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詩集「半世界の」 北條裕子 (2023/07) 思潮社

2023-09-01 21:37:41 | 詩集
第5詩集。83頁に20編を収める。

「花茨」。始めのほうに、夜、「暗闇を くるまるようにまとい/また海に 逢いに行く」とある。話者は、何か過ぎ去っていったものを呼び返そうとしているのだろうか。しかしそれはかなうはずもなく、

   風の幅広な一撃
   尖端が わずかに赤い蕾をみつめながら
   花茨を体に食いこませ
   その痛みに 耐えていたか

ここには皮膚感覚として捉えている感情があり、それがふたたび身体にまとわりついてくる。言葉の動きが的確にその感覚を表現している。最終部分は「そこに手を振れよ/遠い面影の鳥よ/その傷口に 荒れた首筋をさし出せ」。棘によってつけられた傷が、そこに生じてくる痛みだけが、今の話者にとっては確かなものに感じられているようだ。

詩集の中ほどに収められたいくつもの作品で、話者は執拗に”きみ”を求め探し続けている。その存在を信じたいと希求している。しかし”きみ”はいつまでも触れることができるものにはならず、ただ焦燥や諦観や怒りばかりが積みかさなっていく。

   きみに沿っていくと 嘘をつくことで ほんとうを示したくなる きみに初めて会っ
   たときから 瞬時に ぼくはぼく自身を 裏切ることがわかってしまった(「冬空」より)

   いつかきみを徹底的にたたきのめしたら きみはぼくを本
   当に 憎んでくれるようになるのだろうか (「通俗」より)

詩集最後に置かれた作品「回廊めぐり」ででも、女は「死の淵で待っている筈」のあの人にあいにいく。回廊は、踏み誤れば海の奈落に落ちていくような場所だ。あの人の消息を知っている客の姿もなく、椅子が濡れているばかりだ。

   あの人はいなくなることで 私に 復讐したのだろうか 私たちはとっくに別れて
   いたのだろうか 最初から出会ってなど いなかったのだろうか それとも

ここでも女はあの人にあうことによって何かを取り戻そうとしている。それはすなわち作者がこれらの作品を書かなければならなかった意味でもある。作品を書くことは、求めている誰かにあうことだったのだろう。
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