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桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

10連休は北海道⑪

2019-06-14 19:35:30 | 旅行記
*旅の終わりに

自分の車で北海道に行ったのは約10年ぶりでした。それまでは毎年のように出かけていたので、何だか懐かしくもありました。

今回のように10日間まるまる、休暇願いも出さずに、何の縛りもなく休めることは、仕事をリタイアするまでないでしょう。よって、観光客も多く金のかかる時期ではありましたが、思い切って出かけることにしました。

礼文で水芭蕉が見られなかったり、羅臼で観光船に乗れなかったり、男山自然公園のカタクリがやや見頃を過ぎていたりしたことなど、心残りはありましたが、数十回に上る北海道旅行で、そうした心残りがなかったときの方が珍しいので、それも残念ではあるけれど旅の思い出なのでしょう。今回の旅での嫌な思い出も、次の旅の時に良い思い出で上書きできればいいと思っています。

今回は10日間の旅でしたが、1ヶ月間くらい旅したように思うのは、自分で車を運転したのが一番の理由であるように思います。今回自宅を出て自宅に戻るまで、10日間で2,821㎞も運転しました。よくこれだけ運転できたなと思いますが、不思議なことにそれほど疲れたという感じはしませんでした。

話はそれますが、昔(1993年)9月の礼文で48時間コースをご一緒した、あるライダーの女性からもらった手紙に「バイクは乗らないんですか?風を感じられますよ。」と書いてあったのを覚えています(その女性は1,000ccを超える大きなバイクで北海道にツーリングに来たついでに、ふと礼文に行きたくなり、島に着いたところで星観荘のオーナーに泊まれるか尋ね、泊まるなら48時間コースに参加してほしいと誘われ、そのまま参加してしまったというすごい方です。)。私は不器用で運動神経もこの上なく鈍く、バイクに乗ると事故に遭う恐れがあり、結局今日までバイクに乗らずに来てしまいました。

今回こうして旅がとても長く感じたのは、各所で懐かしい再会や新しい出会いがあったのに加え、そうして自分の力で長距離・長期間移動したからに他ならないと思うのです。ここ10年は飛行機で渡道してしまうばかりで、確かに訪問地では楽しいひとときを過ごせても、飛行機で羽田に着くと、なんともあっけなく旅が終わってしまった感じがしてなりませんでした。私は車での旅なので、バイクのように、その女性が言ったように「風を感じる」ことはできませんが、それでも今回の旅での2,800㎞の移動中、風は感じられなくとも、北海道の景色はフロント硝子越しにずっと見続けました。行き帰りのフェリーでも、時間はかかりましたがゆったりとした時間を過ごしました。思えば旅の間中、飛行機というある種の“どこでもドア”を使わずに、自分の体ごと旅していたようにも思えるのです。だから、10日間が1ヶ月にも感じられたのではないかと思うのです。

これだけ充実した旅ができるのは、次はいつになるのでしょうか?いつかはわかりませんし、実現不可能かも知れませんが、実現できる心のゆとりは持ち続けたいものです。旅先で出会った皆さん、再会した皆さんには心から感謝しています。

10連休は北海道へ⑩

2019-06-12 21:21:50 | 旅行記
5/5

丘を後にして、美瑛の山頭火に入ったのが15時前。ラーメンをすすった後、インスタの写真をUPしたりしてのんびりしていたら、何と16時近くになっていました!この日は苫小牧東港から19時半発のフェリーに乗らなければなりません。遅くとも30分前に到着していなければ危険です。慌てて車に飛び乗り、一路旭川へ。幸いに信号にもさほど引っかからず、私の車の前にはちょうど良いスピードで走っている車がいることも多くてスピードオーバーにもならず済みました。

