第12詩集。101頁に81編の散文詩と上田寛子の絵9点が載っている。
作者はこのところ毎年のように詩集を出している。これは私が拝読する7冊目の詩集だが、そのどれにも物語性を孕んだ夥しい数の作品がひしめいていた。
「コタキナバル」。大阪京橋で深夜になると雑居ビルに現れる店がある。
部屋の中では、月と日という姉妹が酒を注いでくれる。月の酒は甘く、日の酒は辛い。
月と日の酒を飲めば、沁み入るような孤独な死の恐怖と引き換えに失われた世界の全
て、つまり若さが回復される。
しかし誰もその店に行ったことはなく、店の外で姉妹の酒を飲んでいるのである。だから、「ほら、きみの横に座った月も日もすっかりおばあさんになっているではないか」というわけだ。抗うことのできない時間の流れを面白く作品化している。
後記で作者は、何かの思想や世界の意味など最初からないのが詩なのである、という。また「詩は言葉の意味ではなく、その世界を感じることである」とも言う。おおいに頷けることである。
「事件の斧」。部屋には乾いた血痕が付いた斧があるのだ。
貧しい子供がひもじくて辛いから殺してくれと父親に頼んで首を打たせた斧であると
も言われている。私は何故、深夜、そんな部屋で斧を見つめているのかわからなかっ
た。
私はそんな斧を見つめているおそろしい夢を繰り返して見ていたのだが、そんな私の背後に誰かが近づいてくるのだ。話者は夢によって首を切られるのだろうか。
それにしても、この旺盛な創作意欲には感嘆する。まるで作者の中ではあらゆる感情は物語の形を取ってあらわれてくるのではないかと思わせるほどである。
作者はこのところ毎年のように詩集を出している。これは私が拝読する7冊目の詩集だが、そのどれにも物語性を孕んだ夥しい数の作品がひしめいていた。
「コタキナバル」。大阪京橋で深夜になると雑居ビルに現れる店がある。
部屋の中では、月と日という姉妹が酒を注いでくれる。月の酒は甘く、日の酒は辛い。
月と日の酒を飲めば、沁み入るような孤独な死の恐怖と引き換えに失われた世界の全
て、つまり若さが回復される。
しかし誰もその店に行ったことはなく、店の外で姉妹の酒を飲んでいるのである。だから、「ほら、きみの横に座った月も日もすっかりおばあさんになっているではないか」というわけだ。抗うことのできない時間の流れを面白く作品化している。
後記で作者は、何かの思想や世界の意味など最初からないのが詩なのである、という。また「詩は言葉の意味ではなく、その世界を感じることである」とも言う。おおいに頷けることである。
「事件の斧」。部屋には乾いた血痕が付いた斧があるのだ。
貧しい子供がひもじくて辛いから殺してくれと父親に頼んで首を打たせた斧であると
も言われている。私は何故、深夜、そんな部屋で斧を見つめているのかわからなかっ
た。
私はそんな斧を見つめているおそろしい夢を繰り返して見ていたのだが、そんな私の背後に誰かが近づいてくるのだ。話者は夢によって首を切られるのだろうか。
それにしても、この旺盛な創作意欲には感嘆する。まるで作者の中ではあらゆる感情は物語の形を取ってあらわれてくるのではないかと思わせるほどである。
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