大坪あんず、漆原正雄の二人誌の創刊号。27頁で、それぞれが3編の作品を載せている。
二人の作品は交互に掲載されており、その作品たちはペアになっている。たとえば、漆原正雄の作品「書物」。「きみ」はろうそくの炎で書物を読んでいて、そこでは古い木造の駅にいるふたりの前に馬がやってくる。
--わたしたち、あっちの世界でも会えるかなと少女はささやき、
--ねむっているのでもさめているのでもないと少年はつぶやく
馬は駆けてゆき、ろうそくの炎がおわってあなたは書物を閉じる。
次の頁に載っている大坪あんずの作品「早春の白い光」では、「わたし」は朝の窓辺で本を読んでいる。そこでのわたしたちは小さな駅の木のベンチに並んで何かを待っている。すると草のうえに揺れる白い光が、まるで白い子うまが駆けてくるようなのだ。
あなたはいつも待っていた
わたしたちは何を待ちわびていたのだろう
あなたは白い子うまが駆けてくる夢を、わたしはあなたが野原を駆けている夢をみたりするのだ。
次に並んでいる漆原の「おとぎばなし」と大坪の「さんぽのおはなし」では、それぞれの作品に出てくる男女が「--風がつよいですね」「--そうですね」と言葉を交わす。まったく異なる状況が描かれているのだが、話者の視点がずれることによって片方では見えなかったものが見えてくるような、不思議な感覚を読む者に届ける。
「風を訪うまで」漆原、「どこかの季節で」大坪は、48字X20行の頁をそれぞれ6頁、10頁使った散文詩。それぞれの作品のモノローグがときに重なり合い、ときに遠ざかったりして、単独で読んだ場合とは異なった深みを出している。
このようにそれぞれの作品の話者を他方の話者が支えている。そのことによって作品世界は相乗効果的に拡がっていた。面白い試みであった。
二人の作品は交互に掲載されており、その作品たちはペアになっている。たとえば、漆原正雄の作品「書物」。「きみ」はろうそくの炎で書物を読んでいて、そこでは古い木造の駅にいるふたりの前に馬がやってくる。
--わたしたち、あっちの世界でも会えるかなと少女はささやき、
--ねむっているのでもさめているのでもないと少年はつぶやく
馬は駆けてゆき、ろうそくの炎がおわってあなたは書物を閉じる。
次の頁に載っている大坪あんずの作品「早春の白い光」では、「わたし」は朝の窓辺で本を読んでいる。そこでのわたしたちは小さな駅の木のベンチに並んで何かを待っている。すると草のうえに揺れる白い光が、まるで白い子うまが駆けてくるようなのだ。
あなたはいつも待っていた
わたしたちは何を待ちわびていたのだろう
あなたは白い子うまが駆けてくる夢を、わたしはあなたが野原を駆けている夢をみたりするのだ。
次に並んでいる漆原の「おとぎばなし」と大坪の「さんぽのおはなし」では、それぞれの作品に出てくる男女が「--風がつよいですね」「--そうですね」と言葉を交わす。まったく異なる状況が描かれているのだが、話者の視点がずれることによって片方では見えなかったものが見えてくるような、不思議な感覚を読む者に届ける。
「風を訪うまで」漆原、「どこかの季節で」大坪は、48字X20行の頁をそれぞれ6頁、10頁使った散文詩。それぞれの作品のモノローグがときに重なり合い、ときに遠ざかったりして、単独で読んだ場合とは異なった深みを出している。
このようにそれぞれの作品の話者を他方の話者が支えている。そのことによって作品世界は相乗効果的に拡がっていた。面白い試みであった。