瀬崎祐の本棚

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詩集「どないもこないも」  麦朝夫  (2010/08)  鳥語社

2010-06-11 20:16:57 | 詩集
 76頁に、関西弁の語り口調で書かれた作品49編が収められている。「あとがき」で作者は「なぜかだんだん、軽く、短く、書くようになってきました」と書いている。
 たしかに軽い気持ちで読める語り口と長さではあるのだが、どの作品も軽く読めたあとで、ん?、と思わせるものが残される。たとえば「あいだ」は10行の短い作品で、広い書店の店内を「小さな女の子が駆け回っている」。女の子も、それを追いかける若い店員も書棚の間を走っている。そして、

   みんな急に あいだばかり捜しているんだ
   活字と活字のあいだの
   抜けている さみしいところ
                                (最終部分)

 ふいっと残る余韻がある。同じ”さびしい”という言葉を生かした「サビシサやで」は、一人暮らしのマサヨさんが「子供が馬乗りになって親を殺す」時代をなげく。マサヨさんの一人息子は急逝しているのだ。だから、

   その息子に 今も馬乗りになって欲しいような
   サビシサやろな

   ぼくもお母ちゃんにココロで馬乗りになって
   いつまで長生きすんのや
   と病院へ 自転車で乾いた街を走りながらグチル

 この感覚はすごい。そして、この感覚を表現できるところがすごい。マサヨさんの心にも、自分の心にも、そうやって馬乗りになるような、なって欲しいような肉親への思いが詰まっているのだ。
 「あとがき」の最後には「激しい世の一隅で、どないもこないも、とあれこれを、スバヤク、愚かしく、うたうよりないのかもしれません」とあるが、語り言葉の軽妙さとは裏腹に、かなり深いものを伝えてくる作品がならぶ詩集であった。
 「竹槍はこうして突くんや」「ええやんか」については詩誌発表時に感想を書いている。
コメント
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