しかし、20年前のお盆、札樽道の渋滞にはまり、渋滞で止まったままの車窓の向こうに、乗るはずのフェリーが静かに出航していくのを眺めた経験のある私は、その悪夢を繰り返すわけにはいきません。予定よりやや早く旭川鷹栖インターに到着し、道央道に乗った後は、時計とスピードメーターとにらめっこしながら、ひたすら飛ばしました。幸いに緊張しているためか眠気も催しません。ナビに示された予定到着時間が着実に早まっていくのを見ながら、それでもスピードの出し過ぎに注意し、まさにハンドルを握る手に汗しながら苫小牧東港を目指しました。

もちろん何の買い出しもできないまま、苫小牧東港に付いたのは19時。何とか30分前に到着できました。車の乗船はほとんど終わっており、私の後に来た車は2台しかありませんでした。無事に船に乗り込み、高くて決して美味しくない夕食を済ませ、風呂に入ると一気に眠気が押し寄せてきました。帰りの便はベッドの下段で、上段の人は寝るときしかベッドにいなかったので、静かに眠ることができました。

5/6

目を覚ますと秋田沖でした。秋田港に入って停泊したので、以前筑波の研修でご一緒した、秋田在住のKさんに、研修でご一緒した皆さんのLINEのグループで秋田港にいることを知らせました。その後船室に戻ろうとして、ふと下を見るとマイクロバスが停まっています。近くには見覚えのある顔。そう、同じ研修でご一緒したSさんが、今まさに同じフェリーに乗り込もうとしていたのです。何という偶然でしょう!

先生とは2月に会って以来でしたが、しばらくして乗船してきたSさんとデッキで再会していろいろ話をしました。Sさん顧問を務める自動車部の大会の引率で秋田に毎年来ており、今日はその帰りだとのことでした。私は遊びの帰り、Sさんは仕事の帰り。何だか申し訳ない気分でした。昼食や下船の際、Sさんが生徒にキビキビと指示を与えている様子を目にし、普段のSさんの仕事ぶりが思い浮かびました。

酒田沖からは、残雪を頂いた鳥海山が眺められました。この時期のフェリーに乗るのは初めて、しかも帰りの秋田港寄港便に乗るのも初めてです。鳥海山を関心をもって見たのも今回が初めてでしたが、この時期はゆわんと村で知り合ったAさんやOさん、俺の蕎麦のSさん達が毎年登りに行っているなぁ、自分もあの山頂に立ったんだなぁと思いながら、その雄姿に眺め入っていました。

Sさんは仕事中ということで、私は特に話をしに行ったりすることはせず、新潟着まで読書や昼寝をして過ごしました。新潟に着く前に先生に挨拶をして、一足先に下船し、あとは関越道を飛ばして前橋のタイヤショップに行き、レンタルしたスタッドレスタイヤを返却して自宅に戻りました。

10連休は北海道へ⑨

2019-06-09 21:14:21 | 旅行記
5/5(日)

突哨山に結構な時間滞在してしまい、また気温が高く、すっかり汗をかいてしまいました。次に向かうのは北邦野草園です。ここも14年ぶりに行きます。前夜会った元ゆわんと村オーナーご夫妻も行くという話を聞いていたので、時間を合わせようかと思っていたのですが、思いがけず突哨山で時間を食ってしまいました。

北邦野草園は旭川の西の郊外にあります。無料で入場でき、季節の花々を楽しむことができます。今回はカタクリとエゾエンゴサク、キバナノアマナ、エゾノリュウキンカ、キタコブシが見頃でした。この暖かさで、ひょっとしたら早咲きのシラネアオイも、と思っていましたが、一輪だけ開きかけのを見ることができただけでした。ここのカタクリとエゾノエンゴサクは、突哨山と同じくちょうど満開という感じでした。男山自然公園と同様に、カタクリとエゾノエンゴサクがちょうど良い具合に混じって咲いているので、ピンクと水色、そしてここは日当たりも良いので葉の緑もきれいです。男山や突哨山に比べて規模は小さいですが、また違った趣で楽しめました。残念ながら元オーナーご夫妻とはすれ違いになってしまいました。

