瀬崎祐の本棚

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「頬、杖」 松川紀代 (2024/06) 思潮社

2024-07-09 21:52:29 | 詩集
第7詩集。90頁に34編を収める。
折々の感興をすばやく書きとめたといった感じの、短く簡潔な詩行で構成された作品が並ぶ。

たとえば「隣」は7行の短い作品。あの世へはこの世が終わってから行くのではなく、目を閉じて老いてゆけばそれだけでいいようなのだ。と書かれた次にあらわれる隣の婆が効果的。化繊のスカートを引きずっていて「(顔を洗うのは忘れちゃった/なんて気持ちのよい天気)」と言ったりしている。

   宇宙には途切れる なんて箇所はなくて
   どこも 隣

こんな哲学的な大命題を(隣の婆も登場させて)さらりと書いてしまうところに感心する。それでいて、どこかに肩すかし感のようなユーモアも漂っている。

「祖父ありき」は「女に貢いだ人生」の祖父を詩っている。二階にお妾さんを住まわせ、三度妻をもらい、女の子ばかりの孫にいろんな物を買ってくれたのだ。昔気質の豪放磊落な人物像が浮かんでくる。
対になる作品の「祖母」。夕飯の残り物などで自分の昼食用におじやを作る。そして中途半端に残っていたものを何でも入れてぐつぐつ煮てしまうのだ。こちらも祖父に負けず劣らずの豪放磊落さを持っていた?
どちらの作品にも話者の主観、思いなどはいっさい書かれておらず、ただ描写があるだけなのだが、二人とも愛すべき人物だったことがよく伝わってきた。

詩集タイトルの「頬、杖」は同名の作品もあるのだが、その他のいくつかの作品にも出てくる。「自分」では、「もとの自分に戻ったよう」なときにいつの間にか頬杖をついていたようなのだ。頬杖は退屈している時の仕草だと言われるが、物思いにふける時の仕草でもある。無防備な自分を支えているのかもしれない。この作品の最終2連は、

   自然な姿でいる
   解放されて

   五分だったか
   永遠だったか

最終連2行はすっとぼけたような、それでいて無常観にも繋がっているような、そんな余韻を残している。
コメント
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