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桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

赤城山・篭山のアカヤシオ

2019-05-12 18:41:24 | 旅行記
赤城山・篭山のアカヤシオが見頃とのことで見に行ってきました。八分咲きと言ったところで、満開は今週半ば頃と思われました。ただ、ここ数年でも花の当たり年だった昨年よりは花が少ないようです。
篭山にはしっかりとした登山道が付いていない関係で、登山者があちこちのビューポイントに分け入り、木々の枝を折ってしまっているケースが目立ちました。中にはアカヤシオの花の付いた枝が折れて落ちているのさえ見つけました。私も気をつけて登っていましたが、ザックを背負っていなくても細い枝を折ってしまったことがあったかも知れません。
きれいはきれいだったのですが、昨年袈裟丸山の満開のアカヤシオを見てしまった関係で、花の向こうに赤城大沼と覚満淵の湖面が入る景色以外はやや印象が薄くなってしまいました。










































鳴神山のカッコソウ2019

2019-05-12 18:34:33 | 旅行記
昨年に続いて鳴神山のカッコソウを見てきました。今年も見頃をやや逸してしまったのが残念。
また、鹿の害によるものか、盗掘が後を絶たないのか、年々株が少なくなっているそうで、ボランティアの人たちが配っていたパンフレットにあるような群落は見られませんでした。
リアルタイム検索で「秘密の群落」と称する群落の写真をUPしていた人がいましたが、そんな群落はどこにあるのでしょうか?鳴神山の奥深くにひっそりとあるのでしょうか?見てみたいとも思いますが、人に知られてまた盗掘されたりするのは残念なので、秘密は秘密のままにそっとしておきましょう。
























10連休は北海道へ②

2019-05-09 20:25:03 | 旅行記
4/29(月)
この日は風も強く天気も今ひとつ。港まで同宿だった方を見送りに行った後、南の方より天気の良い北の方を歩くことにしました。

港からの帰りに久種湖で下ろしてもらい、ミズバショウの群落を見に林に入ったのですが、霜が降りたため既に枯れていて残念でした。しかし、キバナノアマナやエゾノリュウキンカはきれいでした。ザゼンソウは霜にやられずきれいに咲いていました。

久種湖の西側を歩いてキャンプ場に着き、一緒だった皆さんと別れ、今回の礼文行きの目的の一つ、西上泊のエゾエンゴサクの群落を見るべく、一路浜中へ。さらに浜中から西上泊へ。とにかく風が強く歩きにくかったです。西上泊の集落へは降りず、そのまま神社の鳥居をくぐって山の上へ。山を越えて、風に吹き飛ばされそうになりながら尾根筋を下ったところに、目的のエゾエンゴサクの群落がありました。花はちょうど見頃で、花の色も鮮やか、またこの花特有の、花の色の濃い薄いがいろいろあってとてもきれいでした。

写真を撮っているうちに同宿の方お二人がやって来ました。話を聞くと、今年は雪が少なかったために、枯れ草が雪で折られることがなく、枯れ草の中にエンゴサクの花が咲いているようになって、写真写りが悪くなっているとのこと。それでも枯れ草のないところもいくらかはあり、そのあたりを中心に写しました。

2人とは鉄府まで一緒に歩き、私はそこから別れて浜中に戻り、そのまま歩いて船泊の双葉食堂へ。本当はバスで香深まで出てちどりでちゃんちゃん焼きを食べようかとも思ったのですが、エゾエンゴサクの群落で思った以上に時間がかかり、またやはり双葉食堂のラーメンが食べたくなってしまい、予定変更をしました。双葉食堂は例によって「準備中」の看板が下がっていましたが、躊躇なく店に入り、味噌ラーメンをただいてお腹いっぱい。歩いて星観荘まで帰る気力を失い、最近の礼文の旅人のブームである喫茶店・談でマスターのぼやきを聞きながらコーヒーを頂き、迎えの車に乗って帰りました。

この日の夕食は14年ぶりのギョウジャニンニク入りのジンギスカン。これが食べたくて今回GWに礼文まで来たと言っても過言ではありません。久々のジンギスカンに舌鼓を打ちました。ギョウジャニンニクは自分でも取り寄せて餃子を作って食べていますが、やはり礼文や北海道で食べるのはまたひと味違ったように感じられます。