次に向かったのは、旭川に来たときは必ず顔を出している野の花菓子店。ゆわんと村で出会った旅友達が店主をしています。休日ということで多くのお客さんが見えており、引けるのを待って店内でしばらく話をしました。
ゆわんと村が営業していた頃は、それこそ何度も何度も一緒になり、礼文の星観荘でも一緒になったことがあるほどです。今は年に1回会えるかどうかで、お互い着実に年を重ねていますが、それでも会えば昔のようにいろんな話に花が咲きます。後の予定もあり、大好きなリンゴジャムをいくつも買って、名残惜しく店を後にしました。

最後の目的地は美瑛。雪を頂いた大雪山・トムラウシ・十勝岳連峰をパッチワークの畑の向こうに眺めたいと思っていました。美瑛には昔何度も車で来ましたが、天気に恵まれないことが多く(というか、天気の良い日は山に登っていてそもそも美瑛には来ない)この日は快晴ということでその目的を果たすべくやって来ました。

畑の続く丘の向こうに山々を眺めるには、北瑛に行くのが一番です。パッチワークの丘周辺以外は観光客は少ないだろうと思って来てみたら、やはりそうでした。一方で農作業をしている人も多く、邪魔にならないよう、また畑に入らないよう注意しながらビューポイントを探しました。それにしても見事な眺めです。青空の下、遠くに真っ白に雪をかぶった大雪・十勝の山並みが続きます。手前には土を掘り起こしたばかりの茶色の畑、あるいは牧草が一面に生えた緑の畑が広がります。本当なら麦の熟れる時期の方が私は好きなのですが、その時期には山には雪がありません。それでも十分にきれいで、しかも大雪山、トムラウシ、そして十勝岳には登頂しています。そのときの感動を思い起こしながら、景色に見入っていました。




















10連休は北海道へ⑧

2019-06-08 19:44:09 | 旅行記
5/5(日)

いよいよ今日は最終日。旭川近郊のカタクリの群落は、清里のYHでご一緒したUさんが4/29に見に行ったときはちょうど見頃で素晴らしかったとのことです。見頃は過ぎたもののまだまだきれいだとのことで見に行きました。
ここを訪れるのは14年ぶり。あのときはちょうど見頃で、それはそれはきれいだったのを覚えています。ただし時間が早かったので、花が開ききっていませんでした。そのとき以来の男山自然公園。手前の日当たりの良い群落は花が終わりかけていましたが、カタクリの桃色と、エゾノエンゴサクの水色と、アズマイチゲの白のコントラストが見事です。もう少し時期が早ければ、フクジュソウの黄色も混じって、さらに見事だったろうと思います。オオバナノエンレイソウやエゾノリュウキンカなども咲き始めていました。やや日陰になった西奥の方の群落はちょうど見頃でした。群馬近郊では栃木の三毳山(みかもやま)のカタクリの大群落が有名ですが、それとは比較にならないほどの広大な群落です。恐らく日本一の大群落と言っていいでしょう。
この日は19時半のフェリーに間に合えば良いのでまだ時間があります。14年前は時間がなくて行けなかった突哨山のカタクリも合わせて見に行くことにしました。男山自然公園は自然公園ということで、遊歩道が整備され、カタクリが見やすいように下草が刈られ、枯れ枝も取り除かれていましたが、こちらは遊歩道こそ整備されていたものの、柵などもなく、一方で下草や枯れ枝もそのままで、男山自然公園に比べて見やすさという点では劣りますが、こちらでは自然のままの大群落を見られます。さらに、群落の広さはこちらの方がはるかに大きく見事でした。エゾエンゴサクの大群落もありました。人も少なく静かにのんびりと、カタクリの大群落をまさに堪能しながら歩くことができました。

男山自然公園のカタクリ








突哨山のカタクリ















10連休は北海道へ⑦

2019-05-30 20:07:32 | 日記
5/4(土)

この日は素晴らしい天気。この天気ならシャチを見る観光船も出たのにと残念でなりません。
この日はオンネトーとシゲチャンランドを訪れた後、ひたすら車を飛ばして旭川まで行く予定です。ロッジ風景画の前の畑から見た斜里岳の姿は見事の一言。人工の建造物等が一切目に入らないこれだけ景色の素晴らしいところをよく選んで、宿を建てたなあと感心することしきりです。

