瀬崎祐の本棚

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詩集「雨音」  渋谷卓男  (2010/06)  ジャンクション・ハーベスト

2010-06-22 19:20:55 | 詩集

第2詩集。93頁、決して華やかなところはないのだが、しっかりとした視点がある作品20編を収める。
 「猫」は、「猫のように首根っこをぶら下げて」「母を捨てにいく」作品である。あまりの比喩に驚くが、実際には母を追悼する作品である。母を捨てに行こうとした私が歩き疲れると、長い脚の私を母は「仕方ないね」と背中におぶってくれるのだ。

   むかしこうして
   よく駄菓子屋まで行ったよ
   泣き止まなくてね

 幼かった私が成長して、守る者と守られる者の立場が逆転した今でも、やはり私は母に守られたがっているのだ。「今度会いに行くから」と言って、

   だが訪ねると部屋は空っぽである
   引き出しを開けてみるが
   出てくるのは診察券と空き瓶ばかりで
   猫の声もしない
   お茶をいれる
   湯気が立ちのぼる
   その湯気の消えぬ間に一年が流れ
   それでもまだ
   母の出かけた先を考えている
                                 (最終連)

 いるはずの人がいないという空虚感が巧みに伝わってくる。いないことは理屈ではわかっているはずなのに、感情が未だ受け入れていない。共感を呼ぶ作品。
 「ハナフブキ」という作品には、「親の捨てたものばかり/子供はなぜ 拾うのか」という一節があった。自転車に咳きこむこどもを乗せているのだが、ここでも、理屈ではない親子のつながりが感じ取れる。
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詩集「神経伝達物質」  大島元  (2010/05)  和光出版

2010-06-21 11:44:03 | 詩集
 第3詩集。23編が収められている。
 ”女房”と二人の年金暮らしの日常が描かれているのだが、実に微笑ましい作品ばかりである。女房が牧師さんに作者の悪口を電話でこぼす、そのうちに「うちの亭主にもいい所があるんです」と話が続く。

   今日は長々とお電話して
   貴重なアドバイス
   有難うございました
   と言って電話を切った

   自分で言うて自分で答えを出して
   それにお礼を言っている
                           (「女房の電話」最終部分)

 「手伝い」について詩誌発表時に書いた感想の一部は、「別に哲学を語るわけでもないし、深い人生模様というわけでもないが、良いよなあ。詩を書くという行為が、その人の人生に確実に何かを付け加えていることが良く感じ取れる。」というものだった。この作品は、夕食後に女房が疲れて寝るので作者は洗い物をして手伝ってやるのだが、いつも洗い物が終わるころを見計らって女房は起きてきて、自分のコーヒーを入れて飲む、というもの。作者がお前はズルイゾと言うと、女房は今夜はずっと寝たふりをしている。
 企まずしてのユーモアがあるのだが、それは他人に対しても自分に対しても正直に生きているからだろう。だから発する言葉に嫌みがなく、辛いことでもあるがままに引きうけている強さもある。それが過不足伝わってくる巧みさもある。
 大上段に振りかぶったような大仰な詩集ではないが、ほわーっとした温もりが感じられる。
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ぶらんこのり  9号  (2010/06)  神奈川

2010-06-18 22:59:30 | 「は行」で始まる詩誌
 「またなの」中井ひさ子。
 公園のベンチに座って、考える人のポーズをとって、昨日の言葉の反省をしていると、ラクダが「またなの」と言いながら通り過ぎていくのである。おそらく、わたしはいつも一言多いのだろう。いつも、しまったと思っているのだろう。ラクダは、そんなわたしから抜けだして来たのだろう。そして、わたしをみて、駄目だなあ、と呆れているのだろう。ラクダが冷たく行ってしまったので、わたしはさらに落ち込むのだが、

   ぼくの
   こぶの中にあるものなあに
   帰ってきた
   ラクダが聞いた
                                 (最終連)

 いやあ、良かったですね、ラクダが帰ってきてくれて。
 ところが、次ぎに載っている「窓」ではどうだろうか。ここでも昨日の私が飛ばした紙飛行機は駅前広場で「言葉を/ポロポロ落としている」のだ。よほど私は言葉が多いらしい。ここでは、「東に向かって飛び立った」カラスは「戻ってこない」のである。すると、私の居場所は「赤いかばんを背負った学生」に取られてしまいそうで、なくなってしまうようなのだ。そして、

   四角い部屋は
   素直な雲がいっぱい
   息苦しいよ
                                   (最終連)

となるのである。鳥類は薄情なんだな。やはり、キリンかラクダがいい。
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tab  22号  (2010/05)  神奈川

2010-06-17 16:48:35 | ローマ字で始まる詩誌
 「遠出」後藤美和子は、「その頬を抱き/照り映える旗に口づけをした」(第1連)と始まる。
 4連、16行からなる短い作品だが、何のことを詩っているのかはさっぱり分からない。タイトルからすれば、どこかへでかけているのだろう。しかもそれは旗を立てて、馬に乗って出かけているようなのだ。確かに、遠くまで出かけているわけだ。そして私は「沈んでいくのを見送った」のだが、沈んでいくものはいったい何なのだろうか。描かれるあらゆる行為の主語も目的語も省略されており、具体的なことを伝えようという意図がないことがわかる。

   準備して棘を抜き
   水面に指紋を移した
   すべすべの手をなびかせて

   ひとつの音
   もう誰が落ちたか分からない
                                (最終2連)

 それにもかかわらず、伝わってくるものがある。そこがこの作品の魅力となっている。話者は、省略したものを勝手に補って読む人がいることを疑わないような、確信犯的な語りをしている。ここにあるのは、そんな次元で成立する物語である。畑や馬といった中世的な道具立てや、死を予感させる水音があり、気持ちの中で静止したある瞬間を詩っているようだ。読む者に、そこまで”遠出”することを求めているわけだ。
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詩集「港」  佐相憲一  (2010/06)  詩人会議出版

2010-06-16 17:15:56 | 詩集
 82頁に28編を収めている。
 「あとがき」に「いまを生きるあなたに、汽笛をおくる。」とあるが、作者はとにかく語りかけたいのだろう。それも大真面目に、だ。そこには、語りかけたことが伝わることを信じている真面目さもあるのだ。その、語りかけた言葉が孕んだ意味を信じている態度はいさぎがよくて、すっきりとしている。
 ”生きる”あるいは”人生”という言葉が何度もあらわれてくるところに、この詩集のめざすところも見えてくる。社会の歪みを指摘し、その中での有り様を確かめている。そして、

   昨日という湾を出て
   あれたこれやとジンセイの島めぐり
   気に入ったところで降りてください
   ぐるぐると回想というやつで迎えに来ますから
   いつかどういう流れか風向きか
   戻ってきたら浦島太郎
                               (「遊覧船」より)

 こんな風に、実は苦いのだ。作者はとにかく不特定多数の人たちを鼓舞したいのだろう。そうすることによって、自らも鼓舞されてしまいたいのだろう。敵も味方もいる不特定多数の人たちの中で、鼓舞されなくてはやっていけないことは、私にもよく判る。
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