10連休は北海道へ①

2019-05-07 21:18:56 | 旅行記
10連休は北海道で過ごしてきました。これだけまとまって休めるのもこれで最後なので、JTBにお願いしてかなり苦労してフェリーのチケットを取ってもらい、約10年ぶりに車で回ってきました。今回の主目的は、1900年代最後の日を迎えた礼文島の星観荘で、平成最後の日を迎えることでした。

4/26(金)
本来は27(土)の小樽便に乗りたかったのですが、こちらの便しか取れませんでした。しかし、こちらの方が道内滞在日をもう1日増やせるので、むしろありがたかったです。23:05新潟発のフェリーで苫小牧東へ。もちろん満員。出港してすぐ風呂に入ってすぐ寝ました。

4/27(土)
17:20苫小牧東着。高速を飛ばして一路札幌へ。この日は前高の教え子・K君と8年ぶりの再会の予定です。高速も空いており、予定より早くホテルにチェックイン。タクシーでジンギスカンの有名店・ふくろうへ。K君と奥さんと2時間、ジンギスカンをつつきながら、近況を語らいました。こうして旅先で教え子と再会できるのは、何度あっても楽しいものです。人気店なので時間きっちりで終わりになり、帰途に就きました。

4/28(日)
この日は一路稚内へ。素晴らしい天気で、旭川付近の高速からは、残雪を頂いた十勝岳連峰や大雪山連峰を眺めることができました。旭川以北は高速も国道もとても空いており、とても連休中とは思えませんでした。
音威子府駅で有名な駅そばでも、と思ったら開店時間前。やむなくあきらめてさらに北へ向かい、幌延付近でサロベツ原野の向こうの利尻山が目に入りました。すぐに経路を変更してオロロンラインへ。海沿いの道に出ると、波立つ海の向こうに利尻山が聳えています。そのまま左の車窓に利尻山を眺めながら抜海まで北上しました。
抜海から内陸に入り、例によって荒井由実「ルージュの伝言」(29年前と同じ)に合わせて稚内の町に入りました。先頃移転したプチガラクでスープカレー、お天気屋でコーヒーを頂いてフェリーターミナルへ。GWですが、ツアーも2団体しかおらず、さほど混んではいませんでした。一寝入りしてからデッキに出ると、海の上の利尻山が聳えているのが見えます。14年前のGWに訪れたときよりも心なしか雪が少ないような気がします。
香深の港に着き、星観荘へ向かいます。前日礼文で60数年ぶりに確認されたニシンの集団産卵「群来」の話は興味深かったです。星観荘では一緒になった方がほとんど初対面の人ばかりでしたが、それでも旅の話をしているとすぐに打ち解けることができたのは幸いでした。この日の夕食に出たホッケの煮付けが美味しかったです。








向田邦子のゆかりの地を訪ねて

2018-11-11 20:38:45 | 旅行記
先日、図書委員会からの依頼で「ビブリオ・トーク」という新企画の第1回講師として、大好きな向田邦子について語りました。

作家が亡くなると途端にその作家の作品の読者が減り、いつしか忘れ去られていくのが世の常なのに、向田邦子は死後37年経った今でも新たな読者を獲得している希有な作家です。

そうした新たな読者の多くが若い女性で、教え子諸君にもそうした新たな読者になってほしいと思っていたこと、先頃亡くなった樹木希林は向田邦子の友人で、代表作「寺内貫太郎一家」に出演していたこと、私自身も9年前に向田邦子生誕80周年記念朗読会で、樹木希林による向田邦子のエッセー「寺内貫太郎の母」の朗読(しかもかの有名な「ジュリ~!」の身振りの再現付き)を目の前で見たこと等の理由から、向田邦子を取り上げたのです。

時間がわずか20分しかなかったので、人物の簡単な説明と、向田邦子の思いが最も凝縮されていると思われるエッセー「手袋をさがす」の紹介、私自身の向田邦子に対する思いをごく簡単に話しただけでしたが、さすがに女子だけあり、興味関心を持って聞いてくれました。そして、向田邦子が他人からの評価や視線を気にすることなく、自分の生きたいようにありのままに生きた生き方に、異性でありながらも共感したのだ、だからここで皆さんに紹介したのだということを特に強調しました。

