世話になっている大道具さん照明さん、客席係さんや監事室の方々といった劇場関係者も多数参加し、大変賑わいます。私たちのような役者や、付き人さんたちも、加わることができ、もちろん私も、二度目の参加をさせて頂きました。
奈落の一角にある「機関室」、いつもは巨大なボイラーやメーター、入り組んだ配管ばかりが目につく空間が、立派な祭壇、宴席が設置されておもむきが変わります。参加者は祭壇に参拝してから、用意された食事やお酒を頂戴しながら、思い思いの時間を過します。決して広くはない室内に大勢の人、人、人。普段はなかなかご一緒できない方たちと、楽しいお話ができるのがうれしいです。私はひと足お先に失礼しましたが、みなさんまだまだ盛り上がっていることでしょう。
…つね日頃から私たちの舞台を支えて下さっている機関室の方々へ、感謝の気持ちも込めて、本日のお祭りを、この場を借りてご紹介させて頂きました。

改めましてこんにちは

2005年11月14日 | 芝居
gooブログに正式に移転しまして、最初の文章になります。
以前からmelma!blogの『梅之芝居日記』をご覧頂いている方には、いまさらかもしれませんが、これを機会にはじめてご覧になる方もいらっしゃいましょう。簡単に、御挨拶させて頂きます。
『梅之芝居日記』は、歌舞伎俳優中村梅之(なかむらうめゆき・四代目中村梅玉門下)が運営するサイトです。お芝居のことを中心に、たまに趣味のこと、食べ歩きなどもお伝えしております。
お芝居に関しましては、あくまで現場で働く立場の者としての視点を大切に、記事をかいております。皆様からの御質問にも、できうる限りお答えしてまいります。
また、画像も多数掲載いたしますが、肖像権や著作権、著作隣接権に觝触しないもののみを掲載していること、特定の個人の肖像が掲載されたさいは、全て本人の了解を得ていることをおことわりしておきます。
そして、この『梅之芝居日記』は、私の師匠、中村梅玉の了承を得て運営しているサイトでありますが、全ての文責は、私中村梅之にございます。御意見、お問い合わせの方は、
takasagoumeyuki@hotmail.co.jp
まで御連絡下さいませ。

それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。

中村梅之 拝

国芳の浮世絵

2005年11月12日 | 芝居
東京国立博物館で「北斎展」が開催されておりますね。十二月四日までだそうですが、私も、来週には足を運ぼうと思っております。
浮世絵の世界も、美人画、狂画、風景画、役者絵とジャンルも多彩なら、浮世絵師も綺羅星のごとく。なかで私は<歌川国芳>にぞっこん惚れ込んでおります。幕末に活躍した絵師ですが、豪快な筆致、大胆な構図の武者絵もよいですが、やはり彼の作品の中では、いわゆる<狂画>の面白さが抜群です。タコやらネコやらを擬人化したもの、芝居の名場面のパロディー。達磨は足が生えて歩き出し、将棋の駒が鎧を着てひと合戦。どの作品も、洒落、地口、皮肉、もどきを駆使した知的で面白いものばかりで、ある種の反骨精神を感じます。
一方で、風景画には西洋画の陰影法や遠近法もとりいれ、独自の世界観を醸し出しているのも見逃せませんが、諸作品に共通して感じられるのは<動の魅力>でしょうか。一瞬を切り取った構図の中に、躍動感溢れる人物、動物、浪や風が描かれ、生き生きとしたドラマが迫ってきます。
破天荒、奇抜、異色、そんなフレーズが浮んでくるのですけれど、その実大変に計算された構成がなされておりますのを見ますと、その的確さ、緻密さに驚いてしまいます。

個人的な好みで申し上げますと、金魚を擬人化して遊ばせる『金魚づくし』三作品や、忠臣蔵の討ち入りが、滑稽なドタバタになる『義士の誠忠芳戯(よしがたわむれ)』ニ作品が好きです。
この他ひと味もふた味も違う役者絵、奇々怪々の妖怪画も魅力的です。東京書籍の『国芳の狂画』(稲垣進一/悳俊彦編著)をおすすめして、今日のお話を終わりたいと思います。