車を快調に飛ばして弟子屈を抜け、山道に入って峠を越えると、突然目の前に雄阿寒岳が姿を現します。双岳台からは左手遠くに雌阿寒岳が望め、真正面に雄阿寒岳が聳えています。どちらにも登頂しているのはいつものことながら感慨深いです。

観光客で混雑している阿寒湖はスルーしてそのままオンネトーへ。ここも確か20年ぶりくらいではないでしょうか。あのときはやはり天気が悪いのでオンネトー湯の滝を見に行って横を通ったと記憶しています。25年前の8月に、旅仲間のHさんと一緒に道東をドライブ旅行したときは、今回同様素晴らしい天気で、美しい湖水の向こうに雌阿寒岳と阿寒富士が眺められたのを覚えています。今回も素晴らしい光景を眺めることができました。この日は微風があり、湖面はさざ波が立っていましたが、奥の方の入り江のようになっているところでは鏡のような水面で、水面に雌阿寒岳の姿がきれいに写っていました。

オンネトーを後にして、この日の最大の目的であるシゲチャンランドに向かいました。シゲチャンランドは造形作家の大西重成さんの作品を展示する個人美術館で、2001年に開館しました。私が学生時代に投稿していたモスバーガーのフリーペーパー「モスモス」の表紙に毎号その作品が掲載されていたことで名前を知り、関心を持っていた作家です。そして2001年に初めて訪れてすっかりその魅力にとりつかれ、道東をドライブ旅行する際は必ず訪れる場所になりました。カミさんもファンで、一度一緒に訪れたこともあります。少しずつリニューアルされた作品群を見た後、2年前に購入予約をしておいた壁掛けを購入しました。雌阿寒岳と雄阿寒岳とその上に浮かぶ月のイメージだと私は考えています。どちらの山にも登頂している私は、この作品をfacebookで見て一度に気に入り、どうしても購入したくなってしまったのです。その後大西さんと少しだけ話ができました。とりとめもない話でしたが、このお人柄ゆえのあの楽しい作品なのだなという思いを今回も新たにしました。この日は今シーズンのオープン2日目ということで、次々にお客さんがやって来ていたので、お邪魔にならないよう「大西さんもどうぞお元気で」「お互いに」と挨拶を交わし、ランドを後にしました。

北見から国道39号に入り、一路層雲峡を目指します。石北峠の手前では水芭蕉がきれいでした。時間帯もあって、幸いに道路は凍結しておらず、問題なく通過できました。層雲峡を過ぎると道路の右側に再び水芭蕉の群生地を見つけましたが、ここも車を降りず通過しました。ちろりん村の所を右に入り(初めてゆわんと村に行ったときは、その隣にアイヌチセがまだ営業していたのを覚えています。)、元の民宿ゆわんと村の前を通過しました。結婚するまでは年末年始のほとんどをここで迎え、7月頭には高山植物を見に、9月中旬には紅葉を見に来て泊まりました。夏のドライブ旅行の時には何度も出戻りをし、ここを拠点にしてあちこち出かけていました。恐らく北海道の宿では一番多く泊まったところだと思います。

ゆわんと村は閉館してしまいましたが、今でもここで出会った皆さんとの交流は続いています。この日はここの元オーナーご夫妻と旭川で夕食を共にすることになっていました。旭川駅前のホテルにチェックインした後、「孤独のグルメ」で有名になった自由軒前で落ち合い、店に入ろうとしたものの、待ち時間30分以上ということで断念。やむなく近所にあった昔ながらの中華料理店に行きました。今回の旅のことや、お互いの近況を語らいながら2時間ほどを過ごしました。宿はなくなってしまっても、宿で知り合った方々とこうして再会できるのは嬉しいものです。北海道で過ごすのは実質この日が最後だったのですが、最後の夜にふさわしい楽しいひとときでした。