さて、今日は上京ついでに表参道で下車して、向田邦子の終の棲家となった南青山第一マンションズを見てきました。このマンションは築48年で、2018年7月から新築工事が開始されるとのことだったので、もしかするともう見られないかなとも思いつつ見に行ったのですが、まだ工事の気配すらなく、向田邦子が出入りした玄関やロビー、使用した郵便受け、入り口の看板などを見て歩きました。向田邦子のかつての居室の508号室はすでに住人はいないようでした。このマンションは古いために、現在の多くのマンションのようなロック式の玄関ではなく、自由に出入りができるのです。しかし、さすがにエレベーターに乗って居室の前まで行くことはしませんでした。

一枚目の写真が今日写したもの、二枚目の写真は向田邦子の直木賞受賞を掲載する1980年10月号の巻頭特集「わが家の隣人」に紹介された、南青山第一マンションズに住む直木賞作家3人の写真です。入り口の看板前で写した向田邦子の写真は、これ一枚だけのように思います。背後の文字が同じだし、背後のビャクシンの木が成長して、今ではきれいに刈り込まれているのがわかります。

マンションの横には、向田邦子が「隣の神様」というエッセーで取り上げた大松稲荷神社もありました。37年前までは、向田邦子が毎日この界隈を歩いていたんだなと思いながらマンションを見上げ、マンションの前の細い道を歩きました。37年前は飛行機事故の犠牲者としてしか、向田邦子のことを知らなかったのですが、その作品に触れ、その魅力に惹かれるようになったのはここ25年ほどのことなので、なんだか今でもマンションの中から向田邦子が現れるのではないかという気すらしたほどでした。

樹木希林が亡くなり、終の棲家のこのマンションもいずれ取り壊され、向田邦子の妹の和子さんも、親友の生き残りの澤地久枝、黒柳徹子といった人たちも80歳を超えています。でも、向田邦子を偲ぶよすがとなるもの・人が消えてしまっても、その魅力はずっと後世に語り継がれ、新しい読者を獲得し続けるに違いないと思いつつ、マンションを後にしました。



黄葉の浅間山

2018-10-19 22:57:32 | 旅行記
10/13(土)に教え子のTと浅間山に登ってきました。本来はお互いにかねてから念願していた甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳の登頂を計画し、前泊の宿と当日の山小屋の予約まで済ませていました。しかし、日曜日の天気が今ひとつで、結局またしても断念することとなり、やむなく代替として、Tが未踏の浅間山に登ることに決めました。
私は浅間山には一度登っていますが、秋には登っておらず、また高峰高原~黒斑山~仙人岳の外輪山の縦走も未経験だったので、ちょうど見頃だというカラマツの紅葉も見がてら、今シーズンの登山の締めくくりということで登ってきました。

天狗温泉にTの車を置き、私の車で高峰高原に向かいました。高峰高原では雲海の上に出て、高曇りでしたが八ヶ岳連峰が雲海の上に浮かんでいるのが見えました。

車坂峠から登り始め、緩やかな斜度の道を登っていき、途中車坂山から振り返ると、北アルプスの峰峰が一望でした。白馬岳から前穂高岳までが一続きの山並みとなって連なっています。思わず歓声を上げるとともに、その多くに登頂しているのは、いつものことながら感慨深いものがありました。

槍ヶ鞘で一気に視界が開け、目の前に深田久弥が「それはいつも厖大な容積(マッス)で、独占的な形で」と表現した浅間山本体の姿が現れました。トーミの頭からは眼下を見下ろすと、湯ノ平高原の樹林帯は、針葉樹の濃い緑と黄葉したカラマツの黄色とが見事なコントラストを見せていました。ここから黒斑山~蛇骨岳と稜線伝いに歩いて行きます。蛇骨岳からは北に四阿山から上信越国境の山々が眺められました。そして南を見下ろすと湯ノ平高原の見事な紅葉が広がっています。場所場所で写真を撮るのですが、Tはそんな私の姿までカメラに収めていました。途中ではカモシカの姿も見られ、ガスが流れてきたときには、ほんの一瞬でしたが私のすぐ背後にブロッケンが見られたりもしました。

鋸岳の手前からJバンドを下り、賽の河原に下りました。一面の砂地に、土壌のために背が低くなった黄色のカラマツ林が広がります。外輪山の下には真っ赤に紅葉したナナカマドも見え、針葉樹の緑、岩肌の灰色、空の青とのコントラストが見事です。

