瀬崎祐の本棚

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詩集「影」 井嶋りゅう (023/06) オアサギ

2023-06-25 22:51:02 | 詩集
第1詩集か。91頁に23編を収める。

作者は30年前に青森から上京してきたという。冒頭に置かれている「東京の森」「聞き分けのいい子」などは、都会の生活にすっかり馴染みながらも存在の根は他所であることを基盤にしているように思える作品だった。
「音色」は東京坂で拾ったネオンの色をした鈴を詩っている。雑踏の中で「どうせ待ち人も居」ない話者は、「かわいいもので満ちているこの日常」を橋の上から眺めている。通り過ぎる人が多ければ多いほど、自分が独りであることが意識されている。それは寂しさとも少し異なっていて、今、独りで立っている場所の確認であるだろう。

   本当は此処じゃなくてもよかったのだと 言い訳を結ん
   だり解いたり別の形にしたりしながら 私は長い間 何
   かを自分で決めたかのように振る舞って 取り繕ってき
   たのですが こんなに遠くまで来てしまって やっぱり
   此処じゃなければいけなかったのでしょう

東京坂には夕時のひりつく風が吹いている。そうはいっても、やはりいささかの迷いも残ってはいるのだろう。最終部分で話者は、「まるでこの街の善意に触れさせるかのような音色」を手放そうとするのだ。その孤独な強さがしんみりと感じられる作品。

詩集後半の作品には幼かった作者があらわれてくる。
「鶴を折る」では東京に行っていた父が帰宅する予定の日のことを詩っている。母は父の好物の鮮魚を買いに行き、私は一生懸命に鶴を折る練習をしている。扇風機の風に色とりどりの折り紙が舞い上がり、私の顔に身体に貼り付くのだ。

   鶴を上手に折れるようになったら
   父は出稼ぎに行かなくても良いのだから
   頑張って練習しなさいと母が言うので
   散らばったままの折り紙を掻き集め
   最後まで折りきれない鶴の練習を再開する

母の言葉は理屈にも何にもなっていないのだが、それでもただ鶴を折ろうとしている幼い者のひたむきさがたまらなく愛しい。

どの作品にも作者の生身を感じることのできる詩集だった。
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