トンボはデリケート

2005年11月11日 | 芝居
今日から三日間は、都合により夜に更新することができません。午前中に書き込みますが、短文になってしまうことをご了承下さい。

『鞍馬山誉鷹』の立ち回りも、だいぶまとまってきたように思います。私ごときが申し上げるのも生意気なことかもしれませんが、全体的に、やはり最初はさぐりさぐりやってしまうところが多々あったのですが、動きにしても間合いにしても、今はキッパリと、余裕が感じられるように思われます。余裕がでてきてこそ周りと合わせる意識も持てるわけですから、これからはさらにしっかりと、協調性のある立ち回りができたらと思います。

時間としては十分もない立ち回りなのですが、意外とトンボを返る箇所は多く、私はじめ三回、四回返っている人がほとんどです。トンボは覚えるまでも大変ですが、つねにいいコンディションで返るということも、より難しいことでございます。何かの拍子で、うまく返れなくなるということもありまして、こういうことを我々は『トンボが壊れる』と言い習わしております。
公演中に『壊れ』てしまうと大変です。腰とか背中から落っこちてしまい身体を痛めたり、ひどい時にはねん挫や骨折という事態にもつながりかねません。精神的なプレッシャー、恐怖感も当然おこるものですし、つくづく<心技体>を充実させて臨むことの大変さ、大切さを思い知らされます。

私も一度そういう時期がありました。その時は、トンボを返るパートだけ、他の人に代わってもらいました。そしてその後の三ヶ月間はあえてトンボの稽古をしないで頭をリセットし、それから改めて、研修時代のようなお稽古からはじめて、元通りになりました。それからは何事もなく今に至りますが、そのときの精神的な辛さはいまでも思い出します。

今日の写真は文章とは関係ないのですが、やはり昨年の京都、夜の清水寺の紅葉です。


秋の夜長は怪奇とともに

2005年11月09日 | 芝居
今日はお芝居からはなれたお話をさせて頂きます。
『読書の秋』を意識するまでもなく、日頃からいろいろ本を読んでおります私ですが、最近とても面白い本に出会いましたので、ちょっと御紹介させて頂きたいと思います。

創元推理文庫の『日本怪奇小説傑作集』全三巻。第二巻まで読みました。明治から現代までの怪奇小説を選りすぐったアンソロジーなのですが、今まで「怪奇小説」というジャンルに食指が動かなかった私が、思わず知らず貪るように読み進めてしまったほど、それぞれの物語に魅了されました。
今まで知らなかったのですが、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫といった、いわゆる<文豪>たちも、このジャンルに素晴らしい作品を残しているのですね。この人々をはじめとして、二巻までで計三十三名の作家たちの、それぞれの独自の文体で丹念に紡ぎ出された恐怖、戦慄、謎の数々。たんに読者を怖がらせるというだけでなく、人知を越えた<大いなるもの>への畏怖、あるいは人間だれしもが抱えうるであろう<精神の闇>の底しれぬ深さがひしと感じられ、短編ばかりを集めたものにもかかわらず、ずっしりとした読みごたえで、大満足でした。はじめて接する作家ばかりでしたが、なかで「これは!」と思いましたのは、
大佛次郎『銀簪』
夢野久作『難船小僧』
村山槐多『悪魔の舌』
山田風太郎『人間華』
でしょうか。第三巻はまだ刊行されていないと思いますが、今からとても楽しみです。

…もともと私、怖い話が好きなクセに、夜は明かりをつけっぱなしじゃないと寝られないくらいの恐がりなんです。ですので、思い返せば、なんでこんな本を買ったのだろうと思うのですが、<怪奇>そのものよりも、上質の<物語>を楽しむことができたので、精神衛生上、何の問題もございませんでした。