カラマツの背が高くなったあたりの賽の河原分岐で山頂に向かう登山道と合流し、いよいよ本格的な登りが始まります。の標高差約450メートル・約1時間のこの登りが、今回の山行で最も苦しく、何度も小休止せねばならず、同行のTには迷惑をかけてしまいました。以前ここを登ったときの記憶が全くないのは、おそらくそのときも相当苦労して登ったからだと思われます。

我慢してそこを登り切り、本来の山頂との分岐から前掛山の山頂へ向かいます。火山活動のためにしばらく登れなかった前掛山も、先月9月から登れるようになった関係で、山頂まではとても混んでいました。それにしても前掛山の山頂への道は、前掛山の外輪山をたどるように付けられており、また火山活動のために木が全く生えていないので、ほかの山に見られないユニークで不思議な光景が広がっています。混雑する山頂で写真を代わる代わる写すうちにガスが立ちこめて寒くなってきたので分岐まで戻ってお昼にしました。温かいものが身にしみました。

日も陰って一段と寒くなってきたので早々に下山することに決め、賽の河原分岐までは同じ道をたどり、賽の河原分岐から先は、登りとは別の、天狗温泉に下る道を取りました。こちらは以前私が浅間山に登ったときのルートですが、登り返しがほとんどなく、登りで疲れた体には楽なルートとなりました。途中に見事な滝もありました。天狗温泉は大賑わいだったので入浴は諦め、高峰高原ホテルで汗を流し帰途につきました。

今シーズンの登り納めでしたが、とにかくカラマツの紅葉が見事で、前回の登山では通らなかったルートも通ったので、二度目ながら新鮮な感動を味わうことができるとともに、Tと登頂の喜びを分かち合えたのもいい思い出となりました。


























37年ぶりの常念岳

2018-08-21 18:29:49 | 旅行記
先日の雲ノ平周遊の時、鷲羽岳~水晶岳の稜線から常念岳を眺めました。常念岳は実は37年前に叔父と登っています。日本百名山の中で最初に登った山ですが、意気地なしで体力もなかった当時の私は、登るのが辛くて辛くて(軽い高山病だったのだと思います)、途中で泣きが入り、泣きべそをかいて登頂したのを覚えています。よって、山頂で写真も撮していません。本来はその先の蝶ヶ岳まで行く予定だったのを、これ以上の山行は無理と判断した叔父が、予定を1日切り上げてエスケープルートで下山することにしたのです。このことは小学生の私にとって屈辱の経験となり(もちろんすべての原因は私のダメさ加減にあるのは言うまでもありません)、本格的に山に登るようになってからは、いつかその屈辱を晴らすべく、ぜひもう一度常念岳に登りたいと思っていました。

本来は鳳凰三山に登りたかったのですが、諸事情と天気予報で急遽常念岳に登ることに決めました。出発が遅かったので、初日は一の沢から常念小屋まで、二日目は、天気が良ければ蝶ヶ岳まで縦走して下山、天気が持ちそうもなければ常念岳登頂後一の沢へ下山と決めて出発しました。

一の沢から登り始めると、沢山の下山者とすれ違います。恐らく常念小屋は土曜日ということで満館で布団1枚に2人寝たことでしょう。一の沢から胸突き八丁までの前半3分の2は斜度も緩やかで快調に飛ばせましたが、胸突き八丁からの残り3分の1は暑さも加わってとにかくハードでした。

12時過ぎに、37数年ぶりに小屋に到着し受付を済ませて食堂で昼食にしました。テラスの向こうにはかつて踏破した槍穂連峰が聳えています。特に大キレットの特徴的な形が印象的です。毎度のことながら、自分もかつてあそこを踏破したのだという感慨に浸ります。たまたま横にいた親子はすることがないので常念岳に登頂してくるとのことでしたが、私は以前登っているし、早起きして運転と登山をしてきた疲れもあるので、そのまま小屋でのんびり過ごすことにしました。

食後にコーヒーをすすっていると、相席を申し出る人達がいました。テーブルには私一人だったので快諾したのですが、彼らが実に楽しい人達でした。新潟からのSi夫妻、Sa夫妻、神戸からのIさん(若い女性)。彼らとしばらくいろいろと楽しく話をしました。今回の山行では、雲ノ平周遊の時のような出会いは少なかったのですが、彼らとの交流が唯一の楽しい出会いだったといえるでしょう。

