花歩る木

山と旅がすきです

中山道 つづき

2009-10-06 18:56:50 | ウオーキング

 東京の日本橋を出発したのが、07年4月。
中山道69次、530kmを京都三条大橋を目指して
11人で、あきもせず、けんかもせず歩き続けています。


遅咲きの彼岸花が境内にあふれていた。

10月1日 晴れ 高宮宿(64番の宿)を出る。近江商人発祥の地を通る。
伊藤長兵衛碑、伊藤忠兵衛の生家、伊藤忠・丸紅の歴史のビデオをみせてもらう。「売り手よし、買い手よし、世間よし」 という「三方よし」の企業精神を
商売の柱にしたそうです。

愛知川宿(65)で ランチを予約した「竹平楼」に着く。
明治天皇が中山道巡幸の行き帰りに小休止されたところ。お座所、お庭を美人女将が案内してくれたあと、松花堂弁当を頂く。名物の鯉の飴煮も入っていた。
4000円 この旅で一番高値のランチ。でも一番気分は高値。
武佐宿(66)まで歩いて、近江八幡で泊まる。34000歩 歩いた。


安土城はこの近くにあった。

10月2日 雨 中山道に直接関係ないが、豊臣秀次が開発した近江八幡市を
見学。近江商人街、洋風住宅街、八幡堀などのうつくしい街並みをみた。
「秀吉が秀次の優秀さをねたんで、疎ましくなったんだろう」 とは
一同の意見が一致したところ。
牛若丸元服の地、平家終焉の地を通り、雨足が激しくなって雨宿りをしたりして、
守山宿(67)に入る。 32000歩 歩いた。   

10月3日 晴れ 「比叡山の東門として山を守る」の意味がある 
東門院守山寺にいたる。左手に近江富士と呼ばれる三上山がそびえる。
草津宿(68)に入る。中山道と東海道の合流点

これが追分 右が東海道 左が中山道

草津宿(68)に入る。街道一おおきい本陣をガイドの案内で見せてもらう。 
宿帳には徳川慶喜の文字も。
湯殿は外からの槍が届かないように広くつくられている。
厠には花を生ける、香をたく床板もあった。

ここまでが中山道で 京都までは、旧東海道を行きます。


天下三名橋といわれる 瀬田の唐橋です。

「唐橋を制する者は、天下を制する」とまでいわれた歴史上 意味の多い橋です。
四日目は秋日和というには、暑すぎる日中だったが、仲秋の名月が
期待できる夜になりそう。今回の旅は68次まで。  31000歩  
4日間で12万歩 歩いた。  次回は京都に入ります。


中山道

2009-10-06 09:52:29 | ウオーキング

07年4月から、仲間たち11人で中山道を歩いています。
9月30日、10月1日、2日、3日 近江路を歩いて、東海道
と合流する 草津を通って、石山まで歩きました。

9月30日 雨 前回の続き、鳥居本から出発する前に、ちょっと足をのばして彦根城を見学しました。20年の歳月をかけて築城された国宝です。




 玄宮園です。お城がみえる格調の高いお庭です。


明治27年 牧野富太郎博士が彦根城に立ち寄った時に見出され 
新種として発表された オオトックリイチゴ

午後 鳥居本駅から「歩き」を開始。3時半高宮宿(64)に入る。
何といっても多賀大社の入口で、町の中心に大鳥居がどっしり構えている。
「お伊勢参らば お多賀へ参れ、お伊勢 お多賀の子でござる」
 お伊勢さんの親だとおっしゃるのでござる。

 雨が降ったり止んだり、湿っぽい1日目、25000歩 歩いた。   つづく