芝居の世界にも昔から伝わる<怪談>が多々ございます。それらこそ、私の安眠をさまたげる、むき出しの<恐怖>なのですが、いつか皆様に御紹介することもございましょう。

煙草入れあれこれ

2005年11月08日 | 芝居
先日「煙草盆」を御紹介しました以上、「煙草入れ」についても御説明しないわけにはまいりません。本日の写真は、やはり『大経師昔暦』で、師匠梅玉が使っております「煙草入れ」でございます。
「煙草入れ」は基本的に、写真下部の細長いモノ、キセルを入れる<煙管筒>と、写真上部の財布状のモノ、細かく刻んだ煙草の葉(単に「刻み」ということが多いです)を入れる<叺(かます)>から構成されますが、写真のように、<煙管筒>と<叺>を、共布で作ったものは「袂落とし」と呼んでおりまして、<煙管筒>を<叺>に挟んだ上で、懐に入れて携帯することになります。
これに対して、木製や象牙製の<煙管筒>に、紐で<叺>をつなげ、筒の部分を扇子と同じ要領で帯に差し込んで携帯するのが「筒差し」と呼ばれるもので、この場合<叺>は革製、布製など色々な場合がございます。
さらに、<煙管筒>と<叺>を、紐や鎖で<根付>につなげ、この<根付>を、帯の背中側やや右寄りに挟むのが「提げ煙草入れ」。
これらが基本的な「煙草入れ」の種類でございますが、役柄、演目、時代設定にあわせて、細工や大きさも変わりますし、様々なバリエーションがあることはいうまでもございません。

さて次は「煙管」についてですが、こちらも様々な種類があって御紹介しきれませんのでかいつまんで。
煙管は煙草を詰める<雁首>、管状になっている<羅宇(らお)>、口をつける<吸い口>から構成されます。<雁首><吸い口>は必ず金属製、<羅宇>は竹、木製になることが多いのですが、写真のように<雁首>から<吸い口>までをつなぎ目のない一本の金属でつくるものもありまして、これは<延べ煙管>とよんでいます。写真のものや、大きさは違えど『助六』の揚巻、『廓文章』の夕霧が使うのは<銀の延べ煙管>ですね。

写真をよく見るとおわかりになると思いますが、煙管の<雁首>に、すでに<刻み>が詰められております。これは、あらかじめ詰めておくことで、舞台でいざ煙草を吸う場面になって、演者は煙草を詰めるフリをするだけで済む。詰める作業に気をとられなくてよくなるというわけです。ただし、ニ服以上吸う場合は、ニ服目以降は自分で実際に詰めることになります。
<刻み>は、JTさんから出ている数少ない煙管用煙草「小粋」を使用しております。小さい紙袋に入っており、ある程度ほぐしてから<叺>に入れるのですが、放っておくと乾燥して粉々になってしまいます。そこで、ミカンの皮を小さくちぎったものを一緒にいれておくと、うまい具合に水分が伝わり、湿気らず、かつ扱いやすいまとまりとなるので便利です。
また、<煙管>は使っているうちにヤニが溜まってしまいます。そういう場合は熱湯を通して流し去ったり、紙縒りや針金を通して掻きだしたりすることで掃除をします。

…このヤニ掃除に、「味噌汁」が良いということが、昔から言い伝えられております。味噌の成分が効果的なのでしょうか。実際試したことはございませんが、『嫗山姥』の中で、煙草屋源七に、無理矢理煙草を何服も吸わされた敵役の太田十郎が、クラクラする頭をおさえながら、「コリャ味噌汁で行水をせねばならぬ」と嘆息するのは、そういうことを踏まえたセリフなのですね。