10連休は北海道へ⑥

2019-05-21 21:42:43 | 旅行記
5/3(金)

振り返るとこの日は今回の旅行で最も無意味な一日になってしまいました。そもそも朝のYHで出発の用意をしているところに電話が入り、羅臼で乗る予定だった観光船の運休が決まってしまったからです。このためにわざわざ道東まで足を伸ばしていたので、その意味がなくなってしまったのが残念でなりませんでした。

仕方なくまずは以前も訪れた斜里町の北のアルプ美術館で坂本直行の絵などを鑑賞し、その後ウトロへ向かって漁協婦人部食堂で早お昼にしました。本当はメンメ定食を食べたかったけれど5,000円ということで断念。海鮮丼はどこにでもある感じのものだったのでホッケ定食にしました。まずまず美味しかった。

その後の予定が全くなくなってしまったので、オシンコシンの滝を上から見下ろしました。この日の宿泊先はFという宿に決めていたので、どこに行こうかと思ったのですが、ともかく西の方が天気が良さそうだったので車を走らせたものの、弟子屈近辺で眠気のためダウン。そのまま清里まで引き返し、Fにチェックイン。

洗濯など済ませて夕食までの時間を使い、天に続く道を見に行き、その後一本の道まで行く途中であちこちから斜里岳の写真を写しました。利尻山の眺めも大好きですが、斜里岳の眺めも大好きです。羊蹄山はどこから見てもだいたい同じ姿ですが、利尻山と斜里岳は、見る方角によって姿が違うからです。特に東側から見た斜里岳は、何だか利尻山に似ているなと感じました。一本の道では日の入り前となり、山がきれいに染まっていました。残念ながら宿の前から畑の向こうに夕陽が沈むのを見ることはかないませんでした。

この日の一夜はここでは書かないことにしましょう。やはり今回の旅で一番残念な夜でした。本当は羅臼で観光船に乗った後、とおまわりに泊まりたかったんだけどなぁ。。。どちらもかなわず終わりました。






ニリンソウの谷2019

2019-05-19 20:36:57 | 旅行記
今年もニリンソウの谷に行ってきました。
今年は冬に雨が少なかったためか、昨年よりも花の数が少ないようです。
それでもGW明けに訪れたときは谷一面にニリンソウ、今日は谷一面にヤマブキソウが咲き乱れていました。
































10連休は北海道へ⑤

2019-05-19 18:49:36 | 旅行記
5/2(木)

この日は天気が今ひとつだったので、昔清里のYHに泊まっていた頃の雨の日企画の一つだった、日帰り十勝ドライブに出かけてきました。

あの頃は阿寒湖を越えて足寄に下りと、十勝までひたすら長距離ドライブでしたが、今は阿寒町まで高速道路が来ているので、それに乗って中札内まで一気に移動できます。阿寒町までは弟子屈から南下するのですが、このルートは初めて走りました。高速も池田より西は初めて乗りましたが、けっこうたくさんの車が走っていて驚きました。これだもの、JRは利用されなくなるわな、と思いました。

結局もろもろの事情で1時間ほど出発が遅くなったので、中札内美術村に着いたのは13時過ぎでした。今まではレストランを囲む柏林の柏の葉が茂っている時期にしか来たことがないのですが、今回は柏の葉は皆落葉しており、柏林の雰囲気が今までと全く違っていて、何だか新鮮な感じがしました。

ここで毎度おなじみレストランポロシリに行きました。やはり混雑しており、30分ほど並んでようやく着席できました。ここは道内のレストラン・食堂で一番好きなところです。アラカルトで美味しいものを少しずつ選べるのも好きです。昔よく来ていた頃にあったトマトの酢の物と芋なますが食べられないのは残念ですが、十勝おこわ、豚汁、ポロシリ(豆の煮込みグラタン)、アスパラのおひたし、インカのめざめ(ジャガイモ)サラダ、さっぱりにんじんサラダをいただきました。どれも美味しく、特にアスパラのおひたしは私が取ったのが最後の一皿で、アスパラは好物でもあり、この時期でないと食べられないのでラッキーでした。料理を取り過ぎたかなとちょっと心配したけれど、肉料理(豚汁以外)や揚げ物がなく、野菜料理ばかりだったので、結局全部平らげてしまいました。