夕食も、37年前は全く食欲がなくほとんど手を付けなかったのを覚えています。しかし今回は美味しく完食しました。単独行や2人組の男性ばかりが押し込められた3階の大部屋は、時間に関係なく歩き回る人の足音や荷物をあさる音、さらにはひどいいびきと咳でほとんど眠ることができず、不快なまま朝を迎えました。

それでも4時に起き、朝食を済ませて6時前に常念岳山頂を目指して登り始めました。日の出の時はきれいに見えていた槍ヶ岳には少しずつ雲がかかり始めています。これは蝶ヶ岳への稜線での見事な眺めは望めそうもないので、登頂後は一の沢に下ることに決め、空身で登りました。

高度が上がるにつれて、遠くの山々が目に入り始めます。特に先日登った鷲羽岳、私の大好きな鹿島槍ヶ岳、そして一部雲がかかってはいましたが、大キレットの特徴的な地形にはどうしても目がいきます。そして、何より目に付く主立った山々は皆かつて登頂しており、それぞれの山に登頂したときのことがよみがえってきたのは感動的でした。東や南の方向には、八ヶ岳連峰や富士山の裾野部分、南アルプス、大キレットの向こうに白山までも見えたのは驚きでした。

山頂では1時間ほど過ごしたでしょうか、Sa夫妻とSi夫妻、Iさんも遅れて登頂し、狭い山頂で写真を撮し合いました。37年前は泣きべそをかいて写真も撮れなかった私ですが、今回は笑顔で写真を撮ることができました。

下山もご夫妻達とご一緒しました。とにかく話が面白く、ほとんど2組の夫婦漫才を聞いているようで、登山の疲れなどすっかり消し飛んでしまうほどでした。一の沢に下る前に、常念平の標識の前で写真を撮りました。実は三十数年前も、一の沢下山前に同じ標識の前で写真を撮しました(今手元にはない)。その写真の表情は、もう山に登らなくていいという晴れ晴れした顔をしています。今回は屈辱を晴らすことができた笑顔を作って撮しました。
ご夫妻達とは最終水場まではご一緒し、そこで別れて、あとは一の沢の駐車場までうんざりするほど下り続けました。37年前も一の沢を下っていますが、その時の記憶は全くありません。コースタイムより1時間ほど早く着けました。

ふと思い立っての登山でしたが、楽しい出会いもあって良い登山になりました。


常念小屋からの槍穂連峰

夕暮れの常念岳

槍ヶ岳に沈む夕日

常念岳と月

常念平から朝焼けの浅間山

鷲羽岳と水晶岳

大天井岳と横通岳

鹿島槍ヶ岳

剱岳

槍ヶ岳

前穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳、大キレット

前穂高岳、奥穂高岳

前穂高岳

槍穂連峰をバックに


雲ノ平周遊⑤

2018-08-13 12:15:23 | 旅行記
山小屋での食事などの写真と、山頂での写真をお示しします。


薬師岳山荘の夕食

三俣山荘の夕食・ジビエ(鹿肉)シチュー

水晶小屋の力汁

雲ノ平山荘の夕食・石狩鍋

薬師岳山頂にて

北ノ俣岳山頂にて

黒部五郎岳山頂にて

鷲羽岳山頂にて

水晶岳(黒岳)山頂にて

祖父岳山頂にて

黒部五郎岳山頂でご一緒した皆さんと

雲ノ平周遊④

2018-08-12 10:21:10 | 旅行記
8/4はいよいよ下山です。私は時間に余裕があるので、小屋でゆっくり朝食を摂ってから出発しました。

始めに書いたSさんは、絶対に雲ノ平から下った方が良いとのことでしたが、その通りでした。薬師沢への下りは笠ヶ岳の笠新道に並び、今まで経験した中で最もハードな下りでした。登ってくる人と何人もすれ違いましたが、よくこんな急なところを登ってくるな、と思わず思ってしまいました。

薬師沢からは太郎平への登りまで緩やかな登りが続きます。カベッケが原ではオコジョを見ました。昔ニペソツ山で2回見たことがあり、その時聞いたのと同じような声が聞こえたので足元を見てみると、木の下の穴から顔を出しているのを見つけ、すぐにカメラに収めました。