自由な昼下がり

2005年11月07日 | 芝居
今月は午後ニ時から五時過ぎまでが空き時間となりました。明日から五日間は藤間宗家での日本舞踊のお稽古が入りますが、とりあえず今日までは、いったん自宅に帰り、家事や雑事をこなしております(ブログの引っ越し作業もです)。
空き時間は身体を休めたり、気分転換したり、有意義に使いたいものですが、どれくらい時間がとれるかでできることは限られてしまいます。一時間くらいしかないのなら、いっそ楽屋でのんびりしていた方がいいくらいですし、今月のように三時間ほど空くのであれば、外出したり、家に帰ってゆっくりしたくなるものです。時には映画や芝居の一本でも余裕で見られる月もあったり、あるときなどはいったん帰宅して晩ご飯を食べてから出直したこともありました。
うっかりすると怖いのは、お昼寝をして寝過ごすこと! これは絶対にあってはならないことですが、家に帰ってベットに横になると、ついウトウト…。過ちを犯さぬよう、まずアラームをセットしてから、つかの間の休息をとることになります。

今晩は先輩と食事にゆきますので、夜は更新できないと思いますので、あしからずご了承下さいませ。
お詫びといってはなんですが、以前撮った写真をお目にかけます。去年の十二月、京都の紅葉です。

江戸のライター

2005年11月06日 | 芝居
写真をご覧下さいませ。こちらは『大経師昔暦』の第一場で使われている「煙草盆」でございます。
御承知の通り「煙草盆」は、煙草を吸うための火種、そして吸い殻入れがセットになっているもので、ひと昔前なら応接間のテーブルの上に鎮座ましましていたライター付きの灰皿、あのようなものでしょう。
さて小道具の「煙草盆」ですが、把手がついておりますので、持ち運びに便利になっております。そして向かって左側の器は「火入れ」と申しまして、藁灰を敷いてあり、ここに、盆の手前にございます黒い固まり「香炭」に火をつけたものを載せて、火種とします。
右側の筒状のものは「灰吹き」。短い竹筒で、根元には安定させるための木製の台がついています。キセルで煙草をすった後の吸い殻を、ここにはたいて捨てるわけです。火が消えきらないうちに捨てられてしまうので、筒そのものが燃えてしまわないように水を少し入れておきます。
…この「灰吹き」ですが、「吐月峰(とげっぽう/とげつほう)」と呼ぶこともありますし、「吐月峰」と書いて「はいふき」と読ませることもございます。これにはいわれがございまして、吐月峰は、静岡県は丸子にある山の名前でして、永正元(1594)年、丸子の地に連歌師の宗長が寺を開いたさい、東側にある天柱山から昇る月の美しさに、まるで山が月を吐き出しているようだということから「吐月峰」と名付け、寺の山号にしたのですが、この宗長が、京都から移植した竹を自ら加工してつくった細工物、なかでも「灰吹き」がことのほか珍重されたことから、「灰吹き」全般を「吐月峰」と呼ぶようになったといわれております。
まあゴタクを並べるのはこれくらいにしましても、「煙草盆」の形にもいろいろありまして、写真のものよりも底が深い「釣瓶煙草盆」や、木の根っこをそのまま活かした形の「根っこ煙草盆」廓の場面で見られる豪華な彫刻付き、あるいは蒔絵の「傾城煙草盆」などなど。場面や使う役の役柄に合わせて、使い分けられております。写真のものはごく一般的な形状ですので、ただの「煙草盆」と呼ばれ。町家、店先などに置かれることがほとんどです。

…いつのことでしたか、本番中舞台袖で芝居をみていましたら、舞台にある煙草盆から煙りがモクモク上がっている。「!」と思い、黒衣を着ていましたからいそいで舞台裏から出ていって、こっそり煙草盆を取り去って見てみると、「灰吹き」に入れておくべきの水が入っていなかったので、吸い殻の火が移って竹筒自体が燻っていたのでした。あやうく燃えてしまうところ! 事前のチェックの大切さを痛感しました。

