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高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

後継者育成事業  1

2008年11月17日 08時16分20秒 | 後継者育成

1115_0011 土曜日から、3週間の土・日を使って6日間、別府の「伝統工芸館」で今年の竹の学校の生徒に技術指導することになった。別府と言う所は、比較的、後から続く若い人たちに門戸を開いている。自分の工房の技術は門外不出などとは言わない!結構気軽に、聞けば何でも教えてくれる。   

その中の一つとして、「後継者育成事業」というのがあり、我々伝統工芸士が交代で、自分の持っている技術を竹の学校の生徒や、研究所の生徒に教える授業である。私も、学生時代に網代編みの大家、渡辺先生に。花篭の大家、梶原先生に教えていただいた。今でも、思い出すのが、梶原先生に教えて頂いた時、山路編みの花篭を作ったのだが、他の生徒は全員、花篭の口から手を入れて、籐飾の仕上げをするのだが、私だけ手が大きくてどうしても入らない。その事を20年以上たった今でも梶原先生に会う度に笑われる。「手は大きいと器用と言うが、今まで手が入らなかったのは高江君だけだよ!」と。

1115_0071 6日間の授業を受け、最後に指導して頂いた先生と一緒に飲むのだが、その時も現役の先生達の経験談を聞いたりすることが、大変参考になったり、良い人間関係を作ってくれた。今年からは、私が教える立場で、生徒達と飲むのが楽しみである。      つづく

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若き竹細工職人を目指す人達へ 4

2007年08月09日 03時21分44秒 | 後継者育成

これから竹細工で身を立てて行こうと思っている人は、小さくても一国一城の主であり、経営者である。自分でアイデアを出し、デザインを起こし、販路を作っていく。今までは作品だけを作れば良かったが、今はもうほとんど問屋制度が崩壊しつつある中、自分でお客様に届けるまでの販路を作りきることが一番大切なことになってきた。

私の販路作りにはルールを作ってある。一地域一店舗、一月一回のペースで (年12回、竹の場合はシーズンがあるので春から夏にかけて12回、その分秋から冬のオフシーズンは出店しない) 今の所少しオーバーペースであるが、若い職人達が育ってきて現場にも出てもらっている。少しづつバトンタッチをしている所である。一地域一店舗と決め、同じデパートに出た方がお客様も育ってくるし、デパートも大切にしてくれる。

東京では 新宿伊勢丹、日本橋三越、渋谷東急。横浜では高島屋。名古屋の松坂屋本店、大阪では梅田阪急と難波高島屋。広島三越と主要都市の一番店に出店している。何処の売り場に持っていっても売れるものではなく、私どもの作品とお店のグレード、お客様層の三つが合わなくては売れるものではない。恐らく、近くのイオンとかジャスコに1年置いていても一つも売ることは出来ないだろう。ところが、自分の作品と客層が合うお店では驚くほど良く売れるのである。

自分の作品を冷静に分析して、どういうお店で、どんなお客様に、どういう飾り付けで販売するのか?努力して見て下さい。努力しても結果が出ない時もあるが、努力しない限り結果を出すことは出来ないのだから。

良い作品を作ることは当たり前、如何に価値を高めて伝えることが出来るのか?

自分に合った生産システムと、身の丈に合った販路を育てることが大切だと思う。無駄な事もいっぱいして、失敗をどんどんした方が良い。イヤな思いも何度もして、唇を噛み締める日、夜眠れない日を過ごす事もあると思う。でも、それを一つ一つ経験して越えてくる事が自信になり、経営者としての巾を作ってくれる。

成功はお金だけの価値観では計れない物、自分の考えた事を自分の手で形にしていく、自分を信じてハラハラドキドキしながら生きている実感を味わい、結果としていくばくかのお金が残っていれば幸せ‥‥。

インターネットの発達に伴って、消費者にアピールする方法は格段に広がっている。竹の世界でもやり方、考え方次第で成功することはいっぱいあると思う。諦めた時が負けであり、続ける限り道は開ける。人を欺くことをせず、誠実にやり続け、自分の出来ることからチャレンジして下さい。

竹細工の職人を目指す若い人たちに、こんな事を一先達として伝えておきたい。

(つい、こないだまで自分も若いと思っていたのだが?)

