瀬崎祐の本棚

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詩集「あの日、水の森で」 草間小鳥子 (2020/10) 土曜美術社出版販売

2020-12-12 14:12:49 | 詩集
 詩と思想新人賞を受賞しての第2詩集。111頁に28編を収める。

 冒頭に置かれた「梯子」。幼い頃から、ことある毎に話者の見る光景には梯子が立てかけられていたのだ。葬式の場や、病に伏せった夜にも梯子はあったのだ。なんのために梯子は立て掛けられ、どこへ上るためのものだったのだろうか。

   うしなったもの
   手に入れたもの
   どれも 押しつけられたもの
   選ぶことをゆるされていたのか
   そのどちらでもないもの--
   遠ざかってゆくものをわたしは知らない

 人には誰でも自分だけに見えるものを持っているのだろう。それは、ここではない次元の場につづくものがあるという希望のようなものかもしれない。その感覚を可視的なものとして巧みにあらわしている。最終連は、「冷たく光る梯子が見える/いつかひとりでその橋を渡る」

 その次に置かれた「耳畑」が新人賞受賞作。からだのやわらかな部位から培養した耳を、段々畑に受け取りに行く作品。これらの作品からもうかがえるように、現実世界からは遊離した光景を提示して、作者は主題を見詰めている。印象的な作品がならんでいる。

「停留所」では、話者は行き先ばかりを見ていて「見つめられることには無関心だった/だから ふり返ることができなかった」という。ふり返ると何かの後悔が襲ってくるかもしれないという怖れを感じて居るのかもしれない。だから、ふり返れない。しかし、作品の後半で話者は、人を好きであるということはこれまでのすべてを受け入れることだと気づいたようなのだ。

   少し話そう バスが来るまで
   あなたのことをどんなに好きでも
   なにひとつ変わることのない
   世界のやさしさについて
   あなたが忘れたふりをして
   わたしがほんとうに忘れていた
   たわいない日々 その逃げ足について

 そして最終部分で「三叉路にまなざしがひるがえり」わたしはふり返るのである。こうして作品として書きとめることによって、作者もふり返れるようになったのかもしれない。

 3章からなる「たそがれ」は美しい作品。3つの章で物語がゆるやかに広がってゆき、ついには引き返せない地点にまで彷徨って行く。わたしたちは西日を懐紙に包む仕事をしており、たそがれ時にだけ会える兄が登場し、箪笥の中からは無数の懐紙が散り、夜が「葬列のように」山をおりていくのだ。やわらかなうねりが続き、一部分の引用ではその魅力が伝えられない作品となっている。機会を得て作品を読んでもらいたい。
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