太郎平への最後の登りにかかると、間もなく森林限界を抜け、かんかん照りの下で登るのは実にハードでしたが、前夜に小屋でご一緒した人達と再度会えるような気がしてずんずん登っていきました。案の定、祖父岳で写真を撮ってくれた人と埼玉の2人組と福島の3人組と再会できました。

先に出発した彼らを見送った後、最後の下りにかかりました。土曜日ということで、沢山の人とすれ違いました。この様子だと、この日の小屋はどこも満員だろうな、と思われました。下るに従って気温が上がっていくのがわかります。もううんざり、と思い始めた頃、木々の間に車が停まっているのが見え、やがて折立にたどり着きました。(歩行距離13.52㎞、歩行時間6時間26分)

この後、前泊した雲谷温泉で汗を流して4日分伸びたひげも剃り、高速をひたすら飛ばして群馬まで戻りました。前夜の雲ノ平山荘以外ではまともな食事を取れなかったので、途中のSAでどか食いをしてしまい、せっかく減った体重はすぐに元に戻ってしまいました。

今回の山行は、念願の山々にようやく登れたばかりでなく、見事な眺めを堪能できた上に、小屋や山頂で様々な人と話して、登山の楽しさや登頂の喜びを共有できたのが何より素晴らしいことでした。特に、薬師岳山荘から三俣山荘までご一緒したIさん、薬師岳と黒部五郎岳の山頂及び黒辺五郎小舎でご一緒した二十歳の学生さん、薬師岳山荘以外ではずっとご一緒した埼玉からの年配の2人組、薬師岳山荘でご一緒し、水晶岳の登りですれ違った、私と正反対のルートを回った男性、三俣山荘から雲ノ平山荘までご一緒した、間違って高天原まで行ってしまった男性、三俣山荘から太郎平小屋までご一緒した福島からの3人組、祖父岳山頂で沢山の写真を撮してくださった男性、皆さん印象深い方達でした。お名前を名乗ることも伺うこともしませんでしたが、皆さん感謝しています。

私はこれまで数多くの山に登ってきましたが、今回の雲ノ平周遊3泊4日は、これまでで最高の山行でした。


水晶岳からの日の出

雲ノ平山荘からの朝焼けの黒部五郎岳

カベッケが原で見たオコジョ

ハクサンイチゲの向こうに薬師岳

ウサギギクの向こうに水晶岳

チングルマの向こうに水晶岳と赤牛岳

夕日に照らされたチングルマの穂


雲ノ平周遊③

2018-08-11 09:49:54 | 旅行記
3日目の8/3は2つの山に登頂します。三俣山荘からいきなりの急登、それでも1時間で山頂に着きました。この日は残念ながら雲が多く、鷲羽池の向こうにも、山頂の向こうにも、本来見えるはずの槍ヶ岳は見ることができませんでした。また風も強く、稜線歩きの際は今回の山行で唯一、合羽の下を穿きました。

ワリモ岳を通って水晶岳に近づいていきます。次第に雲が晴れ、槍ヶ岳方面が見えてきました。大天井岳や常念岳も見えてきました。西には黒部五郎岳も少しずつ姿を現し始めました。水晶小屋に近づくと、これまでと植生が変わりました。タカネシオガマとチョウノスケソウ、ミネウスユキソウとイワギキョウが目に付くようになりました。特にこの辺りにしか見られなかったチョウノスケソウは既に散っていたものの大群落を作っており、これまたあと10日ほど早く来ていたら、見事な群落を見ることができたのにと思うと残念でした。

水晶小屋を過ぎて、水晶岳への登りにかかります。ここでも前々日に薬師岳山荘でご一緒した若い男性とすれ違いました。この人は私と全く反対のルートでこの4つの山を登頂するとのことでしたが、彼から前夜の雲ノ平山荘の混雑ぶりを耳にして、ちょっと不安になってきました。

山頂手前の登りはなかなかハードで、はしご場もあり、岩を乗り越え乗り越えして何とかたどり着きました。山頂はごつごつした岩場で狭く、幸い人も少なかったので、ガスが晴れるのを待っていると、30分ほどして次第に晴れてきました。遠くに以前登頂した槍ヶ岳、手前に先ほど登頂した鷲羽岳、南西の方角には前日登頂した黒部五郎岳が次第に見えてきました。北アルプス最奥部の山に登頂できた感激は一入でした。