                    終わり

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若き竹細工職人を目指す人達へ 3

2007年08月08日 04時28分05秒 | 後継者育成

そのうち、市場のニーズも変わって行き、あれほど売れていた花篭もだんだんと下火になって来つつあった。恐らくこのまま行けば、花篭やお茶道具など、従来からの作品だけでは必ず行き詰るであろうと感じていた。問屋がデパートにあちら、こちらの作品を寄せ集め催事に持っていっても売れなくなって来たのだ。そんな中、方向転換として、「自分の作品を自分で売る。」という方向に準備し始めたのである。ターゲットと商品構成を絞り込み、販路を作り、お客様との関係をダイレクトに作り育てていく。私の工房はその方向を選択した。直接出始めた時は問屋から脅しのような圧力もあった。 (当然、同じような作品を高い値を付けて売っていた権益権を守るため、ある意味しかたが無いのであるが。)

ここが正念場であり、問屋の脅しに屈するのか?

リスクは伴うが自分の決断を信じて変革していくのか?

この辺の感覚はサラリーマンでは味わえない、経営者の醍醐味かも知れない。自分の判断で家庭が路頭に迷うかも知れないが、それでも、自分を信じて変革していけるかどうか?

舟の先頭に立って体一杯世間の風を感じる。不安もあり、恐れもあり、でも、期待もある。 経営者として一番重要な「選択」である。

どんなに大きな会社の部長だと言っても、やはりサラリーマンであり、近所の八百屋のオヤジの経営者として肌で感じる実感という物を味わうことは出来ない!

私も以前、サラリーマン時代に名ばかりのサラリーマン社長になったことがある、その時も休みも取らず、一日14時間くらい働いていたが、やはり今の小さい工房ながら社長として考える事とは違う。シュミレーションと実体験の違いがあるのだ。ある意味、サラリーマン時代の方が毎月の損益表の数字が気になっていた。一ヶ月一度の通知表みたいなもので、逆に今のほうが損益を感じるのは当たり前の事として身になっており、それより、経営の方向や実感の方が大切になってくる。

                 つづく

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若き竹細工職人を目指す人達へ 2

2007年08月07日 04時29分44秒 | 後継者育成

今までの竹職人の世界では自分の所から出す生産者価格は知っていても、最終上代(お店でいくらで売られているのか)を知らない人がほとんどである。日当が1万円なので三日かかって作ったら3万円と、実に簡単な計算である。

しかし、市場価格を知らなくて作品作りが何時までも出来るものなのだろうか?

当時私が問屋に提案した物は 上代10000円なら12000円。5000円の物なら6000円分のボリュームを持たせた2割増しの商品提案であった。10000円の物と11000円の物ではあまり違いはないが、10000円と12000円相当の作品を並べてみると、素人の人が見ても10人中9人は違いが判る。では、「3割以上ボリュームのある仕事をすれば、もっと他との差が出るのでは?」  その通りであるが、それは作り手が息切れしてしまう。その作品の注文が来ると嫌な気分になってしまうのである。

2割り増しの仕事にも1年、2年経つうちに自分の実力となって吸収されてくる。また、2年後には、その時の2割り増しの仕事を提案していくのである。沢山作ることで手が慣れ、作業工程にも数を作るように変換されていく。 1.2×1.2=1.44 4年経った時には他のメーカーより1.5倍近い作品力に差が出来て来るのである。問屋とも交渉してオフシーズンに計画的に注文を出して貰う。それが理解していただけない問屋とは取引を中止した。

私が竹の学校を出て直ぐには、自分の作品を写真に撮り10枚ずつプリントして10冊のアルバムを作り、そのアルバムの中に生産者価格と希望上代を書き込み問屋に持って回った。そうする事で問屋の人に顔を覚えてもらったり、新しい注文を遣ってみないか?とオーダーを貰ったりした。そのうちにレパートリーも増え、広がりを持っていった。他の生産者より一味違ったアピールをすることは大事である。