楽屋の雰囲気

2005年11月05日 | 芝居
歌舞伎の公演は、毎月毎月座組が変わるのが常。幹部俳優さんの顔ぶれが変われば、それにともなって、「名題下部屋」のメンバーも変わります。
いつも一緒の人もいれば、半年ぶり、一年ぶりに同じ劇場になる人もいたりと様々ですが、一日の大半を過ごす部屋の雰囲気は、先輩、後輩とりまぜて、どんな人が一緒になるかで、ガラリと変わってくるものなんです。
お話好きな先輩方が揃いますと、楽屋の奥にある卓袱台を囲んで、とりどりの世間話、馬鹿話。楽屋で辛気くさい話などできるものかとばかりに、冗談、珍談のオンパレード。遠くの席にいる私達まで、思わず引き込まれる話の数々に、笑い声ばかりが響くことになります(もちろん若手は若手で、楽しい話の抽き出しは、沢山持っておりますよ)。
たとえそういうお話好きな方が集まらなくても、決して楽屋が暗く沈んでしまうということはございませんが、本当に、座組によってこうも楽屋の賑わいは変わるものかと思うことがございます。

さて今月の「名題下部屋」ですが、最高のテンション、とまではいかないかもしれませんが、関西出身の後輩が何人かおりまして、この人たちがとても楽しいムードを作ってくれております。関西人が二人揃えば漫才になる、なんてコトを申しますが、なるほどむべなるかなと思うくらい、当意即妙、丁々発止のボケとツッコミには、感心してしまいます。

楽屋は決して遊び場ではございません。しかし、人間関係、といっては大袈裟かもしれませんが、先輩後輩の垣根を越えて、お互いをよく知るためのコミュニケーションの場としては、楽しい会話、交流が必要ではないでしょうか。

猫がニャーオと

2005年11月04日 | 芝居
今月の『大経師昔暦』の第一場で、猫の鳴き声が聞こえてくる場面が二ケ所あります。
まずは、助平な番頭、助右衛門が、下女のお玉にちょっかいをだしているところへ、邪魔するように。
続いては、そのお玉と、大経師家の家内であるおさんが、男選びの難しさを話している最中に。
最初の鳴き声はおさんが飼っている雌の三毛猫の鳴き声、次のはこの雌猫に引き寄せられた近所の野良猫の声。それぞれ鳴き方が変わりますが、この鳴き声も、私達弟子の立場の者の仕事でございます。
以前にも申しあげたかもしれませんが、ひろく<効果音>は弟子の仕事とされておりますが、なかでも<鳴き声>は様々な種類がございまして、ニワトリ、ウグイス、カラス、スズメのさえずり、秋の虫、面白いところでは赤ん坊の泣き声もございます。これらはみな、<笛>を使って音を出すものでございまして、<ニワトリ笛><ウグイス笛><虫笛><赤子笛>というように、それぞれ専用の笛が考案されております。ただスズメのさえずりは、<虫笛>の先っぽを、湯飲みに入れた水に浸けて吹くことで出しております。水の泡立つブクブクという音が、ちょうどうまい具合にチュンチュンと変化するのですね。
さて本題の<猫の鳴き声>ですが、これは笛などは使わず、江戸家小猫師匠のように、実際に「ニャーオ」と役者が言うのです。この他に、実際に役者が鳴き声を発するものは、先月上演しました『河庄』や、『高時』での、犬くらいのものでしょう(先月の『貞操花鳥羽恋塚』での鼠は、音響さんが、合成による鳴き声を担当していましたね)。
今回の猫の声担当は、私の一期後輩の中村竹蝶(たけちょう)さんです。セリフに合わせて鳴かなくてはならないので、キッカケを逃さないように気をつけてのぞんでいるとのこと。二ケ所の声の鳴き分けもバッチリですし、とっても猫っぽいと思います!