水晶小屋に戻りお昼にしました。実は三俣小屋で作ってもらった弁当を忘れてくるという失態を演じてしまい、代わりに水晶小屋名物だという力汁を、小屋の前のデッキで、水晶岳を眺めながらいただきました。大振りに切った野菜がたくさん入った味噌汁に焼き餅が2個入っています。思いがけず美味しいものにありつけたのは幸いでした。横にいた年配の女性からいきなり「ねぇ、何で山に登ってるの?」と聞かれたのには面食らいましたが。ちなみにこの方とは後で雲ノ平山荘で再会しました。

水晶小屋を後にし、ワリモ北分岐から祖父岳に向かいます。祖父岳は北アルプスには珍しい火山ということで、足下には溶岩がゴロゴロ転がっていて、大雪山旭岳や十勝岳を思い出しました。祖父岳山頂は広々とした場所で、四方には北アルプスの山々がぐるりと聳えています。赤牛岳と三俣蓮華岳以外の、槍ヶ岳、鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳には登頂したことがあるのは感慨深いものがありました。中でも特に印象深いのは黒部五郎岳の姿でした。三俣山荘への登りの時に振り返って見たどっしりした姿とは異なり、形良くすらりと聳えています。前日目にした、北ノ股岳から黒部五郎岳までの稜線からの眺め以上に、祖父岳山頂からの眺めは素晴らしいもので、恐らく私が今まで登山の時に見た光景の中で最も感動的なものだったと言って良いと思います。山頂で出会った2人の別々の男性といろいろな話をし、写真を撮ってもらったりしてしばらく時間を過ごしました。

名残を惜しみつつ祖父岳を後にし、雲ノ平へ下りました。残念ながら雨が少なく高温のために、池塘はほとんど干上がっていました。しかし、雲ノ平の向こうに聳える水晶岳の姿は、これまで見たことがないほど力強く印象的なものでした。

雲ノ平山荘では、祖父岳で写真を撮ってくれた男性の他、初日の宿泊地以外はずっと同じルートをたどっている埼玉の年配の男性2人組、三俣山荘でご一緒した福島からの男性3人組、水晶小屋で声を掛けられた女性2人組と一緒になりました。前夜隣で寝た若い男性も一緒になりましたが、彼は何と道を間違って高天原山荘まで下ってしまったとのこと、温泉は気持ちよかったそうですが、ちょっと気の毒でした。

雲ノ平山荘の夕食はこれまた名物の石狩鍋。大振りに切った野菜がたくさん入り、塩分不足の体には味噌の優しい塩味が浸みます。私の座ったテーブルは女性ばかりだったので、一人で3杯もおかわりし、お腹いっぱいになりました。山小屋の食事でお腹いっぱいになったのは初めてでした。

夕食後、山荘の北にある丘に登り、夕日を見ました。夕日に染まった水晶岳の姿は昼間とはまた違った美しさがありました。祖父岳山頂からは見えなかった立山も見えました。
また、ここではスマホが通じました。3日ぶりにスマホを使いましたが、使わなくても十分やっていけるし、使えなかった分、山小屋や山頂で一緒になった人達といろいろ話すことができたのだと思います。

小屋は満員(私のところは7人で5枚の布団でした)でかなり暑く、寝付けないと思われたのと、この夜が最後の晩ということもあり、高天原まで行ってしまった男性と、福島からの3人組と、山行の思い出や、今まで登った山のことを話しながら、一杯やって寝ました。やはり大変な暑さで、室内の気温は30度近くあったのではないでしょうか。申し訳程度に着いている小窓を開けてもらい、布団も掛けないで何とか3時間ほど寝ることができました。(歩行距離10.4㎞、歩行時間7時間45分)


水晶岳山頂部分

野口五郎岳

薬師岳と水晶岳

水晶岳から槍ヶ岳・鷲羽岳方向を望む

祖父岳より薬師岳

祖父岳より黒部五郎岳

祖父岳より鷲羽岳と槍ヶ岳

雲ノ平より赤牛岳と水晶岳

雲ノ平より夕焼けの水晶岳

雲ノ平より夕焼けの赤牛岳

雲ノ平からの夕焼け

雲ノ平山荘からの夕焼けの黒部五郎岳