                   つづく 

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若き竹細工職人を目指す人達へ 1

2007年08月06日 07時44分13秒 | 後継者育成

最近、沢山の竹細工職人の卵さんたちが見学に来る。そんな彼らに伝えておきたい事を書いてみた。

伝統工芸に携わる職人の世界はこの25年、四半世紀の間に大いに様変わりしてしまった。

伝統の「伝」とは、古くから伝わる材料加工や製作技術の伝承であるが、伝統の「統」とは時代を反映し、何がニーズに合っているか?を考えまとめる事である。古い物を後生大事に作り続けることでは無い、時代に合った物、新しいニーズを作り出していける作品を作ることである。

22年前、私が竹細工を始めた頃は まだ量産型の花篭がたくさん売れていた時代である。バブル景気もまだ健在で、高級花篭も作れば売れ、竹問屋も何を仕入れてもどうせ売れるのだからと少々質の悪いものでもどんどん仕入れていた。竹の訓練校を出て1・2年でも作品が売れるので作家になったと勘違いした職人も大勢いた。

ところがバブルが弾けると同時に高級花篭は売れなくなり、注文は止まってしまう。問屋は問屋で目先の利益を追うばかりで「職人を育てるとか、業界を支える」などの意識はまったく無くなってしまった。

問屋が在庫を取らず、売れる時期にいる分だけしか注文しなくなってしまった。

《竹には売れるシーズンがあり春から夏が忙しい、問屋はオフシーズンにも来春売れるだろうとリスクを背負って、市場と生産者とのクッションになっていた。その分卸価格で随分安く仕入れるのだが!》 

リスクを背負わなくなった分、仕入れ価格を高くしてくれれば良いが仕入れ価格は今まで通りで、今まで100個単位の品物を1個、2個と注文してくるようになる。オフシーズンには割れ関せずと片方だけに都合の良い様に様変わりしてきたのだ。

作品も素人に毛の生えた様な作家もどきの作品や高額な単価を付ける事に慣れてしまった大家の作品はほとんど売れなくなってしまった。適正価格で力のある作品だけが売れていくことになる。問屋も何でも売れた時代ではないので、ある程度売れると予測できる物しかオーダーを出さなくなってしまった。すると、力のある作家にはオーダーが集中する事になる。      つづく

竹工房オンセ

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工房見学

2007年07月27日 11時35分55秒 | 後継者育成

大分県別府市には県の施設として、竹工芸訓練支援センターという所がある。我々、竹の生産者には実にありがたい存在で、普段から、機械を借りたり、竹の資料を見させて頂いたり、事あるごとにお世話になっている。ここは竹業界の生産者を支援する仕事ともう一つの顔が、昔で言うところの職業訓練校の役割を持っている。今年も全国から20人の竹細工を習いたいという生徒が勉強している。公の機関としては、全国でここだけである。雇用保険を貰いながら1年間竹細工の基礎を身に付ける学校である。京都にも私立で工芸を教える学校の中に竹工芸課があるそうだが、年間200万くらいの授業料がいると聞いている。

726_004_2 今日は別府の訓練性が1学期の終了日。定員20名の所の10名が見学に来た。初めて、竹を割り、やっと作品が作れるようになり、一番楽しい時かも知れない。皆さん、可能性を秘めた金の卵である。

しかし、時代はそんなに甘い物ではない、職業として竹細工を選んだことはある意味、「茨の道」を選んだような気がする。お金儲けだけ考えれば、もっと違った道をお奨めする。

工房をザーッと見てもらい、後はフリーで工房の職人にどんどん聞いてくださいと、うちの工房には隠すことは何もない。すべてオープンにしています。技術的なことも、経営内容も、何でもお答えしています。将来、彼らのうちの誰か?がうちの工房で修行をすることになるかも?知れない。