続いて近くにある六花の森へ向かいます。今回は庭園と美術館には入場しません。ショップでお土産を購入したのですが、お目当てのチーズせんべい・なんもなんもは置いておらず残念でした。次にティールームへ行き、さすがに混雑する店内で一人スイーツをがっつくのは恥ずかしいので、雪こんソフトという、カップ入りソフトクリームに、雪やこんこというココア味のクッキーが添えられたものを購入し、車の中で食べました。ソフトクリームが食べられるところは北海道ではいくらでもありますが、やはり私はここのが最高だと思います(値段もそれなりのものがありますが)。

この日も夕食は大田を19時に予約していたので、慌てて清里へ車を走らせました。YHに着いて大田に送ってもらうと、昔一度だけYHで一緒になったSさん夫妻と、前日も一緒だったUさんが既に来ていました。この日は特別にまだ他の客には出していないアスパラの天ぷらを出してくれました。紫アスパラもあって、これがとても美味しかった。

1時間ほどするとSさんの友人で、斜里在住の漁師さんだというKさんという人がやって来ました。しばらく一緒に飲み食いした後、この人が緑清荘に温泉に入りに行くというので、車に同乗させてもらいました。風呂でいろいろ話していると、なんとこの人が、1990年代前半に、テレビ朝日のニュースステーションで神の子池を紹介し、それによって神の子池が全国に知られることになった、その撮影の現地のスタッフだったことを知りました。Kさんはかつて水中撮影のプロフェッショナルとして知られていたそうですが、20代半ばで地元に戻って現在は漁師をしているとのこと。このニュースステーションの特集の時はそうした技術を持っている人が道内にいないため、ツテを頼って斜里から呼び出され、立松和平と一緒に神の子池に潜ったのだそうです。それ以外にも、電波の送信状況が悪く、何カ所も経由して中継を行ったとか、この地区にプロモーターがおらず、その役目も自分が背負ったことなどの苦労話も聞かせてくれました。

私もその放送を見て神の子池に行きたいと思い、1993年の秋の北海道ドライブ旅行のときにそれを実現し、あの青く輝く湖水を見て大いに感激したのを覚えています。そのことを話すと、Kさんは神の子池の中継のことを覚えていてくれたことや、それを見て実際に足を運んでくれたことを喜んでくれました。

Kさんのご厚意に甘えてYHまで送ってもらいました。話ができたのはわずかな時間でしたが、本当に興味深い話で、しかも初対面の私にもわかるように話してくれたのはありがたいことでした。このKさんのような、今まで出会ったことのないような職種や経歴の持ち主の人と知り合えたのも、旅の面白いところだと思います。


10連休は北海道へ④

2019-05-16 20:50:58 | 旅行記
5/1(水)

本当はもっといても良かったのですが、道東に行くところがあったのでこの日で島抜け。令和のスタートにふさわしく、「レ」「イ」「○」(輪=ワ)の人文字の見送りで、名残惜しい気持ちいっぱいで島を離れました。令和の始まりを祝福してか、利尻山も雲がかかりつつも姿を現してくれました。

稚内に着いて、陛下の即位のお言葉をテレビで見ながら、赤い鳥で塩野菜ラーメンを。お天気屋のマスター、今回も帰りに寄れませんでした。ごめんなさい。

続いて一昨年も来た宗谷丘陵の白い道(シェル・ロード)へ。結構たくさんの人が来ていて驚きました。ビューポイントで、紅い傘をさしたご婦人(恐らく奥方でしょう)をカメラにカメラに収めるべく苦労している年配カメラマンがいて、なかなかその場を離れてくれず、他の訪問者が皆写真が撮れず困っているのには閉口しました。別のビューポイントで写真を撮りましたが、件のカメラマンは横を通過する車やバイクに埃を立てられていてました。