…しかしまあ、今月の歌舞伎座夜の部は、『日向嶋景清』で千鳥が飛び、続く『鞍馬山誉鷹』では白い大鷹、『連獅子』ではズバリ獅子が出て前半には蝶々もからみますし、そしてこの『大経師昔暦』の猫。生き物がいっぱい出てきますね。

天下御免の…

2005年11月02日 | 芝居
二日目となる本日の舞台、やや落ち着いてきた感です。『鞍馬山誉鷹』の立ち回りでも、昨日は随分と汗をかいてしまいましたが、今日は冷静に、あわてずにすみましたが、全員のイキは…? となると、これはまだまだというところで、ご覧になった方には申し訳なく思っております。

さて、本日の写真をご覧下さいませ。こちらは『櫓』とよばれるものでございます。
江戸時代、歌舞伎の興行は、幕府からの公認を受けた、市村、森田、中村の「三座」に限定されておりました。これ以外の劇場は、いわゆる小芝居といわれ、正規の劇場とはみなされてはおりませんで、「三座」の格式、権威は相当のものがあったといわれております。
そして、この幕府公認の劇場としてのシルシが『櫓』だったわけで、三座はそれぞれの劇場入り口の上にこの『櫓』を掲げ、官許の劇場であることを広くアピールしていたのです。
この『櫓』、寸法は九尺四方木枠を幕で囲んであるのですが、正面には劇場の紋、左右には「木挽町 きゃうげんづくし(狂言尽くし) 歌舞伎座」と染め抜かれております。そして左右の角には「梵天(ぼんてん)」という房のついた棒を立て、間には五本の槍を寝かして並べます。これは信仰としての意味あいが強く、この『櫓』に神を降臨させ、興行の成功、安泰を祈念する心がこめられているそうです。

歌舞伎座では、今月のような十一月の<吉例顔見世大歌舞伎>の興行時に、この『櫓』を掲げるのですが、これはそもそも、江戸時代の芝居の世界の年度始めが十一月で、芝居町は世間の正月と同じようにお祝いの行事をし、「三座」はそれぞれ本年度の座組を紹介する、つまりメンバーの「顔」を「見せ」る公演(これが顔見世の由来です)をしたことにちなんでおりまして、当時と風習ががらりと変わった現代でも、歌舞伎座では毎年の十一月の興行を大切に取り扱っており、古式ゆかしい『櫓』を掲げることでその面影を伝え、常にもまして、大看板、花形役者を揃えての公演をおこない、賑々しい雰囲気を出しているというわけです。また、歌舞伎座での『櫓』は、十一月以外にも、特別な興行、記念興行を行う際には掲げることもあります。

この『櫓』、京都南座でも、十二月の<吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎>でも見ることができます。とくに京都の<顔見世>では、『櫓』の他に、出演する幹部から名題俳優までの名前を書いた『招き』も掲げられ、よりいっそうの賑やかさです。
また名古屋御園座の十月の<顔見世大歌舞伎>では、『櫓』は上がりませんが『招き』は飾られます。

<顔見世興行>では、演目数もいつもより多くなることがしばしばで、今月などは昼が五演目、夜が四演目で、終演が九時をまわるのは無理もありませんが、お客様には、どっぷり芝居の世界に浸かって頂いて、心ゆくまで楽しんで頂けたら、と思います。

初日です!

2005年11月01日 | 芝居
さあついに『吉例顔見世大歌舞伎』の初日が開きました。
『熊谷陣屋』では、あいもかわらず痺れとの戦い、『鞍馬山誉鷹』ではみんなとイキをあわせることの難しさを痛感、いつにもまして課題はいっぱいですが、乗り越えてゆきましょう!
当初予定されていた夜の部終演時間は午後九時二十ニ分でしたが、実際やってみますと九時十五分で終わりまして、少しとはいえこれは有り難いことです。
最終演目である『大経師昔暦』では、名題下からでる役も少ないですし、ほとんどの方が一つ前の『連獅子』までに帰ってしまいますので、三階の名題下部屋が淋しくなってしまいます。
先月とはずいぶんと生活パターンが変わり、帰宅時間も十時過ぎとなってしまいましたが、空き時間もありますから、息抜きもしながら、体調だけは気をつけて、勤めてまいりたいと思います。
…今日はなんだかどっと疲れてしまいました。短文で申し訳ありませんが、これにて失礼させて頂きます。