私が彼らに言えることは「良い作品を作ることは当たり前で考えてください。これからは、作る事とと販売することを両輪の如く、計画できないと職人としては生きていけません。みなさんは、一人一人が経営者になるのですから!作家としての道を開くも良し、職人として生業とするも良し、しかし、どちらも自分の作品を価値ある形でお客様まで届ける販路を確保して下さい。」  皆さん、頑張ってください。

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見学、研修、相談

2007年05月15日 02時57分45秒 | 後継者育成

ゴールデンウィークを過ぎてから、毎日のように見学者や同業者の研修が遣ってくる。「萬相談申し込み所」と看板を掲げようか?と思うほどである。昨日も、今年、別府の竹の職業訓練校を卒業して、これから本格的な「竹細工の職人」を目指している、大分県の工芸試験所の研修生一行が見学にやって来た。

Cimg4204 私の所の経営形態は竹細工の中でも一種独特の経営形態をとっている。従業員というのはごく僅かしかいない。作品を作ってくれる職人さん達との関係は、師弟関係ではあるが、「独立した個人の仕入れ先」という言わば、協同組合的な経営形態である。

従業員では無いので、勤務時間もない。それぞれが自分の仕事の流れの中で工房にやってきては全員が別々の作業をしている。「分業してみんなで一つの作品を大量に生産する」という事はしない。私が一人、一人に技術指導していき職人として育てているのだ。将来独立するために私の所で技術を学んでいるものも居れば、ずーと、力が続く限り私の所に作品を納入していこうと考えている人も居れば、家庭の主婦だが、副業で竹細工をしている人も居る。実に多種多様な人たちが入れ替わり、出入りしているのである。

「昔の徒弟制度を現代に当てはまる様に再構築した師弟関係。」「労使の関係でなく、独立した職人同士の協同組合」なんとなく、こんなニュアンスなのだろうか?考えてみると30前に学生から初めて社会に出た時、「孫 時英」師匠から教え込まれた事だったのだ。レストランと竹細工と職種は違うのであるが、師匠から教わった事を自分なりに租借して、自分なりの表現で、新しい経営としてやっているが、根本はまったく同じである。

Cimg4206昨日見学に来た皆さんも、厳しい職人の世界を目指しているのですが、どの世界も一緒、自分で遣っただけのことしか戻ってこない。表面に現われる事には浮き沈みもあるが、蓄積されていく技術や感性は、本人が遣った分だけ 身になっていくし、いつか必ず芽を出してくれます。

頑張って下さい。

竹工房オンセ

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面接

2007年01月11日 17時17分41秒 | 後継者育成

_mg_6476 昨日に続き、本日も面接をした。昨日はインターネットの事務をして頂くということでお話をさせてもらった。まだ、オープンしたばかりなので、ネットの部分の事務仕事はそんなにあるものではないが、春になり、今の催事などが忙しくなってから人探しをしたのでは、とても追いつかない。今のひまな時期にある程度教え込んでいかなくはならない。今年は本当にネット部門を本格的に育てようと思っているので、まず、その要になる人作りから始めよう。

プライバシーの関係で面接にこられた方の写真を載せるわけにはいかないので、最近プロのカメラマンにとって貰った私の写真を載せておく。(自分でもとっても気にいっている。)

今日、面接にこられたのは今年の「竹の学校」の生徒さんだ。1年間職業訓練校で竹を勉強して、これから竹細工で生活していこうと考えている方たちだ。しかし、竹細工の職人の置かれている地位というものは非常に低く、収入的にも大変厳しいものがある面接でも「技術を覚えるまでほとんど収入になりませんよ!」「金銭面だけ考えるのであれば、他の職業を探した方が良いですよ!」とくどいほど言ったのだが、それでも竹細工がやりたい様だ。

別府竹細工というものは世界に誇れる技術であると常々思っているが、若い人達が職業として選んでも胸を張って言えるような待遇に変えていかなくてはならないとつくづく思う。そのためには遠回りでも正直に誠実に作品作りをしていくしかない。私の工房に入って3年、5年と経って、本当に良かったと言ってもらえるような環境を作っていくことが私の仕事だ。

竹工房オンセ

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