この日は一気に清里町まで下ります。しかも19時半に夕食の店の予約を入れいています。宗谷岬も今回はスルー。猿払の道の駅でトイレ休憩していたら、来るときのフェリーで同じ部屋になった一家と遭遇してまたびっくり!彼らはこの4日間、どこをどう旅していたのでしょうか?彼らは私に気付かなかったようですが。

後はひたすらオホーツク海に沿って車を走らせました。到着時間とスピードを気にしていたので、不思議なことに全く眠気に襲われませんでした。芭露の水芭蕉群落もきれいだったのですが、降りて写真を撮っている暇はないのでこちらもスルー。

トイレ休憩以外で唯一時間を取ったのが、網走のブックオフ。実は旅行前に、特にフェリーの中での時間つぶし用に何冊かの本を注文していたのですが、二冊が届かず、礼文まででも結構な数の本を読んでしまっていたので、追加する必要があったのです。でも、めぼしいものは見付からず、やむなく遠藤周作のエッセー集を一冊買っただけに終わりました。

YHに着くと、満室ということで懐かしい別室に案内されました。昔は何度も泊まったことのある懐かしい部屋でした。荷物を下ろした後、予約しておいた大田へ。令和最初の夕食をコンビニで済ますのはどうかと思い、予約してもらっておいたのです。カウンターの横の席には、かつてYHで何度か一緒になり、一緒に斜里岳にも登ったことのあるUさんが!十数年ぶりの再会です。マスターご夫妻も覚えていてくれ、懐かしい話に花が咲き、2時間ほどがあっという間でした。

YHに戻ってからも、ペアレント夫妻のお子さんの話や、泊まり合わせた若いお客さんも交えたいろいろな話をして楽しいひとときを過ごせました。










10連休は北海道へ③

2019-05-13 22:08:43 | 旅行記
4/30(火)
いよいよ平成最後の日。この日は風は前日ほどではなく、空も晴れていたので、利尻を見ながら島の南を歩こうと決めました。ちなみにこの時期にコースを歩くのは、GW3回目にして初めてです。

ますバスで知床に向かい、一路元地灯台へ。この時期は花は少なく、エゾエンゴサクとキバナノアマナが中心です。また、ギョウジャニンニクもたくさん生えており、しかも今まで採取されたことがないためかどれも株が大きく茎も太く、これを採取して醤油漬けにしたら最高に美味いだろうなと思いました(ギョウジャニンニクの醤油漬けは札幌のふくろう亭でいただいていましたが、なかなか美味しく、確かにこの調理法にするなら茎が太い方が良いなと思いました)。地元のおばさんが遠くで袋いっぱいに採取しているのが見え、うらやましく思いました。

いつもなら花を見ながらのんびり歩いて時間もかかるところ、今回はすぐに灯台に着いてしまいました。利尻山はきれいに見えますが、背景の空がもやっていて今ひとつきれいではないのが残念でした。桃岩展望台まで、利尻山を眺めながら歩き、十数人の人とすれ違いましたが、花の時期に比べればはるかに少なかったです。それでも、初めてここを歩いた29年前の7月中旬は、なんとライダーとおぼしき男性1人としかすれ違いませんでした。途中、笹を広く刈り払ったところが何カ所もあったのは、どういう意図があるのでしょうか。また、クロユリやレブンコザクラ、エゾノハクサンイチゲやレブンキンバイなどの株がいくつも見られ、既に花々は花を咲かせる準備をしているのが見て取れました。これらの花を次に見に来るのはいつのことになるのでしょうか?

