懐紙シリーズの11冊目の詩集で、「書下ろしの一詩編による詩集」となっている。16行詰め26頁に、400行あまりの作品を載せる。
冒頭でいきなり名前を呼ばれた話者は、「おかえりといわれ/もと来た廊下をもどっても/昨日の玄関にたどりつけない」のだ。だから、話者は彷徨うことになる。過ぎ去ったと思っていた過去の事柄が再現され、今の話者にその意味を問い直してくる。思い出はいつも今の自分が必要としているものなのだ。
ことばは繋がるためでなく
見るもの
ゆでたまごの殻や
パンくずの上に
舞ながらおちるおちていくと書いた
十三才の夏休み
話者の彷徨いにつれて、作品もうねうねとくねりながら詩行を連ねていく。「死んでいく人の記憶のなかで/おもいだせないわたしが静かに死んでいく」という印象的な執行もあった。
今が辛いから、あるいは今が納得できないから、これまでのことを否定しようとしてしまうのか。修正してみたいのだが、その修正はやり直せない。修正は果たして望んだことをもたらしてくれるのか。いや、本当のところでは修正することを望んではいなかったのかもしれない。「もういいよ」「いいから」と、もう過去を受け入れたくもなるのだ。
そして悲しいことばかりでも、「空っぽって/とても/大きな自由を見せてくれる」ことでもあるのだ。さらに、合いことばを言い合える他者がいることが救いにもなるのだろう。最終部分は、
合いことば忘れてしまったけど
あなたの
冷たくなっていく耳の感触がすぐそこまできている朝
教室のすみで豆電球が点滅している
作者のこれだけ長い作品は初めて読んだ。そのためか、どこかに居直った雰囲気もある自虐が混じったいつもの作品とはまた異なる魅力を見つけることができた。
冒頭でいきなり名前を呼ばれた話者は、「おかえりといわれ/もと来た廊下をもどっても/昨日の玄関にたどりつけない」のだ。だから、話者は彷徨うことになる。過ぎ去ったと思っていた過去の事柄が再現され、今の話者にその意味を問い直してくる。思い出はいつも今の自分が必要としているものなのだ。
ことばは繋がるためでなく
見るもの
ゆでたまごの殻や
パンくずの上に
舞ながらおちるおちていくと書いた
十三才の夏休み
話者の彷徨いにつれて、作品もうねうねとくねりながら詩行を連ねていく。「死んでいく人の記憶のなかで/おもいだせないわたしが静かに死んでいく」という印象的な執行もあった。
今が辛いから、あるいは今が納得できないから、これまでのことを否定しようとしてしまうのか。修正してみたいのだが、その修正はやり直せない。修正は果たして望んだことをもたらしてくれるのか。いや、本当のところでは修正することを望んではいなかったのかもしれない。「もういいよ」「いいから」と、もう過去を受け入れたくもなるのだ。
そして悲しいことばかりでも、「空っぽって/とても/大きな自由を見せてくれる」ことでもあるのだ。さらに、合いことばを言い合える他者がいることが救いにもなるのだろう。最終部分は、
合いことば忘れてしまったけど
あなたの
冷たくなっていく耳の感触がすぐそこまできている朝
教室のすみで豆電球が点滅している
作者のこれだけ長い作品は初めて読んだ。そのためか、どこかに居直った雰囲気もある自虐が混じったいつもの作品とはまた異なる魅力を見つけることができた。
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