第4詩集。101頁に20編を収める。
冒頭の「サラダ」は散文詩。二階堂さんと名付けた薔薇が咲き多摩川さんと名付けた朝顔が咲く。花は散る瞬間に向かい、眠りについた私はアラブの街で喉を切られる羊を見ている。
城壁で水売りの少年に出会う 銀色のカップを楽器の
ように鳴らして 革袋から水をそそぐ その遠い水脈が
私をさらに深く眠らせる 傷んだ魂が水滴で濡れていく
私は、目覚めたら草を摘んでサラダを作ろうと思っている。だから今は、「二階堂さんの影で私は眠る 遠くで雨の匂いがする」のだ。
前詩集「光をもとめて」の感想で、私(瀬崎)は、中村の作品は地につくところを持たずに漂うような位置に世界が形成されており、それでいてこの世界に匹敵する重さを持っている、といった意のことを書いた。今回の詩集では、その漂いは此岸と彼岸のあわいにある。この作品での眠りは死を意識していると思える。だからこそ「目覚めたら」といった仮定法があらわれている。それは”目覚めたとき”といった時制を単に意味するのではなく、”目覚めない眠り”というものがどこかで念頭にあるのだろう。そして目覚めることができたら命ある草を摘んできてサラダにして食べるのだ。それは命を受けつぐ行為でもあるのだろう。
次の章には見送った父を詩った作品「あけがたに」、母を詩った作品「津軽へ」がある。いなくなった人は作品に書かれることによって、何度でも作者の元へ帰ってくる。
少し変わった趣向の作品「おひねり」の話者は、すでに棺の中に横たわっているようだ。「生きているのか死んでいるのか 境界線というものがわからな」くなって、これまでのことをとりとめもなく思っている。最終連は、
おい痛い 白布を被って私にばら銭を投げるな 田舎芝
居のおひねりじゃないか 確かに人生は一夜の芝居 今
幕を開けて木箱の私の骨は先祖代々の骨の上にばら撒か
れる だれから生まれたかなんて何の意味もない こう
して同じ骨に交じる おひねりで上等の生だ
棺の中は、自分の人生の検証の究極の時であるだろう。作者の実人生がどのようなものであったのかは知る由もないし、当然のことながら作品は虚構世界である。しかし、このような作品を書かせる人生ではあったわけだ。
図太く居直っているようで、それでいながら、そうせずにはいられなかった切ないものも感じさせる詩集だった。最後のあたりに置かれた「おゆうはん」は、しせつにいった幼い子のモノローグである。切ない。
冒頭の「サラダ」は散文詩。二階堂さんと名付けた薔薇が咲き多摩川さんと名付けた朝顔が咲く。花は散る瞬間に向かい、眠りについた私はアラブの街で喉を切られる羊を見ている。
城壁で水売りの少年に出会う 銀色のカップを楽器の
ように鳴らして 革袋から水をそそぐ その遠い水脈が
私をさらに深く眠らせる 傷んだ魂が水滴で濡れていく
私は、目覚めたら草を摘んでサラダを作ろうと思っている。だから今は、「二階堂さんの影で私は眠る 遠くで雨の匂いがする」のだ。
前詩集「光をもとめて」の感想で、私(瀬崎)は、中村の作品は地につくところを持たずに漂うような位置に世界が形成されており、それでいてこの世界に匹敵する重さを持っている、といった意のことを書いた。今回の詩集では、その漂いは此岸と彼岸のあわいにある。この作品での眠りは死を意識していると思える。だからこそ「目覚めたら」といった仮定法があらわれている。それは”目覚めたとき”といった時制を単に意味するのではなく、”目覚めない眠り”というものがどこかで念頭にあるのだろう。そして目覚めることができたら命ある草を摘んできてサラダにして食べるのだ。それは命を受けつぐ行為でもあるのだろう。
次の章には見送った父を詩った作品「あけがたに」、母を詩った作品「津軽へ」がある。いなくなった人は作品に書かれることによって、何度でも作者の元へ帰ってくる。
少し変わった趣向の作品「おひねり」の話者は、すでに棺の中に横たわっているようだ。「生きているのか死んでいるのか 境界線というものがわからな」くなって、これまでのことをとりとめもなく思っている。最終連は、
おい痛い 白布を被って私にばら銭を投げるな 田舎芝
居のおひねりじゃないか 確かに人生は一夜の芝居 今
幕を開けて木箱の私の骨は先祖代々の骨の上にばら撒か
れる だれから生まれたかなんて何の意味もない こう
して同じ骨に交じる おひねりで上等の生だ
棺の中は、自分の人生の検証の究極の時であるだろう。作者の実人生がどのようなものであったのかは知る由もないし、当然のことながら作品は虚構世界である。しかし、このような作品を書かせる人生ではあったわけだ。
図太く居直っているようで、それでいながら、そうせずにはいられなかった切ないものも感じさせる詩集だった。最後のあたりに置かれた「おゆうはん」は、しせつにいった幼い子のモノローグである。切ない。
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