思ったより早く歩けてしまったので(しかも今回は普通のスニーカーで歩いています)、レブン林道からハイジの谷、礼文滝まで足を伸ばすことにしました。礼文林道も、初めて星観荘に泊まった27年前に歩いた頃に比べ、道の両側の木々がずいぶん伸びて、見える景色も変わりました。また、ここでも立ち入り禁止の場所が増えました。致し方のないことですが、かつて毎年星観荘に2ヶ月ほど滞在し、自分の足で山深く分け入って、珍しい花を見つけては写真に収めてアルバムにまとめていた故・Hさんなら、今の島の状況をどう思うでしょうか。
ハイジの谷もまだ冬枯れのままでした。礼文滝は雪解け水が流れ込んでいるのか、今まで見た中で最も水量が多く立派に見えました。しかし、昔のように滝の上の岩に上がることはできず、その岩の上に立った姿を、恐怖心に駆られながら写真に撮ってもらったときのことが懐かしく思われます。

ここから引き返して元地に移動し、今年オープンしたカフェUMIでホッケバーガーとキウイのスムージーを頂きました。ホッケバーガーとエビコロバーガーは島産のホッケとボタンエビを使用しているとのこと。店には地元民とおぼしき人が来ていましたが、一様に「ちゃんとホッケの味がする」と言っていたので、間違いないのでしょう。揚げたて熱々、とても美味しかったです。次はエビコロバーガーにしよう!

そのまま元地トンネルをくぐってうすゆきの湯に入り、その後、最終便でやってくる十数年ぶりに再会するTさんご一家を出迎えました。Tさんに初めて会ったのはもう21年も前ですが、その後18人で島を32時間かけて一周したときにご一緒して以来の再会なのです。

平成最後の日の星観荘の夕食は何になるのか。1900年代最後の日は手巻き寿司パーティーでした。私はタコカレーになってほしいなと思っていました。

94年のGW、宿主夫妻が礼文岳山頂で婚姻届にサインし、船泊支所に提出して入籍した日の夕食は、皆の熱烈なリクエストにより、ギョウジャニンニク入りジンギスカン(しかも今のような陶板焼きスタイルでなく、大きな鉄板でたくさん焼くスタイル)とタコカレーとにんじんサラダになったのを思い出します。前々日から「明日はタコカレーだよ。」との声に期待は高まります。前日に双葉食堂の帰りに談で拾ってもらった時、港に出迎えに向かう途中で立ち寄った先でタコを入手したのを見て、これでタコカレーが食べられると確信しました。

平成最後の日の夕食は、写真に示したとおり、タコカレーとにんじんサラダ。そして実は初めて食べる焼き糠ホッケでした。タコカレーを食べるのはいつ以来でしょうか?もう忘れてしまいましたが、星観荘が今の場所の移ってから食べた記憶があるので、恐らく大人数で24時間コースを歩いた時以来だろうと、勝手にしておきます。ともかく懐かしい味。おかわりもしてしまいました。にんじんサラダも自分で作ったことがありますが、星観荘で食べると何かが違う感じです。

そうこうするうちに、雲が出て全く望み薄だった平成最後の夕陽が、水平線際にほんの少しだけ切れた雲の間から顔をのぞかせました。星観荘から見た平成最後の夕陽は、まるで四角い太陽のような形でした。1900年代最後の、スコトン岬で見た夕陽は、写真はありませんが、雲一つないきれいな夕陽でした。1900年代最後と平成最後の夕陽を、ともに星観荘で見られて、なんだかとても感慨深い思いでいっぱいでした。

普段の星観荘の夜は、だいたい11時頃に消灯となるのですが、この日は平成から令和に替わる瞬間に立ち会おうと、10人が起きていました。T一家、U母子、宿主妻子、私とKさん。テレビでカウントダウンが始まると、なんだか気持ちも沸き立ってきます。12時を迎えた瞬間は、皆でジャンプしました。

令和元年5月1日となったので、用意しておいた帙を開き、「令和」の文字を書いた色紙を出しました。Tさんが写真を撮りたいということで、恥ずかしながら色紙を手にしてカメラに収まりました。令和おじさん@星観荘という趣向でしょうか?さらに宿主夫人の発案で、普段食事のメニューを掲示する掲示板の上に色紙を立てかけました。この色紙の前で10人で記念撮影をして就寝しました。(ちなみにこの色紙は今シーズンずっとここに掲げてもらえるそうです。)