瀬崎祐の本棚

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詩集「閾、奥三河の花祭り」  紫圭子  (2010/04)  思潮社

2010-06-10 20:21:04 | 詩集
 94頁に18編を収める。詩集タイトルにあるように、愛知・奥三河に伝わる”花祭り”をモチーフとした作品を集めている。
 土着している人々にとっての祭りは、観光客のようにその土地を通り過ぎる人にとってのそれとは、根本的に異なるものだろう。その祭りが支配している土地で育てば、祭りはその人の細胞の中に染み込んでいる。
 祭りの御本体らしい”御珠(おたま)”をモチーフにした「お玉」では、幼いわたくしに話しかけるでもない婆さまの言葉が印象的だ。わたくしは「ちいさな狐のお玉を背負っていた」のだ。うしろを歩いている婆さまは「(お玉はかわいいのん」と言って背を撫でてくれる。すると、お玉は「眠い目を開けて婆さまの手を舐め」るのだ。これはどうしたことだ?

   (にゃんこもお玉もそれはそれはかわいいぞん
   (たぬこもわんこもかわいいぞん
   (鳥んぽもばんどりも 白山のてんとうさまの真ん前で舞っとるがね
   (向こうとこっちを行き来できるながあい橋がおりてくるんだわ
   (それはそれはかわいいぞん

 この、かわいいぞん、という婆さまの言葉には、いったいどれだけの事柄が含まれているのだろうか。それは、生きるものに対する感情と同じ次元で”橋”や”衣装箱”、”地下足袋”にも投げかけられるのだ。生と死のあわいにあるものすべてを愛でているのか。やがてそれは、厳かな宣言ともいえる終連のわたくしの言葉へつながっていく。

   姉さま 妹さま 兄さまとわたくしのお玉は億年のなかのひと日
   木漏れ日に照らされた晩秋のひと日
   花は
   わたくしの背に埋まっているきつねいろのお玉でございます

 実際の御珠は箱に入れられていて、誰も見たことはないとのこと。祭りは人々の想像力までを支配している。そうやって祭りは生も死もつなげるような力を得て、土地を支配しているのだろう。
 詩集を閉じても、花祭りのかけ声「テーホヘ! テホヘ!」が、いつまでも耳に残るようだ。
コメント
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